前編 三. 三番目の扉
前編 三.三番目の扉
ランロックと呼ばれた男はへらへらと笑った。
「剣なんてもう何十年も握っていない。随分前に質屋に入れたっきりだ」
《そうか。ならば、お前を殺そう》
ルーシェの言葉にケミルもウェントルも驚いてしまった。ルーシェは剣を鞘から抜いて、ランロックに向けた。
「待てよ、こんな街中で物騒なことを言うなよ」と言ってから、ウェントルはルーシェが周囲の人々には見えていないことを思い出した。我ながら間抜けすぎるとウェントルは赤面した。
ケミルはルーシェをなだめようとして言った。
「何もそこまで……」
《扉の守り人が扉を守りもせずに通りすがりの男に役目を押し付けて呑んだくれの博打打ちになっていた。ランロックという男が守り人でなくともいいということだ。殺して何が悪い。守り人の役目を甘く見るな》
ランロックはルーシェに向けられた剣先を見て慌てふためいて祈るように両手を合わせた。
「わっわっわっ悪かった。俺が悪かった!これからは真面目にやるから。許してくれ」
《わかった。ならば、よそう》
ルーシェはすんなりとランロックを許した。ケミルもウェントルもほっとし、ランロックはしめたぞと心の内で呟いた。
ルーシェはその心の声を聞いて言った。
《近くにいる他の狩人にしばらく監視させる。人ではない者もいるからな、また役目を放棄していれば容赦がない者には殺されるかもしれないが。しっかりやってくれ。――ケミル、ウェントル。次の扉を通る時間だ》
ルーシェは階段を上りはじめた。すると、階段の上にある古い扉が開きはじめた。ケミルがルーシェの後につづき、ケミルの後をウェントルがつづいたが、ウェントルはランロックを何度も振り返った。
ランロックは扉がはじめて開いたのを見て言った。
「俺はついて行かなくていいのか?」
《ランロック、お前の代わりはウェントルが務める。ウェントルが戻った時は必ず賃金を支払ってやれ》
「俺が守り人なのに、なんでそいつなんだ……。真面目に守り人をしてこなかったが、今心を入れ替えた。俺が行く!ずっとその扉の向こう側に行きたかったんだ」
《もう遅い。お前は扉を通る機会を既に失った。命まで失いたくなければ、扉を守ることに精を出せ》
「待ってくれよ、そんなのあんまりだ……」
ランロックは叫び泣いた。
「いいのか……?」と階段をのぼりきった後にウェントルがルーシェに聞いたが、ルーシェは言った。
《今のランロックにはケミルを守る力がないどころか、ランロック自身さえ守ることができない。置いていくのが最善の策だ。二番目の扉の守り人は強いと聞いて期待していたんだがなーー》
二番目の扉の中にルーシェが入ると、ケミルもランロックを振り返って会釈してから中に入って行った。ウェントルは雇われていただけだがルーシェの剣技に興味があったので「すまん」とだけ扉の中に入って行った。
残されたランロックは立ち上がって、階段を駆け上り、扉を通り抜けようとしたのだが、扉はランロックの鼻先でぴしゃりと閉じてしまった。ランロックは扉を叩いて大泣きし、行き交う人々が扉の前で泣く男を見てこそこそと笑っていた。
二番目の扉を通り抜けると、今度もまた暗闇だった。
「真っ暗で何も見えないな」とウェントルが言ったが、ルーシェが光を帯びていたのでケミルにはウェントルの居場所がわかっていた。ケミルは扉を通ってから気づいたのだが、ウェントルには扉を通った先でのルーシェの姿がまったく見えていないのだ。これこそが守り人であるかないかの違いだというのだろうか。ケミルは少し優越感を抱いてしまったが、すぐに大人げないと思い、ウェントルの分厚い腕を掴んで引き、前に進んだルーシェの後につづいた。ウェントルが「助かる」と言ったのが聞こえた。
ウェントルの腕を引きながらケミルは言った。
「扉は全部で七つでしょう。次は三番目の扉ですか?」
《そうだ、三番目だ》
「どんな処ですか?」
《どんな場所にあるのかは知らないな。ただ、記憶では硬いそうだ》
「硬い?」
《細かいことはわからない。私の前に通った狩人は人間ではなかったからな、表現がすべて曖昧だ。だが、あまり心配はするな。ウェントルを連れてきたのはケミルを守るためだ。ウェントル、私が対処している間は任せる。何が立ち向かって来るかわからない》
「わかった。任せろ」
ウェントルの声が暗闇に響いたが、その腕を引いているのはケミルだったため少し心配になった。暗闇で襲われたらどうするのだろうと……。
そんなケミルの心の声を聞きつけたルーシェが《ここにいる間は襲われることはない》と言ってくれたので、少しは安心した。やはり、こんなよくわからない場所ではルーシェが最も頼りになるのかもしれない。狩人の秘密を知るのが少し楽しみになった。それと同時に、この暗闇は何なのだろうかという疑問も浮かんだ。扉を通ると必ず、この暗闇を通っている。通路か何かだろうか。
しばらく暗闇を歩くと、進んでいる方向にまた小さな光が見えてきた。三番目の扉があの光の先にあるのだろう。
ウェントルは見えてきた小さな光の方向へ進んでいるのだとわかると、腕を掴んでいるケミルの手をとんとんと優しく叩いた。
「ありがとう、ケミルのじいさん。また頼むな」
ケミルはウェントルから腕を離し。ただの礼だとわかってはいたが、長年一人暮らしで人に頼られることもなかったケミルは嬉しく思った。もし、ケミルが結婚をして子をもうけていたら、ウェントルと年の近い息子もいたかもしれない。そう思うと、過ぎ去った四十四年の歳月を虚しく思うしかできなかった。
光が徐々に大きくなり近づいてきたとき、向こう側がくっきりと見えてきた。青い光を帯びた氷なのか透明な鉱石なのかはわからなかったが、部分的に光を反射しているのが見えた。ルーシェが言った「硬い」というのはあれのことだろうか。
ウェントルは笑った。
「あんな壁みたいものからケミルのじいさんを守れっていうのか?」
《油断するな。三番目の守り人にもう見つかっている。勘が鋭い奴のようだ》
ルーシェは剣を抜いたのを見て、ウェントルも急いで剣を抜いた。
「ど、どこだ?」
《あの壁のようなものの向こう側にいる。通りに抜けたら、すぐにケミルを守れ。いいな?》
「わかった……」
ルーシェが光の方へルーシェが走り通り抜けた。ウェントルがケミルを見てから順に通り抜けると、ひんやりとした空気に包まれ、壁がこちらに迫ってきた。ウェントルは慌ててケミルを後ろに隠し、目の前ではルーシェが壁の進行を剣先で食い止めていた。ウェントルが「おぉ」と声を漏らした。
壁の向こう側から誰かが叫んだ。
「我こそは絶壁の扉の守り人なり。何人たりとも、ここは通さんぞ!」
ルーシェが言った。
《いい仕事をしているが、ここは通してもらう》
途端に、ルーシェの剣先は壁をすり抜けて、ルーシェの腕も身体も壁の中に入って行った。壁の向こう側で悲鳴が聞こえた。きっと、ルーシェが壁だけでなく守り人の身体さえも通り抜けたのだ。守り人が驚いて壁もろとも走りウェントルとケミルの方に突進してきたので、ウェントルも慌てるしかなかった。
黒剣を構えてルーシェのように剣先で壁を止めようとしたが、黒剣の剣先が壁に突き刺さったままウェントルの身体が後ろへ押された。強い力だ。ウェントルの後ろにいたケミルは先ほど通ってきた暗闇に押し戻されそうになった。
《三番目の扉の守り人ノーダ。守り人として相応しい盾を持っているようだが、それは壊れているようだ。無理をすれば黒剣で砕け散るぞ》
壁の突進が止まった。ウェントルがふぅと息を吐いた。目の前にある壁が盾だったなどと思いも知らなかったウェントルは世界が広いのだと思い知った。
守り人ノーダは呟いた。
「亀裂が入っているのは随分前から気づいていた。修理に出すことも適わず、疲れ果てたこの身と共に幾千の歳月を戦ってきてくれた。――名も知らぬ侵入者たちよ、これが我の最後の戦いになるのならば正々堂々戦い、潔く散らせてくれ」
《誤解をするな。お前の寿命はまだ半分も過ぎていないだろう。ここで散らすのは惜しい。どうだ、お前の盾を修理してくれる者の元へ行かないか?記憶では守り人の中にそのような者がいたはずだ》
ルーシェの言葉に壁のような大きな盾で姿が全く見えない三番目の守り人ノーダはしばし黙り込んでしまった。
ルーシェはつづけて言った。
《心配するな。留守の間、近くにいる私の仲間が扉を守ってくれるようだ。三番目の扉には血の気の多い侵入者が多いようだな。よく一人で防いできた。立派だ》
「笑止。我を褒めちぎり、騙し、油断をしたところで後ろから撃つつもりか?」
《そんなことをして何の意味がある?お前の盾をすり抜けた私がお前の隙を突く必要もない。仕留める気があれば、ほんの一瞬ですむ》
その言葉を聞いて剣豪ウェントルは目を輝かせていたが、三番目の扉の守り人はルーシェが大切な盾だけではなくノーダの身体まで容易く通り抜けたことを思い出して身震いしていた。
「何者だ。我はお前のような不審な者と会ったことがない……」
《私は狩人のルーシェだ。お前は三番目の扉を通る権利を得た。これからも守り人としていたいのであれば、ここは潔く承諾したほうがいい》
「扉を通るだと?守り人は守るためにのみ存在する。我はーー」
《一度きりの好機を棒に振るならばそれでも私は一向にかまわない。お前の盾はとうに寿命が尽きている。もう一度強打されれば砕け散り、盾しか知らぬお前は命を落とすだろう。しかし、お前は考えたことがあるか。お前が敗れれば、扉へ到達する者が現われる。その者の正体によって扉は危機に瀕するかもしれない。守り人としての名誉は奪われるだろう。これまで築いてきたすべてが無となる》
「守り人としての名誉……」
壁のような盾が地面に擦れて音を立てた。ウェントルが黒い剣を
盾から抜き、さっと鞘に戻した。
傾いていく壁の向こう側には全身銀の身体を持つ人間と姿が瓜二つの生命体が立っていた。その生命体は金属の身体の上にさらに金属製の鎧を纏い、頭部と胸元を覆っていた。人間と急所は同じなのかもしれない。この金属の生命体こそが三番目の扉の守り人ノーダのようだ。
ノーダは窪んだ目でウェントルとその後ろにいるケミル、そして、ノーダの背後にいるルーシェを振り返った。
「我の名誉の為に、我の最愛の盾を蘇らせてくれるというのならば、何か信じるに値する証が欲しい」
《証ならば、目の前にいる。黒剣の持ち主の背後にいるのがお前と同じ扉の守り人のケミルだ。黒剣の持ち主は二番目の扉の守り人の代理だ。二番目の守り人は頼りがないのでな、腕が立つウェントルを見込んで連れてきた。いずれにせよ、話を交わせば守り人同士通じるものがあるだろう》
「なんと、我以外にも守り人が!そういえば、我の守りし扉は三番目と言っていたな……。扉は一つではなかったのか」
ノーダは巨大な盾を丁寧に地面に置いて、ずかずかとウェントルの背後にいるケミルの元へ歩いてきた。人間と同じ姿はしているが金属の生命体など見たことがないケミルは怯えたが、ノーダはすっと手を差し伸べて言った。
「我が同士よ。孤独な日々に耐えてきた仲間よ。この苦労を分かち合える者に出会えるとは、我はなんと幸運なのだろうか」
窪んだノーダの目から涙がこぼれ落ちた。