その十六:その頃のレディ・ドルリスは犯人を推理していた
レディ・クラリッサが荒れに荒れていた頃、〈十二の祭り亭〉の中庭では魔法猫の女王レディ・ドルリスが優雅に過ごしていた。
「あら?」
午後のルーティンであるお昼寝から目を覚ましたレディ・ドルリスは、ついと空中を見上げた。
「どうしたんだい?」
右横に寝そべっているマドロス船長が顔を上げる。
真っ白でふさふさなペルシャ猫系のレディ・ドルリスと、とりわけ体格のいい青毛のマドロス船長が寝ていると、二人掛け用のベンチはいっぱいで人間の座るスペースはない。
まあ、もとよりここはレディ・ドルリス専用として周知されているので、人間は休憩に来ないが。
「風の匂いが乱れましたの」
レディ・ドルリスは右前足を顔の前後にちゃちゃっと動かし、乱れていない右ヒゲを整えなおした。
「うん? 俺はなにも感じなかったが」
「ほほ、それはしかたありませんわ。そのものは魔物じゃありませんもの。ご町内に、わたくしの縄張りを荒そうという意思あるものがいる……というところかしら」
「おや、きみにしては意味深な言い方をするね、奥さん?」
マドロス船長はむくっと起き上がった。うーん、と前足と後ろ足を突っ張り、寝起きの体を長ーく伸ばす。
「やれやれ、正体がわからないのは気味がわるいな。魔物でなければ、人間の魔法使いの仕業でもないんだな?」
「人間の魔法使いがわたくしを狙う理由がありませんわ。そもそも人間の魔法使いなど、わたくしの敵にもなりませんことよ」
「あ、そうだったね」
くわばらくわばら。
マドロス船長の呟きを、レディ・ドルリスは聞こえないふりをした。
「あなた、あの玉座のことですけど」
「うん、ひどいことをするやつがいるもんだな。俺もパトロールを強化するよう、皆に言っておくよ」
「いえ、犯人の目星は付いていますのよ」
「え?」
「わたくしとあなたとぼうやと、ノワさんの匂いしかなければ、消去法で、第一容疑者はノワさんしかいませんもの」
マドロス船長はクワッと目を剥いた。
ノワはレディ・ドルリスが養子にした子猫。マドロス船長はまだ会ってまもないが、レディ・ドルリスはそれなりにノワのことを見極めてから養子にすると決めたはずだ。
「ええ!? いやしかし、あのおっとりした子が、そんな大それた事をするはずが……!?」
「ええ、もちろん、やったのはノワさんではありませんわ。あのクッションの引き裂き方にはとてつもない〈怒り〉を感じますもの」
ノワにはレディ・ドルリスに対して怒りをもつ理由がない。それはマドロス船長もよくわかっていた。
「それはつまり、きみに対して誰かが怒って、その結果が玉座クッションを破くことに繋がったってことかい?」
マドロス船長はなんとも困惑ぎみに訊ねた。魔法猫の女王であるレディ・ドルリスに対し、怒りをぶつける行動をとるなど、この街の魔法猫なら考えられない思考回路だ。
「そうですわ。そして確実に余所猫です」
「そりゃそうか。この街に住む魔法猫なら、女王にちょっかいをかけるような愚かな猫であるはずがない」
マドロス船長は自信に満ちて言い切った。
「ええ。だからノワさんは利用されたのです。いきさつはまだわかりませんが、犯人は、早朝のうちにノワさんから付けられた新しい匂いを、魔法でそっくり移し取れる、器用な魔法が使える魔法猫のしわざ、ですわね」
この街は魔法猫がたくさんいる。魔法の使い方に長けたものなら、そのくらい簡単だ。やり方さえわかれば魔法猫の子猫だってできるだろう。
「つまり、ノワくんが接触したのが犯人で、そいつは魔法が使えるやつか!」
マドロス船長はくんくんと空気の匂いをかいだ。いまはマドロス船長とレディ・ドルリスが認めた家族の匂いしかしない。
「なるほどなあ。そうでなければ、一匹の鼻ならともかく、俺たち全員の鼻まで欺く小細工はできないよな。人間の魔法使いでなければ、容疑者はおのずと魔法猫に絞られる」
ちなみに部外者の人間は、この中庭には入れない。そこは保護者のフェスティ夫人が、セキュリティ用の魔法結界を張っている。フェスティ夫人も魔法使いである。
「あとは動機ですわ。ノワさんの話していたこの街へ来たばかりの若いお嬢さんには、わたくしの玉座を破壊するような動機があるとは思えませんの」
「うん? ノワくんが話していたきれいなお嬢さんが犯人なのか?」
そのお嬢さんの話をしていたノワがメロメロになっていたという話は、レディ・ドルリスからマドロス船長へすでに伝わっていた。
まだ子猫でも雄猫だなあ。
マドロス船長は妙に感心したものだ。
ノワはそのお嬢さん猫とよほど相性がいいのかもしれない。ここはひとつ、継父猫として応援してやらないといかんな。よし、がんばろう。
「その若いお嬢さんは真犯人ではありませんわ。断言できます」
「なんで断言できるんだい?」
「そのお嬢さんとわたくしには、破壊行為に至るような因縁がまるでありません。被害は女王の玉座クッション、つまりここ何年かのわたくしの個人的な所有物であって、魔法猫の女王の持ち物とはちがいます。それを女王の家に忍び込んでまで破壊しにくるには、魔法猫の女王に対するよほどの個人的な恨みがあるはずですわ」
「でも、なんで玉座クッションなんだ?」
「ノワさんは玉座に座った猫が魔法猫の女王になると勘違いしてましたのよ」
「なんじゃい、そりゃあ?」
「それで思いましたの。ノワさんのように、玉座に座った魔法猫が魔法猫の女王になれると思い込んだ魔法猫がいるのではないかと」
「ははあ、な~るほど。……でも、それは変じゃないか。魔法猫なのに魔法猫の女王になりたい魔法猫なんて、この世界にいるのかな?」
「まあ、ホホホ。そう思うのは、あなたが魔法猫の女王のなんたるかを詳細にご存じだからですわよ」
「そうかなあ。じゃあ、そのルビーとやらいうお嬢さんに会えば、彼女が犯人を知っているんだね?」
「でも、本人にその気が無くとも、おそらくは犯人に直接繋がっている方ですわ。ノワさんに連れてくるように言いましたから、近いうちにお会いできるはずですわ」
「しかし、犯人を知っているなら……ふつうにきみに会いに来るかな?」
「さすがにわたくしもこの段階では、犯人の心理や詳しい動機までわかりませんわ。ただ、やけに気になる事件ですわ。社会的な影響が懸念されるほどには」
レディ・ドルリスは前足を重ねた上に顎を乗せた。
「犯人の動機かい? 魔法猫の女王にケンカを売るなんてそうとうなバカだが……」
「それより気になるのは、ルビーさんの瞳の色ですの」
「ああ、珍しいオレンジの瞳に白い毛色の女の子だっけ。魔法猫だっていろんな目の色があるじゃないか?」
「お名前がルビーなのに、ノワさんはオレンジの瞳とおっしゃってましたのよ」
「つまり、本当は赤い目なのか? アルビノなのかな」
「真っ白な猫ではなかったそうですわ。耳には色がついているとか。どうやらそのお嬢さんは珍しい瞳の色を変える魔法が使えるようですわね。そして赤い瞳の魔法猫と言えば、あなたも心当たりがあるのでは?」
「うん。知っているけど、あの一族は、いまは遠い街にすんでいるだろ?」
「ええ、そうですわ。それに、その赤い瞳の一族の血縁ならば、謁見などまだるっこしいことはせずに、まっすぐわたくしに挨拶しにくるはずですわ」
「そう言われるとそうだな。きみたち、仲良しだったしな」
「そのルビーさんがノワさんと知り合ったのは偶然だったとして。玉座のクッションを引き裂くようなまねをする方とは思えませんの。若いお嬢さんならなおさらですわ。会ったこともないわたくしに執着する因縁がございませんもの」
「そうだなあ。俺の知る限り、魔法猫の女王に徒なす魔法猫はいるわけがないしな。魔法猫の女王についてよく知らない新参猫のしわざ、ということも考えられるかな」
「あなた、その推理には矛盾がありますわ。魔法猫の女王を知らなければ、その玉座を引き裂く意味もなくなりますわ。それに、過去にいたそういう者たちはすでに粛清済みですから」
「お、おお……」
マドロス船長はいそいで背中のけづくろいをした。驚いたら落ち着くために毛づくろいをするのは魔法猫だって猫だから。
――あー、そうだった。うちの奥さんはやられたら倍返しはしない。百倍から千倍返しがふつうだった……。
だって魔法猫の女王だし。
犯人はそのへんのことに無知なのか。
魔法猫の集会に出ている猫ならば知っている、魔法猫の一般常識を知らないほどのバカなのか?
「この街の魔法猫はなべてわたくしの大切な臣下であり身内。わたくしの怒りをわざと買うようなことはいたしませんわ」
そも、魔法猫の女王が怒ればどうなるのか。
その裁きによって下される罰がどんなものだかわかっていれば、玉座に手を出すなど、とんでもないことなのだ。
「さきほど臣下のものより、明日の早朝謁見の予約がありましたわ。新参の魔法猫を二匹つれて来るそうですけど……」
レディ・ドルリスは前足を突っ張って大きく伸びをした。
「あれ? めずらしく煮え切らないいい方をするね。きみ、謁見するの、好きでしょ?」
「それはいろんな方々にお会いできるからですわ。このタイミングのせいかしら。どうにも変な予感がしますの」
レディ・ドルリスは両耳をキュッと寝かせた。猫が緊張するときにやる伏せ耳だ。
「変って、どんなふうにだい?」
「なんだか一波乱おこりそうな予感ですわ。玉座が盗まれたときより、もっとおかしな事が起こりそうな……そんな気分なのです」
だったら、お昼寝どころじゃないだろうと、マドロス船長は思ったが。
この庭は魔法猫の女王の縄張り(テリトリー)。
前回はやすやすと侵入できた犯人だが、いま魔法猫の女王は怒り、その者に対して警戒している。
もしもまた同じ犯人が侵入してくれば、それこそ魔法猫の女王の怒りの鉄槌がくだされようというものだ。
というわけで、午後のお昼寝はそのまま中庭のベンチで完遂されたのだった。