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ゆるやかな自殺  作者: 朝野欠月@文フリ東京11/22(日)
「そうだ、京都に行こう」
4/9

新幹線

 新幹線の中で昼食に駅弁を食べて、昼前に京都に着く予定だ。早速、前席の背もたれに付いているテーブルを開く。プラスチックの留め具を回すことにもワクワクした。これも初めての体験な気がした。思った以上に頑丈な作りになっている小さなテーブル。そこに先程駅で買った駅弁をゆっくり乗せる。お茶の入ったペットボトルを右上の凹みに入れて、用意完了。いただきます。蓋を開ける前に心の中でまず、一呼吸。蓋を開けると、艶やかなご飯が一口大の大きさになっていくつか詰まっている。あとは卵焼きや煮物、漬物など。Aが買ったのは幕の内弁当だった。他のおかずは名前がよくわからなかったが、きっと美味しいものに違いない。どのおかずもご飯と同様にキラキラ輝いていた。

 ニコニコしながらまずはご飯を一口。食べてみると冷めていて硬い。それは弁当だから当たり前なのだが、冷めていて硬いことが美味しいのだ。噛み応えがあって、ご飯だけで食べられそうなぐらいだ。Aにとって「冷めていて硬いご飯」など別に特別ではないし、寧ろそれが普通だと思っていた。ご飯は炊き立ての温かい方が美味しいのかもしれないと初めて考えたのは、一人暮らしをして始めて自分の炊飯器で米を炊いたときだ。それから大分経ち、慌ただしい毎日の中で米の美味しさなんて考えなくなってしまっていた。

 おかずも全て美味しい。この煮物はどうやって作っているのだろう。お弁当のおかずは濃い目の味付けになっているとは聞いていたが、食べてみると確かに濃かった。でも濃いのに美味しくするのにはどうしているのだろう。また、自分の家でもこんな味を食べてみたいなあ。Aはそう思った。


 ゆっくり食べないと、もったいない。そう思ってちまちま駅弁を食べている時だった。

「お隣、いいかしら」

急に声を掛けられてびっくりした。びっくりして箸を落とした。だって、さっきまで自分一人しかいなくて、隣には誰もいないと思って没頭していたのに。そんなことされたら誰だってびっくりするでしょ。

 顔を駅弁から上げると、声の主は穏やかそうなお婆さんだった。動きやすそうな黒のパンツに秋らしい小豆色のパーカーで、リュックサックを背負っている。慌てて私は「すみません、どうぞ」と答えた。

「あらあら、驚かせてごめんなさいね」とお婆さん。私は申し訳なさと恥ずかしさでドキドキしていた。取り敢えず、落ち着こう。新幹線だし、一人旅と言っても隣に人が来ることなんてあるし。

「いえいえ、私がぼーっとしていただけなので」Aは笑って返した。

「でも、お箸、困ったわね」

 はっと気づいた。割り箸を落としたことも忘れていたのだ。ゆっくり駅弁を食べていたのが仇となった。弁当はほとんど食べられていない状態で放っておかれていた。

「床に落ちた箸ぐらい駅弁に付属していたお手拭で拭えば別にいいのでは」Aはそう思ったが、それを今実行するわけにはいかない。なんせ、隣には他人がいるのだ。普通の人は多分、そういうことはしないんだろう。これで隣に人が居なければ楽だったのに……。そう思っていても、すぐに返事はしなくては。

「そうですね~、困りましたけど何か代わりになるものを持っているかもしれないので」

明るくおどける様に答えて、自分のカバンの中をごそごそと探った。探すフリ半分、本当に探しているのが半分。困っていることは確かなのだ、折角の生まれて初めての駅弁だったのに。あとは、この探している短い時間でも何か良い考えが浮かばないかと必死に頭を回していた。

「ちょっと待っててね」

 お婆さんはふわっと立ち上がり何処かに行ってしまった。友達か家族から連絡があったとか、そういうのだろうか。居ない方が好都合なのだけど。だからと言って、この短い時間に床の箸を拾って拭いて、駅弁をかきこむことは出来ない。やろうかとも一瞬思ったが、食べている途中で帰ってきたら何を見られるかと思うと、やめた。

 パニックになっている。今の私はバカバカしい程焦っている。たかがこんな些細なことで、まだ目的地にも着いていない新幹線の車内で、何を一人で大事件にしているのだか。だから私は昔から――なんて言われるんだ。

「これ、使ってくださいな。あそこのお姉さんからもらってきたの」

 ビニール袋に入った新しい割り箸を目の前に差し出された。お婆さんの来た方向を見ると、車内販売のワゴンを押した女性が見える。ほっとしたと同時に、一人でパニックになっていた自分に恥ずかしくなる。そうか、新幹線ではこういう風にすればよかったのか……。

「すみません、ありがとうございます」私は苦笑いをして割り箸を受け取った。

「いいのよ、大したことじゃないしね。もともと私が驚かせたのが悪いし」

「そんなことはないですよ」

「そういえば、あなた一人旅?」

「はい」

「いいわねぇ、一人旅は初めて?」

「はい……」

一人旅というか旅行自体が初めてなのだけど。

「私はね、旅行が好きでしょっちゅう行くのよ。旦那と行く時もあるし、孫と行く時もあるし、友達と行くのも楽しいわ」

「へぇ、すごいですね、そんなに旅行行くなんて」Aは素直な憧れと尊敬と、そして羨ましさが混じった感情で、今一番嘘のない言葉を言った。

「でも今日は私も一人旅なのよ。最近、一人旅にハマっててね。いいわよね、誰の目も気にしないで、誰のことも気にしないで」

 お婆さんは優しく笑って言った。老眼鏡の奥で目じりの皺がぎゅっと集まる。カタカタカラカラと車内販売のワゴンが通り過ぎる音がした。


 その音で我に返る。何か目に映る景色がどんどん遠ざかって、ぼんやりしていた。何故? 何かあったの? 自答自問し始めた自分を遮る。

「そうですね」

笑ってお婆さんに返す。


 その後、お婆さんとは特に会話を交わした訳では無かった。お婆さんはイヤホンを耳に付けると、自分で持って来たガイドブックを読んでいた。私も、ガイドブックを見たり、窓の景色を眺めたりしていた。どうしでも、隣に他人が居る感覚はそわそわしたが、向こうが気にしていないのだ。最初の予定通り、私も自分の世界に没頭したい。

 カラカラカラ、と再びワゴンの音が近づいてきた。そうだ。買ってみたいものがあったのだ。

「すみません」

緊張を気づかれないように、勇気を出して呼び止める。

「あの、アイスってありますか」

「ありますよ」

販売員の女性は優しく答えてくれる。

 私は、「新幹線のアイス」を買ってみたかったのだ。買って、食べてみたかった。昔、子供の頃に読んだ本で、「新幹線のアイス」を食べるシーンがあった。そこで「新幹線のアイス」は硬いんだと知った。その特別感に憧れた。ずっと、ずっと昔、小学生の頃の記憶。

 隣のお婆さんの頭の上を越えて、アイスを受け取る。噂通り、開けなくても中がカチカチなのは手の感触からよくわかった。テーブルに乗せて蓋を開けて。

「アイス好きなのね」

最初に話したときから一言も話さなかったお婆さんが言った。

「え、はい」

私は焦って答える。

「すごくニコニコしてるんだもの。子供みたいに」


 アイスは本当に硬くて、プラスチックのスプーンでは太刀打ちできなかった。このまま無理矢理突き刺そうとしてもスプーンが壊れるだけなので、少し手で温めて溶かしてから食べた。夏に食べたアイスよりも濃いミルクの味が口の中いっぱいに広がって、喉を通って胃を冷やした。

 アイスを食べ終わって三十分後ぐらいに、ようやく京都に着いた。本当に、ようやくだ。たかが、三時間半程なのに、とても時間が掛かった気がする。

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