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麗しきレディ・ドルリスへの依頼 ~魔法猫の女王は気ままに推理する~  作者: ゆめあき千路
第二章 マドロス船長は海の冒険を語る

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その八:クラーケンの触手と魔法猫だって毛玉を吐くもの

「え、ええ~ッ!?」


 ノワは鼻の頭をペロリと舐めた。


 冷んやりした空気。

 外の空気にさらされている。


 レディ・ドルリスの魔法が消えた。あの頑丈な、透明な球のようにノワを包んで保護していた魔法の護りが、消えちゃった!


 通路の床には、いや、壁や天井にまでも累々(るいるい)たるクラーケンの残骸。


 魔物の青い体液の生臭さは、(いそ)で死んだ海の生き物がグズグズに腐ったのをたき火に放り込んで焼けばこうもあろうかという悪臭だ。そのすさまじさたるや、ほとんど固形に感じられるほど。


――だめだ、もうムリ!


 ノワは息を吸い込み、止めようとして、我慢できずにプハッと息を吐き出した。あきらめて普通に呼吸する。


――うう、くちゃ~いッ!


 涙で視界がにじむ。もしも動いてふつうに息を吸い込んだら、この強烈な悪臭をかたまりで食べてしまうような気がして、ものすごくイヤだ……。


「あら?」


 先へ行きかけたレディ・ドルリスが、落ちたノワに気づいてくれた。


「なんだ、どうした?」


 マドロス船長とクロスケもふりかえる。


「よかった、おケガはないようね。ごめんなさいね。わたくし、大きな魔法を終えたら、ノワさんにかけていた魔法まで同時に解除してしまったようだわ」

「ぴにゃ~お」


 ノワは「くちゃいよう、お尻が痛いよう!」と訴えたかったが、なさけない声しか出なかった。


「ノワさん、もう少しの辛抱(しんぼう)ですわ。通過してきた方にはもう幼生はいません。でも、あまり離れないように着いてきてくださいな。できるだけ早く終わらせますからね」


 レディ・ドルリスはサッと前へ向いた。


「フシャーッ!!!」


猫の女王のすさまじい威嚇(いかく)! 


――こわッ!


 通路中にワンワンと反響したその怒りの一声にノワは耳を伏せ全身の毛を逆立て、マドロス船長とクロスケは尻尾の毛を膨らませ、ピョンと斜めに跳躍したほどだった。



 天井と壁でビクッ! と、いくつかのシルエットが動いた。


 あっちにボト。

 こっちでボトボトボトッ!


 十数匹のそいつらは、床に落ちるや大慌てで逃げ出した!


「こら、待ちやがれッ!」


 マドロス船長とクロスケが追いかける。レディ・ドルリスも走っていく。


 大人猫三匹は、クラーケンのグチャグチャな残骸を軽やかなステップで避けながら、たちまち遠くへ離れてしまう。

 ちなみにこの大型貨物船の全長は約四五〇メートル。とっても大きな船なので、船内もすごく広い。


「わーん、置いてかないで~ッ!」


 ノワは必死で追いかけた。

 グチャグチャの残骸を避けながらえっちらおっちら。痛いお尻をかばってお尻をプリプリ振りながら歩くのは恥ずかしい。けど、誰も見ていないし、こんなところでひとりにされるよりマシだ。


「ぴぇ~ン、なんでこんなことに~!?……」


 背後に気配。

 バッとふり向いた。


 そこにあったのはグチャグチャの残骸のこんもりした小山……?


「うえっぷ。グロい、気持ちワルい……!?」


 青黒い小山の横から、ウニョウニョうごく触手が二本。


「あ」


 そろり、そろそろ現れたのは、()っこいクラーケンの幼生!

 これまで見た中では最小サイズ。頭頂部がちょっと青黒く焦げているほかは五体満足(?)だ。


――しめた! この大きさなら僕でもやっつけられそう!


 ノワの狩りの本能が一気に燃え上がった!


「うにゃーッ!」


 ノワは幼生に飛びかかった。後ろ足で触手を踏んづけ、両前足で頭を押さえ、平たい頭部の左側にガブリ、噛みついた!


 ぶぎゅぎゅぎゅッ!


 幼生は後ろへ体を引き、クチバシから奇妙な音を吹いた。触手をメチャクチャに振り回し、ノワから逃げようとする。


 ノワが噛んでた幼生の左頭部が裂けた!

 力いっぱい引っ張っていた反動で、ノワは右側へすっ転がった。


「にゃッ!?」


 負けるもんか。ノワの顔をしつこくバシバシ叩いていた触手を、両前足でガシッと捉えて噛みつく!


くぉの(この)ッ、くぉいつ(こいつ)ぅッ!」


 ノワが「んむぅーッ!!!」と噛んだ触手を引っ張れば、幼生はぶぎゅるるぎゅぎゅーッッッ! と、力の限り触手を引く。


 綱引きみたいな力比べの引っ張りっこだ。


 幼生はノワより確かに小さいのに、すごい力だ。残った七本の触手のうちの二本でノワの顔を押しながら、ほかの五本は吸盤を床にペタリ、ペタリと貼り付けながら移動していく。


 ズリッと引いては一歩、ズリリと引いてはまた一歩……。


 触手をがっちりくわえたノワは、否応なく引きずられた。


 魔物との戦い方を知らぬ初心者の哀しさだ。


 あとでマドロス船長から、そういうときはいったん離れてツメとパンチで攻撃するものだと教えてもらったノワは、一週間ほど落ち込むことになるのをまだ想像だにしない。


「ムググググ!」


 負けるもんか。ノワはただそれだけを考えていた。


「うぐにゅーッ!」


 ノワは四つ足全部で踏ん張った!

 ふっ、と辺りが暗くなった。

 非常灯の明かりがとどかない。

 脇の通路に入ってる!


――ええ!? しまった、ここ、横道があったんだ!?


 暗闇で何かがピカリ。


 ノワは目だけを動かした。


 薄暗い通路の、壁と天井。そのあちこちでピカピカ光る目・目・目!

 クラーケンの幼生の団体が、みっちり貼り付いて待ち伏せてるぅッ!


――きゃーッ、こんなに!?


ブチッ!


 つい、あごに力が入ったら、触手を噛みちぎっちゃった!

 ほかの触手に叩かれた力も加わり、ノワは噛みちぎった触手を口にくわえたまま、後ろ向けに倒れた。


「ウグにゃッ!」


 口の中の触手がグネグネッ! と動いた。


「うぐっぷッ!?」


 あっという間に触手は喉の奥へスルスルスルーッと潜り込み、食道へ落ち込んでしまった!


「うえぇッ!? あ、こら待てッ!」


 触手を噛みきられた幼生はノワの前からペタパタ逃げだして、フッと消えた。


 グベチャッ!


「え?」


 ノワに聞こえたのは潰れた音のみ。

 音がしたのは右方向。

 その壁に、原形を留めず潰れた幼生の残骸が貼り付いていた。

 ノワの目には留まらぬスピードで壁へ叩きつけられたようだ。


 次の瞬間、薄暗かった通路がまばゆい光で満ちあふれた。


 あまりのまぶしさにノワは目を閉じた。


「なにが……ひょえッ!?」


 首の後ろをガブッと噛まれた。

 持ち上げられた。

 宙に浮いた。


 フワ~ッと飛んで、ぽいっ! と放り出された。


「きゅうッ!」


 明るい床に転がった。

 悪臭はなく、空気は澄んでいる。やけに良い香りがする。懐かしいような、ほのかなラベンダーの香り。


「ノワさん、だいじょうぶですか?」


 目を開けたら、レディ・ドルリスのそろえられた白い前足があった。

 幼生の死骸も青黒い体液の汚れも無い。

 きれい好きなレディ・ドルリスがここだけ魔法で清浄にしたのだろう。


「ノワくん、だいじょうぶか。ケガは? どこか痛いところがあるかい?」


 マドロス船長だ。横でクロスケも心配そうに覗き込んでいる。


「あ~、いえ、びっくりしたけどだいじょうぶ……!?」


 ノワは息を止めた。

 いきなりお腹に激痛がはしったのだ!


「ニギャーォッ!!!」


 あまりに急激な痛み!

 垂直に飛び上がったノワはお腹から落下し、丸まり、伸びて、床を転げ回った。


「ノワさん!?」

「やっぱりケガか!?」

「おい、坊主!?」


 お返事なんて無理!

 ノワは床を転げ回った。


「ノワさん、どうされましたの!?」


 いや、だから、お腹が痛くてお返事どころじゃないんだってばッ!

 ところが、丸まって三回転したら、痛みがピタリと止まった。


「あれ?」


 ノワはむくっと起き上がった。


「なんだ、なんともなかっ……?」


 と、すごい吐き気がこみ上げた。


「うぅっげっッ、ケッケ!」


 気持ち悪いッ。毛玉を吐くときみたいにケッケッ、と何度も嘔吐(えず)いた。でも、吐けない。


「お、毛玉を吐くか?」


 マドロス船長がつぶやく。猫なら慌てることではないが……。

 するとまた、胃にズキズキッと痛みが!?


「ゥギィあッ!!!」


 ノワは二回転がって痛さのあまり動けなくなり、その場で体をギュッと丸めた。

 お腹の中から、ヂグーッ! と、太い針を突き刺されるような痛みが脳天まで突き抜ける。

 もう声も出ない。


「いったい何が!?」


 マドロス船長とクロスケはおろおろしている。


「あら……。まあ、この様子は、たいへんですわよ」


 レディ・ドルリスはふさふさ尻尾を優雅に揺らした。

 マドロス船長は、はたと動きを止めた。


「うん、ノワくんがたいへんなのはわかっている。だが、きみが言うとそうでもないように聞こえるのは不思議だな」

「冗談を言っている場合ではありませんわ。ノワさんに持病はありません。クラーケンとのやりあいで何かがあったと考えるのが妥当ですわ。外傷はありませんから、痛いのはお腹ですわね。さきほどチラッと触手をくわえて引っ張っていらしたのが見えましたから、あの触手を噛みちぎって呑み込んじゃったのではないかしら。きっとノワさんのお腹の中でその触手が暴れているのですわ」


 レディ・ドルリスが冷静に判じる。

 カチコチに固まっていたノワは、うれしくなった。

 だって、レディ・ドルリスだけは、わかってくれたのだ!


「え? なんでそんなものを? おいこらすぐ吐け、腹を突き破られたら死ぬぞ!」


 マドロス船長が怖いこと言ってるうッ!?

 お腹の痛みに耐えてギュッと丸まりながら、ノワは心底震え上がった!


「あなた、ノワさんだって不可抗力(ふかこうりよく)なんですから、もう少し穏やかになさって」

「悠長にしてる場合か。きみこそ魔法で取り出せないのか?」

「魔法生物の触手なので魔法が効きにくいのですわ。外科手術がもっとも確実ですけど、胃の中で暴れているだけですから、やはり吐かせるのがいちばん早いですわよ」

「よっしゃ、さあ吐け、吐くんだッ!」


 マドロス船長が前足でノワの背中を、ギュムッ! と、踏んづけた。


「グエッッッ、ェッコッ!」


 しかし、ノワからは、潰れたカエルのような空気がもれただけ。


「何で吐かないんだ、この子はッ!」


 マドロス船長はノワの首の後ろを(くわ)え、持ち上げるとブンブン振り回した。本物の子猫だってこうまで軽く振られることはあるまいと言う速さである。


「きゃーッ、ぐえーッ!!!」


 首の後ろが痛くて、いまにも遠くへぶん投げられそうで、メチャクチャ怖い!


 ノワは手足を振り回した。尻尾がマドロス船長に当たった。でも、マドロス船長は大きくて頑丈(がんじよう)なのでノーダメージだ。


「うにゃ~、目が、回る、よう……」

「あなた、そんなことではダメですわ!」

「お、そうか?」


 マドロス船長が返事で口を開けたので、右から左へ振られる途中でノワの首は解放されて放され、空中へ勢いよく飛んでいった。


「うっ、ひやあッ~!!!」

「あら、いけない」


 レディ・ドルリスからほんわり光る魔法の力が伸びた。ノワが壁へ激突する寸前、月光色した光の粒子がノワを包んだ。


 ノワは宙にフワフワ浮きながら、レディ・ドルリスの前へ運ばれた。

 ちょうどお腹の痛みも治まっている。


「よくわかんないけど、たすかった~?」


 ノワが安心した直後。空中に宙吊りされたままで、くるりと逆さまにされた。


「んにゃ? もうお腹は痛くありませんけど」

「いいえ、まだ危険ですわ。ノワさんは触手を吐き出していませんから、まだお腹の中にありますのよ。さ、努力なさって」

「え? い? いやにゃあッ!?」


 上に飛ばされ、下に落とされ、また上げられてはガクンと落ちる。激しく上下にフリフリされる、猫シェイクの始まりだ。


「にゃ!、や!、きゃ! ぐえッ!!!」

「ノワさん、猫はイカやタコなどの軟体動物を消化できないのですから、呑み込んだままだと消化不良を起こして倒れてしまいますのよ。さ、早く吐くのですわッ!」


 ついに猫シェイクな上下運動は、目にも留まらぬ速さになった。


 ノワはちっとも嘔吐(えず)かない。というか、高速すぎてわけがわかんない。


 息が止まりそう。意識がもうろうとしかかったとき、やっと上下運動が止まった。

 呼吸再開。

 でもこんどはノワのお腹を中心にして、空中でグルグル、風車のように回され始めた。



「ひええええッ、目がまわるう!」


 右回りに左回り。でんぐり返りに、逆回転。


「ああ、もう、どうして吐かないのですか。猫ならしょっちゅう毛玉を吐いたりするのが生業(なりわい)ですのよッ」


 さすがに二百と二匹の子猫を養育した経験深き母猫女王にも若干の焦りがみえてきた。


「びえええーん、だって、だって! 最近は毛玉ケアのカリカリをよく食べてるから、あんまり毛玉を吐かないんですうッ!」


舌を噛みそうになりながらも、ノワは生真面目に応えた。

 毛玉ケアのカリカリとは、猫用ドライフードの一種である。それを常食に混ぜれば、猫が毛づくろいで呑み込む毛を、便とともにおだやかに排出しやすくする効果が期待できるのだ。すると胃に毛が溜まらなくなり、結果的に毛玉を吐くことが少なくなる。


 猫だって吐くときはそれなりにしんどいのだ。といっても、猫が吐くときは毛玉にかぎらず胃液だけでも吐いちゃうけど。だって猫だからね。


 さて、グルグル回る空中大回転が、百回にも及んだ頃であろうか。


「ダメですわね……」


 レディ・ドルリスはノワを床へ降ろした。

 ノワは、ぺちょっと床に伸びた。


「うえ~んッ!」


 お腹は痛いわ、逆さまに振られるわ回転で目は回るわで、ノワはものすご~く気分が悪くなった。


「ギボチ、ワルイ……」


 ノワはいそいで前足を踏ん張り、ケッケッケ、と嘔吐(えず)いた。


「あら?」

「おお?」


 皆が見守る中、ノワは前足をつっぱり、後足で踏ん張った。


「けふ、けっふ、うげっふっ!、うええーえっぷぅ!」


 けっぽッ!


「あ、出た」


 ずざざっ! と三匹の大人猫はすばやくノワから距離を取った。


 細い触手が床の上をビチビチと跳ね回る。


 スパゲティのように細い触手は、長さが三〇センチほどもあり、細かい吸盤で床にびたっとひっついた。この細かい吸盤こそ、ノワの腹中にあった際、胃壁へ吸い付いたりして攻撃していた元凶なのだ。


「まあ、往生際の悪いこと!」


 レディ・ドルリスが尻尾をひと振り!

 ピシリ、床を打ったふわふわ尻尾の先から金色の光の球が生まれ、(きら)めきながら、触手へと飛んだ。


 パシュッ!


 光の球に触れた触手は爆発四散し、跡形も無くなった。

 ノワは「ぼへえッ……」と、その場で倒れ、寝落ち(ブラックアウト)した。






「ありゃ、寝ちまった」


 マドロス船長とクロスケが「まだまだ子猫だなあ」と話しているのが聞こえる。「僕、そんなに子どもじゃないよう」とノワは反論したかったが、まぶたが重くて重くて開けられない。


「ほほ、かわいいこと。いいのですよ、魔法猫の子猫時代は長いのですもの。あなた、そろそろ応援も来る頃ですし、あとはお願いしますわね。この子はわたくしが先に連れて帰りますわ」


――だめだ、体が動かないや。


 レディ・ドルリスの優しい声を聞いたら、ノワは全身からすっかり力が抜けた。


――もういいや、このまま寝ちゃえ。


 きっとレディ・ドルリスが、ちゃんとお家に連れて帰ってくれるから。


 だってレディ・ドルリスはノワのおかあさんだもの……。

 ノワはそのままぐっすり眠ってしまった。




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