その二:女王の緋色の玉座
タタ、タタ、タタ、たん!
やけに軽快な足音がしたと思ったら、中庭に面した温室の猫ドアが勢いよく押されて開いた。
「おはようございます、レディ・ドルリス!」
かろやかに駆けてきたのはかわいい黒猫ノワ。金色の目をキラキラさせ、緋色のクッション製玉座にどっしり寝そべるレディ・ドルリスを見上げた。
「おはようございます、ノワさん。そのご様子ですと、とても良いことがあったようですわね」
レディ・ドルリスは真っ白なふさふさしっぽを玉座クッションから垂れさせ、ゆらゆら揺らした。
なぜなら、今朝はレディ・ドルリスにとっても、非常に良い朝だったのだ。
朝食は日本産マグロのレトルトパウチご飯でいちばん好みの種類だった。飲み水は日本から取り寄せた猫用ミネラルウォーター(軟水)だ。
すなわち、今日は朝からきわめて完璧な日であり、おかげでレディ・ドルリスの推理力はいつもより冴えていた。
「あのね、あのね、聞いてください。僕、すてきなお友だちができたんです!」
「まあ、おほほ。それはすてきだこと。それで、どんなお嬢さんなのかしら?」
ノワの目がまん丸になった。
「ええ!? どうして女の子だとわかったんですか?」
「そこは年の功ですわね」
長年、魔法猫の女王を勤めているのは伊達ではない。その仕事は、ご町内での怪物退治などちょっとした平和の維持にはじまり、かつて仲人を務めた夫婦猫の夫婦ゲンカの仲裁や子猫たちの教育問題、魔法猫の女王の領土に住まう魔法猫たちと人間との仲介など、多岐にわたる。
で、今回のノワのことがわかったのは、経験則による〈勘〉だ。
「ノワさんのような若い魔法猫の男の子が夢中になるなんて、怪物退治でなければ可愛い女の子の話題に決まっていますもの」
ここでなぜ怪物退治が夢中になる選択肢に入るのか、ノワには理解できないが……。
「はい、それはもう、とってもステキなご令嬢なんです!」
いちおう、報告はした。
魔法猫の女王はご町内の平和維持のため、あらゆる噂話に耳を傾けるのだ。だからノワも毎日のお散歩のたび、道で魔法猫たちがお喋りしている新しい噂話は、とにもかくにも聞き耳を立て持ち帰るように気を付けている。
「ほほ、それは重畳。とうとうノワさんもお年頃になられたのね。今日の午後のお散歩で、くわしく聞かせていただきたいわ」
「は~い!」
こうしてノワは、新しいお友だちの話をレディ・ドルリスに詳しく報告しながら午後のお散歩兼ご近所パトロールを終え、レディ・ドルリスと共にフェスティ夫人邸へ戻ってきた。
ラベンダーの花咲く庭を通り抜け、サンルームの猫ドアをくぐると……。
「あら」
「あれ?」
レディ・ドルリスとノワは猫ドアを入ったすぐの場所で並んで座り、レディ・ドルリスの玉座があるべき棚の上を見上げながら、尻尾を左右にパタパタ振った。
「ありませんね、レディ・ドルリスお気に入りのクッションが?」
「ノン、ノワさん。あれは女王の〈玉座〉ですわよ。ただのクッションではありませんの」
「でも、お椅子じゃなくて、お昼寝用のふかふかクッションですよね?」
サンルームの棚の上は空っぽだった。
ノワはどこかその辺にクッションが落ちていないかと探してみたが、むろん無い。
ふたりが出かける前、ほんの二時間ほど前までは、たしかにあったのだ。
「おかしいですわねえ……」
レディ・ドルリスの緋色の大きな玉座用クッションは、サンルームから跡形も無く消え失せていた。




