その三:海の怪物退治をした魔法猫のお話
「ようするに長い航海の日々ってのは、順調だとなーんにも起こらない。まったくもって平和で単調な毎日だ。だから船乗り猫は、人間の船員が安心して過ごせるように、ネズミ獲りを頑張ればいいってことさ」
マドロス船長は、クワア、と大きなあくびをした。猫はよくあくびをするものだ。純粋に眠いというより、マドロス船長がリラックスしているのだろう。
「ふうん、平和で安全ですね。でも、船乗り猫のお仕事って、お昼寝とネズミ獲りだけなんですか?」
陸上でも猫の生活はほとんど変わらない気がするが……。
「船内のパトロールはもちろん、人間の乗員の体調管理も、船乗り猫の仕事だ」
マドロス船長は自慢げに胸を張った。
「いや、それは猫の仕事じゃないでしょう。猫はお医者さんじゃないですよ?」
よく朝のご近所パトロールの立ち寄り先で、おやつと引き換えにノワたちパトロール隊員の背中をなでさせろと頼んでくる人間がいる。彼らは一様に「癒やされる~♡」と呟いているが、あれとて医療行為ではなかろう。
「たまにな、長い航海で元気がなくなるやつがいるんだよ。新米の乗組員とかな。そういうやつのことをいち早く気にしてやって、親身になって看病してやらないといけないんだ。それから厨房の衛生管理だな。猫のメシをおろそかにする人間は人間としてダメな人間だから、俺たちにはすぐわかるんだよ」
ところが、そういうダメな乗組員は人間相手に取り繕うのが上手いやつが多いため、なかなか悪事が露見しない。さらに猫が美食家であることも、船乗り猫が賢い魔法猫であることも、理解していない。
だからマドロス船長たちが詳しく観察して、会社へ報告するそうだ。
するとたいがい「どうして悪事がバレたんだ!?」と狂乱するため、マドロス船長たちはそいつが船を降りるまでしっかり監視するという。
「はあー、なんか、いっぱいあるんですね」
そうか、ゴハンは猫が管理するものだったのか。
猫は古今東西どこにいてものんびり生きる動物だと思っていたが、どうやらノワが世間知らずだったようだ。
「それに海の怪物退治だ。これがいちばん大事だな」
「海のカイブツ? とはなんですか」
「海の怪シーサーペントだよ。魔の海に出没する、船を襲う巨大な海のバケモノさ」
なんか新しい単語が出た!
「巨大って、大きなことですよね。猫なのに、そんなに大きな怪物を退治できるんですか?」
「もちろんさ。怪物退治は魔法猫のだいじな生業のひとつだぞ。稼業にしているやつもいるくらいだからな」
「ええ、そうなんですか!?」
ノワは思わず身を乗り出した。怪物退治を稼業にする猫がいるなんて、初めて聞いた!
フワリとラベンダーの香りがノワの鼻先をくすぐった。レディ・ドルリスがふわふわ尻尾をゆらゆら揺らしている。なにか気になることでもあるのだろうか。
「あなた、そのくらいで。ノワさんが本気にしますわよ。まだこどもなんですから」
「あはは、なんだ、冗談なんですね。あー、びっくりした!」
「いえ、怪物退治に関するお話はすべて本当ですわよ、ノワさん」
ノワは耳をうしろへぺたりと倒した。いわゆる猫のイカ耳状態である。怖かったり怒ったり、感情が高ぶったときになる耳形態だ。
「ええ!? だったら、なんで僕が本気にしたからまずいような言い方をしたんですか!?」
「いえ、稼業というのは少々おおげさだと思いましたの。せいぜい賞金稼ぎですわね。ね、あなた?」
「う? うーん、そんなもんかな?」
奥さんにみじんも逆らわないマドロス船長。もしかして恐妻家か……ノワはそんな疑いを持ち始めた。
「いえ、ちょっと待ってください。猫で賞金稼ぎって、どんな猫がどんなふうに怪物退治をすれば賞金がもらえるお仕事になるんですか?」
ノワは猫だ。猫は働かないし、お金は必要ない。……と思っていた。
猫に小判はもう古すぎるのだろうか。
「そこはちゃんとした市場がありますのよ。ハンター業を生業にしている魔王猫一族もいますから」
レディ・ドルリスはたしかに『魔王猫一族』と発音した。
ノワは慌てて、左後ろ足で左耳の後ろをバババババと掻いた。僕の耳はおかしくないよね。
「すいません、いま、魔法猫ではなくマオウネコと聞こえたような気がしたんですが、僕の気のせいでしょうか」
「いえ、魔王猫一族ですわ。古代から我ら月の女神の末裔猫とはいろいろと因縁ある間柄ですが、怪物退治には一目置かれる魔法を能くする猫族ですのよ」
魔王猫一族。それは、祖先に『魔王』になった猫がいたという、魔法猫の末裔だ。魔王猫の猫種や毛色はさまざま。その末裔は各地で猫族に溶け込み、いろいろな街に住んでいるという。
ノワは嫌な予感がした。この話を詳しく聞いてしまうと、もれなくその魔王猫一族とやらに遭遇してしまいそうな気がする。魔法に長けたレディ・ドルリスが魔法猫の女王であるように、魔王の名を冠された魔法猫は、それなりの存在であると推測できる。
「なんか知りたくないし関わりたくもありませんので、その話題はそこまででお願いします」
ノワはきっぱりお断りした。さわらぬ魔法猫に祟り無しの法則である。猫らしく生きるためには、ときとして断る勇気も大切だ。
「あら、そうですの。面白いお話ですのよ」
レディ・ドルリスは残念そうに耳をピクリと動かした。
あぶなかった。レディ・ドルリスは詳しく話す気満々だった。もう少しで長い時間をかけて「魔法猫の教育の一環として」魔法猫一族の歴史をからめた魔王猫の伝説を延々聞かされるところだったようだ。
「僕、マドロス船長の怪物退治のお話のつづきが聞きたいです。シーサーペントってどんなのですか?」
よし、これでレディ・ドルリスの長話は回避した。ノワはほっとしてその場に座り込んだ。
「お、俺の話を聞きたいかい?」
マドロス船長はピッと背筋を伸ばし、おほんと咳払いした。
「あれはちょうど十日前の新月の晩だった。この白く寂しい通りのある第ゼロ次元へ来る前には魔の海と言われる海域近くを通るんだが、人間は皆ぐっすり眠ってしまった。夜の見張りを務める当直員まで眠ってしまったんだ」
ノワは前足を胸の下におりこみ、猫の正座である香箱座りをして本格的に聞き入る用意に入った。
レディ・ドルリスは、やはりなにか気になることでもあるのだろうか、ふさふさ尻尾をゆっくりと左右に振っていた。
「人間が眠ってしまうのは、海の怪物の常套手段だ。やつらは人間に見られないように用心しているんだ。俺たち魔法猫に眠りの魔法は効かないから、異常にはとうに気づいていた。そいつは何本もの触手で船体にはりつき、船縁から上ってきた。甲板のあちこちに隠れていた俺たちは、やつの体の半分が甲板に降りた瞬間、飛びかかったんだ!」
ゴクッと、ノワは唾を呑み込んだ。
長い触手がたくさんある怪物なのはわかった。けど、触手以外の部分はどんな怪物なんだろう?
「俺たちは手分けして甲板に伸びる触手をかたっぱしから食いちぎり、魔法も使ってやつの全身をズタズタに引き裂いてやったんだ」
マドロス船長は右前足を舐め、右のほおでクルクル動かしてヒゲを調えた。
「やつが動かなくなるまで五分もかからなかったよ。それでジ・エンドだ。もっともいつもよりは小柄なやつだったけどな」
マドロス船長の話しぶりでは、ふつうの猫がふつうの狩りの獲物としてネズミをいたぶり殺しているように聞こえる。
それが猫らしい狩りの仕方と言われたらそうとも思えるが……。
そもそも『シーサーペント』の基準って、どんなもの?
海にいる、ネズミみたいな生き物の仲間かしら。
ノワは考えた。
怪物の大きさの見当がつかない。ネズミよりは確実に大きいよね。大猫のマドロス船長よりも大きいかしら。それなら想像できそう。
ノワは答えを見つけたような気がした。
「なるほど、小さい獲物だったから、すぐ退治できたんですね」
「まあな。いつも退治しているやつより、少しばかり小さかったなあ。いつもの大きさの三分の二くらいかな。そんなもんだったぞ」
マドロス船長はうんうんとうなずいた。
「ほえ~……そんなもんですか」
ノワは左側へ首を傾けた。魔法猫の乗組員は五、六匹はいるようだし、全員でかかったのだから、そこそこ苦労はしたのだろうと思われるが……なにかしっくりこない。
「ええと、怪物は死んだんですね。その死骸はどうなったんですか?」
魔法猫たちがよってたかってズタズタのボロボロに引き裂いたなら、船の甲板は恐ろしく汚れただろう。
「あッ!? もしや、そうとうスプラッターな光景が展開されたのでは?」
ノワは、ゾゾッと体を震わせた。ノワの想像力を超えている。おそらくそれは以前朝のパトロールで見かけた、近所の野良猫が朝食に狩った土鳩を食べ残した残骸よりも凄惨な光景だったに違いない。
「俺たちが食いちぎった触手は残っていたが、頭部の大部分は海へ落ちたよ。人間の乗組員はそれから目が覚めたんだ。そして夜間の監視カメラ映像を見て、初めてシーサーペント退治を確認したのさ」
「え、それだけ?」
ノワはがっかりした。
なんかもっとすごいハラハラドキドキの展開を期待して聞いていたのに、あっという間に終わっちゃった。
「もちろん、俺たちは人間の乗組員にも会社にも感謝されて、特別ボーナスも出た。そして今日ここへ帰ってきたというわけさ」
「まあ、オホホ。あなた、特別ボーナスは?」
「あ、もちろん、きみの口座に全額振り込みさせてもらったよ」
「重畳ですわ」
なんか不穏な夫婦の会話が聞こえたような気がしたが、ノワはスルーした。
レディ・ドルリスの謁見場所では、守秘義務が発生する事案がしばしば聞こえてくる。この光景もその一つだろう。
「はー、大変だったんですね。どんなすごい怪物なのか、僕にはさっぱり想像できないですけど」
ノワが知っているネズミより大きな獲物は、近所の広いお庭の池にやってくる白い水鳥くらいだ。あれだって猫の獲物には大きすぎて、一匹で狩ろうとしたら、鋭いくちばしで反撃されて大ケガをする。
ふわふわ揺れていたレディ・ドルリスの尻尾が止まった。
「あら、それならノワさんにもお見せできますわよ」
「へっ? いえ、今のお話だけで充分おもしろかったです」
「怪物がどんなものかお知りになりたいのでしょう」
ぞわっと全身の毛が逆立った。
なんかまずいこと言った!?
「い、いえ、僕は別に……!?」
ノワはそろそろと、曲げていた前足を胸の下から出した。肉球を床につけ、いつでも起き上がれるようにする。
「あら、猫なのに、好奇心はありませんの? ほら、好奇心は猫をも殺すと言いますでしょう?」
「なおさらです。殺されたくないから、絶対にいりません!」
僕、何か地雷を踏んだのか。
いったい、さっきの返事のどこにレディ・ドルリスの心の琴線にふれるものがあったのだろう。 …………うん、わからない。でも、なにかまずい気がヒシヒシとする。
「でも、ノワさんだって魔法猫。いつか怪物退治をなさる機会が訪れるかも知れません。そのためにもぜひご覧になるべきですわよ。ねえ、あなた?」
「まあ、そうかもな。魔法猫だもんな」
奥さんに優しいマドロス船長。
「ええええッッッ!!! 僕、怪物退治なんてする予定はまったくありませんッ」
ノワはしずかに後ろ足を動かした。伏せの姿勢をくずさないように、ソロリ、ソロリと後ずさりした。
「で、具体的にどうするんだ?」
「ノワさんにならあなたの退治した『時間』をお見せできますわ。わたくし、魔法猫の女王ですから!」
マドロス船長もレディ・ドルリスも聞いていない。
この隙にサンルームから庭へつづく猫ドアから飛び出すのだ。逃げるにはそれしかない。
――いまだ!
ノワがバッと身をひるがえし、後ろ足で地面を蹴ったその瞬間だった。
「お、そうか! ぜひ見せてやってくれ」
マドロス船長が頼むや、レディ・ドルリスが長い尻尾で床を一打ちした。
ピシリ!
ふわふわ尻尾にしては鋭い打音であった。
それは奇妙に長く響いて耳に残り、ノワは頭がクラクラした。
景色がぐーるぐーると回っている。
「きゃー、世界がまわるうッ!?」
ノワは、猫ドアを目前にしてギュッと目をつむった。前足がすべってベチョッと転けた。
なんとか目を開けたら……。
「ふわあ……って、ああッ!?」
潮風が吹き抜ける。
船の上に、ノワは、いた。




