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渡世の扉  作者: 佐屋 有斐
扉の守人
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前編  一. 最初の扉



 一. 最初の扉





 (よわい)六十を迎えた老魔術師(ろうまじゅつし)ケミルは立ったままふと空を見上げ、これまでの人生をふり返っていた。

 ケミルが五歳のまだ母が恋しい頃に師に弟子入りし、十六歳まで魔術の修練を積んだ。ケミルには元来魔術の才はなく、兄弟弟子たちが素晴らしい魔術の才を開花させていくのを見て育ったせいか、たいして欲もなく、希望すら抱いたことがなかった。我慢強い、それだけが取り柄だった。そうして長いようで短い十一年を経て、師の紹介でケミルはこの地に辿り着いた。

 ケミルは空から視線を落とし、真正面に見える小さな洞窟の穴を塞ぐかのごとく作られた古めかしい重厚な扉を見つめた。扉は黒鉄(くろがね)で装飾され、木の扉は黒く変色していた。そのうえ、古い蜘蛛の糸がふわふわと扉の表面を覆っている。いつの時代に作られたものかは定かではないが、ケミルは代々つづいているこの扉の「守り人(もりびと)」としてこの扉を守る為だけに四十四年もの歳月を費やしてきた。

 ケミルは扉の正面に建てられた小屋の入り口に腰かけた。

 来る日も来る日も、ケミルはこの小屋の入り口に座り、正面に見える扉を見ていた。小屋は森深く獣もめったに寄りつかない辺鄙(へんぴ)な場所にあり、人の姿は当然のごとくなかった。ただ、まったく人が来ないのかというと、そうではなく。時折、迷い込んできた猟師や兄弟弟子の使いがやってきた。彼らだけが外界との唯一の繋がりだった。彼らが来ない日は、一言も言葉を発することがない日が何日もつづく。寂しいといえば寂しいが、それを誰かに伝えたところでケミルの役目は四十四年経った今でも、まだ終わりを迎えることはなかった。

 「守り人」の後継者がまだ見つかっていないのだ。師はとうに亡くなり、兄弟弟子の伝手だけが頼りだが、兄弟弟子たちは彼ら自身が手塩にかけて育てた弟子や、その弟子が育てた若い弟子たちをケミルの元へなかなか送りだせずにいたのだ。役目が役目だけあり、才能がある弟子ほど手放すのが惜しいのだ。手紙を貰うたび、ケミルは「守り人」はいかに空虚なものであるのかを考えずにはいられなかった。

 ケミルは先の守り人から小屋での生活を引き継ぎ、小屋の裏手にある菜園でわずかな野菜を育てていた。だが、年々、歳のせいか身体が軋む。あと十年か二十年かは動けるかもしれない。だが、その先のことを思うと不安でたまらなかった。一刻もはやく後継者が見つかり、人々のいる地へ移りたかった。

 寂しさが孤独死への恐怖に変わったのは、もうずっと昔のことだった。


 ケミルはある日、菜園で育てた小さな(かぶ)を三つばかり収穫し、小屋の傍にある井戸水を汲んで洗おうとしていた。ところが、手が滑ったのか蕪の一つがケミルの手から落ちて洞窟の扉の前まで転がっていった。ケミルは蕪を追いかけて扉の前まで行き、しゃがみ込んで蕪を拾い上げようと手を伸ばしたとき、ふっと指先にとても冷たい風が吹きつけてきてケミルは驚いた。見ると、その風は洞窟の扉の下に空いたわずかな隙間から吹き出てくる。洞窟から風が吹いてくるのならば、どこかに空いた場所から風が通り抜けているのだ。

 その時、ケミルは思わず独り言を呟いた。

「この先には一体、何があるのだろう……」

 ここは洞窟なのだ。洞窟を木の扉で塞いでいるだけだ。その先には何かがあるのだろう。

 守り人として守るためにこの地にいるが、一体何を守っているのかさえ知らされずに四十四年もの歳月が経っていた。滑稽といえば滑稽な話だ。先の守り人に「扉を守りなさい」と教えられてから、なぜ律儀に扉を守りつづけているのか……。この先に何があるのかを聞くこともできなかった。先の守り人は扉の先について語ることはなく、先の守り人は今のケミルよりもっと高齢だった。一日のほとんどを眠っている老人に聞く事もできなかった。

 ケミルはすっと手を伸ばして木の扉に触れた。木の扉はわずかに軋んだが、少し押したぐらいでは開くことはなかった。ケミルは手を放してふっと笑った。馬鹿げていると思ったからだ。そう簡単に開く扉ならば、強風でいとも容易く開いていただろう。ケミルは扉に錠がされているのかと扉をじっくり見たが、鍵穴一つ見つけられなかった。もしかしたら、扉の向こう側から扉を封じているのかもしれない。

 溜息を洩らし、諦めてケミルは小屋に戻って行った。


 それから数日ほど経った頃、何百回も読んだ魔術の本を戸口で読んでいたケミルはいつの間にか居眠りをしていた。その日は暖かく、天気も穏やかな日だった。鳥たちの囀り(さえず)も子守唄のように心地よく、孤独なケミルを深い眠りにつかせた。――そうして、ケミルが眠り込んでいると、ケミルは夢でも見ているのか、ふと小屋の前に立っていた。

 振り返ると、戸口にもたれて眠るケミルの姿が見えた。眠っているうちに死んでしまったのかと思い恐ろしくなったが、戸口で眠るケミルは大きないびきをかいていた。

 ケミルはほっと胸を撫でおろすと、透けた両手に目を落とし、半透明だがしっかりとある足も確認した。これが霊体(れいたい)というものなのかと関心していた。昔学んだ魔術には一時的に霊体になるものもあった。霊体では空を飛ぶことはできないが、壁を通り抜け、生身の身体ではいけない場所へも行けるのだ。ケミル自身は使ったことがなかったが、王都などでは必要な魔術だと遠い昔に師から聞いた覚えはあった。

 ケミルは全く軋まない身体でその場で少し()んでみた。まるで若い頃に戻ったかのようで気分が良い。ケミルは駆け足で小屋のまわりを一周した。まったく疲れないので楽しかった。楽しいついでにケミルは小屋に向って走って行った。ケミルの半透明な身体は小屋を容易に通り抜けることができた。壁も家具もすべてを通り抜けることができる。肉体から解放されることがこれほどまで良いものだと知らなかった。

 ケミルは普段は重く動かせない戸棚と壁の間まで歩き、戸棚の裏側を見ることができた。大量の埃の中に先の折れたペンが埋もれ、本が半分に曲がって挟まっているのも見つけた。それにいつから住みついていたのだろう、灰色の小さなネズミが一匹隠れていた。森からやってきたのかしれない。人間でこそないが、ケミルはまったくの孤独ではなかったと知り心が温かくなる思いだった。今度、食事をほんのちょっぴりわけてあげようかと考えた。

 いずれも手に触れることはできなかったが、普段見ることができない光景を見ることができて、とても面白かった。背中で両手を繋ぎ、鼻唄をうたいながらケミルは小屋の外にでた。そして、目に飛び込んでくるのはやはり、あの「扉」だった。

 ケミルはこの霊体であれば、あの扉を通り抜けることができるのかもしれないと思った。ところが、ケミルが扉に向って歩き、いざ木の扉を通り抜けようとすると、まるで固い石の壁にぶつかったように霊体が阻まれたのだ。ケミルは驚いて何度か扉を通り抜けようとしたが、いくらやっても無駄だった。扉は通り抜けられなかった。

 ケミルは疲れたわけではなかったが、地面に座り込んでしまった。

 目の前の扉はやはり、普通の扉ではないのかもしれない。透けた半透明の両手を見て、ケミルはとてもがっかりした。いくら霊体でも、ケミル自身にはこの扉を通るほどの力はないのだ。――なぜ魔術師になどなってしまったのだろうか。扉の守り人になってしまったのだろうか。このような悔しい思いをするぐらいならば、村人として生き、妻を娶り子を成した方がずっと幸せだったのではないだろうか。ケミルは過ぎ去った四十四年の歳月を悔やみ、顔を両手で覆った。


《何をしている?》

 突如、聞きなれない低い女の声が上から降ってきた。ケミルが顔をあげると、どこから現れたのか細身で長身の男のような身なりをした人物が立っていた。やや長めの黒い髪は両耳を隠し、紺色のチュニックと長い脚にぴったりの黒いズボンを穿いていた。腰には鳶色(とびいろ)の革の(さや)に収まった剣を腰に携えていた。この人物は若い剣士のようだが、どことなく不思議な雰囲気を漂わせていた。

 無言のままつりあがった黒い瞳がケミルを見つめていた。ケミルは何か言わなくてはと口をぱくぱくと動かしたが、久しぶりに若い人間と出会ったのだからと気の利いたことを言わなければならないと焦った。だが、目の前の剣士はケミルの心を見透かしたように言った。

《堅苦しい挨拶はいい。私はルーシェ・エルオセム・プレイエムオット、狩人(かりゅうど)だ。ルーシェと呼べ。お前の名はケミル・アルヴェン。どちらが名だ?》

 はきはきと歯切れよく話す剣士の声はやはり女のものだった。男装でもしているのだろうかと思いながらケミルはぼんやりと言った。

《ケミルです……》

 ケミルは答えた後になってから、ふと名乗っただろうかと考えた。そうすると、ケミルがただ口に出さずに心の中で思ったことをルーシェという女剣士が答えのだ。

《名乗る必要はない。どちらが名か確認しただけだ。これまで守り人と話を交わすことはなかった》

《守り人……》

 ケミルはルーシェがケミルを扉の守り人だと知っているのだと思い少し嬉しくなった。兄弟弟子やその弟子たち以外で、ケミルが守り人だと知っている人はいないからだ。

《えぇ、私は守り人です。四十四年間、私はずっとこの扉を守ってきました。あなたは狩人ですか。狩人とは何ですか?私は何も知らない……。知らされていない。一体、私は何の為にここにいるのでしょう……》

 ルーシェは軽く鼻で笑った。

《歳月とは恐ろしいものだ。継承される度に途切れてしまうようだな。狩人が何者か、守り人が何者かは後で知らされるだろう。私は呼ばれた以上は扉を通らなければならない。はやく身体に戻ってこい。その姿ではなんら役には立たない》

 ケミルは頷いて慌てて立ちあがった。

 ルーシェという女剣士はケミルよりも随分と年下だろうし、乱暴な物言いだというのにケミルはなぜか逆らえずにいた。女剣士の纏う雰囲気に圧倒されていたというよりも、彼女が見た目よりもずっと長く生きているような気がしたからだ。

 ケミルは小屋の戸口で眠り込んでいる身体の方へ近づいたが、触れようと手を伸ばしたり、上に立って身体の中に入り込もうとしてもケミルは霊体のままだった。

 困り果ててルーシェを見ると、ルーシェは自身の胸元に手を当てて軽く胸元を叩いた。ケミルは何のことかわからなかったのだが、ルーシェが同じ仕草を繰り返したので、ケミルも同じように自身の胸元を軽くたたいた。すると、すぅと息を吸い込んだように身体の中に霊体が戻り、ぱちりと目を開いたケミルは戸口に座り込んでいた。

「あぁ、これが戻る方法なのか」と独り言を呟き、ルーシェにお礼を言おうとすると、先ほどまでルーシェがいた場所には誰の姿もなかった。

 どういうことだろうかと立ちあがろうとしたが、身体がわずかに軋んで痛んだ。霊体ではまったく痛みも感じなかったというのに、肉体に戻った途端にこれだ。

 すべて夢だったのではないかと疑いはじめた。だが、次の瞬間、四十四年間守ってきた木の扉が軋む音を鳴らしながら開き、声が聞こえてきた。

《何をしている?はやく通れ。すぐに閉まる》

 姿は見えなかったが、ルーシェの声だった。夢ではなかったようだ。ケミルは慌てて開かれた扉の方へ急いだ。

 数十センチしか開いていない扉に身体を滑り込ませ、再び扉が開いたとき、ケミルは暗闇の中にいた。洞窟の奥から容赦なく吹きつけてくる冷たい風にケミルの身体は堪えきれず、ぶるぶると鳥肌がたった。せめて上着をもう一・二枚欲しかった。こんなに震えながらこの先に行けるのだろうかとケミルは不安に思った。

《心配することはない。少し先に行けば洞窟を抜ける。寒さも何も感じなくなるだろう》

「洞窟を抜ける?」











おかげさまで初の記念小説集になります。

渡世の扉と書いて「トセ」の扉です。


短編から中編の小説が主になるかと。(たまに長編も……)

「灼熱の銀の球体」のスピンオフではなく、部分的に関連のある小説ですので、本編を読まなくとも読める内容になっています。

ただ、どちらも読んでいただければいいなと思っております。


もしよろしければ、応援・感想等いただければより頑張れます。

お優しい言葉だと尚嬉しいです。

それではまた次回よろしくお願いします。


2020.12.6


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