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渡世の扉  作者: 佐屋 有斐
扉の守人
2/5

前編  二. 二番目の扉



 二. 二番目の扉





 この洞窟の行き着く先は行き止まりではなかったのかとケミルが思いながらルーシェの声が聞こえた方を向くと、暗闇の中にじわじわと光が現れ、それはぼんやりとした人型となった。そのぼんやりとした人型は言った。

《ここは曖昧な場所だ。私の姿がはっきりと見えるようになれば、寒さも消える》

 ぼんやりとした人型のルーシェはそう言うと、前方へ歩き出した。ケミルはどうしていいのかわからず、鳥肌のたつ両腕を摩擦(まさつ)しながルーシェの後を歩いた。

 真っ暗闇の洞窟の中を歩くというのは心寂しいものだ。足音はケミルのものしか響かず。前にルーシェがいるとはわかっていても、孤独のように感じてしまい、またいつもの死への恐怖心を煽る。静かになればなるほど心の中がざわついてしまうのだ。森にいればまだ鳥たちの唄声や、獣たちの遠吠え、木々が囁くように風になびく音で気を紛らわすことができる。しかし、この洞窟にはケミルの足音が何重にも重なるだけで水滴の音すら聞こえない。ただ、凍えそうなほど寒く、ただケミルは怖かった。どうして扉の向こう側に来てしまったのだろうと早々に後悔しはじめていた。普段、蓋をして封じている沢山の想いが開いてしまいそうだった。

 すぅーと呼吸音が聞こえ、ケミルははっと顔をあげた。見ると、全身に光を帯びた姿がはっきりと見えるルーシェが立っていた。

《洞窟を抜けた。もう寒さは感じないだろう?》

 ケミルは両腕から手を離した。確かについさっきまで感じていた寒さが消えていた。だが、いつ洞窟を出たのだろうか。真っ暗闇の中を歩いていたので、いつ洞窟から出たのかはわからないほど景色がかわっていなかった。

 ルーシェは少し砕けたような口調でケミルに言った。

《狩人の私は何も感じないが、ケミルには少し酷な道のりだったな。一番目の扉を越えると精神世界で耐えがたい苦痛に襲われるそうだ。試練のようなものだな。守り人が生きている限りは避けられない。

 次の扉に向かう。次はそうだなーー私の後ろに隠れていた方がいいだろう。突然、襲ってくるだろう》

「この先に猛獣か何かいるのですか?」

《二番目の扉の守り人(もりびと)だ。一番目の扉が破られたと思い、飛び掛かってくるだろう。守り人は、その名のごとく守り人だ。ケミルが私に襲い掛かってこなかったのは、ケミルは一番目の扉の守り人として私を敵ではないと無意識に認識していたからだ。二番目以降の守り人はケミルとは異なるものたちだ。私を認識できず、狩人であっても襲ってくるだろう》

「二番目……?私が守っていた扉は他にもあったのですか」

《同じであって同じではない。扉は全部で七つある。それぞれに守り人がいるが、それぞれに厄介だという。私の知る情報は『古い記憶を共有』したものだ。どのような守り人がいるのかは知らないが、七番目の扉を通り抜けるまで時間がかかるということだけはわかる。ケミルは一番目の扉の守り人として私と共にいなければならない。わかったな?》

 ケミルが頷くと、ルーシェも頷いた。そして、ルーシェは真っ暗闇の中へ再び歩いていく。ケミルは後ろを歩きながら、ルーシェの堂々とした背筋の伸びた背中を見つめた。行く手が暗闇でも臆することがなく進んでいく。この女剣士は「狩人(かりゅうど)」だというが、「狩人」というからには獲物を狩る人々のことを示すのだろう。けれど、ケミルの知る猟師たちとどこか異質なものを感じていた。何が異質かといえば多々ありすぎて困るが、もっとも異質に感じるのはルーシェの声が耳ではなく、どこか別のところから聞こえているということだろうか……。

 暗闇の中を歩いていくと、ずっと先に点のような白い穴が見えてきた。はじめはほんの一センチにも満たない小さな点だった。しかし、その点の方に近づくにつれて点は大きくなっていた。十センチ、三十センチ、五十センチとーー数は正確にはわからなかったが、徐々に大きくなっているのは間違いなかった。

 ケミルはルーシェに聞こうと、口を開いたがすぐに閉じた。ルーシェに問う前に、その明るい点の向こう側から騒音が聞こえてきたからだ。ざわざわと多くの人々が行き交うとても懐かしい音だった。ケミルがずっと恋しく思っていた喧噪が向こう側にある。そう思うだけでケミルはその向こう側に吸い寄せられるように小走りしていた。ところが、その向こう側へと右足が出た瞬間、ルーシェがケミルの腕を掴み引き戻した。

《馬鹿な真似を!》

 ルーシェの叫び声のあと、すぐに鋭く金属が衝突する音が耳に響いた。ルーシェがいつの間にか剣を抜き、向こう側から振り下ろされた大きな黒剣を防いでいた。ルーシェがケミルを引き戻さなければ、その黒剣はケミルの顔を真っ二つに斬り裂いていただろう。ケミルは恐ろしさのあまりに腰を抜かしそうになったが、ルーシェに腕を力強く掴まれていたのでケミルはかろうじて立っていられた。

「何者だ!」と向こう側から叫んだのは若い、とても若く明るい男の声だった。 

 ルーシェは男の黒剣を難なく押し返したが、黒剣の主は再度剣を振り下ろしてきた。ルーシェはケミルの腕を掴んだまま片手で男の剣を弾き、二度三度と振り下ろされる黒剣を払い退けさらに後ろへ押しながら向こう側へとケミルを連れて通り抜けた。

 通り抜けた先は大きな街のようだった。高い窓のある建物がずらりと並び、着飾った人々は街道を忙しく行き交っていた。ずっと森にいたケミルが若い頃でもこんな都会には来たことがなかった。

 ケミルとルーシェは十段ほどの階段の上に設けられた古びた扉のある建物の前に立っていた。そして、目の前では大きな黒剣を振り払われ、動揺している銀髪の大柄の男がいた。髪と同じ銀の鎧を纏った胸板は厚く、黒い薄い布にのみ覆われた腕はニ十センチ以上は優にあった。幼い頃から厳しい鍛錬をつづけてきたのだろう。無駄な贅肉はなく、ただただ剣を振るうために生きてきた男の剣に対してまるで子供相手に戦っているかの如くルーシェは容易に払いつづけていた。なんという剣技だろうか……。

 大柄の男は細い剣士相手にこんな扱いを受けるなど信じ難いといわんばかりに何度もルーシェに向って剣を向けたが、何度やっても剣先がルーシェの身体に届くことはなかった。まるで頑丈な壁のようにケミルの前にルーシェは立ち塞がっていた。

 狩人とは何者かはわからなかったが、ルーシェが尋常ではないほどの剣の使い手だということだけはケミルにもわかった。大柄の銀髪の男の顔には悲壮感が漂っていた。

「勝てない」

 心の声を思わず吐き出した男に、ルーシェは言った。

《ウェントル・ベルニフ。筋はいいが、私には勝てないとわかっただろう。諦めて剣を下せ。話がある》

 すっと大柄の男は剣を振るのをやめた。諦めたのかどうかはわからなかったが、ウェントルはルーシェをまじまじと見ていた。

「まさか、女か?」

《どちらもでいいだろう》

「俺にとっては大事な事だ。剣豪の俺が女に負けるなんて……。信じられん」

《心配するな。ウェントル、お前の名には傷はつかない。この場で私が見えているのはお前と後ろにいるケミルだけだ。他の人間に見えていない存在がお前を打ち負かしたところで何の意味がある?》

 ウェントルは周囲を見回したが、街を行き交う人々はウェルトルを見てこそこそと話し笑っていた。よくよく耳を凝らして聞いてみると、彼らは「図体のでかい男がご老体の前で剣を空振りなんかして、脅しているのか?情けない男」と言っていた。ウェントルは恥ずかしくて赤面した。ルーシェは言った。

《誰もお前が私と剣を交えたとはすら思っていない。剣を納めて話を聞け》

 ウェントルは黒剣を鞘に戻し、その場に座り込んで腕を組んだ。ルーシェも剣を納め、ケミルの腕を離した。ケミルは驚いて未だに動悸がとまらなかった。ウェントルは非常に不服そうな顔をした。

「……なんだ?俺に用でもあるのか。依頼なら他を当たってくれよ。俺はここから離れられない」

《ウェントル、お前はなかなか腕がいい。ここからしばし離れてケミルを守るためについて来い》

 ウェントルは眉を顰めた。

「話を聞いていたか?俺はそこにある扉を守る仕事をしているんだ。誰の家かは知らんが、雇い主から高い賃金を貰っているんだ。いくら積まれても仕事が終わるまでは他の仕事はしない」

「賃金……?」ケミルは驚いた。扉の守り人が賃金を貰えるとは思わなかったからだ。そのうえ、雇い主までいるなどとは聞いたこともなかった。ルーシェは言った。

《雇い主が誰かはわかっている。大方、この通りを歩いているときに声をかけられたのだろう?》

「あぁ、そうだ。なんで知っているんだ?」

《想像はつく。お前の雇い主には賃金は支払わせるが、お前の役目は変更だ。ケミルの護衛をしろ》

 ウェントルは舌打ちした。

「あんたがいるだろう?」

《強い奴は何人いても困らない》ルーシェがそう言うと、ウェントルは少し呆気にとられたがすぐににやついた。

「強い奴かーー。俺は金を貰えるならそれでもかまわないが、俺の雇い主に一応確認を取らないとならん」

《それならば任せろ。そう遠くには行っていまい。少し待て》

「どこにいるのかわかるのか?」とウェントルが言いかけて、ルーシェが跡形もなく姿を消した。ウェントルは驚いてぎょっとしたが、ケミルはよっこいしょと階段に腰かけた。ウェントルは周囲を見回しながら言った。

「あいつは何だ、じいさん?」

「私は守り人のケミルです。あのお人は狩人のルーシェというそうです」

「名前を聞いているんじゃないが……、そうか、ルーシェというのか。狩人ってあの狩人か?」

 ケミルは首を傾げた。

「今時の狩人は剣など使うのか。弓や銃しか使わないと思っていた。あの剣技はどこで覚えたんだろう。俺は大陸のあちこちへ旅をして腕を磨いたが、あれほどまで正確に攻撃を防がれたのははじめてだ。剣豪として名を馳せた俺が傷一つつけられなかった。どんな流派なんだろう。弟子はとっているのか?」

 ケミルは嬉しそうに話すウェントルを見て言った。

「さっき会ったばかりで何も知りませんな」

「そうか。それにしては親しそうだった。ルーシェとはどこで出会ったんだ?」

「森です。洞窟に作られた扉を通ると、こんな都会にでてきました。私は人とこうして長く話すのも久しぶりで……」

「何言っているんだ、じいさん。森はこの辺りにはないぞ。この辺りは商業都市で分厚い壁によって盗賊たちから守られているんだ。壁の外に出れば田園(でんえん)が広がっている。もしかして、田園から来たと間違えているんじゃないか?」

 ケミルは返事に困った。ケミルはここへ来る前は確かに森にいた。それも四十四年間もだ。間違えるはずがないのだ。――と、なると、ケミルが通った扉が原因だとしか思えなかった。ケミルが長年守ってきた扉は別の場所へと繋がっていた。そう考えると、なぜケミルは他の場所へ繋がった扉を守っていたのかがますますわからくなった。

「ケミルのじいさん?」と、ぼんやりとしたケミルにウェントルが話しかけた。「あぁ……」とケミルが声を漏らしたところ、通りからルーシェが男の首元を引っ掴んで歩いてきた。

「苦しい!離せ!」

 ルーシェに首元を掴まれてもがいていたのは中年の褪せた茶色い髪の男だった。何日も洗っていない衣服を纏い、男は酒臭かった。

 ルーシェは男を離してやったが、地面に叩きつけられた男は呻いた。 

 ウェントルは男を見るなり、「その男が雇い主だ」と言った。

《酒屋の地下で博打(ばくち)をしていた。賃金は博打で稼いでいたのだろう》

「俺がどこで何をしようと、お前には関係がないだろう」

 男は悪態をついて言った。

《おおいに関係がある。ランロック》

 ランロックと呼ばれた男は打ちつけた腰を撫でながらルーシェを見上げた。

「どうして、俺の名を……」

《私は狩人だ、二番目の扉の守り人ランロック。剣を手に取れ》









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