プロローグ
よろしくお願いします。
地底人を拾ってきたのは長女寿だった。
中学生くらいだろうか。赤い髪で透けるように白い肌の少年だ。真っ黒な厚い布地に2〜3センチの色とりどりの石が縫い付けられた袖も裾も長い上着を纏っている。その石も濁った川石のようなものもあれば、宝石のように輝いているものもあって、色もバラバラ、まるで統一感がない。上着と同じ素材のズボンには石はなく、その裾は金色の爪先を持つ藍鼠のブーツの中に収まっている。
頭には黄金色のとんがり帽子を被っているのだが、黄緑がかったシルクの幅広なリボンが結ばれ、結ばれた先の一方は背中にかかるほど長く、もう一方はつばの上に跳ねているような珍妙なものだった。
今にも泣きそうに潤んだ瞳は薄緑色のガラス玉のようだった。寿に手を引かれながら、長男の祝の前に現れたときには「目がぁ目がぁ…!」などと言いながら、手で顔を覆っていたので、彼の目の色を橋本家のきょうだい達が知ったのは家の中に入ってからだ。
現在、彼は寿が作った小松菜と油揚げの味噌汁を、興味深そうに見つめている。本日、橋本姉弟の両親は夏祭りの準備という名目の町内会の飲み会に出席しており深夜まで帰らない。家を切り盛りしているのは17歳の寿と16歳の祝の高校生組だった。他に兄弟が3人。12歳の次男縁と9歳の双子の三男繋、四男結。彼らは好奇心を隠しもせずに少年の動きを全身で追っている。
畳に座る少年の足は寿が教えたぎこちない正座に収まっていた。
寿が簡単にきょうだいを紹介すると少年は顔を上げ、「トマティス」と名乗った。。
「さ、頂こう。」
『いただきます!』
寿の掛け声で一斉に夕食が始まる。鯵の干物に青菜のおひたし、納豆、ニンジンのサラダ、卵焼き。それに味噌汁と大盛りの白米。
「箸は使えるだろうか?」
「いいえ、使ったことはありません。」
「縁、スプーンとフォークを持ってきてくれるか?」
「はぁい。」
手渡された食器は卓に置き、トマティスはきょうだい達の所作を真似ながら、何とか箸を使おうと奮闘している。それを見た寿が使い方を説明しながら箸を動かし、見本を見せる。
「すごい!本物の箸を見るのは初めてなのです。何でできているのでしょう?九龍では金属製のものが使われるらしいのですが。」
「カウロン?」
「はい。こちらで言うところの中国の下にある国の名前です。」
「トマティスと同じ地底の国か?」
「同じ国ではないのですが。僕の国よりもっと大きな国です。行ったことはないけれど、九龍に無いものはない、と言われています。地底人なら誰もが一度は憧れる国で、僕も行ってみたいと」
「待って下さい、お客人。姉さんも身を乗り出さない。外国の方のジョークだから。地底人なんているわけないでしょう?九龍は香港の都市のことだよ。あ、失礼しました、お客人。姉さん、堅物で、あまり冗談とか通じなくて。ゼノさん日本語お上手ですね。さぁ味噌スープ、どうです?具の小松菜は俺たちが育てたものなんですよ。」
祝が味噌汁を勧める。
トマティスは箸で椀の中を数回かき回した後、残念そうにスプーンに持ち替え、汁を口に含んだ。
「あったかい…すごい…多分…美味しい。」
「お口にあったなら良かった。ご飯もどうぞ。日本食は口内調理と言って、料理を一口噛んでは、白米と一緒に合わせて食べるのが文化なのですよ。」
「へぇ!初めて食べます。いいんでしょうか。こんな、僕…」
再び瞳を潤ませるトマティスに祝は寿と視線を交わす。
「トマティスくん、それで、家の人は?」
「一人です。一人で来たのです。」
「どこから?」
「だから下からです。ほら、この僕の身に纏っているカンラン石で明らかでしょう?」
一斉に首を振る橋本きょうだいにトマティスは困惑の表情を浮かべる。
「えぇ!?分からないのですか?ゼノ様がこれを着れば身分証明になるって言ってたのですよ!それなら皆さんにはこの格好が何に見えるって言うんんです?」
「マジックする人」
「変人」
「コスプレの人」
「迷子」
「地底人?」
「分かってくれますか!」
「ちょっと待って。姉さんは疑問系ですよ、お客人。」
トマティスを制す祝に寿は頷いて見せる。
「そうだ。私にはトマティスが地底人であることもそうでないことも判断できない。困っているのは分かるのだが。まぁいい。まずは腹ごしらえだ。冷める前に食べてしまおうじゃないか。」
橋本きょうだいにとって長女の言葉は絶対だ。これにて話は打ち切り、再び箸の使い方を教えながらの食事となったのである。
ご飯は大事です