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 目覚ましはドアを叩く音だった。

 藤花は欠伸を一つして、体を起こす。

 時計を見れば午前九時前で、カーテンの隙間から入り込んでくる光はすでに夏の温度を持っていた。


「眠い」


 藤花は小さく呟く。

 SNSを通じて多少のやりとりをしていたとは言え、初対面の人間二人と会った疲れからか、夢も見ずにぐっすりと眠った。ドアから聞こえてくる音がなければ、昼過ぎまで目を覚ますことはなかっただろう。


 藤花が小さく伸びをしてのろのろとベッドから降りると、ドアの外から柚葉の声が聞こえてくる。


「おねーちゃーん、おーきーてー!」


 ドンドンとドアを叩く音が響く。


「うるさい。今、開ける」


 ドアに向かって声をかける。しかし、ドアを叩く音は止まず、ドンドンという音にかぶせるように「早く」という言葉が部屋の中に飛び込んでくる。半分眠っているような状態の脳みそを揺り動かすような音に耐えかねて、藤花は急いでドアを開けた。


「服、貸して」


 柚葉がドアを開けきる前に部屋の中に滑り込み、クローゼットを開けながら言う。


「まだいいって言ってない」

「そんなこと言いながら、貸してくれるくせに」


 遠慮のない声に、藤花は眉根を寄せる。

 実際、藤花が今まで服を貸さなかったことはない。それを知っているからこそ、柚葉はまるで自分の部屋のようにクローゼットの中を漁っている。そして、藤花もそれを本気で止めようとは思っていなかった。


 柚葉が数枚の服を手にして、振り返る。


「どれがいいと思う?」


 ベッドに腰掛けた藤花は間髪入れずに、柚葉の左手を指さす。


「それ以外ならどれでもいいよ」

「なんで? これ、私に似合わない?」

「似合う似合わないじゃなくて、それ買ってからまだ一回しか着てないからだめ」


 柚葉の左手にあるロングスカートは去年買ったもので、新品ではない。しかし、一度しか着ていないものを貸したいとは思えなかった。


「ええー、いいじゃん。スカートなんて滅多に履かないでしょ」

「履かないけど履くこともあるから買ってあるの」

「えー」


 左手のスカートを気に入っていたようで不満げな声が聞こえたが、柚葉の体はすぐにクローゼットの方を向く。そして、これでもないあれでもないと洋服を引っ張り出しては片付け、最終的にニットのキャミソールとブラウスを片手に尋ねてくる。


「これ借りてもいい?」

「良いけど汚さないでよ」

「大丈夫、大丈夫」


 柚葉が本当に大丈夫なのか疑いたくなるほど軽い口調で言う。

 子どもの頃から適当な妹だったと振り返り、藤花は柚葉が超能力に入れ込んでいた過去を思い出す。


「柚葉。あんた、超能力の本持ってなかったっけ」

「超能力?」

「そう。なんか訓練する本みたいなの」


 超能力を使う藤花を誰もが憧れの目で見ていた昔、柚葉も同じ力が欲しいと言って本を買ってきた記憶がある。この本を見て訓練すれば超能力が使えるようになると、胸を張っていた。


「あー、子どもの頃に買ったヤツ?」


 柚葉の記憶にも本のことが残っていたらしく、「懐かしい」と呟く。


「そうそう」

「超能力使いたくて買ったの覚えてる。でも、もう捨てたよ。なに、超能力の訓練でもするの?」

「そういうわけじゃないけど、思い出したからさ」


 藤花の頭には、昨日聞いた黒紅の言葉があった。本当に『努力すればそれなりに能力を使える』ようになるのかはわからない。だが、前世と繋がっている超能力という力を伸ばすことで何かが起こればという期待があった。


 しかし、そんなことを柚葉に告げるわけにもいかず、藤花は曖昧に笑って立ち上がる。


「今日、出かけるの?」

「午後からね。じゃあ、これ借りてくから。あと、超能力使えるようになったら見せて」


 からかうように言って、柚葉がドアを開ける。藤花は「はいはい」と相づちを打ってからその背中を押す。そして、柚葉の姿が自室に消えたことを確認するとドアを閉めた。


 藤花は、机の上に転がっているボールペンを見る。

 近寄って、手をかざす。

 意識を集中して「浮け」と念じる。


 視線で縛るようにボールペンを見ると、ゆっくりと浮き上がった。

 二秒か、三秒。

 ふわりと浮いていたボールペンが机の上に落ちる。


 こうして力を使い続けていれば、浮かすものがボールペンからマジックになり、マジックからリモコンになり、リモコンからスマートフォンになる日が来るのだろうか。

 そして、いつかは人間のように重く大きな物を浮かすことができるようになる日が来るのだろうか。


 藤花は転がったボールペンを指の上で回し、ペン立てに戻す。


 超能力が疎ましい能力になってから、意識して使わないようにしてきた。しかし、今は能力を強化することに興味がある。黒紅の言葉を信じたわけではないが、能力を使う練習くらいはしても良いだろうと思い始めている。


 もしかしたら、菖子も同じように練習をしているかもしれない。

 そんなことを考えて、藤花は小さく息を吐き出した。


 眠る前に、頭の奥に放り込んで蓋をした記憶が蘇る。

 昨日の別れ際、菖子にたいした理由もなくキスをした。


 相手が恋人ならば、キスをすることに理由はいらない。

 だが、藤花にとって菖子は不明瞭な存在だ。及川菖子という人間に興味があって、彼女の行動や言葉に感情が乱される。それは恋愛感情に近い何かなのかもしれないが、それが川上藤花のものだという自信がない。相変わらず、淡藤に振り回されているだけのような気がする。


 そもそも、菖子に対する想いはまだ恋愛感情ではないはずだ。

 にもかかわらず、何故キスをしてしまったのか。


 藤花は、後悔と言っていい感情に支配される。振り返って考えてみれば、辺りに人気がなかったとは言え、誰かに見られてもおかしくはない場所だった。藤花は、そんな場所で菖子に触れるべきではなかったとやり直すことができない過去にため息をつく。


 制御できない感情ほど厄介なものはない。


 藤花はベッドに寝転び、気持ちを落ち着かせるように目を閉じた。しかし、静寂は長くは続かない。枕元に置いてあったスマートフォンがメッセージの着信を知らせる軽快な音を鳴らし、藤花は騒音のもとを掴む。画面を確認すると、菖子からのメッセージが表示されていた。


『昨日は連れて行ってくれてありがとう。夢は見た?』


 問いかけに、見ていないと打ち込む。すると、すぐに『休み中、また会える?』と送られてきた。


 スケジュールを考えれば、答えは「会える」になる。

 しかし、感情を考慮すると「会えない」になる。


 菖子に会う時間が増えれば増えるほど、藤花の気持ちは彼女の感情に引き寄せられていく。菖子に引きずられるように感情が動き、行動していることを考えると、次も彼女に触れずにはいられない気がする。


 藤花はスマートフォンを放り出し、クローゼットの中から騒がしい妹が手にしていたロングスカートを引っ張り出す。


 柚葉に貸さなかったのは、買ってから一度しか着ていないからだけではない。菖子のことが頭に浮かんだことも、理由の一つだ。

 次に会うときに着ていったらどうか。

 まるでデートに行く予定でもあるように考えた。


「菖子はそういうのじゃないし」


 自分に言い聞かせるように呟いて、藤花はスカートを床に落とした。


 黒紅のように、超能力を自分のために使い、他人も自分のために使って楽しく生きればもっと楽になれるはずだ。黒紅が動画を配信することで人気を得ているように、特別な何かにだってなれるだろう。だが、彼のように生きることは藤花にとって酷く難しいことに思える。


 藤花は、スマートフォンを手に取る。少し迷ってから菖子に「会えそうだったら連絡する」と送ると、部屋を出た。

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