第四章 2 「闇の城郭、ふたたび」
ところどころ派手に砕けていて、無駄に縦に高く聳える直方体の塔の数々。
ちょうどいま軋む音を立てて、ガラガラと崩壊して横に倒れる。
その横際の塔も倒れ、十はくだらない塔がいまガラガラと土埃土煙をあげて、ドミノ倒しとなった。
一大事の出来事だが、それを騒ぐ人など一人もいない。否、人間自体がすでに一人もいないのだ。
なぜなら、彼ら彼女らの骸すらもすでにないのだから。死体は腐敗して風化し、長い時を経て骨も完全に砕け、果ては風が吹き去ることで人間がいた証拠をすべて霧散し、隠滅してしまった。
文明の発達した痕跡が窺えるガイアと呼ばれる世界。
「これは……」
「武器を手にしガイアが迎えた人間たちの終末だ」
アルナイトはしばし言葉を発することができなかった。
「アルナイトと言ったな、武器は心を斬るもの。命を斬るものにあらず。そなたのような民に武器の将来を託させてもらえぬか? むしろ、そなたのような者を待っていたのじゃ」
「何を託すんですか?」
「わしはガイアの歴史をこの目で見た。武器は時代を経るごとに殺人の域を飛び越えて殺戮の武器となり、決して遅くない時期に一民族一国民を一度に虐殺する武器へとなり、最後には下界民すべてを滅ぼすものとなろう」
黙って聞き入っていた。そんな武器はすでに武器じゃない、だからアルナイトは答えた。
ヘパイストス神の前に歩み寄り、そこにひざまづいて、神聖な任を受けるように。
「ヘパイストス様、確かにお引き受けしました。俺に任せてください」
「嬉しい限りだ」
だから、そのためにまず。
「俺はクルルが嫌いだ、だからもう一度彼女と顔を合わせられるように、まずは彼女の心を変えたい。なんだかんだ言っても、俺はクルルのことが好きでいられる俺が好きなんです」
「はは……」と少し照れて笑いをしながら、旅立つ準備を始める。
「アルナイト、お前は武器が欲しいと言ったな?」
「はい」
「すでに持っているではないか」
彼に手にはハリセンがあった。不格好。でも、アルナイトがクルルエリのために作ったもの。
「これはクルルに心を教えるために、心血を注いで作ったものだ。だが」
「だがも何もない、お前はすでに心を変える武器を手に入れておる。お前が心を込めて作った武器で、人の心を変えられないはずがない。そうであろう?」
「そう、ですね」
すっきりした顔立ちで立ち上がり、ヘパイストス神と顔を合わせる。
「俺がさっき泣いた意味がわかった。ヘパイストス様は親父に似てい……いや、失敬した、親父はヘパイストス様に似ている。そんな感じがあのときわかった。だから、俺は泣いたんです」
それを聞いて、ヘパイストス神はほのかの笑った。
「父上の意向に逆らわずに生きてきたのだな」
「はい、一度は過ちをしたけれど、これからも俺は親父の息子でい続ける限り、この生き方は変えたくありません」
「ほっほ、やはりお前には託せる価値があるようだ」
そこでステラルナはおもむろに立ち上がる。
「話し中悪いんだけどさ、ところでボクたちどうやって元の場所に戻ればいいの!」
「心配はいらぬ、あそこに扉がある。行き着きたい場所を心に浮かべながら外に飛び出せば、そこに行くことも叶う」
「ありがとうございます、ヘパイストス様」
ヘパイストス神は後ろ姿を向け、そして三人にこう告げる。
「一人の少女と、このひとつの世界に、幸与えんことを」
そして、三人は叫んだ。「はい」とみな同じ瞬間に声を重ねた。
さぁ、行こう。世界を変えに、そしてクルルエリを助けに。
託された神聖なる神の想いとともに。
「聖剣は持ったな? ステラ」
「もちろんだよ。アル」
忘れることはないであろうが、いちおう確認を取り、そうして大広間の重い扉が開かれる。
軋む音を立てて開かれた扉から先は、灰色の雲が広がっていて、向こうのほうまで見ることはできない。
三人はあの都の風景を思い浮かべ、勇気を持って一歩踏み出した。
そこに大地はなく、下の底に向かって落ちていく。
灰色の濃淡は、黒い闇に変わり、白い稲妻がときおり轟き光る。
「本当に大丈夫? アル」
「大丈夫に決まってるだろ、ヘパイストス様が嘘つくわけない」
「でも」
ステラルナが不安そうな顔を募らせる。
しかし、しばらくして、散り散りと光る細々とした明かりの数々が見える。
すぐに三人はそれらが、街の明かりだと悟る。
そして、二つ目の光源として役立ってる細かな光の雪が、街に舞い降っているのをしっかりと見る。
だが、この高さから落ちたとしたら、ひとたまりもないのではなかろうか。潰れて死んでしまうことは必至。
「わたしなら大丈夫だけど」
「便利だな、お前は!」
だが、三人の落ちる速度はようようと加速から減速に転じる。
最後にはたんぽぽの綿毛ほどの軽さになったかのように落ちてゆく。
どうやら大丈夫なようだと悟ったときには、すでに両足は城郭の上に触れようとしていた。そして、着地する。
「信じててよかったよ」
「嘘つけ! お前、絶対信じてなかったぞ」
「まぁまぁ、それでわたしたちこれからどうする?」
そう聞いてくるキュリエ。
「キュリエ」
「何?」
アルナイトがキュリエの顔にまじまじ近づく。
「白いひげ、あごのあたり」
キュリエが手で顎をさすると、そこには長めの一本生えた毛があった。
「恥ずかしい」
アルナイトを無碍に扱いながら、白いひげを彼女は二本指で抜く。なぜ白いひげなど生えているのかそのときアルナイトは何の関心も持っていなかった。
ところでしかし、このままでは、この都が魔王の支配下に入ってしまう。
だが、アルナイトはそんなことを心配してなどいなかった。
「俺はクルルに会ってくる」
そう、ただひたすらクルルエリのことだけを気に留めていた。
「さっきから聞いていれば、アルはクルルクルルクルルクルル、クルルのことだけが心配だね」
「俺にとっては魔王とか魔族なんて、心の片隅にもない。そんなのは勇者様に任せればいいだけの話だ」
「まるで、勇者が尻拭いみたいな言い方しないでよ」
「俺にとっては、いまは、クルルの心だけが唯一の関心事なんだ」
怒ったように、アルナイトは言い返す。
「でもボクは、魔王を倒さなくてはならない。みんなのために」
「お前の心はすでに決まっているようだな、じゃあここでお別れだ」
「え?」
ここにいるのは、クルルエリのことを一心に思う剣士、魔王を倒さなくてはならない勇者、そして魔王の手先も同然の不死なる女子。
どう見ても不揃いの三人だ。
「あれっ」
突然、それは何かと思ったかのようにステラルナが、門のほうを見る。
そこは確か、先ほどアルナイトが捕縛されて、都から出るために使おうとした門のあたり。
その周囲だけがやけに紫色に輝き始めた。
「何かあったみたいだよ、行ってみよう」
「お、おう」
ステラルナが城郭の上を走り、そこへ向かっていく。
アルナイトも駆けてついていこうと思ったが、十歩ほど走った後で、ふと足を止めているキュリエに気づく。
「何してるんだ、キュリエ、行くぞ!」
「何を言っているの? わたしとあなたとはそもそも敵対関係。ついていく必要はないわ」
確かにそうだが、何かひっかかるものがある。
だがいたしかたなく、アルナイトは舌打ちをひとつしてから、向こうにいるステラルナを追いかけていく。
「いいのか、ついていかなくて、あいつらに殺されるチャンスをみすみす離すようなものだぞ」
キュリエの耳にジンの声がまざまざと響く。きっと、走り抜ける二人には聞こえるはずもない。
「お兄さま……」
「だがそれでいい、お前は芸術だ」
ジンはキュリエの歌声を気に入った。だから、彼は彼女に不老不死の力を与えた。それと同時にジンが操る人間の箱となるために。
だからこそジンはキュリエの「お兄さま」になった。尊敬を込めたつもりで。
キュリエの姿がジンの姿に変わり、明滅するように即座にキュリエの姿を取り戻す。
「まことにお前に乗り移って正解だった」
ジンの好敵手も同然だったアルナイトの父を殺し、魔族と見抜いてジンを破門にしたレスゲート卿をアルナイトに殺させるのに、彼には大した労力を要さなかった。
アルナイトの父母が死んだいきさつはこうだ。キュリエの姿で脚を怪我をした振りをさせ、アルナイトの父母が通りかかったところで、ジンが正体を現し、油断しているところを襲ったのだ。
キュリエは深いため息を吐く。暗澹の立ちこめた表情を見せていた。
「キュリエ、お前は何ひとつ罪悪を感じることはない。やったのはすべてわしだからな」
「そうやって、罪悪感を軽くさせるのは悪魔の仕事のひとつかもね」
「いかにも」
高笑いする声がキュリエの耳の中だけで響く。
人の悪口を強制的に受け入れなくてはならないような。自分の心の嫌な部分を見透かすような声だ。
「お前には四百年だって、五百年だって、生きてもらうぞ。キュリエ」
「お言葉だけどお兄さま。わたしはすでに六百歳を超えているわ」
「そうとも、お前にはまだまだ長生きしてもらわないとな、このわしのために。お前が望むようにわしがお前を永遠の芸術へと変えたのだからな」
苦虫を噛み潰したような渋面を作って、キュリエは物に八つ当たりしそうに、城郭の地面を二回三回と靴底で蹴った。
だがそのとき、キュリエは気づいていなかった。手の甲に二本、喉と顎のあたりに三本の白い毛が生えつつあったことを。




