昔銀座の映画館
海辺の町は、過疎も過疎。
ただ雑草が伸び放題の空き地と、廃墟かゴミ捨て場かわからないような瓦礫の山が延々続き、海からの潮風が吹き抜ける。
元は○○町銀座と呼ばれた通りも例外ではない。
コンビニなど建てたところで客は来ないので、老店主がお迎えが来るまでの道楽だ、と細々と続けている雑貨屋や食料品店や薬屋が、細々とライフラインを支えていた。
この町の出身ではないが、ひょんなことから私は昔銀座の映画館で働いていた。
働くと言っても、ガラガラの客席とたまにいい所で止まってしまう映写機が稼働しているような場所だ。
それほど、忙しくもない。
そして、まったく稼げない。
映画館の隣にある、これまたボロボロの二階建てアパートが住まいだ。
ここは、映画館のオーナーの持ち物なので、寮として無料で使わせてもらえる。
ある日、都会から出戻ったという酒屋の息子に映画館のトイレで襲われそうになった。
人が真面目にトイレ掃除をしているところに、ふざけた輩である。
酒屋は今、コンビニもどきの何でも屋になり、町の老人たちに重宝されていた。
そんな、人様のためにご奉仕するような商売をしているご夫婦の息子がこれか、と思うと情けない。
確かに、私も酒屋の息子より若い人間をこのあたりで見たことがなかった。
同じ年頃の女が隙を晒していれば、出来心がわくのも、まあ理解は出来る。
だがもちろん、受け入れる気などさらさらないので、殴り飛ばすことにした。
こう見えても、もっと若い時には女だてらに喧嘩っ早いことで知られていたのだ。
男が飛ぶはずの場所に致命傷を与える物がないことを確認し、私はモーションに入った…ところで、気を失った。
気付けばロビーのベンチで、オーナーや常連さんに囲まれていた。
…いや、正確には、囲まれている自分の遺体を上から眺めていた。
とうとう寿命が尽きたか。
私は冷静だった。
酒屋の息子は、蒼白になりながらも、まだそこにいた。
顔に痣をこさえているので、ここにいる誰かに殴られたのだろう。
襲おうとしただけで相手に死なれたのだ。肝は冷えたはず。
今後は猛反省して、そんな気を起こさないようにして欲しい。
まあ、あんたのことなんて、どうでもいいけど。
この町に来る前、私は都会の隅で、それなりに暮らしていた。
学もないが身体が丈夫なのが取り柄で、アルバイトで入った配送業者で認められ、正社員にもなれた。
会社の先輩に誘われた合コンで意気投合した男と一緒に住み始め、結婚も考え始めていた。
だが、私は男運が悪かった。
同棲していた男は仕事で躓き、家に籠るようになった。
家事などしてくれれば、まだいいが、頼めば不貞腐れて出て行ってしまう。
そのまま帰ってこなければいいのに、私が仕事に行くのを見計らって帰って来る。
鉢合わせすることは無かったが、女を連れ込んだ痕跡を見つけたこともあった。
さすがに出て行ってもらおうとした矢先、会社の集団検診を受けた私に余命宣告されるほどの病気が見つかった。
ショックを受けてアパートに帰れば、部屋の中は空っぽ。
追い出されると踏んだ男が、私の物を一切合切処分して金に換えたようだった。
まあ、余命宣告を受けた身だ。
いずれは処分するものだから、とアパートもさっさと解約した。
理由を話して、しばらく会社の寮に置いてもらい、仕分け作業などを手伝っていたが、だんだん具合も悪くなった。
ここらが潮時と仕事を辞め、わずかな退職金をもらった。
会社で集団で入っていた保険もおりて、余命を考えると意外とリッチかも、などと思ったりもした。
連絡したい家族もなく、恩を返したい人もいない。
さっぱりと人生を終えられそうだ、と思った。
都会を離れ、列車に乗って、なんとなく訪れたのは鄙びた町。
たどり着いたのは、ここ、昔銀座の映画館だった。
「…ミケーレ・カタラーニ」
映画館の前で足を止めたのは、昔、初めてスクリーンで観た映画が上映中だったからだ。
まだ小学生の頃、叔母に連れられて見た古い映画。
主演はミケーレ・カタラーニ。金髪碧眼の美形だった。
ただし、その時見た一作がヒットしただけの一発屋。
上映予定を確認すると、もうすぐ、次の回が始まるところだった。
入場料を払い、館内に入った。
中は思ったより清潔な匂いがして、ゆったりと映画を楽しむことが出来た。
二十年ぶりに観た映画は、やはりミケーレの美貌が圧巻だった。
たぶん、私の初恋は彼だ。
あの頃は、しばらく夢にも現れた。
イタリアの映画で、少し枯れた風景が美しかった。
大人になってから観ると、ずいぶん雰囲気が違ってみえるものだなと感心した。
上映が終わり、廊下に出たものの具合が悪くなってしまった。
ベンチで座り込んでいると、ここのオーナーが話しかけてきた。
オーナーは人がいい。
すっかり気を許して、何もかも話してしまった。
すると、しばらく、ここにいたらどうかと提案された。
私のような、どこの誰ともわからない者を、なぜ、と思った。
作り話だったら、どうするんです、と訊けば、人を見る目はあるほうだと大らかに笑った。
映画館は廃館寸前、アパートは取り壊し寸前だ、と言うので、お言葉に甘えた。
映画館も清潔だったが、アパートも古いがきちんとしていた。
昔銀座の肉屋には高級な牛肉など置いてないが、旨い揚げたてコロッケなら、いつでも食べられる。
都会で人気の洒落た野菜が見当たらない八百屋には、近所の農家が持ってきた、虫食いだが新鮮でありふれた野菜が並んでいた。
ここにいると何だか、生まれてからずっと幸せだったような気持ちになった。
死んだ後、行く先が地獄でも、私は命の最後に、この世の天国にたどり着いたのかもしれない。
走馬灯の代わりに、自分でいろいろ思い出していると、隣に誰かの気配がした。振り向いた、そこには……
「…ミケーレ・カタラーニ」
「やあ!」となぜか日本語で話しかけてきた彼は、あの美貌の映画スターだった。
「死神?」
「いや、そういうのじゃない」
「?」
「実は、僕は人じゃないんだ」
「え?」
「僕は、この映画館だから」
ふいに現れたミケーレは、なんと映画館の魂だった。
「ほら、付喪神ってあるじゃない?
なんか、あれになれるらしいんだけど、建物だと取り壊されたら終わりでしょ。
それで、断ったんだ」
断れるものなんだ…って誰に断ったのだろう?
「その代わりに、すっぱり建物が壊された暁には、人間の魂みたいに生まれかわれるようにしてもらった」
「そうなんですか」
気のない返事をした私の手を、ミケーレが取ってキスした。
さすが美貌の金髪碧眼。サマになっている。
「君と一緒に、逝こうと思ってさ」
死んでからの男運がすごい。
見た目だけとはいえ、美貌の初恋の男が目の前にいる。
そのまま、黙って唇を奪われ、さすがに我に返った。
「なんでまた、私を?」
「君が幸せそうだったから」
ミケーレ、微笑みがヤバい。
確かに、ここに来てから私は幸せだった。
それまでも、大して不幸だとは思わなかったが、ここには確かに幸せな思い出ばかりだ。
「特にミケーレのポスターを眺める君が幸せそうで、その姿になったら君に好かれるかな、と」
「私を好きになった?」
「そう、君を好きになった」
ミケーレの微笑み、更にヤバさマシマシ!
「一緒に逝けるなら、心強いです」
「いいの?」
「付喪神は断ってしまったんでしょう?」
「うん」
映画館、もとい、ミケーレは私をギュッと抱きしめた。
…ここで終われば、素敵な恋物語だった。
だが、その後が大変だった。主に生きてる人たちが。
私は間違いなく死亡し、最期は任せておけというオーナーに甘え、法的な手続きも済ませていた。
退職金や保険金も、まだ残っていたが、後始末してくれるオーナーに得があるほどでもない。
と、思っていたが、私のささやかな葬儀に、オーナーが運送会社の社長や同僚を呼んでくれた。
ありがたい配慮だったが、彼らが驚くようなことを言い出した。
なんと、私が知らなかった死亡保険金が支払われるというのだ。
法的に、オーナーに受け取る権利がある。
私も、口は挟めないが、それでいいと思った。
オーナーは渋々ながら受け取ることを了承し、運送会社の一行は帰って行った。
遠いところまで、お疲れさまでした、と私は彼らを見送った。
その後、ひょっこりとオーナーの孫が帰ってきて、映画館を継ぐと言い出した。ナチュラル~な感じの、フワッとした女の子だ。
大丈夫かよ、と思ったが、フワッとした女の子を放っておけないと次々に助っ人が現れ、映える古い映画館として盛り上がってしまった。
そうなると仕方なく、オーナーも映画館を継続することに決めた。
何せ、私の保険金がある。
潤沢ではないにしろ、とっかかりには十分だ。
いつの間にやら、私は映画好きの薄幸の美女(?)にされ、祭り上げられた。
ありもしない素敵な物語が作られ、昔銀座の映画館を舞台に映画まで撮影された。
「なんか、いろいろ、済みません」
私はミケーレに謝った。
「なんで謝るの?」
「だって、せっかく付喪神を蹴ってまで、成仏しようとしたのに…」
彼は当たり前のように、私を抱き寄せる。
「君と一緒に居られる時間が伸びたんだ。
嫌なはず、ないじゃない」
そう言って、額と頬と唇に順番にキスしてくる。
「ほんとうに?」
「ほんとうに!」
それから何年も、私たちは昔銀座や海辺をうろついた。
私たちの魂は、すっかり結びついてしまい、映画館が壊されるまでは離れそうもない。
「意外と、壊されないね?」
「あれから何年?」
なんて、他愛なく笑いながら。
そうやって、ただ穏やかな、BGVみたいな日々を、二人して眺めて過ごした。
いつか共に逝く、その時を待ちながら。