その二十一:女王の謁見
「ようこそお越しくださいました。お待ち申し上げておりましたわ、ルビーさん」
ルビーは急いで前足をそろえ、お尻を落としてきちんとお座りした。
――この方が女王陛下……。
ノワさんとはぜんぜん似ていないわ。
さっきからノワは女王陛下のことをレディ・ドルリスと呼んでいる。親しいようだが、やはり女王の息子というのは本当ではないのだろう。
「ノワさんからお話を聞いて、お会いしたいと思っていましたのよ。なかなか謁見にいらっしゃらないから、ノワさんに連れてくるようにいいましたの」
「お初にお目にかかります。女王陛下」
ルビーは左前足を少し引きしとやかに頭を下げた。
「まあ、いまどき珍しく礼儀正しい方だこと。その奥ゆかしい宮廷風のお作法は、どなたに習われたのでしょう?」
――お声を掛けられたら、顔を上げて良いのよね。
ルビーは前足をそろえ直し、女王を見上げた。問われたことに答えようとして……。
「それは母が……」
途中で口をつぐんだ。
言えない。
母猫レディ・クラリッサがルビーに対して、どんな躾をしてきたかなんて。
初めて会った魔法猫の女王様に、それもこんなに上品で優しそうな方へ、長年ルビーが受けてきたむごい仕打ちなど説明できない。
よしんばいま、女王陛下に長年の虐待を訴えることができたとしても、もしもレディ・クラリッサがここへ現れたら……。外面だけは完璧な母猫なのだ。ルビーがどう訴えても、口先でうまく取り繕われるだろう。
最悪な場合、レディ・クラリッサの性格が悪いのではなく、ルビーの頭がおかしいと思われるかも知れない……。
恐ろしくずる賢く頭が回り、魔法に長けた〈魔法猫〉レディ・クラリッサ。見目もけっして悪くはない。おとなしやかにしていれば、淑女猫にも見えように。……なぜあんな荒んだ野良猫暮らしを好むのか。
ルビーにはまったく理解できない。レディ・クラリッサの頭がおかしいとしか思えない。悲しいかな、自分はその娘猫なのだ……。
「あれぇ? ルビーさんうつむいちゃって、どうしたの?」
右横のノワが不思議そうにルビーの顔を覗き込む。
ノワにも知られたくない。いかにルビーが惨めで残酷な境遇にあるのかは……。
「あの……母に躾けられましたの」
それだけ言って、またうつむいた。
「そう。子猫の教育に熱心なおかあさまですのね」
魔法猫の女王レディ・ドルリスはやさしく言った。
「お顔をあげてくださいな、ルビーさん」
「はい」
ルビーはまっすぐ女王を見上げた。
「ほら、わたくしの言ったとおりでしょう、ノワさん」
ノワが、ん?と首を傾げている。
「ルビーさんの瞳の色ですわ」
「あー、ほんとだ! ルビーさんの目は今日は赤いんだね!」
ルビーはギョッとした。
目の色を変えるのを忘れていた。
――やーい、猫のくせにウサギみたいな目のウサギ猫やーい!
記憶の底から嫌な思い出が湧き上がる。
「あ、あの、これは……」
ノワにだけはイヤなことを言われたくな……!
「とってもきれいだ! 昨日はどうしてオレンジ色だったの?」
ルビーが答えられないでいると、女王がホホホと笑った。
「ノワさん、それはオシャレの魔法ですわ。その日の気分で目の色を変える方もいらっしゃいますのよ」
「へえ~、そうなの? ルビーさんはオシャレなんだね!」
ルビーは緊張が抜けて、右後ろ足がヘチョッと横へはみ出した。
なんというシンプルな思考!
ノワさんは単純すぎるわ。いつか悪い雌猫にコロッと騙されるかも。
「ところでルビーさん」
「はいッ!」
女王陛下に呼ばれたルビーは、ピシッと背筋をまっすぐにした。
「ルビーさんをここへお呼びしたのはほかでもありません。その瞳の色でお訊きしたいことがあるのです」
「わたくしの目でございますか?……なにか悪いことでも?」
ルビーは体が小刻みに震えた。母猫レディクラリッサには似ていない赤い瞳。会ったことも無い父猫に似ているのだと思っていたけど、ちがうのだろうか。
この珍しい色の瞳を持つルビーには、魔法猫の女王陛下直々に問われるような、恐ろしい問題があるのだろうか?
「まあ、そんなに畏まらなくてもよろしくてよ。その瞳の色の由来をご存じかしら?」
「え? いいえ、わたくしは……父を知らないのですが、父に似ているのだと思っていました」
「それは母方の遺伝なのですわ。母系遺伝といって、母から娘だけに代々伝わってゆく特徴なのです」
「え?」
女王陛下はたしかに「母から娘だけに」と言った。
意味はわかった。
だからこそ、ルビーは混乱した。
だって、母猫クラリッサの目は緑だ。目の色を魔法で変えていることもなく。
なにか恐ろしい予感がして、ルビーは体を固まらせた。
女王陛下はじっとルビーのことを見つめている。
もっと詳しく、母系遺伝のことを聞きたいのに、口がうまく動かせない。
「レディ・ドルリス、ルビーさんが母系遺伝って、なんですか?」
ルビーの緊張を知らないノワが、あっさり訊ねてくれた。
「ルビーさんの赤い瞳ですわ。その特徴的な赤い瞳は、父猫がどんな猫種であろうと、母猫からその直系の娘猫だけに伝えられてゆく身体的特徴なのです。つまり、ルビーさんの赤い瞳こそ、実のおかあさまから受け継いだ母子の絆の証なのですわ」
「え?」
ルビーは言い知れぬ不安に、背中がぞわぞわした。
「あの、でも……わたくしの母の目は、緑色で……」
そう、レディ・クラリッサの目は緑色。明るいペリドットグリーンの宝石のような瞳は、彼女の自慢のタネで……。
「では、ルビーさんのおかあさまは、ルビーさんとは瞳の色がまったくちがうのですね」
「はい」
ルビーは素直に返事した。
「それはそうでしょうとも。その方はあなたを生んだ実の母猫ではないからですよ」
「え?」
ルビーの思考はいいかげん混乱していた。
レディ・クラリッサはルビーの母猫ではない? 女王陛下の言っているのはそういうことだ。
ルビーはそれらをけんめいに理解しようと努力したがうまくいかず、ただ女王陛下の次の言葉を待つしかなかった。
女王陛下は二、三度まばたきして左へ顔を向けた。
「レディ・エルデリット、いかがかしら?」
女王の玉座の左、そこに脇侍さながらに座している淡い三毛の淑女猫は、軽く伏せていた目を開けた。あざやかな赤い瞳がルビーを優しく見つめる。
「あ……」
ルビーと視線が遭った。ルビーと同じあざやかな真紅の目から、涙があふれてポロリとこぼれた。
「よく生きて……こんなに大きくなって……」
レディ・エルデリットは右の前足で顔をさっと拭った。
「はい、陛下。姿も匂いも、なによりあの赤い瞳は、わたくしの娘にまちがいありません。あのとき生んだ五つ子のうちにはルビーさんにうり二つの子がいますわ」
女王陛下は「やはりそうですのね」と感慨深くうなずいた。
「ルビーさん。こちらのレディ・エルデリットが、あなたの本当のおかあさまですよ」
「ええッ!?」
驚きの声をあげたのは、ノワだった。
ルビーは驚きすぎて、声も出なかった。




