中編 一.五番目の扉
中編 一.五番目の扉
ウェントルは頭を抱えて言った。
「こんなに沢山の鍵穴の中から一つを見つけるのか?俺は、剣以外はてんで駄目だ」
ノーダは言った。
「我も盾を用いることと食事をとること以外は何もろくにできない。ケミル殿はどうだ?」
「私も、魔術以外はあまり……」
ケミルがそう言うと、シイは自信たっぷりに言った。
「私の自慢の錠よ。開けられるものがいるなら、開けてみなさい。見てみたいわ」
ルーシェは言った。
《守り人の仕事をこなしていることは結構な事だが、私たちはシイの作った鍵を開けなくとも、扉を通ることができる。お前の立派な錠は壊さない》
ルーシェの言葉に皆は思った。錠を壊さず錠を開ける方法はただ一つしかない。鍵でその錠を開くことだが……。
シイは叫んだ。
「鍵でも持っているっていうの?そんなわけはないわよ。私は鍵を作らなかったもの。鍵を作らなくても、この両手で開けられるから……。まさか、あなたの手も特別なの?」
シイのムカデのような長い胴体には左右に百本近い腕があり、それぞれ二本しかない指がなかった。上半身の人型についた手でさえ二本の指しかない。シイは少ないが大勢の二本の指を器用に用いて錠を作ったのだろう。ところが、ルーシェの両手含めて十本の手があるだけで、職人のような平たく頑丈な手というよりも、鞘に収めるときにつく傷がある熟練の剣士の手といった風にしか見えなかった。
《お前の考えている方法では誰も開けられないだろう》
そう言うとルーシェはケミルの方を向いた。
《ケミル、鍵穴を見てくれ。光っているものはないか?》
「――私ですか?」
シイはケミルを見て叫んだ。
「あなた、鍵を持っているのね!どこで手に入れたの?」
シイは怒っていた。ケミルは慌てたが、ルーシェは淡々と同じ言葉を繰り返した。
《光っているものはないか?》
ケミルは「はぁ……」と何をいっていいやらわからずに、壁という壁に敷き詰められた鍵穴を見渡した。こんなに沢山ある鍵穴の中から光っているものなんてーーなどと考えていると、数十秒も立たない間にケミルはその光っている鍵穴を見つけてしまった。まるでケミルが意識してから、光りだしたようだった。
その鍵穴は正面から向かって左から三番上から数えて十六番目のところにあった。
「その鍵穴が光っています」とケミルが指差すと、カチャッと音がなった。錠が勝手に開錠し、部屋中にあった鍵穴がすべて消えて鍵穴を中心とした小さな楕円を描いて壁が開いたのだ。
「どうして!」
シイはヒステリックな悲鳴をあげた。
「四番目の扉はこんなに小さいのか……」ウェントルは開いた扉をまじまじと見てそう呟いた。
「我は通れないな」
「俺だって……」とウェントル。ルーシェは言った。
《扉の大きさは関係ない。通ることを許された者はどのような扉も通ることができる。行くぞ》
ルーシェが小さな扉に向って歩き出した。すると、シイはごくりと喉を鳴らして指が二本しかない手を伸ばした。
「ねぇ、待って。私も行きたいわ。鍵を開けたことは怒ってないの。うしろ、驚いているわ。凄いと思うわ。あなたたちは特別でしょう。守り人の私もきっと特別なんだわ。ねぇ、いいでしょ?私も一緒に扉を通りたいわ」
ルーシェは首だけ振り返った。
《シイ。お前はここにとどまれ。この先へ行けば、必ず殺される》
「こ、こ、殺されるですって!」
《五番目の扉の守り人は錬金術師だ。これは大昔から変わらないそうだなーー。錬金術師はシイの特別な手を切り落として材料にしようとするだろう。お前ほどの腕を持つ守り人を失うのは惜しい。ここでできるだけ長く生きて扉を守れ》
「やだわぁ、腕がいいなんて!でも、切り落とされるなんて本当かしら……」
《事実かどうか確認したければついてくればいい。だが、親切心から言う。五番目の守り人の錬金術師は欲しいと思ったものはどんなものも奪おうとする。いくら剣士や盾士、魔術師がいたところで。シイを守り切れないだろう。下手をすれば手だけでなく首まで切り落とされるかもしれない》
シイは青ざめた。
「五番目の守り人は恐ろしい人なのね。諦めるわ……。だけど、一つだけ教えてくれないかしら。どうやって私の完璧な錠を開けたの?それくらいなら教えてくれたってかまわないでしょ」
ルーシェはケミルを見てから言った。
《ケミルがいればどんな扉も開く。ケミルが望みさえすればな》
皆がケミルを見た。ただの老人にしか見えないケミルにどんな特別な力があるのだろうかと皆が思ったのだが、当のケミルにはまるで思い当たる節もなかったので、皆に見られながら戸惑っていた。
「私は何も……」
ルーシェは言った。
《ケミルは何もする必要はない。先を急ぐぞ。次は戦いとは無縁で、厄介だ。ウェントル、ケミルだけでなくノーダも守ってやれ。肌を削ってくるかもしれない》
ノーダは肩をびくりとした。ルーシェが警戒を促すなどこれまで度々あったが、五番目の守り人は特に警戒を強めているようだった。もうすぐ五番目の守り人のいる扉へ行くのだ。ウェントルは「わかた」と言いながら、ケミルとノーダを見て頷いた。
その後、手を振るシイに見送られて皆は小さな扉に近づいた。四番目の扉は不思議なもので、近づけば近づくほど扉が大きくなっていくような錯覚に襲われた。彼ら自身が小さくなったのか、それとも、現実に扉が大きくなったのかはわからない。ただ、ずっと見送っているシイは驚きも何もせずにただ手を振っているところを見ると、何か目に見える変化が起こっていたわけではなさそうだった。
四人が扉を通り抜けた瞬間、後ろで扉がバタンッと閉まった。しかし、それは扉ではなく、シイの作った鍵のついた扉だったのだが、ケミルがこの二つの扉を開け閉めしたということになる。魔術を用いた記憶もなく、ケミルは少し恐ろしくなった。何もしていないのに、何かが起る。心当たりもないので猶更、気味が悪かった。
扉を通り抜けた後に繋がる暗闇で、またケミルはウェントルとノーダの腕を掴んで引っ張り歩いた。もう慣れたものだ。大人しく引っ張られて歩くウェントルとノーダは未だに暗闇を恐れて慣れそうになかったが、ケミルはだんだん落ち着いてきたのか鼻歌をうたっていた。一人でいるときによく歌ったうただった。
ケミルの鼻歌を聞いていたウェントルが言った。
「故郷の歌か?」
鼻歌をやめて、ケミルは首を傾げた。
「はて、故郷?」
「聞いたこともない音楽だから、故郷の歌かと思った。俺のお袋もよく故郷の歌を口ずさんでいたな。俺が大きくなってから船乗りと再婚して、どこかへ行っちまったけど。元気にやってっかな」
ウェントルの思い出話を聞きながら、ケミルはどこで鼻歌のメロディを覚えたのかが思い出せなかった。故郷の歌なのだろうか。五歳までの記憶は曖昧だ。ただ、弟子入りした後に師から母について聞いたことがある。母は喉を潰され話すことができなかったと。幼いケミルを手放し魔術師の弟子にしたのも、息子の将来を想ってのことだったとも教えられた。母を恨んではいなかったが、結局、守り人になる前も、行方知れずの母とは再会することができなかった。ケミルには父がいたのかさえわからなかった。けれど、今はもう知りたいとすら思わなかった。すべては過去の出来事でしかなかった。ウェントルの人生、ノーダの人生、ルーシェの人生、色々あるものだ。その色々を経てこうして四人は巡り会えたのだから、すべてには理由があるのかもしれない。
ケミルはまたよく知っているようで知らなかった鼻歌をうたいだした。
暗闇を歩いてくと、いつものあの眩い光の点が遠くに見えてきた。光に近づき、光の向こう側に通り抜ける。これで四回目になるのだろうか。ケミルはこの暗闇は一体何処で、何処を歩いているのだろうかと思った。
光の向こう側へと通り抜けたルーシェを見ながら、ケミルはウェントルとノーダと共に闇から光の方へ抜けた。
「――また、部屋だな」
ウェントルが呟いた後、ケミルはその部屋を見渡した。壁一面、鍵穴ではなく、壁一面本に埋め尽くされた部屋だった。埃臭く、ノーダが咳き込んだ。四番目の扉のある部屋とどことなく似ているのではないかと思ったが、部屋の奥の竈でなにやらぐつぐつと悪臭を漂わせながら黒い泥のようなものが煮立っていた。
ウェントルは気分が悪いと舌を出した。
ふと、部屋の左手にある木の扉が開いて人間の金髪の少女と二足歩行する白毛の狼が入ってきた。金髪の少女は首から下はすっぽりと白いワンピース状の作業着を着ており、その作業着はヘドロで汚れていたが、少女はまるで気にすることもなく葉の付いた銀色の枝と銅の挟みを持っていた。狼の方はタオルを山のように抱えていた。
少女は狼に向って言った。
「――はははん、君は忘れているのね。エハランドの葉は小刻みにしてから鍋に入れると溶けるのははやくなる。でもね、作っているのはペースト状のものではない。形状はとっても大事だ、効果が変わるからな」
狼は部屋にいる侵入者であるケミルたちに気づくと、「クスパ」と冷静に少女の名を呼んだが、少女は話しつづけた。
「だから、エハランドの葉はざっくり切らなければならない。お手本を見せるから一度見て覚えてほしい。今度からは君の仕事になるのだ、間違えないでほしい」
「クスパ」
「よく見るんだ」とクスパと呼ばれつづけている少女は葉のついた枝を狼にも見えるように持ちあげた。
「葉脈に沿ってーー誰だ?誰かいるな」
葉を切る実演をしようとして視界に入ってきてはじめて侵入者たちに気づいた少女は狼を見た。
「君の友達か、家族か?」
狼は呆れながら首を横に振った。
「クスパ、どう見ても容姿が違う」
「確かに。でもね、容姿が異なる親子は存在する。彼らは君の家族かもしれない」
狼はやれやれとした顔をしてから山積みのタオルを抱えたまま、竈の傍まで行き、竈の周りにタオルを広げて敷き詰めた。ケミルたちには何をしているのかはわからなかったが、狼はこちらを振り返り言った。
「少し待たれよ。竈の中身が爆発する前に、床に染みつく前にタオルを敷き詰めている。いくら探しても新品のタオルしかなかった。駄目にするなんて、もったいない……」
狼はタオルを敷き詰め終わると立ちあがり、彼らにとっての侵入者に過ぎないケミルたちに近づいてからわざわざ丁寧にお辞儀をした。
「僕はトリア。あの天才で馬鹿な娘はクスパ。錬金術師と、僕は相棒」
《やはり、あの娘が錬金術師か……》とルーシェが言ったところ、錬金術師のクスパはノーダをじっと見つめていた。
狼のトリアは言った。
「クスパ、誰かはわからないけど、お客さんが来ているんだ。何か話して」
せっかく相棒というトリアがそう言ってくれたのだが、クスパの耳にはまるで届いていなかった。ただ、ただ、クスパは枝と挟みを床に放り投げて、ノーダににじり寄って行った。じりじりと迫ってくるので、ノーダは後ろに後退した。
トリアがまた「クスパ」と呼ぶと、クスパは呟いた。
「動いている……。どういう仕組みだ……?」




