その七:お船の上での魔物退治は魔法猫にして船乗り猫のたいせつなお仕事です
クラーケンの幼生どもは目にも留まらぬスピードで壁や床に叩きつけられた。
小さければ一撃だ。やや大きめの個体とて戦い慣れたマドロス船長とベテラン船乗り猫たるクロスケの、鋭い爪と牙の前には細い触手は武器にもならず、クラーケンのうちわ頭は容赦なくズタボロに引き裂かれた。
――まあ、いいや。終わるまでここで見物しとこっと。
安心したノワは居眠りすべく、ていねいに香箱を組んだ。前足を胸の下に折り込む座り方だ。すぐには立てない。つまり、絶対安全でリラックスしてもだいじょうぶな場所だと確信しているときにする姿勢である。
そのときだ。
マドロス船長がひときわ大きく「シャーッ!」と、怒りの威嚇音を発した。
「ちっ、キリがねえ。それに臭くてしょーがねえぜ! てめえら近寄るんじゃねえッ!」
生臭いにおいがたちこめている。潰されたクラーケンの青い体液のにおいだ。魔法球の中でウトウトしていたノワにもそのにおいはとどいていた。
――もう、さっきからくちゃいなあ! 早くくちゃくないところへいきたい!
「これだけやってもまだ出てくるか」
マドロス船長の後ろでレディ・ドルリスは悠然と背筋をシュッとのばして座っている。猫がいちばん美しく見える猫の正座ポーズである。
「あなた、いまので四三匹ですわ。クロスケさんの申告分と合わせても百匹にもなりませんわよ」
クラーケンの幼生は猫ドアから出たらマドロス船長とクロスケが確実に潰すから、レディ・ドルリスのもとまで来ない。
「おう、それがどうした?」
マドロス船長は右前足で幼生を吹っ飛ばしながら、振り返りもせず訊ねる。
「もっとたくさんいるはずですわ。一匹ずつ退治していては効率が悪いですし、数の計算も合いませんわよ」
「どこかに隠れてるんだろ。探して狩り出さないとな」
「それは心配しなくてもここへ集まってきていますわ。さきほどから何百匹もの魔物の気配がしはじめましたもの」
レディ・ドルリスの言葉が終わらぬうちに、ノワの頭上でパシッと何かが弾けた。
「ん? いまのは……?」
魔法の守護球がその効力を発揮したのだ。
ノワは上を向いた。
天井から、透明などろりとしたものが、落ちてくる。それがノワの頭上でパシッパシッと、つづけてはじけた。
――お水じゃない!?
滴りの源は天井にあり。
そこには……天井に逆さまに張り付いたクラーケンの幼生がいた!
大きな黒目がギョロリと動く。
ノワと目が合った。
「うえ、クラーケン……!?」
あっちでも黒い目がギョロリ。
「え?」
こっちでもギョロリ。
むこうでもギョロリ、ギョロギョロ、ギョロギョロリ!
「う……わ、わわ……!?」
ノワは全身の毛がゾゾッと逆立った。
いる、いる、いる。
あっちにもこっちにも、小っこいクラーケンが、いるぅッ!!!
天井から逆さまにぶら下がった数十匹、いや、数百とも知れぬ小さな海の魔物どもが黒目をギョロギョロ動かして、ノワを、レディ・ドルリスたちを、見下ろしている!
「おわっ、いつのまに!?」
マドロス船長とクロスケはじりじりと後ずさった。だが、前も後ろも右も左も、天井まで小さなクラーケンだらけ。いない場所が見つからないほど。
「んまあ、やはり数千匹はいますわね。この幼生どもはわたくしたちと同じ外の出入り口から来たようですわよ。こちらが挟み撃ちにされましたわね」
「うげッ、めんどくせえヤツらだぜ。ネズミと同じで移動ルートは無節操かよ」
クラーケンの幼生どもは左右の壁を這いくだり、天井の真ん中からボトボト落ちてくる。
六本の触手でのたのたと移動しつつ、手の作用をする二本を伸ばして巻き付こうとし、隙あらば噛みつこうとも。
マドロス船長とクロスケは尻尾で打ち払い、猫パンチの一撃で数匹まとめて吹っ飛ばした。いっときは幼生どもに囲まれたマドロス船長とクロスケであったが、たちまち周囲からクラーケンの幼生を追い払った。
レディ・ドルリスの尻尾の先に浮かぶノワの真上には、クラーケンの幼生が狙ったように落ちてくる。
むろん、もれなく魔法の守護球に弾かれ、「ピギイィッ!?」と断末魔の悲鳴と焼かれる煙を上げながら明後日の方向へ吹っ飛ばされていく。
「あら、狡猾なまねをしますわね。ノワさん、そこは安全ですから、もうしばらく見学していてくださいな」
天井を移動する幼生は、レディ・ドルリスの頭上を避けている。
ときどき運悪くレディ・ドルリスの上で天井から落ちた幼生は、かなり高い位置で弾き飛ばされていた。
「はーい!」
お返事はしたが、ちょっと不安はあった。
幼生たちに睨まれている気がするのだ。
敵には違いないが、ギョロ目の視線に露骨な敵意を感じる。
どうやら目に見えない魔法球の守護が理解できない魔物どもは、ノワの真上で仲間が弾きとばされるのは、ノワの仕業だと敵認定したようである。
――やだなあ、僕は何もしていないのに!
「まったく、何匹いやがるんだ!?」
マドロス船長はぺっぺっと青黒いカケラ混じりの唾を吐いた。噛みちぎった幼生の体の一部と体液だ。ノワがあとで味の感想を聞いたら、海の魔物クラーケンは見た目はイカ似だが、とても苦くて食べられた物ではないという。魔法猫には毒にならないけれど、人間には毒になる。人間がクラーケンを食べたり体液を接種すると命にかかわるそうだ。
――うへえ。やっぱり魔物って怖いんだ~。
「親分、キリが無いですぜ」
クロスケはちょっと息が上がってきた。それでも猫パンチの速度は落ちないが、幼生はあとからあとから湧いてくる。
「ガンバレ! 一撃必殺で潰せ! あと、マドロス船長と呼べって!」
「へい、親分ッ!」
「船長だッ!」
マドロス船長とクロスケは、四方八方から襲いかかってくる幼生どもを片っ端からツメで引き裂き、叩き潰し、吹っ飛ばす。
二匹が繰り出す猫パンチは、もはやノワの目には留まらない神速だ。
幼生どもは三匹、四匹、ときには五匹以上がまとめて引き裂かれ、あさっての方向へ飛んでいった。
ノワの目にはクラーケンの幼生が勝手にひとかたまりになってはあちこちへ飛ばされていくように見えた。
「食用イカの子ならおおよそ数千から数万匹だそうですわ。クラーケンの生態が人間が食用にするイカに似ているとして、すでに生き残りの競争で淘汰されているとしても、軽く見積もってまだ数百匹いるはずですわね」
雑学をすらすら語るレディ・ドルリス。家では玉座のクッションでお昼寝が主な仕事のような女王猫なのに、いつお勉強しているのだろう。
「やけに詳しいね、うちの奥さんは」
マドロス船長は片手で幼生を吹っ飛ばして進みながら、レディ・ドルリスとふつうに会話している。器用だなあとノワは思った。
「あら、クラーケンは『境海世界の魔物図鑑』に載っておりますもの。わりあいポピュラーな魔海生物ですわよ」
え、そんな本があるんだ。
ノワは『境海世界の魔物図鑑』という題をしっかり覚えた。猫だけどノワは好奇心と知識欲が強い子ども猫。お家に帰ったら本を探して見てみようっと!
さて、三匹の大人猫と子猫(?)一匹を捕食せんと押し寄せていたクラーケンの幼生どもだが、徐々にうろたえ始めていた。
マドロス船長はもちろん、クロスケにも近づくことすらままならない。
左右に背後、真上から、数匹がかりで襲いかかれど、長く強靱な尾のひとふり、炸裂する猫パンチで、四、五匹以上がまとめて打ち払われるのだ。
仲間の体に隠れながら魔法猫の足下を狙って襲撃しにいったものも、鉄壁の防御を誇る猫パンチが目にも留まらぬ速さで繰り出されて潰される。
ヴ、ヴヴヴ・ヴヴィイー……。
マドロス船長とクロスケの近くに居た数匹が奇妙な音を発声した。
耳障りな鳴き声は、奇妙に空気を振動してひびきわたり、見渡す限りにいた幼生どもが、一瞬動きを止めた。
「なんだ?」
数ではまだクラーケンの幼生どもの方が圧倒的に有利。だが、幼生どもはマドロス船長たちに、くるっと背を向けた!
――あれ? 急にどうしたのかな。
ノワがきょとんと見ていると、幼生どもは通路を這い、壁をよじのぼり、逆さまで天井を伝いながら、上層の出口があるとおぼしき方角めざして逃げていく。
さきほどのしつこい攻撃とはうってかわった遁走だ。
「このやろ、待ちやがれ!」
マドロス船長とクロスケが追いかける。
レディ・ドルリスと魔法球で運ばれるノワも後を追う。
「上から逃げるか。通気口や配管も利用しているな。ネズミみたいなやつらだぜ」
「真剣に俺たちから逃げてやがりますね」
「ホホ、ようやく生物的不利を悟ったのですわよ」
「おいおい、落ち着いている場合じゃないだろ、奥さん。このままだと船中に散らばっちまうぞ」
マドロス船長は鼻筋に皺を寄せた。機嫌の悪い猫のしかめっ面だ。
この通路の先にはノワ達が入ってきた猫ドアがある。もちろん鍵はかかっていない。
「あら、船にいるのは逃がしませんわよ。あなた、クロスケさん、わたくしの横に並んでくださいな。さあ早く!」
「おう! クロスケ、下がれ!」
マドロス船長とクロスケを左右に従えて走りながら、レディ・ドルリスはふわふわ尻尾を軽く振った。尻尾の上あたりに浮かぶノワ入り魔法球は揺れもしない。
フワフワ尻尾の先から、明るい紫色の火花がはじけた。
「わあッ、きれい!」
ちょうどノワのお尻の真下で発生した紫の火花はノワの頭上へ回り、そこでさらに大きくなって、通路の上半分を埋めるかたまりに成長した。
黄金の光のなかを、紫色の閃光が踊り狂う。集積されたすさまじい電気エネルギーは、レディ・ドルリスの尻尾の一振りで、八方へと放たれた!
かがやく矢は宙を駆け、さらに空気中の摩擦による静電気エネルギーを集めながら、まばゆい軌跡を描いた。
見ていたノワは、目にグネグネした光るミミズのような残像が焼き付いた。
バリバリバリッ、ピシィ!
「うきゃッ!」
すさまじいカミナリの音に、ノワは耳を倒してひっくりかえった。
見かけは小さくとも、自然界に発生するのと同じ威力のイナズマだ。
直撃を受けた幼生は、爆発四散した。かすっただけで、弾かれたように天井や壁からボトボト落下し、蒼白い炎を吹き出して燃え上がり、ボロボロと崩壊していく。
レディ・ドルリスのイナズマ攻撃は容赦なく逃げる幼生どもを追いかけ、追いつき、とどめを刺していった。
ピギイィ、ギギッ、ギ、ギィー……
海の魔物クラーケン、その幼生の断末魔の悲鳴が船内に長くながく、こだました。
クラーケンの幼生どもを追いかけて、レディ・ドルリスたちはとうとう居住区へ上がる階段まで戻ってきた。
レディ・ドルリスが放ったイナズマは、数千本以上。
通路の床には、青黒い残骸とも言えぬ魔物の破片がてんてんと散らばっていた。
「おお、すげえ。さすが親分の姐さんで……」
クロスケの滑りかけた口を、マドロス船長が肉球でバッと塞いだ。
「うちの奥さんはレディ・ドルリスだ! 気をつけろ、ああはなりたくないだろう?」
マドロス船長の真剣な問いかけにクロスケは高速でコクコクと頷き、マドロス船長はようやくクロスケの口を押さえていた右前足を下ろした。
――ん? いまのやりとりは何かしら。クロスケおじさんは何になりたくないんだろう?
マドロス船長の視線は近くに転がる幼生の黒焦げの残骸を示しているようだが……。
――うーん、船乗り猫ってよくわかんないなあ……。
ノワは何気なしに、マドロス船長の示した辺りをジッと見た。
「ん? 何か動いた?」
動かぬはずの残骸の陰で動くものが!
「あ、まだいる!」
幾重にも重なって絶命した同胞の体躯がたまたま盾となり、からくもイナズマをまぬがれた生き残りの幼生が逃げ出した!
「まあ、しぶといこと」
レディ・ドルリスはつぶやき、ふたたび全身から光をはなった。
ノワのお尻の下から、まばゆい黄金の光が燦々(さんさん)とあふれ出る。太陽の表面で活性化するフレアさながらに激しく波立った光はその先端をとがらせ、伸びだし、無数の鋭い矢となって前方へ飛んだ。
さっきのイナズマとは違う光の矢だ。それは強風に吹かれる雨のごとく、数十匹に少なくなった逃げ惑う幼生の生き残りすべてに突き刺さった。
ピギィッ!!!
光の矢が命中した幼生は一瞬で青い炎を吹き上げて燃えつきた。クラーケンの形を留めてはいても、おそらくは中心まで完全に炭化した塊は二度と動かない。
レディ・ドルリスは発光を収めた。
ふと、ノワはヒゲに風を感じた。
「あれ? 急にさぶくなった?」
まぶしいので目を細めていたノワは、そうっと目を開けた。
とたん、足とお腹の下にあった魔法球の硬質な感触が、消えた!
「え? んわッきゃぁッー!?」
ノワはお尻から墜落した。
レディ・ドルリスの魔法球が消滅するなんて!?
しかし、そこはレディ・ドルリスの尻尾が垂直に伸ばされた先。床面から三十センチていどだったから猫にとっては高くもない。床に激突はせず尻尾がクッション代わりになって一回弾み、後ろへ転がって止まった。
でも猫のお尻は人間と違って肉付きがない腰なので、尻尾と腰がチョッピリ痛くなった。
ついで、むわっ! と生暖かい空気に包まれた。
「うわ、くっちゃ~いッ!!!」
押し寄せてきた悪臭ふんぷんたる空気に、ノワはとっさに息を止めた。




