その二十三:女王の怒りの鉄槌とは
「あの……。わたしは、帰らなくちゃ……」
「ん? ルビーさん、お家に帰るの?」
「あら、どのあたりにお住まいなの?」
ノワとレディ・エルデリットも聞きたそうだ。
だが、ちがうのだ。
ルビーに帰る家は無い。
だって、この街の端っこの公園で野宿してるから。
そこにはレディ・クラリッサが待っているから――。
「帰らないと、――母猫が怒るんです」
ようやっとそう言って、ルビーは女王陛下から顔をそらしてうつむいた。
こんなことを言って良いのだろうか。
とにかくいちど帰らなければ――あとで探し出されて、どんなひどい目に遭わされるかわかったもんじゃない。
レディ・クラリッサは魔法に長けている。どうあがいても逃げ切れないのだ。
ルビーといっしょにいたノワだって何をされるか……。
女王陛下にいえば、助けてもらえるのだろうか……?
「あの、わたし……」
「なにかつらい事情がおありなのね」
どうしてそれを?
「ルビーさん、あなた、さきほどから、ずっと泣きそうな顔をしていますのよ。いまにも涙がこぼれそう」
「あの……」
ルビーが何か言う前に女王は、「レディ・エルデリット!」とするどく呼んだ。
「はい、陛下!」
「あなたとルビーさんはことが落ち着くまでここに留まりなさい。この邸から一歩も出てはなりませんよ」
「承知いたしました」
レディ・エルデリットが軽く頭をさげた。
ノワは、ん? と首をかしげてる。
「レディ・ドルリス、どうしてエルデおばさんはお外に出ちゃダメなんですか?」
「危険だからですわ。ノワさんも、わたくしが良いと言うまでご町内のパトロールは中止です。いいですわね。その代わり、このお家の中ならどこでも自由に、ルビーさんといっしょに過ごしていてかまいませんから」
「はい、了解です!」
ノワはビシッと猫の正座をして返事するや、ルビーの左側にピタッとくっついた。
ルビーは右にレディ・エルデリット、左はノワに挟まれて、ほかほか暖かくなった。
「あの、女王陛下、これは……」
「ルビーさん。あなたはさっきからずっと、育ててくれた母猫のことを考えていたのでしょう?」
どうしてわかったのだろう。
「あなたの育ての親猫なるレディ・クラリッサというものですが、あまり心根の良い方ではなさそうね。娘猫のあなたにそんな顔をさせるのですもの」
ルビーはとうとう泣き出した。
レディ・エルデリットが「だいじょうぶよ。ここには怖いことはなにもありませんからね」となぐさめている。
ノワもルビーの左側を一所懸命毛づくろいしてくれている。
「でも、わたしがここにいたら、きっと母猫が来ます。わたしはどうしたら……?」
「ほほ、ルビーさんはどうしなくてもいいのですわ。もしもレディ・クラリッサとやらが来ようと、わたくしに悪意あらば、この邸の敷地にはけっして入れませんもの」
「え?」
遠くの空で、ゴロゴロとカミナリが鳴った。
なんだかサンルームから見える外の景色が暗くなってきた。
夕暮れにはまだ遠い時間なのに……。
「ここは我が縄張り故に、魔法猫の女王の聖地。女王への悪しき敵意を持ちながら踏み込むものあらば、その者にはすみやかに〈女王の怒りの鉄槌〉がくだされるのです」
「なんですか、それは?」
ノワが訊ねた。
「天による審判ですわ。もしもわたくしに対して悪しき敵意を持つ者が、我が聖地に一歩でも足を踏み入れたなら――」
とつぜん、サンルームがふっと暗くなった。
「一天にわかにかき曇り、灰色の雷雲がとどろいて」
レディ・ドルリスの言葉に会わせるかのように、急速にあたりが濃い灰色の霞が降りたごとく薄暗くなり――。
「あれ? なんだろ?」
ノワは耳をぴくぴくさせた。
つぎに聞こえたカミナリは、さっきよりははっきりと、ノワたちの頭上で鳴っていた。
「なんでカミナリが? 今日は一日中良いお天気のはず……?」
魔法猫はおヒゲに感じる湿気の加減で、その日一日のお天気がわかるのだ。
お天気が急変しても、女王陛下の説明はふつうにつづいていた。
「その者はわたくしのもとへたどりつくまえに、神の怒りの拳たる雷鎚に撃たれるのです」
外がピカッと光った刹那、
グワラガラッ、ドッ、カッーンッッッ!!!
目も眩む黄金色の光がサンルームを貫いて満ちあふれ、爆発かとまごう轟音が、サンルームの壁と天井を地震のようにグラグラ揺らした。
「うひゃッ!?」
ノワは首を引っ込め、ルビーはびっくりして跳ねとんでいた。
いまの雷はものすごく近かった。
信じがたいが、落雷したのはサンルームから半径10メートル以内だと思われた。
「これ、このように、神の怒りの鉄拳制裁である雷鎚が、そのものへとまっすぐにくだされるのです」
「あー、あっちになんか煙があがってる!」
ノワは南側のガラスの壁に近づいた。
細い煙はキラキラッと光ると、すぐに上がらなくなった。
「まあ。この庭の裏木戸があるほうですわね。もしやこっそり入って来た来訪者でもいたのかしら」
女王はそちらをちらっと見ただけだった。
「さすがですわ、陛下。さっそく天罰がくだされたのですね」
レディ・エルデリットが冷静に判じた。
「なに、なんなのいまのは!?」
全身の毛を逆立てプルプル震えているルビーへ、レディ・エルデリットが優しく鼻先をすりよせた。
「なんでもありませんよ。いまのが〈魔法猫の女王の怒りの鉄槌〉でそれが落とされただけのことです」
「ででで、でも、すごいカミナリが、この近くに落ちて……!?」
「だいじょうぶですわ、ルビーさん。〈魔法猫の女王の怒りの鉄槌〉は悪しき者だけを狙い撃ちしますので、ほかに被害は一切ありません。あの煙も、すでに魔法で完全に鎮火ずみです」
女王陛下が力強く断言した。




