その三:女王の緋色の玉座は週一でクリーニングが必要である。
「これは……奇妙なことですわ」
レディ・ドルリスがつぶやいた。
魔法猫の女王の〈玉座の間〉。
それは、白く寂しい通りにあるパン屋〈一二の祭り亭〉のオーナー・フェスティ夫人邸の南東に位置する、温室を兼ねた広めのサンルームだ。
ここでは一年を通じ、惣菜パンに使うさまざまな香りよいハーブ草や美しい花々が咲いている。
奥には大きなステンレスの棚があり、その中段には左右対称に白い胡蝶蘭が三鉢ずつ、脇侍よろしく咲いている。
そしてそのど真ん中に、どでかい緋色のクッションが鎮座する。
そう、この場所こそ、白く寂しい通りに月の女神のごとく君臨する魔法猫の女王レディ・ドルリスの〈玉座〉なのだ。
「さて。……どうしたものかしら?」
レディ・ドルリスは尻尾で床を、パタンと叩いた。
ノワは空っぽの棚を眺めてぼけらッとしていたが、ハッと我に返り、尻尾の毛をビビッと逆立てた!
「わあ、たいへん! レディ・ドルリスのお昼寝クッションが無くなっちゃった! 今日のお昼寝はどこでするんですか!?」
「問題ありませんわ。二階の張り出し窓やリビングの窓辺にも、豪華な猫用ベッドが置いてありましてよ。いま、最も重大な問題は、〈玉座〉がどうして無いのか、ですわ」
レディ・ドルリスは棚へ跳び上がった。〈玉座〉があったあたりに鼻を近づける。
「糸くずと綿のかけらが落ちていますわね。わたくしの匂いと、これは……」
「あ、僕もー!」
ノワも棚板の上に跳び上がった。ふだんは乗ってはいけない場所だ。ここぞとばかりに興味津々で嗅ぎ回る。
「わあ、高くて楽しいや! 糸くずや綿のカケラがあるから、ここでクッションが破られたんですね!」
ノワはフンフン、クッションのあった辺りに鼻を押しつけた。
「やっぱりレディ・ドルリスの匂いしかしませんね」
「ええ、いまここは、わたくしとノワさんの匂いだけがございますわね」
当たり前だ。
ノワがここへ上ったのは今が初めてだ。
そして、〈玉座〉に座れるのは、魔法猫の女王レディ・ドルリスのみ。
この〈玉座〉には、伴侶猫のマドロス船長でさえ近づかない。まあその理由は単純で、クッションが大きいとはいえ、一匹用だからであるが……。
「そうかんたんに破れる布地ではありませんのよ。なにものかがここで引き裂いたのでしょう。なかなか鋭いツメの持ち主ですわね」
「そういえば、前にぼうやがカーテンに登って降りるとき、カーテンの布地を細く裂いてのれんみたいにしてましたね。ああいうのかな?」
ノワは自分の右前足を持ち上げた。
むん! と握りこんだら、むにっ、と三日月みたいな尖ったツメが出た。でも先端は丸みを帯びている。毎日木登りをするからほどよく削れているのだ。だからノワのツメは、布地を一撃で引き裂けるほどではない。
「む~ん、僕には分厚い布地はムリかも……」
「あら、魔法猫ならば、ツメを出す際に魔法の効果を乗せればよろしいのよ。そうすれば、厚い布地をすっぱり切り裂く程度は軽いですわよ」
「それなら、もしクッションを発見できても、ひどく破れていたら、明日からの謁見には使えませんね」
「ホホ、抜かりはありませんわ。不測の事態にそなえ、予備の玉座はわたくしの専用納戸に九つほど仕舞ってありますの」
「なーんだ、よかった! じゃあ、急いで探さなくてもだいじょうぶですね!」
ノアはホッとして、いそいで尻尾の毛をちゃっちゃっちゃ、と毛づくろいした。
レディ・ドルリスも、上品な仕草で右前足を舐めて顔をササッと洗っている。
落ち着くためにはまず毛づくろい。
落ち着いたらやはり毛づくろい。
これは一応猫である魔法猫の習性だ。魔法猫の女王でも猫族にはちがいない。
ノワは、背中の毛づくろいを、ふと止めた。
「でもどこへいっちゃったのかなあ、あの大きなふかふかクッション。あ、もしかしたら、フェスティ夫人が汚れちゃったと思ってクリーニング屋さんに持って行ったのかな?」
女王の緋色の〈玉座〉は、週一でクリーニングされる。なにせ特別仕立ての天鵞絨製ゆえに、家庭の洗濯機では洗えないのだ。
が、しかし。
君主たるもの、〈玉座〉は常にあるべき場所にあってこそ。
もちろん予備用クッション九つはそのために用意されている。管理は保護者たる人間のフェスティ夫人だが、レディ・ドルリスが認めるほど立派な保護者であるかのフェスティ夫人が、新しい〈玉座〉を出すのを忘れるとは考えられない。それにフェスティ夫人ならば、綿クズや糸くずが落ちていれば、掃除しているはず。
と、いうことは……。
「つまりこれは、フェスティ夫人とは関わりのない事件である。……ということですわ」
レディ・ドルリスは厳かに断言した。




