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記憶にない恋人は覚えのない過去を語る  作者: 羽田宇佐
制服と共有するいくつかの運命
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 前世のことで聞きたいことがある。

 藤花が送った用件だけを伝えるメッセージには、すぐに返事が来た。


『会って話したい』


 ストレートな要求に「いいよ」と答えた結果、藤花の部屋には菖子がいる。前回、菖子と会ったファミリーレストランで待ち合わせをしようとしたものの、期末テスト期間中に寄り道をしているところが見つかれば何を言われるかわからないと押し切られた。


 藤花は聞きたいことがあるとは言ったが、それはテストを押しのけてまで済ませたいような急ぎの用事ではない。学生である菖子は、テストを優先するべきだ。そう伝えたのだが、菖子が藤花に関することで譲るわけがなかった。

 藤花は、小さなテーブルの向かい側に座る菖子を見る。


「真面目にやるんじゃなかったの?」


 夏の太陽が暑苦しい昼下がり、ファミリーレストランで会った夜に菖子と電話で交わした約束を持ち出す。


「話が終わったら、すぐに帰るから大丈夫」

「そういうことじゃないでしょ。テスト期間中、学校が早く終わるのって勉強するためだって知ってる?」


 強い口調で問いかけると、反省が感じられない声が聞こえてくる。


「藤花だってこういうとき、遊んだりしてたでしょ」

「真面目にやってたよ」

「嘘だ」


 考える様子も見せずに菖子が言い、氷が半分ほど溶けたアイスコーヒーを飲む。持ち上げられたグラスから水滴が落ち、机の上に小さな水溜まりを作った。


「……息抜きすることもあったけどさ」

「じゃあ、今日は息抜き」


 言い淀む藤花に、明るく菖子が答える。

 彼女の姿は、後ろめたさすら感じていないように見えた。藤花は自分が呼んだとはいえ、真面目とは言い難い彼女の態度に頭を抱えたくなる。


 高校生だった頃の自分は、もう少し真剣に勉強していたはずだ。

 過去を振り返り、高校時代を辿っていく。テストというものにあまり良い思い出はない。学生時代を懐かしむ気持ちはあっても、藤花は戻りたいとは思えなかった。


「期末テスト、いつまで?」


 早くテストが終わればいい。

 学生時代そんなことばかり考えていた藤花は、菖子も同じことを考えているのだろうかと思いながら尋ねる。だが、返ってきた答えは予想もしないものだった。


「もう終わってる」

「え、終わったの? じゃあ、なんでこんなに早くここに来られたの?」

「午後の授業、サボった。早く藤花に会いたかったから」


 挨拶をするような気軽さで罪を告白する菖子に、この部屋が選ばれた理由を知る。午後の授業を受けずに下校したなら、ファミリーレストランや菖子の家で会うというわけにはいかないだろう。


 藤花はもとより、高校生の家を訪ねるつもりはなかった。八つも下の女の子の家へ行くよりは、自分の家へ招いた方が幾分かまともに思えたからだ。しかし、授業を受けず帰ってきた高校生を部屋に入れるというのは世間体が良いとは言えない。


「菖子、ちゃんと学校行くって約束はどうなったの」

「真面目に行ってたし、勉強してた。でも、薬が切れちゃったから補充に来た」

「薬って?」

「藤花だよ。真面目にやるかわりに藤花に会いたいって言ったでしょ」


 そう言うと、菖子が小さなテーブルの脇をするりと抜けて藤花に近づく。


 嫌な予感がする。


 藤花は、菖子がやってきた方向とは逆方向に体を動かす。だが、すぐに菖子の手が肩に触れる。強く押された藤花は倒れまいと床に手をつくが、体を支えきれない。崩れるように菖子に押し倒され、背中が冷たい床に落ちる。視界が菖蒲色の髪と整った顔に奪われてしまう。


 菖子が断りもなく、藤花の首筋に触れる。

 ゆるりと指先が降りて、Tシャツの上から鎖骨を撫でた。


「私たち、こういう仲じゃないでしょ」


 氷よりも冷たく言って、藤花は菖子の手を払いのける。

 しかし、菖子はあきらめなかった。


「じゃあ、これからこういう仲になろうよ」


 払い除けたはずの手がTシャツの裾をまくり上げ、中に入り込む。菖子の体温が脇腹から流れ込み、藤花は慌てて体に触れる手を薄い布ごと押さえつけた。


「随分と慣れてるけど、誰にでもこういうことしてるの?」

「まさか。藤花が初めてだよ」


 表情を変えずに菖子が言う。

 同性から、友情を超えた感情を持って触れられたことは今までなかった。そんなことが起こる日がくることも考えたことがなかった。しかし、今、菖子に触れられることに対して、戸惑いはあっても嫌悪感はない。むしろ、触れられるという行為に心地よさを感じてそれが怖かった。


 前世という繋がりがこの心地の良さを生んでいるのなら、自分という人間からその感情を切り離すべきだと藤花は思う。淡藤が生み出した感情は、自分のものではない。菖子が持つ藤花への感情も、菖蒲が見せるまやかしのようなものに違いないだろう。


「大丈夫。淡藤が好きだったところ、全部覚えてるから」


 Tシャツ越しに捕まえた菖子の手が、体を探ろうとする。藤花は、薄い布ごと菖子の手をさらに強く掴んでその動きを止めた。


 吐き出す息が混じり合う距離。


 花のような髪色とは対照的な白い肌がよく見えた。

 藤花は心臓の音さえも聞こえてしまいそうな気がして、息を潜める。


「ここ、好きだった。藤花も同じ?」


 手を動かすのは諦めたのか、耳に菖子の唇が触れる。

 体が反応しかけて、Tシャツの下にある菖子の手を思わず離す。ゆるりと薄い布の下で指先が動き、藤花は別の人間であるはずの淡藤と自分を混同しそうになる。


 太陽に支配された世界から隔離された部屋は涼しいはずなのに、体が熱い。藤花は体と気持ちが菖子と淡藤に浸食されていくことに耐えきれず、目の前の少女に強く訴える。


「菖子、いい加減にして。これ以上は冗談にならない」


 そう言うと、藤花はこれ以上ないくらい力を入れて菖子の肩を押した。


「冗談じゃないんだけど」

「本気で怒るよ」


 このまま流されたくはない。

 藤花は押し倒された体を無理矢理起こすと、菖子をにらみ付ける。

 少女は名残惜しそうに藤花から離れ、ベッドに背を預けるようにして隣に座り込んだ。ラベンダーよりも淡い青紫のシーツに、菖蒲色の髪が触れる。


「ごめん」


 珍しく沈んだ声で菖子が短く謝罪する。

 人目を引く端正な顔が下を向く。


「藤花って、誰かと付き合ったことある?」


 静かに問いかけられ、藤花は同じように静かに答える。


「あるよ」

「あるなら、キスくらいしてもいいよね?」


 菖子が顔を上げる。

 射るような瞳が藤花に向けられ、白い手が頬に着地する。

 指先は先ほどよりも冷たかった。


「よくない」


 藤花は、顔が近づくよりも先に宣言する。


「こんなことするために呼んだんじゃないから。聞きたいことがあるって言ったでしょ」


 藤花がわざわざ部屋に高校生を招き入れたのは、前世のことを尋ねるためだ。菖子がするべきことは前世について語ることであって、体の関係を結ぶことでもキスをすることでもない。

 藤花は立ち上がり、菖子の向かい側に座り直す。アイスコーヒーの置き場所を入れ替え、綺麗にセーラー服を着た少女を見る。


「じゃあ、その聞きたいことって?」


 菖子が少しばかり不機嫌に言った。

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