前編 四. 四番目の扉
前編 四.四番目の扉
ケミルは少し躊躇したが、涙を流すノーダの差し出された手を取り握った。すると、ノーダの金属の身体に勢いよく抱擁された。老体には辛いほど熱い抱擁だった。
ケミルは息を切らしながら言った。
「私も同士に会えて嬉しく思っています。私は狩人のルーシェさんと私の守る一番目の扉からやってきました。名をケミルといいます」
「あぁ、ケミル殿!我はノーダだ。扉の守り人が扉を通るなどというのはとんでもない話だと思っていたが。こうして貴殿と抱きしめ合うとわかる。ケミル殿が一番目の扉とやらを通ってここへやってきたという話は嘘偽りではない。なんともいえないこの柔らかな感触。生まれてこの方見たことも触れたこともない生物だ」
ウェントルはわははっと笑った。
「それはこっちも同じだ。俺は剣豪――元居た世界ではだが……。剣豪と馳せていた名をウェトルという。あんたのように頑丈な身体で、巨大な盾を扱う奴を見たのははじめてだ。押しつぶされるかと思ったぜ」
「剣豪か。それならば、壊れているとはいえ我が盾を砕くこともできよう。我は盾士ノーダだ。我の生まれ育った故郷では盾士は多かった。この屈強な身体と盾で守れぬものはなかった。故郷では我が一番の盾士だった。……しかし、それも遠い昔の話。守り人になってからは大勢の侵入者がやってきた。来る日も来る日も盾を用いて防いできたが、終わりの見えぬ日々に絶望さえ覚えていた。我の盾が砕け散れば我は孤独に絶命してゆく。孤独な死を恐れるようになっていた」
「私も同じでした」
ケミルがぽつりとそう呟くと、ノーダはケミルから離れて窪んだ目でケミルの顔を見つめて言った。
「……そうか、ケミル殿。貴殿も我と同じ思いを。守り人は皆同じことを思うのだろうな。しかし、助け舟というのはこのことだろう。同じ守り人が我の窮地を救いに来てくれた。我の盾が元に戻るというのならば共に行こう。我は何をすればよいのだ」
ルーシェは言った。
《ケミルの身体が脆いのはわかっただろう。ウェントルと共にケミルをその頑丈な肉体で守ってくれ。それ以外は望まない》
「わかった、そうしよう」
ノーダは地面に置いた大切な盾を拾い上げた。壁が立ちあがっている様を見ながらウェントルは言った。
「あんたの盾をそのまま持っていくのか?」
ノーダは言った。
「我はそのような無茶はせぬ。盾士は盾の大きさを自由自在に変化させる。我の盾は邪魔にならぬように折りたたんで背負う。迷惑はかけぬ」
ウェントルはほっとした。ノーダは宣言したとおり、巨大な盾を折り畳んで細長く形を変えてから軽々と背負った。そして、長年守ってきた傷一つない扉の方を向いた。
「我がこの扉を通る日がくるとは……。我の守りし扉が三番目ならば、次は四番目の扉か。この先はどこに通じているのだ?」
ルーシェは言った。
《ーーケミルがいればそう難しくはない所だ、としか言えないな》
「私が?」
ケミルはまったく見当もつかないので首を傾げた。ルーシェは言った。
《少なくとも襲ってくるような守り人ではないようだな》
「まぁ、行ってみればわかるだろう。ほら、扉が開いたぞ」
ウェントルがそう言った時、扉が勝手に開きはじめたところだった。「我は楽しみだ」とノーダが開いてゆく扉の方へ歩いて行った。
扉を通る仲間が一人増えて四人になった。孤独に生きてきたケミルはどんどん賑やかになる一行に心のどこかでほっとしていた。一人ではない、そう思えるだけで幸福を感じていたのだ。
三番目の扉を四人が通り過ぎた後、またあの暗闇に入って行った。
ケミルは相変わらず、ルーシェの姿もウェントルの姿も、ノーダの姿さえ暗闇だというのにはっきりと見えていた。しかし、やはりウェントルは何も見えないようで、両手を伸ばしてケミルを探しているのを見て、ケミルはそっとウェントルの腕を掴んでやった。
「ウェントルさん」
声をかけると、ウェントルは安心したように頷いた。ノーダの方は大丈夫だろうかとケミルが見てみると、ノーダは直立したまま動かなかった。ケミルは言った。
「大丈夫ですか?」
「我は怖くはないがーー何も見えない。扉の先がこんな暗く静かな場所だとは思わなかった」
どうやらとてもこの暗闇が怖いようだ。ケミルはウェントルを掴んだまま、ノーダの傍まで連れて行き、ノーダの硬い腕に触れた。
「私に掴まってください。私はこの暗闇でも目が利くようです」
ノーダは柔らかいケミルの手のぬくもりを感じて、急いで両手でケミルの手を掴んだ。
「こんなに暗いというのに目が利くとは信じがたい。ケミル殿、我から離れないでほしい。我は置いて行かれると困る」
「安心してください。私が次の扉まで連れて行きます」
「あぁ、優しいお言葉をかけてくれるならば、ついでに我のこの情けない姿は忘れてくれるだろうな」
「すべて忘れましょう。さぁ、ついてきてください」
ケミルは老体にしがみついて歩くノーダと、ウェントルの姿を見て微笑んだ。強い剣豪と盾士はこの暗闇ではなんと弱々しいことだろうか。この暗闇の中ではまるで大人しい子犬のようだった。
ルーシェは老人に掴まっている二人の大きな男を見て言った。
《先が思いやられるな》
三回目に通る暗闇にすっかり慣れてしまったケミルは、先を歩くルーシェの背中を追いかけて、ウェントルとノーダを連れて歩いた。ノーダはやはり怖いのだろう、ぶつぶつと独り言を言っていた。ウェントルも内心この暗闇が怖いのだろうが、黙り込んでいた。ケミルは時々二人の顔を見ながら微笑まずにはいられなかった。
――しかし、ふと考えてしまう。どうしてケミルは平気なのだろうか。最初の洞窟を通った時だけ心寂しさを感じたが、それ以降は特別何も感じないのだ。ウェントルとノーダよりもずっと年を取っている為、心が乱れることが少ないということだろうか。
しばらく歩いていると、また目線の先に光の点が見てきた。あぁ、やっと次の扉のある場所へ着く。そんな風に考えていると、ノーダが声を張り上げて言った。
「我が向かう先はあの光か?」
ルーシェは言った。
《そうだ。あそこに四番目の扉がある》
「ならば、話は早い。我は先に行くぞ」
ノーダは突然、ケミルを肩にのせ、ケミルが掴んでいたウェントルの胴体を抱きかかえて走り出した。ルーシェの脇を通り過ぎて一目散に光に向って行った。
「ルーシェさん」とケミルが振り返りながらそう言ったのだが、ルーシェは《せっかちな奴だ》と呟き走ったーーと思えば、ほんの一瞬でノーダを追い越して、ノーダの前を走っていた。何も見えていないノーダはまったくわからなかったが、ルーシェの姿がはっきりと見えるケミルは心底驚いてしまった。ルーシェが何をしたのかはわからないが、物理的に不可能だとしか思えなかったからだ。ますますルーシェの正体が気になった。
光の先へ通り抜けた時、ルーシェはあれほど走ったというのに息も切らさずに冷静に深い緑色に塗りつぶされた壁に四方囲まれた天井のとても高い部屋で周囲を見回していた。一方、同じく走っていたノーダは荒く呼吸をしながらウェントルを床に下ろしてからケミルも下ろし、胸を抑えていた。無理をするほどあの暗闇が怖かったのだ。ケミルは優しくノーダの背を撫でてやった。
ウェントルはやっと暗闇を抜けて落ち着いたのか口を開けるようになるなり言った。
「ここは――部屋か?守り人はどこだ?」
ウェントルの言うように、周囲を見回してもその部屋には誰もいなかった。ただ、深い緑色の壁が四方を取り囲んでいる不思議な部屋といった印象だった。
ところが、ケミルがルーシェの方を見ると、ルーシェは天井の方を向いていた。ウェントルも気づいて、どこを見ているのかを訊ねようとしたところ、ルーシェが先に口を開いた。
《それで姿を隠しているつもりか?四番目の扉の守り人、シイ。私には何もかも見ているぞ。倒されたくなければ姿を現せ》
ルーシェの声の後、部屋の四方から女の甲高い笑い声が部屋に反響した。
「――あーら、どうして私の名を知っているのよ。どこで私の名を聞いたの?それに、私を倒すだって?笑わせないで。姿が見えているなんて嘘でしょう。嘘をつく悪い子は背後に忍び寄って食べちゃうわよ」
《私をお前が食べるか……。そんなことができるならば、やってみろ。その前に私がお前の首根っこ掴んで地面に叩きつけてやろう。それでよく目が覚めるだろうな》
ルーシェが両膝を軽く曲げて勢いよく飛びあがった。それも、十センチやそこらを飛んだのではない。天井に近づく程数メートルは高く飛びあがったのだ。ウェントルもノーダも口を開けてぽかんとした表情を浮かべた。
「ぎゃあ!」
悲鳴が部屋に反響したかと思えば、上から下へと落下していくルーシェと共に近づいてきた。ドンッと何かが落ちる音が聞こえたかと思うと、何もいなかった場所にみるみると明るいピンクの皮膚が現われ、それがみるみると部屋を覆っていった。よくよく見てみると、部屋を覆いつくすほどの強大で長いムカデのような胴体を持ち、上半身は胸のない赤い肌の人型という薄気味悪い生き物がルーシェに首根っこを掴まれて頭を床に叩きつけられてくらくらと半ば気絶していた。
ルーシェは手を放してやると、その生き物に向って言った。
《シイ、お前は錠前師だな。戦いに不向きな生き物が死に急ぐ必要はないだろう》
シイと呼ばれたその生き物は起きあがり、くらくらする頭を抑えながら言った。
「ご、ごめんなさい……。本当に私の姿が見えているなんて思わなかったのよ。あなたの言う通り、私は錠前師のシイよ。ここは迷宮の一室。訪ねてくるのは私の姿が見えない愚か者たちをからかって遊んでいたの。どうせ、私の作った鍵を開ける事なんて誰にもできないから……。馬鹿にしてごめんなさい」
ウェントルもノーダも顔を見合わせて笑った。ウェントルは言った。
「四番目の守り人がどんな化け物かと思ったら、拍子抜けだ」
「我は守り人よりも、ルーシェ殿が高く飛んだことに驚いた。人はあれほど高く飛べるのか?」
ノーダの問いには誰も答えられなかった。シイはルーシェを見た後、黒剣を持つウェントルと折りたたんだ岩のようなものを背負った鉱石の肌を持つノーダ、そして、一際身体の小さな老人ケミルを見た。
「私が守り人だって知っているのはどうしてなの。あなたたちは誰?」
ノーダは一歩前に出て言った。
「我は三番目の扉の守り人のノーダだ。ご老体のケミル殿は一番目の扉の守り人だ」
「俺は雇われてついてきた剣豪のウェントルだ」
シイは恐るおそるまたルーシェの方を見た。名前も聞くのも恐ろしいのだろう。ルーシェはシイの心の声を聞いたかのように言った。
《狩人のルーシェだが、お前を狩りに来たわけではない。四番目の扉を通りに来ただけだ。そう長居はしない。私たちが通り過ぎれば、いつものように愚か者をからかうなどして過ごせばいい》
「この部屋に扉があると知っているなんて、はじめて言われたわ。私が精巧に隠してきたのに……。守り人というのは嘘じゃないのかもしれないわね。――まぁ、いいわ。扉を通るといいわ。だけど、私は錠前師。私が作った特別な鍵を開けることができたら、好きに通っていいわ。ただし、どれが扉に通じる鍵がわかればね」
シイは両手を広げた、すると、深い緑色の壁にびっしりと鍵穴が浮かび現われた。数十ところか、数百以上もの鍵穴だ。シイはこのいずれかの鍵穴を開けろと言っているのだ。ケミルは沢山の鍵穴を見上げて驚愕した。




