その二:『麗しきレディ・ドルリスへの依頼』
黒猫はききたい
この街は猫が多い。
猫好きな人間が多いのだろう。
「ごきげんよう」
この街の公園で、初めてのご挨拶。
「おや、小さい黒猫さんだね。ようこそ白く寂しい通りへ!」
すぐに受け入れてもらえた。小さな子猫でも親離れして自立していれば、大人猫の仲間に入れるのだ。
どこの街でも大人猫たちは噂話が大好き。よるとさわるとおしゃべりをはじめる。
「やあ、あの話を聞いたかい」
「向こうの通りの家に、泥棒が入ったんだろ」
「何も盗られなかったって話じゃないか」
「きっと新参者の仕業さ」
「今年はこの街に引っ越してきた家が三軒あるんだってさ」
大人猫は他愛のない世間話をする。
ぼくはじっとそれを聞いているんだ。しっかり覚えて帰って、ご主人に話さないといけないから……。
あたたかなサンルームのとびきり大きな緋色のクッションの上で、レディ・ドルリスは目を細めた。
「それでわたくしの力を借りたいと……。そうおっしゃるのね」
クッションの縁で揺れる金色の打ち紐飾りをすんなり伸ばした前足の先でチョチョイとつつき、レディ・ドルリスは優雅に微笑んだ。
白く寂しい通りの、とある家からアンティーク金貨のコレクションが盗まれた。住人がたまたま旅行で留守にした一週間の間の犯行である。
金貨の価値を日本円に換算すれば、被害総額はおよそ一億円! この境海世界でもけっして安くはない金額だ。
「はい、その事件に猫が関わっているらしいのです。その猫を探すにはレディ・ドルリスのお力をお借りするのがいちばんだと……」
黒猫ノワは顔を上げた。
頭の大きさの割に耳が大きめなのは、まだ子猫の特徴が強く残っている証拠。鼻の頭まで黒い顔の中に、ぱっちりした金色の目が二つ。目やになどの汚れはない綺麗な顔。生粋の黒猫らしく、全身炭のように黒々とした毛艶は良い。しなやかな体躯は痩せすぎでもなく。
普通の猫であれば、もうすぐ一歳くらいの体格だ。ゆっくり成長する魔法猫の一族であれば、これですでに四、五歳の猫であろう。
「そうですわね、その事件なら今朝の新聞にも窃盗事件として載っていましたわね。ノワさんがご存じかは知りませんが、この街で発生した犯罪事件が報道されるのは非常に珍しいことですのよ」
レディ・ドルリスは組んでいた前足の、左前足を右前足の上へ重ね直した。
――さて、この子は何者でしょう。
レディ・ドルリスは白く寂しい通りの猫を統べるもの。
この街を訪れる新参猫の情報は、その日のうちに必ずレディ・ドルリスのもとへと奏上される。
だが、この子は、このノワという黒猫は、これが初対面だ。
昨日今日に引っ越してきた新参猫ならいざ知らず、この白く寂しい通りでレディ・ドルリスのあずかり知らぬ猫飼いの家がまだあっただろうか……?
疑われているとは露ほども知らない黒猫ノワは、レディ・ドルリスをまともに見た途端、カチンと固まってしまっていた。
「ふわあ、すごくきれい……!」
その目はレディ・ドルリスに釘付けで、マタタビを嗅いだようにうっとりしている。
「あらあら、どうなさったの?」
レディ・ドルリスはいたずらっぽく微笑んだ。
このノワみたいな反応をするものはよくいる。
猫でも人間でも、レディ・ドルリスを初めて間近に見たものはその美しさに目を惹きつけられ、動けなくなるらしい。
猫ながら『雪花の女王』だの『白き月光の妖精』だのと称えられる、かがやくばかりのその美貌。
この白く寂しい通りに住む人間などは、レディ・ドルリスの存在を白く寂しい通りの七不思議のひとつなどという者もいる。
あくまでも噂だが。
「ノワさん、聞こえていますか?」
レディ・ドルリスは優しく話しかけた。
ノワがハッと我に返った。
「あ、はい、あの、金貨が盗まれた事件現場に猫の前足の跡がありまして。その足跡の主というか、肉球の紋様と一致する前足の持ち主を捜しているのです」
ノワはうつむき、耳を後ろ向きに半ば倒した。どうやらレディ・ドルリスにみとれてぼうっとしていたのが恥ずかしいらしい。
「つまり、わたくしに頼みたいのは、その肉球紋が一致する猫を探すことだけですの?」
猫の肉球紋とは、両前足と両後ろ足の肉球の皺の紋様のことである。それは人間の指紋のごとく、猫一匹ごとに異なるのだ。
「ええ、そうです。猫は人間と違って逮捕できません。でも早く犯人を捜し出さないと、この街の猫たちが人間に捕まってむりやり調べられたり、ひどい目にあわされるかもしれません。そのまえに本当の犯人を見つけたいのです」
――まあ、この子は自分が何を依頼しているのか本当にわかっているのかしら。
まだとても若い猫なのに、年を取った大人猫みたいなことを言い方をする。
レディ・ドルリスは優しいまなざしでノワを見つめた。
――さて、ノワさんが何者にせよ、少し様子を見たほうがよさそうね。
「まあ、オホホ。ご安心なさい。この街でそのようなことは起こりません。この街の人間はほとんどが魔法使い。わたくしの前でそんなあきれたまねをする愚かな人間は、めったにおりませんことよ」
そう、この白く寂しい通りは魔法使いの街。もちろん、被害に遭った家の住人も魔法使いである。
被害者宅にはその家主によって、防犯魔法が念入りに施されていた。
つまり、その魔法の効力がなかったということなのだ。その魔法使いの魔法が粗悪だったということも考えられるが……。
ともかくも、以上のことから推測すると、窃盗犯は被害者の魔法使いよりも優れた魔法使いということになる。
そして、それほど魔法に長けていながら、犯罪者に堕ちた愚か者なのだ。
猫が関与していると疑われた理由は現場に肉球紋が発見されたからである。
侵入口は三階ベランダの窓ガラス。その内側に、猫の肉球跡が二つ。あざやかな梅の花の形そのままに、ペッタリ残されていた。
被害者宅は、レディ・ドルリスの邸から西へ三軒隣であった。
その三階ベランダ窓の外は洗濯物を干せる屋上であり、この街の猫たちが散歩する『猫道』コースになっていた。
レディ・ドルリスは自宅サンルームがお気に入りなのでいかないが、件のベランダが南向きで日当たりが良いのはよく知っている。春と秋と冬には猫のひなたぼっこに最適なお昼寝スポットだ。この街の猫たちの憩いの場となっている。
またこれらの屋根上にある猫専用道の存在は、白く寂しい通りの住民には暗黙の了解事項であるため、問題はなかった。
少なくとも、これまでは。
「猫が人間の犯罪に関わっているなど、なんて不名誉なことでしょう。……もしも、それが真実でしたらね」
レディ・ドルリスはきゅっと目を細めた。
ノワがハッと目を大きく見張る。
「では、レディ・ドルリスは、この事件に猫は関わっていないとお考えですか?」
「いいえ、これまでの話を聞く限り、肉球の跡をつけた猫は現実に存在する猫ですわ。ただ、わたくしの知らない猫のようですわね。つまりその猫は、窃盗事件の共犯であれど、真犯人ではない、ということなのですわ」
レディ・ドルリスは一息に喋り終えた。大きく息を吸ってから、ふう、と息を小さく吐く。落ち着くためにも深呼吸だ。
「わたくしはいまだかって、猫が人間のお金を猫のために盗んだなどという話は、聞いたことがありません」
「ええ、それはぼくも同感です。猫はお金を使えませんし、意味がありません」
「もとより、わたくしたちはお金に不自由しない身分。お金などはいくらでも人間に貢がせれば良いのです」
「へ? みつがせる……?」
ノワが首を傾げている。
猫なのに。
この白く寂しい通りに住む猫、なのに!
――あらまあ、この子は猫の生活に無知なのだわ。いったいどこで育ったのかしら?
この街で育った猫ではなさそうだと、レディ・ドルリスは耳をピンと動かした。
ノワには教育が必要らしい。
昨今の若猫は礼儀知らずとは年配猫のよくある愚痴である。しかし、ここでレディ・ドルリスと謁見したのも、縁というもの。
ノワがこれからもこの街の猫でいるつもりならば、レディ・ドルリスがしっかり教育してやらねばなるまい。
若猫の教育は、先達の魔法猫すべての大切な義務なのだから!
「窃盗事件の犯人は人間ですわ。この街に住む誰かが、やっていることが犯罪だと理解できないほど哀れな猫を良いように利用しているのでしょう。その猫を見つければ真犯人がわかります。ですからノワさん、あなたがわたくしに相談しに来たのは正しい選択なのですわ」
力強く言い切ったレディ・ドルリスに、ノワは目をぱちくりさせた。
「え!? はい、あの、えーと、そうなんです! なにとぞレディ・ドルリスのお力で犯人の泥棒猫を見つけ出し、うちのご主人さまの財産を取り戻してください」
ノワは両手を床に付け、さらにうつむいて額を床に押しつけた。人間が可愛いとよく褒める『猫のごめん寝』ポーズである。
「まあ、丁寧なお願いの仕方ですこと」
――あら、この子は被害者宅の飼い猫だったのかしら。
でも、わたくしの情報では、被害者は猫を飼っていなかった。
ノワは猫なのに、変わった頼み方をする。まるで人間みたいな子だわ……。
人間に飼われていた時間が長かったのか?
それにしては歳が若すぎるようだが……。
「では、一日お待ちなさい。明後日には連絡しましょう」
「え? 明後日に犯人が見つかるのですか」
「ええ、私の推理が正しければ、明後日の夜、真犯人は街から逃げ出すはずです」
「ええ!? ダメじゃないですか、それは、すぐに捕まえにいかないとッ!」
「ご安心なさい。レディ・ドルリスの名にかけて、次の犯行を阻止するための予防策として、今夜からご町内のパトロールを増やします。犯人の手掛かりを見つければすぐに人間のしかるべき方々へ通報いたしましょう。あなたの保護者にもそうお伝えなさい」
「はい、感謝します! では、レディ・ドルリス、あの……じつは、その……もうひとつお願いが……」
「あら、なんですの?」
まだ何かあるのか。こんな若い猫へたくさんのお遣いを言いつけるとは、いくら世話はきちんとしている飼い主でも、性格にはかなりの問題がありそうだ。
ノワはもじもじしている。
レディ・ドルリスは辛抱強く待った。
ノワはまだもじもじしている。
さすがにレディ・ドルリスも不審に思いはじめた。
通常の謁見であれば、レディ・ドルリスは陳情の内容に関わる事でないかぎり、訪れる猫のプライベートにはそうそう踏み込まないようにしている。
だが、ノワとその飼い主には何かしら問題がありそうだ。
哀れなノワのためにはそのことも含めて早急に調査すべきだが、今日は朝から謁見が詰まっている。夜明けの起き抜けから始めてノワで三件目。午後からも猫の予約だけで五件もあるのだ。
「ノワさん、では明後日にまたお会いしましょうね。では、次にお待ちの方……」
と、猫ドアの向こう側で順番待ちをしている次の猫を呼ぼうとしたが、ノワはまだ謁見場所にがんばっていた。
「あのっ! あの、ぼくも! 明日のパトロールに、ごいっしょさせてくださいッ。ぼく、レディ・ドルリスの護衛をしますッ」
「は? あなたが?」
レディ・ドルリスは、数年ぶりに威厳を忘れて驚いてしまった!