四六.『装置』の是非
結局、部屋に一人も残っていないのはまずいということで、アントニスが部屋に残ることとなった。
アントニスもレオニダスも渋っていたが、ネストル王子と健一郎が「実際に行って見てきた方がスッキリする」と力説するし、「ヌタンスの名にかけてちゃんとおふたりをおくりとどけますの!」とヌタンス王女が宣言したので、引き下がざるを得なかった。
「あいずをするまで、お口をひらかないでほしいですの」
ネストル王子と健一郎は頷き、先を進むヌタンス王女を無言で追いかけた。
身長130cmくらいのヌタンス王女は小走りで廊下を進むと、幾度も壁に手を当てなにか唱える。しかしその壁が開くわけでもなく、王女はさらに右に左にと何度も折れて進んで行く。けっこうな距離を進んだはずなのに誰ともすれ違わない。
窓の外には偽物の星空。城内にともされたゆらめく灯りに、廊下と壁に伸びた3人の影が伸びたり縮んだりする様子は、まるで3人を追いかけてきた追手のようだ。メラン王国での城しか知らない健一郎にとっては、薄暗いのもあいまって不気味に感じた。
メラン城では異世界生物を警戒してだろうが、あちこちに兵士が立っていたし、警邏も多かった。メラン王国民は仲も良く、警備兵や傭兵隊たちの情報交換も頻繁に行われていて、いつでもどこからか笑い声や気の置けない会話が聞こえてきたものだった。
(お城ってこれが普通なのか?)
(いいえ。侍女や警邏の姿も見えないのは妙です。ヌタンス王女がうまく侍女をまいたり、警邏の巡回を避けたりしているのかもしれませんが、それにしても人気がなさすぎます。壁になにか術式を仕掛けてあるのでしょう。どのような術かまではわかりませんが、目くらましや隠し通路のようなものかと推測します)
健一郎の不安を感じ取ったのか、ネストル王子自身も不安を感じていたからか、ネストル王子は丁寧に説明してくれた。
やがて階段に出た。非常用階段のように狭く、何度も踊り場で折れ曲がる。ヌタンス王女は健一郎たちの客室があった上階からどんどん下りていく。
まだ下りるのかとうんざりしてきたところで唐突に階段が終わった。行き止まりの壁にヌタンス王女が手をつきなにやら唱えると、今度こそ壁が開いた。
(え?)
(術式?)
そこは細い入り口からは想像できないほど広々としたホールだった。巨大な体育館くらい広い。ただ天井は健一郎の頭がすってしまいそうなほど低い。
床に大きく模様が描いてある。模様は全体を円で囲われているように見える。
ネストル王子から「すごいです! これほど精密な術式は初めて見ます。あぁ、どうなっているのか早くじっくり見たいです!」と興奮冷めやらぬ伝心が切れ目無く届くので、健一郎はちょっと困った。
「もう、はなしてもだいじょうぶですの」
階段へ続いていた壁を閉じてからヌタンス王女が言った。
「あ、ああ。これが装置なのか?」
「そうですの」
「そばに行って見ても良いでしょうか?」
「さわったり、けしたり、うごかしたりしないとやくそくできますの?」
「我が名にかけて厳守します!」
「約束する」
キラキラした目でネストル王子は端から舐めるように見ていく途中で、思い出したように鞄から筆記具を取り出すと書きとめ始めた。ヌタンス王女は止めなかったのでメモするのはOKらしい。
本当にこれが『装置』なのか? 全然『装置』って感じじゃないんだけど装置なんだろうなぁ。
健一郎はメカメカしいものを想像していただけに、出てきたのが巨大な術式で拍子抜けしていた。
たしかにこの世界では術式が使われているんだろうけど、それにしても術式だけで水の管理ができるものなのか? その水すら見当たらないのに。
浄水場にしても下水処理場にしても、この世界全体の水を扱うのなら、もっと広さがいると健一郎は思っていた。このホール全体に描かれた術式は確かに大きい。でも、もっと大きな、例えばアルノルディ王国全土を使ったくらいの広さがあってもおかしくないんじゃないのか?
まぁでも、この大きさで処理できるあたりが優秀な術式、『装置』ってことなのかな。どれだけ優秀なのか見せてもらおうか。
うっとりするネストル王子とは逆に、あら探しするような気持ちで健一郎は術式を見始めた。
術式に使われている言語は一文字で漢字のように複数の意味を持つ古代語で、この世界の現代語の読み書きもあやしい健一郎には読めないし書けない。
でも、すでに習って使用したことのある術の古代語は、文字というよりも絵として覚えている。
「ん?」
巨大な術式の中に見覚えのある文字を見つけて健一郎は足を止めた。
「中に入っても大丈夫か?」
「文字や円をふまないようにきをつければだいじょうぶですの」
ひょいひょいと線を避けながら、健一郎は中心の方へと移動する。
あれは間違いなく『浄化』の古代語だよな。ならどこかに『飲水』もあるのか? 冷静に考えれば、異世界術で出す『飲水』ってどこから持って来てるんだって話だよな。どこかにある大量の水から必要量を転移させているのか?
「んん?」
なにやら見覚えのある文字だけど、どこで見たっけ? あの隣のも、さらに隣のも、というかこの文字の並びに見覚えがある。なんとなく鳥の形に見えるなって思ったんだ。でも、こんな術式どこで見る機会が……。
「あ」
そうだ。これは術本の白紙のはずのページに載ってた模様だ!
健一郎はメラン王国でもらった『一人前の証』である術本を鞄に入れていたのを思い出し、取り出して問題のページを開くと注意深く見比べた。
同じだった。
巨大な術式の中心部と、術本の地図と重なるように挟まっていた模様はほとんど同じだった。
違うのは二カ所だけ。巨大な術式にはなにやら書いてあるが、術本では空白になっている場所がひとつ。もうひとつは書かれている文字自体が違っている。
どういうことだ? 術本に描かれているのは個人的に水を巡回させる術式なのか? 試してみたいけれど今すぐここでは無理だ。とにかく今は違う部分だけ書き写そう。
(ネス、どこまで書いた?)
(外側から書いているのですが、まだ一周も書き終わっていません)
(俺は内側を書くから、外側2周を頼んでいいか?)
(喜んで)
会話が終了してからも、ネストル王子から、うきうきとした様子がヘッドセットを通して伝わってくる。楽しそうでなによりだ。健一郎も間違わないように丁寧に書き写していった。
量的には健一郎の方がずいぶん少なかったけれども、古代語に慣れているネストル王子とほぼ同時に書き終わった。
(ケン、しばらく王女との会話をわたしだけに任せてください)
(わかった)
「なおせそうですの?」
ネストル王子と健一郎が一段落するまでおとなしく待っていたヌタンス王女は、鞄に筆記具をしまった2人を見てこてりと小首をかしげた。
「そうですね。ヌタンス王女はどうして装置が壊れていると思ったのか、教えていただけますか?」
「そ、それは、雨がふらないから」
「雨がふらないとどうして困るのですか?」
「みんながうごかなくなるから」
「みんなとは誰ですか?」
「みんなは」
「ヌタンス!」
いつかのようにヘリアン王子が壁を消してホールに入ってきた。
「お兄さま……」
「部屋に戻りなさい。お前はまだここに来てはいけない」
「でも」
「私から話す。お前はもう寝る時間だ」
「……わかりました。でも、わたし、おやくそくしたので、おへやまでおおくりしないとですの」
「ヌタンス、安易に約束してはいけないよ」
「はい、ですの」
ヘリアン王子から話が聞けるのならと、ネストル王子と健一郎は素直に部屋に送られたものの、「今日はもう遅いですから、詳しい話は明日にしましょう」と説明は持ち越されることになった。
ヌタンス王女が申し訳なさそうにしていたので、安心させるべく年長者である2人は「また明日」と笑顔を見せたが、もやもやは残る。
「なんというか、アルノルディらしいですね」
「らしいな」
「のらりくらりとしているところがな」
戻った2人の元に集まったユニとアントニスとレオニダスが、話を聞き終わると苦笑した。
「結局のところ、あの術式は『装置』だったのか?」
健一郎は書き写すだけで精一杯だったので、意味まではわからなかった。
「あぁ、あの術式は『雨の装置』ではありません」
「え? ならなんでヌタンス王女はそんな術式を俺たちに見せたんだ? 大がかりな術式だから『装置』だと勘違いしてるのか?」
「わたしもそこが知りたいですね。ぱっと見た限りですが、術式自体が壊れている様子もありませんでしたし」
「あぁ、だから嫌なんだ」
「アルノルディだなぁ」
「いつも搦め手ですよね」
まぁもう遅いし、これ以上疲れた頭で考えても良い考えは浮かばないだろうということで、明日仕切り直すことになった。




