その十七:魔法猫の女王の〈尊き義務〉(ノブレス・オブリージェ)
レディ・ドルリスは庭にいた。
ベンチの上から庭を眺めている。
その視線の向く先が、玉座クッションを見つけた場所だと、ノワにはわかっていた。
フェスティ夫人邸の中庭は、三〇平方メートルくらいだ。狭くはないが、庭として広すぎもしない。
中央には円盤形の石の小道があり、そこを邸へ向かって歩いて行くと、右手に小さな石造りの泉がある。
泉からは澄んだ湧き水があふれ、地面に落ちてチョロチョロ流れる細い小川となって庭中を曲がりくねり、庭木への給水も兼ねている。もちろん猫の飲み水にも最適であり、庭から外へ出て行くところはフェスティ夫人邸の壁に沿って浅い側溝に作られており、ご町内の猫たちの水飲み場となっている。
外の潜り戸の下から小柄な黒猫が入ってきた。午後のお散歩から帰ってきたノワだ。
「レディ・ドルリス、ただまもどりました」
「お帰りなさい、ノワさん。なにか新しい情報はありまして?」
「いいえ、なんにも。ご町内は平和です」
「それは重畳。わたくしが治めている以上、何事も起こらなくて普通ですもの」
――あれ、でもときどき、何かしら事件っぽいことが起こっているよね。今回もそうだし……。
ノワは急いで顔を洗った。でもでも、ノワが知っている分には、問題はだいたいすぐに解決しているから、問題はないのかな?
「それで、レディ・ドルリス。こっちは何かわかりましたか?」
レディ・ドルリスはお昼寝のあと、パトロールを兼ねたご近所のご夫人猫たちの集まりに行っていたはず。
「そうですわねえ。今朝、予定していた謁見がキャンセルになったのはご存じでしょう。約束していた迎えのものが待ち合わせ場所で待っていたのですが、けっきょく新参猫は、午後になっても現れなかったそうです」
「ええ!? 謁見に来ない猫さんがいるんですか!? 来たらもれなく女王様の祝福がもらえるのに、もったいないなあ!」
魔法猫の女王の〈謁見〉、そして祝福とは。
じつはその実体は、月の女神の化身たる魔法猫の女王に、なんでもお願いを聞いてもらえる相談所なのだ。
お家を求める魔法猫には良き保護者の斡旋を、悩める魔法猫には人生相談まで、なんでもOK。しかも女王が相談を受けた以上、解決まで必ず面倒を見てもらえる。
という、魔法猫の女王ならではの、年中無休出血大サービスの〈尊き義務〉なのであった。
「ホホ、なかにはそう思わない魔法猫もいるようですわね。ノワさんこそ、ルビーさんとはお会いできましたの?」
「ウニャ~……。それが、会えなくて……」
ノワはうつむいた。
昨日と同じ場所に行ったがルビーはいなかった。昼過ぎまで待っても来なかったのだ。
「まあ、残念でしたわね」
「すぐ会えると思ってたのに……。どこへいっちゃったのかなあ……?」
「この街から出てはいないでしょうけど」
「え、どうしてわかるんですか?」
「玉座の件が終わっていないからですわ」
「やだなあ、そんな言い方! それじゃまるで、ルビーさんが玉座クッションになにかした犯人みたいじゃないですか」
「あ~ら、現在の第一容疑者は、ノワさん、あなたですのよ」
「ええッ、僕ッ!?」
ビックリしすぎて、ノワはその場にヘチョッと腰を抜かした。
「なんで僕?」
レディ・ドルリスはいったい何を言っているのだろう。ノワはこうして戻るまで、いつもの朝のご近所パトロールへまじめに行っていた良い子なのに!
「じつは、あの破れた玉座を丁寧にわたくしが調べた結果、ノワさんの匂いだけしかしなかったのです」
「えええッ!? 僕、玉座にはぜったい触ってません!」
ノワはブンブン音がしそうなくらい、首を横に振った。
女王陛下の御座所は神聖不可侵。
ノワはおろか、レディ・ドルリスの息子のぼうやすらめったに近づかない聖域中の聖域である。
「あ、でも、もしかして!? あのとき、僕が見つけて、まっさきに、匂いを嗅ぎにいったから、僕の匂いがついちゃった?」
「いいえ、そうではありません。まるで洗濯したばかりの新品のクッションをノワさんだけが使いこんだように、ノワさんの匂いしかしないのです」
ノワはパチパチ、まばたきした。
「ええと、なんか、変ですね。だって、レディ・ドルリスが前の日もお昼寝していたのに?」
「そうですわ。ずっとわたくしが使っているクッションなのですよ。わたくしの匂いがまったく残っていないなんて。そんなおかしなことがあるでしょうか。ときどき遊びに来るぼうやも、マドロスの匂いすら、カケラも残っていないなんて」
ぼうやは、たまにレディ・ドルリスに甘えるためにやってくる。マドロス船長はレディ・ドルリスを食事などに呼びに来る際、玉座にまで迎えに来るから、少しは匂いが付いていないとおかしいのだ。
「あの破れたクッションに、ノワさんが鼻先すら触れなかったことは、わたくしが見ていましたわ。つまり、あれからノワさんの匂いしかしないのは、とてもおかしなことなのです。これは犯人のしわざです」
ノワはホッとした。
でも、どうしてそうなったのだろう?
疑問はまだまだつきない。




