その二十:出会いのとき
「あー、よく寝たわ」
朝の顔洗いを終えたレディ・クラリッサがゴロゴロ喉を鳴らしている。
どうやら機嫌は良いようだ。
ルビーは緊張をゆるめた。これで美味しい朝食でも当たれば、昨日のノワのことは忘れてくれるかも知れない。
さっそく朝食探しに行こう。
うまくすれば、途中でノワにばったり会えるかも知れな……。
「いいことを思いついたわ。ルビーや」
猫撫で声で呼ばれた。
ろくでもない前兆だ。
「なんでしょう、おかあさま」
「女王の息子と知り合ったのよね」
「ええ……。でも、通りすがりの子猫の言うことですし、本気にしない方がよろしいわ」
「黒猫で、名前はノワ。女王が手元に置いて育てているなら、あの黒猫種かもしれないわ。あんた、その子をここへつれていらっしゃい」
「なぜですの。ただの子猫ですわ」
黒猫種ってなんだろう。
レディ・クラリッサはいろんな事を知っている。それなりの教養があり、魔法も使える。ルビーを連れて野良猫みたいに放浪しているが、出自は良家のご令嬢猫だったという話は、もしかしたら本当かも知れない。
「ルビーや、おまえがその黒い子猫のノワから、女王の印の在りかを聞き出すのよ」
女王のしるし?
あののほほんとした子猫のノワが、そんなものを知っているだろうか。
「なにをおっしゃっているのかわかりませんわ、おかあさま?」
「女王の息子なら、女王の印くらい知っているでしょうよ。それをあんたが聞き出せばいいの。なんなら、その子猫をあたくしの前へ連れてきなさい。あたくしが直接聞き出してやるわ」
「そんなこと……!?」
できない。
ルビーは立ち尽くした。ノワに迷惑をかけるなんて。
レディクラリッサにひどいことをされるために、ここへ連れてくるなんて、できない。
ううん、そうじゃない。ノワさんはだいじょうぶ。だって、女王陛下の息子だもの。
ルビーの母猫がレディ・クラリッサだと知られたら、きっと嫌われてしまう。
「い、いや……」
「なにしてるの? 早くお行きッ! 今日中に連れてくるんだよッ」
ルビーはレディ・クラリッサに尻尾を向け、弾かれたように走り出した。
どうしょう。
ノワさんに会ったらなんて言えばいいの?
いっしょに来てなんて無理。レディ・クラリッサには会わせたくない。ノワさんがどんな目に遭わされるか……!
「あ~、いたいた、ルビーさ~んっ!」
ルビーは急ブレーキを掛けた。
けっこうスピードを出していたので、肉球で石畳をずざーッとすべったが、行き過ぎ(オーバーラン)はノワから二メートルほどで止まれた。この街の石畳がきれいすぎるのがいけないのだ。
「あ、あら、ノワさん、ごきげんよう」
足の裏の肉球がちょっとヒリヒリするが、我慢できないほどではない。ルビーはにっこり笑顔をむけた。
「おっはよ~ございまっす! 早くこっちへ来て!」
ノワはやけにテンション高く、ワクワクしたふうを隠していない。
「え、なあに?」
「いいから、はやく早く!」
ルビーはノワの後ろを付いていった。
下に浅い側溝が作られている塀に沿って歩き、角で曲がり、木戸の下をくぐり抜けた。
どこかの邸宅のお庭だ。良い香りのするハーブ草や淡い色の花々が咲き乱れている。
「まあ、すてきなお庭ね」
「そうなんだよ、ここでお昼寝すると、とっても気持ちいいんだよ!」
ノワはどんどん進んでいく。小柄な猫だが、元気な男の子は足が速い。
ルビーは遅れないように付いていった。
――そうだわ、いま訊けばいいんだわ。
女王のしるしのありかを。ルビーが訊いて、答えを持ち帰ればすむ。
――ノワさん、あなたはわたしに親切にしてくれるけど、わたしはあなたにとって害になるわ。
答えを聞いたら、二度とノワさんには会わない。でないと、レディ・クラリッサがノワになにをするかわからないから……。
「あの、ノワさん、訊きたいことが……」
「ん~、な~に? ん~と、あとでかまわない? ほら、もうここなの。レディ・ドルリスとおばちゃんが待ってるんだ!」
「え?」
レディ・ドルリスとオバチャン?
なんのことだろうとルビーが考えている間に、ノワの後につられて建物の中へ入る猫ドアをくぐっていた。
「あ、たっだいま~ッ! レディ・ドルリス、ルビーさんを連れて来ましたッ! 謁見をお願いしまーすッ!」
「え?」
ルビーの後ろでパタンと猫ドアが閉まる。
「あら、早かったですわね、ノワさん」
「はい! がんばりましたッ!」
「え?」
ルビーはさっきから「え?」しか言ってないような気がする。
ノワに訊きたいことがあるのに、ひとつの質問もできていない。
「あの……?」
ここは、どこ。わたしはルビー・キャット。
いや、ちがった。
あなたがたはどなたなのでしょうか?
白い胡蝶蘭が咲きほこる棚の上に、とてつもなく上品な、貴婦人なふうの淑女猫が二匹。
ルビーをまっすぐに見下ろしている真白い毛並みの方は、金色の打ち紐で飾られた緋色のクッションの上に鎮座している。その美貌と威厳たるや、まさに女王の風格。
そして左側、ルビーから見上げて右側に、品良く猫の正座をしてこちらを見下ろしているのは、絹のような長い毛なみが、非常に淡いパステルカラーの美しい三毛猫だ。
ルビーは、ハッと目を見張った。
とても優しい眼差しでルビーを見つめる淑女猫の目は。
その目は、熟れた木イチゴのように赤かったのである。




