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第四章 4(前) 「後悔する者を、慰めよ」

「クルル、それ……」

「なんですの? 私の顔に何かついておりまして?」

 顔に何かついてるどころではない。髪が真っ白になり始め、それが伸びて長くなった。

 金髪が完全に白色に化けて、照り映えがなくなる。手入れされて整っていた髪の形も、醜い猛獣の体毛のように乱れたものになる。美麗な彼女にとって耐え難いほど、心が引き裂かれそうなほど。

 その頃合いに、クルルエリ自慢の美肌を覆い隠すよう、皮を突き破って次から次へと無数の白い体毛が生え出てくる。

 皮下から現れる痛覚と、ごわごわとしたおぞましい体毛の感覚に気づいたか、まず彼女は頬に手を当てる。生えてきた毛の感触を確かに認めたか、血の気が引いた顔をして、心なしか瞳にいま何も映ってないかのように霞んで見える。

 手の甲にも違和感を覚えたか、頬を触れていた掌を翻す。そこで彼女の疑惑は確信へと変わったようだ。

「……なんなんです、の?」

 クルルエリが手の甲に生してくる毛を左手でむしり取ろうとする。だが、左手もすでに白い毛で覆われつつあった。

「いや、嫌ですわ! どういうことなんですの! 私は……」

「クルル!」

「いやぁああああ――っ!」

 悲痛を感じさせながら、かろうじて人間らしさを失っていない叫び声をあげる。ツヴァイヘンダーを足下に落とし、毛という毛が生え出る肌を掻きむしり、必死の悪あがきを見せる。

「助けて、助けてくださいませ! アル!」

「クルル!」

 おそらく彼にもいかなる事態が起きたなどと理解できてはいまい。だが、彼は恐ろしく冷静でいられた。気丈なクルルエリを見ていられなかったから。

 アルナイトはすぐさまクルルエリのほうへと駆け寄り、彼女を抱きとめた。

 彼女も心の中では、彼のことを想っていたのだろう。強く抱きとめられても、抵抗の様子を見せない。むしろ、彼に身をゆだねて見つめる。必死に安心さを取り戻そうとしているのが目に見えていた。

 心がたとえ安らかになったとしても、彼女が畜生に様変わりした事実は変わらない。

「クルル……」

 喧嘩もあった二人、何やかんやあったちぐはぐな関係だったけれど、けっきょくはこうやっていたかった仲だったのかもしれない。

「アル、ごめんなさい……ごめんなさいですわ。私……」

「何も言うな、俺はお前を見捨ても殺しもしない。ただし、一生分の後悔だけはいまここでさせてやる」

 それは死ぬほど辛いかもしれない。けれど、それを乗り越えた後に、自分の心に希望が宿ることをアルナイトは信じていたから。

 切なくも、見るからにただ服を着ただけの獣同然の姿に、完全に成り果ててしまった。クルルエリは絶望の表情を見せる。

「私、どんな姿ですの?」

「お前はクルルエリだ、それ以外何者でもない」

 そして、アルナイトはクルルエリを強く抱きしめる。

 クルルエリの覆われた毛でわしゃっと音がして、それがクルルエリの絶望感を掻き立てたのを顔から推し量れた。

「私、元に戻れる、戻れますわよね?」

 アルナイトは答えられない、適当な推測など言えるはずもない。

「元に戻れなかったら、私……」

「心配するな、もし元に戻れなくても、俺がお前の毛並みを揃えて可愛がってやるから」

「バカ」

 アルナイトの冗談も、クルルエリの心にいまいち響かない様子。

 自分の言葉が彼女を落ち着かせられないことが、とても残念に思えてならず、彼は悲しそうな顔をする。

 涙が彼女の瞳に滲む。

「こんな身なりであっても、お前はとっても可愛いぞ、安心しろ」

「そんなこと言われましても、私……困りますわ」

 冗談ひとつひとつがクルルエリの心を乱すだけで、アルナイトは焦りを感じる。

「でも、嘘じゃないぜ」

「それでも……」

 クルルエリの身体を抱きとめたまま、アルナイトはクルルエリの顔を見つめる。

 そして。

 自然に引かれるままに、ふたつの唇が重なった。

 涙の一筋が彼女の頬を湿らせる。

 唇が離れ、アルナイトは次の言葉を用意していた。

「クルル、俺のことが好きか?」

 クルルエリにとって、それを答えることは禁断であるのかもしれない。アルナイトに酷なことと迷惑事を被ったが、完全なる孤独に立たされた彼女が親切心を見せた彼を嫌いなどとも言えるはずがないものの。好きだと言えば彼を不幸にすることもわかっていた。

 それでも彼女は彼の心に委ねたいと思ってしまっていたのだろう。

「こんなことをして、こんなことになってしまって、私がそんなことに答えるなんて、都合がよすぎますわ」

 そういう答えが返ってくることは、当然のように彼は予想していた。

「じゃあ、全部俺のせいにしろ。俺はお前が好きだ、俺がお前をさらった既成事実があるように、今後も俺はお前を家に返してやるものか」

「アル……」

 酷いことを言われてるはずなのに、なぜだか安心した顔になってしまうクルルエリ。

「俺はお前の心も身体も、全部奪ってやる。俺がそういう罪を全部受けとめてやるさ」

 しゃがみ込んで、二人して抱えあう。

 クルルエリの心臓と呼吸と肩が同時に揺れるのを感じる。

 アルナイトの心臓もクルルエリの心と通じ合うように共鳴する。

「俺は卑怯者だ。お前の状況を利用して、こうやってお前を俺のものにしようとしてる」

「私なんか、アルがもらっても……」

「値踏みなんかするな。自ら価値を下げる女は一番嫌いだ」

「ごめんなさい……」

 そして、クルルエリはアルナイトの胸に顔をつけ、泣き声と涙を隠すようにうずめた。

「気が済むまで泣け」

 止めどなく溢れ出る涙を受け止めながら、ときおりアルナイトは彼女の背中を撫でる。

(無駄なことを……)

 重々しく呟かれる声。

「誰だ!」

 独り歩み寄る影。クルルエリのように獣の姿をしているが、その体型をアルナイトはとっさに理解した。

「キュリエか?」

「……」

 ゆっくりと頷いた後、顔をあげて首を振る。

「もしくは、わしであると言うべきか」

 キュリエの姿形が明らかに男のものへと変貌を遂げる。

「ジン……」

 おのれ、と唸りながらクルルエリと一緒にアルナイトは立ち上がる。

「お前がどう慰めようが、この娘は助けられない」

 一生獣の姿のままだ……と言った。

「どういうことだ」

「残酷にもこの娘は魔王様に誓った。最強の剣術使いであるお前を殺したところを認めるまで、強さを求め続けると」

 さもなければ、クルルエリは強さを貪欲に求め続け、獣へとなり下がり続けると。

「お前が死ぬか、娘を殺すか。選べアルナイト」

「この……」

 いっそのことクルルエリのために死ぬべきか。そう考えかけたが、アルナイトは何か方策がないかと考えようとした。

 しかし、そんないとまもなく、クルルエリがアルナイトの鳩尾を蹴り飛ばして、彼は不甲斐なく後方へ倒れる。

「クルルッ!」

「うう……」

 瞳が紅色になる。

 獣に成り果てる。

 クルルエリの姿がどんどんと崩れていく。

「殺す」

 低い声でクルルエリが彼を睨みつける。

 そして、クルルエリの手がアルナイトの首を絞める。

 女の子一人の力とはとても思えないほど、喉が搾られていく。

「ぐぐっ……」

 アルナイトは先に彼女と愛の契りをした。

 愛しているなら自分は愛するままに死ぬべきか考えた。

 だが、クルルエリがアルナイトを殺したことを認めたら……。

 むしろ、彼女は自責の念に駆られて自らの命を絶つかもしれない。

 それを考えたら、アルナイトは……。

「やはり、死ぬわけにはいかないな」

 そう決意したら、致し方なくも乱暴に彼女をはねのける。

「うおおおっ!」

「逃げる気か? アルナイト」

 ジンの声にも耳を貸さず、アルナイトは逃走する。

 そして、なんと建物から跳躍し、飛び降りた。

 当然ながら彼は地面に向かって落下し、鈍い音を立てて身体を激突させた。

「い……い、いてえ、おお、いてえ!」

 うめき声をあげて彼は激烈な痛みを訴えるほどに生きていた。

 彼の上方に壊れた庇があった。クルルエリが落下しかけたとき、そこに庇があることをちゃっかり確認していたのだが、それで落ちた衝撃を吸収しても痛いものは痛い。とてつもない激痛に、彼はしばしそこで悶絶する。

 とりあえず一安心だと思った。

 が、アルナイトは上方に、人影を見てしまう。

 獣のなりをしたクルルエリが同じく飛び上がり、気づいたときには、四つ足で石の地面に着地していた。

「クルル……」

 やはり逃げられないのかと悟る。ツヴァイヘンダーの剣先が石畳に触れた音がした後、彼女は片手で剣を構える。

「ちっ!」

 舌打ちをして、アルナイトは再び彼女に背中を向けて走り出す。

 その後を恐ろしい速さで、まるで猫か虎のように、獣は追いかけてくる。

 横際に逸れる分かれ道に差し掛かり、アルナイトはそこを曲がるところで、人にぶつかった。

「誰だ、いってぇ!」

「アル……」

 そこにいたのは、涙目になって途方に暮れた目をしたステラルナだった。

「どうしようアル、ボクは……」

 何かしらの事情に出くわしたのか、彼に助けを懇願するよう見つめていた。それを察知してか彼は、

「話はあとだ、とりあえず逃げるぞ」

 そうして、なんとかクルルエリの追走を撒き、二人は裏通りの街路にうまく身を潜めた。

「ふぅ、間髪を入れずってところか」

「アル……」

 ステラルナが涙を浮かべて、アルナイトに顔を埋めてくる。

「ボク、人を殺しちゃった……」

 彼は息を整えながら、彼女の話を聞く。

「どうしようもなかった……。そいつは悪だ、殺せってみんなが言うから……ボクは」

「ステラ……」

 声を殺しているのを見ながら、アルナイトは心静かにする。

 そして、落ち着いてからステラルナに答えてやる。

「まったく、ステラもクルルも、前に進まずに後ろで指をくわえていやがって」

「アル」

「罪から逃れたかったら前へ進むな。そんなことは忘れてしまえ」

「逃れるなんて、そんなことできない」

「真にして償いたいのならここで死ね」

「アル……」

 それもできなさそうな顔をするステラルナ。

「じゃあ、第三の方法をとれ」

「その方法は?」

「死ぬほど後悔しろ、自責の念と葛藤で苦しんでしまえ」

「……」

「そうすればステラはきっと、前へ進める。いまという自分は、過去の積み重ね。努力と後悔でできている」

「アル……」

「俺も罪を犯した一人の人間だ」

 ステラルナが一筋の涙を流す。

「ボクもアルのようになれる?」

「さぁな、だが俺は苦しみに耐えられない人間よりも、その苦しみに耐えられる人間を軽蔑する」

「ボクは……」

「俺にお前を軽蔑させるな」

 ステラはしばし無言になる。だが、理解はできたようだった。

「ありがとう、アル」

「ああ、……だが、俺はいまここでクルルをなんとかしなければ」

 ここで、これが役に立つのだろうか。アルナイトはズボンをめくり、そこに布ぐるみで隠してあったものを取り出す。

「それは?」

 覆われた布を取り払い、剣が現れる。

「古剣コピスだ」

 あのときアルナイトはクルルエリに嘘をついた。本当は隠し持っていたのだ。

 どうすればいい。どうすればいい。

 そう思案しながら、アルナイトはそこではっと思いつく。

「いちかばちかだ……」

 クルルエリを殺さず死なせずに済ませるにはこれしか方法がない。

「何するの! 速まらないで! アルッ!」

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