その四:レディ・ドルリスは推理するが真犯人を逮捕できる証拠は無い
黒猫はけいかくする
猫の小集会は毎日どこかで開かれている。
今日はとりわけ面白い話が聞けた。
サールバント金貨のコレクション!
黄金とダイヤモンドの美しいコインだ。この境海世界ではとても高価な宝物だと聞く。
ぼくは毎日お家でぬいぐるみとお昼寝をしていたかったけれど、飼い猫の義務であるパトロールを欠かすわけにはいかないんだ。
なぜなら、ご近所のお家の人が出かける時間をくわしく調べる必要があるから。
サールバント金貨のコレクションがある家を突き止めて、その家の住人が留守になる時間帯をチェックする。
それを一刻も早くご主人へ報告しないと、ご主人のご機嫌はどんどん悪くなる。ついには大声で怒鳴るようになって、ぼくのゴハンを出すのまで忘れてしまう。
だからぼくは毎日外へパトロールにいかなければならないんだ。
通りで見かける大人猫はパトロールなんてまじめにしてない。ときどきひなたぼっこして寝てる。
のんきでいいなあ……。
レディ・ドルリスは空を見上げた。
夕まぐれの空はけぶるように蒼い。これなら明日も晴天だろう。
「さて、ノワさん。街もだいたい廻ったことだし、そろそろお帰りなさいな」
「え、どうしてですか。まだ事件と犯人については何もわかっていませんが!?」
ノワは焦った。
ぼうやがノワの尻尾で遊んでいるのをちらとみて、急いで尻尾を引っ込める。一回噛まれたので用心しているのだ。
「あら、犯人が被害者宅に侵入した手口とその事情はとっくにわかっていましてよ。パトロールでそのヒントがありましたでしょう。詳しい犯人像については、わたくしが今日までに集めた情報を整理するだけですわ」
ノワは顎がはずれそうなくらい、大きく口をあけた。今日のパトロールでレディ・ドルリスに推理できたことが、ノワにはさっぱりわからなかったらしい。
「犯人がわかったんですかッ!?」
ノワはすんなり長い尻尾を下斜めにピンとつっぱった。あからさまに困り顔になる。
「教えてください。あ、犯人が捕まるまでぼくがレディ・ドルリスのボディーガードをしますから!」
「まあ、そんなことをされてはわたくしこそ困りますわ。本日のパトロールは終了しました。今夜は捕り物にいきますので、ノワさんがいては足手纏いですもの」
レディ・ドルリスは魔法猫の一族。そこらの猫よりはるかに強く賢いのは無論のこと、魔法猫特有の魔法にいたっては、この世にレディ・ドルリスにかなう魔法猫などいるまいと思うほど。
ふつうの猫に護衛を頼まれたことはあっても、魔法猫ではないこどもな猫に護衛を申し出られたことなど経験がない。
「でも、レディ・ドルリスはその捕り物にぼうやを連れていくでしょう。ぼうやを一人にはできませんもの。だったらぼくも連れていってください」
ノワはしつこく食い下がる。
「いいえ、ぼうやはお留守番です。今夜はベビーシッターを雇いました。そもそも夜の集会に成猫前の子猫は参加できませんわ」
レディ・ドルリスは『子猫』を強調したが、ノワはあきらめない。
「ぼくは……ぼくは、もう子猫じゃありません。こうして親無しで生きているんですから。ぼくのご主じ……保護者から、絶対レディ・ドルリスから離れるな、共犯猫が判明するまでくっついていろ、って言われているんです。いま帰ったら怒られます。今夜のゴハンをもらえないかもしれません」
「まあ、そんなむごいことを……?」
こんな幼気な若い猫に、なんてひどいことをする飼い主なのか。
ここはひとつ、レディ・ドルリスがお節介を焼かねばならぬようだ。
「ノワさん、猫はそう簡単に人間に頭を下げるものではありませんわよ」
レディ・ドルリスはスッと前足をそろえ、猫の正座ポーズを決めた。自慢のふさふさ尻尾は体の左側へ。
「ノワさん、あなたが飼い主に忠誠を見せるのは良いことではありますが、さすがに虐待は見逃せませんわ。お家は白く寂しい通りのどこですの?」
ところがノワはキョトンと口をあけた。
「ぼくが、虐・待・さ・れ・て・い・る――?」
「ええ、さきほどからお話をうかがっていると、あなたの待遇は猫にとって虐待そのもの。とくにゴハンをもらえないなんて! たとえ猫が満腹で食べられなくとも、世話する立場の人間が猫のゴハンを忘れるなど言語道断、わざとあたえなかったりするなど、決してあってはならぬことです。あなたは若すぎて知らないようだから教えますが……」
レディ・ドルリスは世間知らずなノワにもわかりやすいよう、かみ砕いて説明した。
まず、人間とは猫の世話を特別にさせてあげている生き物である。
猫の方が『世話をしてもよい』と許可しなければ、人間は猫に触れないのだ。
レディ・ドルリスたちをなでたり抱っこするのは無論のこと、尻尾の先に触れることさえ許されない。
そういった行動は、人間が誠心誠意を込めて猫の世話をしたのを認めてから、やっと手にできる尊き権利。あらゆる世界において人間と猫に共通する厳格な掟なのだ。
この掟を守れない人間は猫を飼う資格などないどころか、万死に値するとさえいえよう。
「……というわけですから、これからわたくしがお宅へうかがい、その愚かな人間へ制裁を与えましょう」
レディ・ドルリスはすくっと腰を上げた。
「せいさいをあたえる……って、いったいなにをするのですか」
ノワはよくわからないことに怯えつつも、勇気を振り絞って訊ねた。
「一般的にはお仕置きとか懲罰とかともいいますわね。ちょっと魔法で、心の底から反省して猫への態度を改めるまで、夜ごと心臓が止まりそうな悪夢に悲鳴を上げて飛び起きていただくだけですわ」
レディ・ドルリスが解説すると、ようやく制裁の意味がノワの小さな脳に浸透したらしい。ノワは大きな金色の目をさらに大きく見開いた。
「ええーッ!? ダメですそんなの! ぼくは虐待されていません、やめてください!!!」
「でも、飼い主に依存している被虐待猫には虐待されているという自覚がないこともあって、それは周囲が気づいてやらないといけないことであり……」
「わあああ、誤解です、レディ・ドルリス!」
ノワはひどく焦っていた。まるで冷や汗でも流しているような顔だ。猫なのにほんとうに変わっている。よほど変わった生い立ちがあるのだろう。
「そうかしら。ではなぜ、さきほどからそのように怯えているのですか」
「それは、だって、レディ・ドルリスが恐ろしいことをいうからですよ。毎晩飛び起きる悪夢を見せるだなんて」
「まだ優しい方ですわよ。このわたくしが本気で粛清するなら、もっと……」
「わああああ、もういいです、やめてください! とにかく犯人を教えてください。そうすれば、ぼくはおとなしくお家に帰りますから!」
なんだかやけくそ気味な訴えにも聞こえるが、レディ・ドルリスはしぶしぶながらこれで収めることにした。ノワのいけすかない保護者ならともかく、ノワ自身をこんなしょうもないネタで追い詰めるつもりなど毛頭無いのだ。
「まあ、よいでしょう。粛清は後日に再考いたしましょう」
レディ・ドルリスが穏やかに矛を収めると、ノワがあからさまにほっとした表情になった。なかなか失礼な猫である。
上品なレディ・ドルリスが本当にひどい仕打ちを人間へしにいくとでも思っているのだろうか。もちろん、するつもりではあったけれど。手加減も、ほんのわずかだけど一応考えてはいたのに……。
「そうですわね、あなたに手伝っていただいた方が早いかも知れませんわね。人間の犯人を逮捕するにはあなたの保護者に出てきてもらわないと収まりませんし……」
「あれ? 言ってなかったけど、ぼくの保護者が誰だかわかっていたんですか?」
「この白く寂しい通りの警察機構の関係者ですわね。捜査関係者しか知らない内容を猫にまで教えるのですもの。もっとも初めは、あなたのことを、人間が姿を変えた魔法使いかもしれないとも思いましたが……。あなた、ふつうの猫ではなく、魔法猫の一族ですわね。それも家を持たぬ半端なはぐれ者の」
ノワは一瞬息を詰まらせてから、こくりとうなずいた。
「ええ、そうです。……たぶん。自分がふつうの猫じゃないことは物心ついたときには気づいていました。きっと成長が遅いから、ふつうの母猫に捨てられたんだと思います。ぼくのこと、どうしてわかったんですか?」
「この街に入ってくる猫の情報は、その日のうちにすべてわたくしの元へ届けられますのよ。あなたは別の街で生まれ育ち、そこでたまたまこの街の関係者である捜査官に拾われたのね」
「そんなとこです。こんどの事件を解決する役に立てたら、きちんとした飼い猫にしてもらえる約束でした」
「んまあ、なんて意地悪な人間もいたこと! ではとっとと謎解きをしてあげましょう。今日のパトロールで、わたくしは真犯人がどうやって金貨を盗みに魔法のかかっている家に侵入できたかわかりました。そのために猫がどういう役割を果たしたのかもね」
「ええ、ほんとうに!?」
ノワはビックリ仰天した。
なぜなら本日のレディ・ドルリスの行動はノワの知る限り、日常のパトロールとおやつの食べ歩きと他愛の無い世間話しかしていなかったからである。
「では、いまから足を伸ばして、実際に犯行現場を見に行きましょうか」
レディ・ドルリスは、金貨が盗まれた被害者宅へ向かった。
その家は白く寂しい通りの南端にあった。この街ではごくありふれた住宅である。
「ここいらの家はだいたいが三階建てなのですわ」
塀の上を跳び伝い、レディ・ドルリスは目的の家ではなく、その隣家の前庭にある登りやすい木から玄関屋根に跳んだ。そこからもう一階上方にある窓辺へ飛び移り、その家の三階へ上った。
そこからは簡単に、目と鼻の先に隣り合っている被害宅の三階ベランダへ、ひょいと跳び移るだけですんだ。
「これがこの家へ侵入するもっとも単純で安全な方法だったのですわ。わたくしは猫だけに許された方法で昇りましたけど」
「はあ、それはわかりましたが」
「あら、まだ犯人がわかりませんの」
「だって、人間の犯人はどうやって魔法の痕跡を残さずに、被害者のお宅へ盗みに入ったのですか?」
「猫ドアから入った猫が、ここの窓を内側から押し開けたのですわ。ノワさんだって押し開けるタイプの窓なら、前足で押すくらいできるでしょう」
「は? ええッ!? それだけですか?」
「招かれたものに防犯魔法は効きませんのよ。わたくしたちはどこのお宅を訪問するのも、猫ドアのおかげで自由だったでしょう。この街の住人はほとんどが魔法を使いますが、家の内側から招かれた客人に対しては、通常の防犯魔法は効果が無いのですわ」
ノワは魂が抜けたようにへちょっと腰を下ろして座り込んだ。
「ふわああああ、そうだったんだ……。あ、でも、人間の犯人はどこの誰なんですか?」
「ですから、この隣家の三階へ安全に上って来られて飛び移ることのできる人間ですわ。この家に住んでいる人間が窃盗の真犯人なのです。物的証拠はありませんけどね」
レディ・ドルリスが隣家の三階のベランダ窓を見た。
窓のカーテンの向こうで、人間のシルエットが動いていたが、すぐに消えた。
もとより外で猫がこんな会話をしているなんて知るよしもない。
猫が人間を逮捕なんて、できないのだ。
黒猫はみた
そういえば、昨日の朝早くに怪しい猫を見たっけ。
体がすごく大きいのに尻尾は短く、遠目にだったけど毛の色は全体に黒っぽく薄汚れてベタッとしていた。あれはぜったい日頃から手入れを怠っている。
猫はいつも清潔でなければいけないのに、毎日の毛づくろいを怠るなんて、猫の風上にもおけない悪い猫だ。
大きな顔はキズだらけだった。とくに目立つのが、額から左目の下までかかる長いキズだった。
このものすごく怪しい風体の大猫は、夜が明けてすぐの白く寂しい通りの南に現れた。
ぼくはちょうど屋根の上をパトロール中で、そこから眺めていた。
大猫は、ぼくの視線に気づいたのに、ぼくを無視して通りを北へ走り、あっというまに霧のなかへ姿を消した。
この街に来て一ヶ月経つが、あんなやつを見たのは初めてだ。
遠い所からきた他所猫だろう。