第四章 3(後) 「アルナイト、ステラルナ」
居住まいを正しながら腰を叩いて埃を払うアルナイト。
「さて、どうしようか……古剣コピスもないし、クルル、お前がやるべきことは」
「殺してやる!」
気品も敬語もかなぐり捨てて、クルルエリが敵意を剥き出しにする。
彼女の心に黒いものが渦巻いて、彼を飲み込んでしまいそうな予感さえした。
クルルエリが腹部の中を探り、武器を出した。
武器がするすると姿を露わになってゆく。
「ツヴァイヘンダー……」
アルナイトの背丈ほどの長身、クルルエリの背丈ほどの刀身、女子供は勿論のこと男性ですら武器として振るうのを躊躇するほどの重さだ。
そんな最強の剣を、クルルエリが両手に構えている。
「形だけはできてるじゃねえか、絵になるくらいに」
「私をバカにして……もう昔の私ではありませんのよ」
「いや、クルル。お前はまだお前のままだ、その心では俺に勝つことはできまい」
「小馬鹿にして、武器ひとつ持っていないあなたがどう対抗するんですの?」
アルナイトが襟のあたりから胸に手を差し入れ、それを取り出した。
「ハリセンだ!」
「どこまで人をからかうんですの! あなたは!」
「からかうつもりなんて毛頭ないぜ、お前は絶対に俺には勝てない!」
「お黙りなさい!」
ツヴァイヘンダーを振り上げる、そして助走をつけてアルナイトの首へ横薙ぎに斬りかかる。
風の厚みがツヴァイヘンダーの刃とともに、アルナイトの頬をかすめる。すんでのところで身体を傾け、かわした。
「さすが、アルですわ。本当に殺しがいがありそうですわね」
「恩を仇で返されるとはこういうことか……」
「なんとでもおっしゃいなさい」
「力だけで、なんでも解決できると思うなよ、……クルル!」
アルナイトが素早くしゃがみ込み、クルルに脚払いを食らわせた。
「ひぇっ!」
しゃっくりのような短い叫び声で転び、ツヴァイヘンダーを取り落とし、金属音を奏でてクルルエリが取り落とす。
「形だけの構え、格好だけでダメだ。だから俺の脚払いでいとも簡単に転んでしまう。力でなんとでも解決できると思っているようだがダメだ」
立ち上がりざまに前へ進み、転倒したクルルエリと背中合わせになってアルナイトが説教を食らわせる。
「だが、クルル。お前には構えの点で、一番なっていない構えがある」
「なんですの?」
「心構えだよ」
クルルエリがキレたように、ツヴァイヘンダーを手に取り、アルナイトの背中に斬撃を食らわせようと、走り込む。
振り向きざまにアルナイトは跳躍、両腕とも右に構えた彼女の左際に蹴りを与え、横際にまたもや転倒する。
「騎士は相手を背後から襲うのか? さすが騎士道は新しいものに限るな」
「やかましいですわ」
葛藤をしているのが見え見えで、クルルエリは泣きそうになって顔がひしゃげる。
「仮にも騎士道を謳っていたお前はどこへ行ったか、クルル」
彼女の心が揺さぶられてるのを感じる。
顔をこすり、面構えを元に戻して、まっすぐアルナイトを見据えるものの、その心の動きだけは隠せていなかった。
「余裕がまったくないな」
「それだけ一生懸命ですのよ!」
「戦うときに必要なものがある」
「それはなんですの?」
ふっと口を緩ませてアルナイトは、ハリセンを自分の頭に叩いて、パンと乾いた清々しい音を鳴らす。
「笑顔と、そして相手とお喋りをする余裕だ」
「おふざけはそこまでですわ!」
今度はツヴァイヘンダーを持つ両手をちょうど真ん中に据えて、アルナイトを両断するように斬りかかる。
そして、あろうことかアルナイトはハリセンの端を両手で持ち、顔を正面にして横に掲げた。
ツヴァイヘンダーがハリセンを断ち切れ……なかった。
「……どうしてですの?」
「どんな剣も、斬れないものがある」
「それは、なんなんですの?」
「石と鉄、そして束ねた紙だ!」
子供でもわかることだ、いくら刃物を叩きつけたところで、一〇〇ページや二〇〇ページから成る本を斬ることはできない。知識と心の集合体は武力によってそうそう斬れるものではないのだ。
無論、紙が一〇〇枚あるわけではないが厚紙の強度はかなりのもの。さらにハリセンのように紙を折り曲げて厚みを増したなら、剣でそうそう斬れるわけがない。
「心を込めて折った分だけ俺の心は厚い、これをクルルに贈ってやるためにどれだけ心血を注いだか」
「ただ折っただけじゃないですの!」
「だが、俺はこれでお前に教えたはずだぞ! ハリセンも刃がないだけで、立派な武器のひとつなんだってことをな!」
力が込められた刀身を下に受け流して巧みに避け、クルルエリの顔面をハリセンで思い切りひっぱたいた。
二度目の背中合わせとなるその瞬間。
「死んだな……クルルの心はいま死んだ、そして生まれ変わった」
「戯れ言をおっしゃらないで」
「なら、もう一度殺すまで……心変わりをするまで、俺は何度だってクルルを殺してやる!」
すると、クルルエリの唇が右頬によじれる。
「私の心は、絶対に変わらないですわ!」
「ならば、次は本当に殺してやる! 覚悟しろよ!」
不器用な袈裟斬りでクルルエリが襲撃してきて、屋根の端ぎりぎりに直立するアルナイトは再びツヴァイヘンダーをハリセンで受け止めた。
受け止めた後、アルナイトはおもむろに顔を接近させて器用にハリセンから右手を離す。アルナイトはクルルエリの黒衣の胸ぐらを掴んだ。
「死ね!」
そして、アルナイトはクルルエリの片足を払い、バランスを崩したところで後方、足場の途切れたところへ突き落とす。
「えっ……」
まさかこんなことまでされると思ってなかったのだろう、クルルエリは驚愕した顔のまま、下に落ちていく。
「い、やぁあああ――っ!」
クルルエリが石畳の地面に向かって落ちる。悔しいのか悲しいのかわからない顔で、彼女に後悔が襲ってくる暇さえもなかった。
アルナイトが即座に屋根から下を覗き見る。
「飛べただろ、クルルっ!」
「あっ、そうでしたわっ!」
アルナイトの一言にパニックになっていた顔が緩み、クルルエリは落ちる速度を減速に転じさせて、バランスを崩して地面に尻餅をついて着地を失敗するものの、自分の無事を確認したところで浮遊して、もう一度屋根に向かって飛んで、アルナイトを正面にして再び対峙する。
「クルルの取り乱した顔、とても可愛かったぜ」
「うるさいですわね!」
怒りよりもほっとした顔でクルルエリは答える。
「本当に、あやうく死ぬところでしたわ」
「そうか、死ぬのは怖いか。お前は何のために死のうとしてるんだ?」
「そんなこと考えてもいませんわ」
「俺は覚悟しろって言ったはずだぞ」
アルナイトはついに怒髪天を衝いて、クルルエリの顔を見た。親が子供を叱るように。
「そんな生ぬるい覚悟で戦っているのかお前は、それとも……ハリセンがツヴァイヘンダーに勝つはずがないとでも思ってたのか、どうなんだ! クルルエリ・オリーヴ・オリヴィエ!」
完全にクルルエリ個人を言い表す言葉を言われ、クルルエリは勝てると思い込んでいた甘さが消えて、真剣になった。
「そうだ、その顔だその心だ。ようやく覚悟を決めたか? 遅すぎるぞ!」
「アルナイト……」
愛称呼びを同じく捨てるクルルエリ。その顔は勝てない悔しさに酷くまみれていた。
「大魔王アレキサンダー! 私にさらなる力を与えよ! このアルナイトを打ち負かす鉄槌となる力を私に!」
空が一瞬白く光り、稲妻が空とクルルエリの間を走り抜ける。
そして、クルルエリが目も開けられない眩しさに包まれた。
「力が、力がみなぎってきますわ」
両手剣のツヴァイヘンダーを片手で軽々と持ち上げる。
さらなる力が彼女に宿ったのだろう。
だが。
「クルル……」
クルルエリの金髪が、消し炭のように白くなっていくのを、アルナイトはただただ呆然と眺めていた。
商店の並ぶ大通りで、ステラルナは剣戟を交わしていた。あのとき打ち負かしたチンピラの一人と。奴に悪霊が乗り移り、鉄の棒を持って暴れ回っていたようで。ステラルナが見つけ、ことの次第がわかったときには、すでに彼は三人、周囲の人間を殺していた。
「やめるんだ! 暴れるのをやめろ!」
「ぼ、ぼ、僕は……僕は」
なよなよとした一人称の「僕」をうつろな目でつぶやいてくるチンピラ。意識が朦朧としていて、身体が暴走したように動いているようだ。
「がああっ!」
完全に話が通じてない、理性を無くしているのかもしれない。
「早く、なんとかしてくれ!」
周囲には人が集っている。なんとかって言われても困り果てる、すべてステラルナのせいだった。
あのとき、悪霊を一匹逃したばかりにこんなことに。
「お姉ちゃん、こんな奴倒しちゃって!」
さきほど助けた子供が二人いて、ステラルナを応援していた。
しかし、応援されても困る。このチンピラをどうすればいいのかわかっていない。
「――何を躊躇っている」
そのときだった、幻聴が聞こえた。幻聴と認識しているのは、ステラルナが聞き慣れた声だったからだ。
勇者の亡霊、魔王を倒しにいけと命じたあの勇者の声だった。
「――片づけろ」
「片づけろったって、どうすれば?」
「――そんなこともわからないのか?」
勇者の重々しい声が響いてくる。
解決策など見つかるはずもない。
除霊の儀式など知るわけがない。
「早く殺して!」
そこに現れたのは、一人の女性だった。喫茶場所で働く身なりをしている。
「あんなクズ人間、殺してしまって!」
「そんな……」
すると、周りが同調するように声をあげた。
「そうだ、そいつはすでに三人殺してるんだ、殺されて当然だ」
「……みんな聞いてよ! あいつは悪霊にとり憑かれて……」
「悪霊もクソもどうでもいい! もともとあいつは人間のクズだ!」
ステラルナの反論も空しく、罵声も同然の言葉が口々から放たれる。
「――そう、皆も同意している。ステラルナ、そいつを殺すんだ」
「そんなことをボクができると……?」
勇者がそう投げかけてくると、周囲の人々の口から叫び声が。
「待って! みんな……」
葛藤で心が引き裂かれそうになりながら、ステラルナは……。
「――さぁ、殺すんだ。もともとの悪を殺して、お前に何の罪があろうか。さぁ、殺せ」
「やめて!!」
ステラルナは剣の柄を使ってチンピラの鳩尾を思い切り殴りつけ、相手が倒れて息が絶え絶えになる。
「――トドメを刺せ、ステラルナ」
「嫌だ! 嫌だ!」
「――やるんだ、やれ! さもなくば……」
チンピラが立ち上がる、そして、信じられない光景をステラルナは目の当たりにした。
彼の目が狼のように尖り、白い体毛が身体中から生えてきくる。悪と呼び捨てされたこの男が、みるみるうちに獣の姿へと変わっていく。
「――やれ! お前が殺されるぞ」
「そんな……そんなのって……」
ステラルナに視線をぶつける。人のなりを捨てて、獣となり果てた男。
「ぐおああぁっ!」
獣が勢いをつけて跳び上がり、ステラルナに襲いかかる。
「やめろぉおおっ!」
……。
大量の血を浴びて、ステラルナは我をしばらく失って、動けなかった。
斬り殺された、人のなりをしていた獣が一体。
首の太い血管を斬られたから、もう生き返ることは二度とない。
「ボクは……人を、殺してしまった」
「――案ずることはない、こいつは悪であるし、もともと悪であった」
幻聴が聞こえる。こいつが悪い奴だということは重々承知はしていた。
けれどこの事実は、絶対にステラルナの腑に落ちることはなかった。
しばらくして、周りの人間たちが手を叩き始める。
「よくやった」「さすがだ」「頼りになる」「すごいよお姉ちゃん」
称賛など聞きたくない。
雑音にしか聞こえない。
「おい、嘘だろ相棒……俺の相棒……」
チンピラの片割れが現れる。いつも一緒になって悪さを働いたもう一人のほう。
「嘘だろ……」
涙の一滴一滴が零れ始める男。相棒の亡骸にすがり、そして大声で鳴き始めた。
「俺の……、相棒を、返してくれ……返せ!」
「何を言ってるんだ! さんざん悪さを働いた癖に!」
周りの人間が「そうだそうだ」とざわつき、死んで当然だと正当化したいばかりに叫ぶ。
「うるせえっ! お前らなんかに俺らがっ! お前が、お前が……」
涙で訴え、ステラルナに食いつくように睨みつける男。
「……う」
こんなことをしてしまい、彼女はすでに精神が耐えられない状況まで追いつめられた。
「うわあああぁっ!」
叫び声をあげて、ステラルナは顔を強く歪ませる。
周りの人間は手を叩く音を相変わらず響かせる。
「手を叩くな! ボクはそんな称賛、聞きたくない!」
そして、とぼとぼと歩き始めた。
「アル、教えて……教えてよ。ボクは、何を信じるべきなの?」
悪を倒すこと、魔王を倒すこと、それこそが正義なのか。
そもそも正義であることに何の意味があるのか。
正義は善なのか。悪ははたして本当に悪なのか。
「教えて……アル」
アルナイトなら答えを知っているかもしれない。そんな一縷の望みを持って、ステラルナは歩き始めた。




