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記憶にない恋人は覚えのない過去を語る  作者: 羽田宇佐
記憶の欠片-雪降る夜-
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 狭くも広くもない部屋は、目が痛くなるほどの白で塗り潰されている。家具は、落ち着かない空間を埋めるほどの数はない。机と椅子が一組とソファー、窓際にベッドが置かれている。

 必要最小限の家具の中、淡藤(あわふじ)はソファーにだらりと座ったまま小さな窓を見た。


「外、雪降ってる」


 窓ガラスの向こうでは、暗闇に穴をあけるように白いものが舞っている。


「やっぱり。今日、すごく寒いもん」


 菖蒲(あやめ)がしみじみと言って、隣に座る淡藤に肩を寄せる。赤みがかった紫色――名前と同じ菖蒲色の長い髪が淡藤に触れて、甘い香りが漂う。同じシャンプーを使っているとは思えないほど強い花の匂いに酔ってしまいそうになって、淡藤は菖蒲を押し返した。


「暑いから」


 互いの部屋で長い時間を過ごすようになってから菖蒲は遠慮がなくなり、躊躇いなく距離を詰め、触れてくる。淡藤にとってそれは、居心地の悪さと心地の良さを同時に連れてくる行為だった。


「寒いよ」


 菖蒲が穏やかに笑う。


「外は寒いけど、部屋の中は暖かいでしょ」

「そんなことないと思うけど」

「ある」


 淡藤が力強く返事をすると、菖蒲が「残念」とさして残念だとは思っていないような口調で言った。


「……菖蒲。今日の試験、成績どうだった?」


 一ヶ月に一度行われる能力テスト。

 塔に閉じ込められた能力者の大半が諦め、惰性で受けているそれが数時間前にあった。


「変わらない」


 菖蒲が素っ気なく答え、ソファーの背もたれに寄りかかる。


「二十歳超えたら、能力って伸びないんだよね?」

「そう言われてる」


 淡藤は、菖蒲の答えにため息をつく。


 何万人か、何十万人に一人かは知らないが、“超能力”と呼ばれる力を持つ者が稀に生まれる。淡藤も菖蒲もその一人で、能力訓練という名の下に、一度入ると二度と出られないと言われているこの塔に集められていた。


「もう一年もない」


 淡藤が十九歳になってから、既に数ヶ月が過ぎている。同い年の菖蒲も同じように、二十歳まで一年もない。

 二度と出られないと言われているこの塔から、外へ出る方法。

 それが能力テストで優秀な成績を収めることだった。


 年齢を考えると、淡藤には猶予がない。

 塔から出るという希望を見る者は、新入りだけと言われている。淡藤はこの塔に来て約二年、新入りと呼ぶには時間が経ちすぎているが、望みを捨てきれない。


「能力なんて、そう簡単に伸びないでしょ。成績が悪くてもここを追い出されるわけじゃないし、このままでいいんじゃない?」

「そうだけど……」


 贅沢はできないが、衣食住は保障されている。

 お揃いの制服、お揃いのパジャマを着て、定期的に能力テストを受け、規則正しい生活をする。決まったこと、決められたこと以外にできることはそれほどないが、穏やかな暮らしが約束されていた。制限された自由さえ受け入れれば、この生活はそれほど悪いものではない。


 淡藤の視線は、雪がちらつく窓の外に囚われる。

 約二年の間、つまらない、酷く退屈な日々を過ごしてきた。そして、これからどれくらいかわからない時間をそうして過ごしていくことになる。


「髪、伸ばしたら? 霊力が宿りやすいって。能力も上がるかも」


 並んで座ったソファーの上で、菖蒲が淡藤の髪を柔らかく撫でた。


「……伸ばそうかな」

「その長さ、似合ってるよ」


 そう言って、菖蒲がくしゃくしゃと淡藤の長くもなく、短くもない髪を乱す。


「伸ばしたらって言ったの、菖蒲でしょ」


 菖蒲が「そうだけど」とくすくすと笑いながら、淡藤の目を冷たい手で覆った。ひやりとした手のひらに遮られた視界は、淡藤を世界から隔離する。見えそうで見えない薄闇に引きずり込まれ、全てを見失いそうになる。


「……外、行きたいの?」


 ぽつんと投げ出された言葉に「別に」と返して、淡藤は菖蒲によって失われた視覚を取り戻す。


「ねえ、淡藤。すごい力を持ってる人なんて、一部の人だけだよ。それに、そういう人たちって、子どもの頃から力が使えた人がほとんどでしょ。ある程度の年齢になって能力が発現した人で、力が強くなった人なんてほとんどいない」

「わかってる。ただ、羨ましいなって」


 淡藤は立ち上がり、菖蒲に背を向ける。数歩歩いて、壁際に置かれた机の上から、陶器でできた茶トラの猫を手に取った。淡藤は、菖蒲の部屋にある数少ない余計なものであるそれを手のひらにのせる。


 ここに来てから、窓から見える鳥以外に動物を見ていない。

 家では、猫を飼っていた。淡藤は、もう会うこともない猫を思い出す。懐かしさとともに置物の頭を撫でると、にゃあ、と鳴きそうな気がした。


「あたしはこのままでいいけど。淡藤と一緒にいられるし。能力が高くなったら、別々になっちゃう。淡藤は、そっちの方がいい?」

「そりゃあ、菖蒲と一緒にいたいけど」


 塔から出たいという思いはあるが、持て余していた時間に意味を与えてくれた菖蒲の側から離れたくないという気持ちも嘘ではない。淡藤は、できることなら菖蒲とともにこの塔から出たいと思っている。だが、それは叶わぬ望みだとも知っていた。


「じゃあ、このままでいいじゃない」


 淡藤よりも早く塔の住人となった菖蒲は、いつも現状維持を選ぶ。今日も、昨日も、一週間前も。そして、それよりもずっと前から。意見が一致することがない。


 淡藤は、手の中で猫の置物を弄ぶ。けれど、すぐに猫は奪われ、あるべき場所に戻される。抗議の代わりに、淡藤は菖蒲のふわふわの髪に指を絡めた。


 優しげな目によく似合う菖蒲色の髪は、この塔の中で許されている数少ない自由だ。淡藤は綺麗に染められ、手入れの行き届いた髪に唇で触れる。


「髪、結ばないの?」


 淡藤は、菖蒲に初めて会った日を思い出す。彼女は、赤みがかった紫色の髪を紺色のリボンで結んでいた。


「結ばない。特別な時だけ」

「だから、時々しか結ばないんだ」


 菖蒲のリボンは、出番が少ない。だが、記憶に残る場面でその姿を見せていた。


「淡藤」


 柔らかな声で名前を呼ばれ、顔を上げると菖蒲と目が合う。


 可愛いというよりは、綺麗という言葉がしっくりとくる菖蒲は、同い年のはずなのに三つか、四つほど年上に見える。大人びて、落ち着いて、小さな世界に反抗するつもりもない。自分とは重なることがない菖蒲だからこそ、淡藤は彼女に惹かれた。


 白く、長い指が伸びてきて、紺色のパジャマの上から胸に触れる。菖蒲の手のひらが押し当てられ、ぴたりとくっつく。触れ合っている部分がじんわりと温かくなり、頭の中に言葉が流れ込んでくる。


『好き』


 菖蒲の短くて、わかりやすい一言と感情が淡藤の意識を支配する。


「しゃべれば良いのに」

「この方が気持ちが伝わるでしょ」


 囁くように菖蒲が言って、淡藤の耳に触れた。なぞるように耳の形を辿って、指が頬に添えられる。端正な顔がゆっくりと近づき、唇を奪われる。軽く触れるだけのキスを何度か交わす。


 指先は頬から首筋に下りていき、淡藤はベッドへ押し倒される。

 人を落ち着かせようという気持ちがない白い天井が見えて、淡藤は菖蒲の肩を掴んだ。


「菖蒲。今日は私が」

「わかった」


 朝の挨拶よりも気軽な調子で言葉が返されるが、淡藤の視界が変わることはなかった。そう柔らかくもないベッドの上、パジャマのボタンがすべて外され、藤花は菖蒲に文句をぶつける。


「わかってないでしょ」

「後から、ね?」


 優しいけれど引くつもりがない声が聞こえ、誤魔化すように頬に唇が押し当てられる。


「じゃあ、電気消して」

「消さない」


 淡藤は、聞き分けの良い菖蒲が昼の生活では見せることのない我が儘をはねつけることができない。菖蒲の提案を受け入れ、唇にキスをする。


「淡藤」


 心地の良い声が聞こえ、体温が上がる。淡藤は、自分の意識を奪っていく菖蒲の背中に手を回した。

※後半部分の描写をある程度自主規制した小説家になろう版です。オリジナル版は、カクヨムに掲載しています。

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