第四章 1 「クルルエリの火炉、そして……」
アルナイトは足先まで爪先まで氷水に浸されたような涼しげな空気を感じ、はっと意識を取り戻す。意識の力で瞼をこじ開けると、そこには無数と形容できるほど武器が並び仰せていた。
長短の剣、槍、鎌、斧、モーニングスター、弓矢、ブーメラン……。
この前にアルナイトが使用したレイピアとサーベルも見えた。
それらはこの触れているだけでひんやりとした石床につかず、なおかつ灰色の天井に先を向けて直立し、それぞれが互いに距離を取りながら浮遊していた。
武器を数えることはおろか、種類がいかほどあるのかも把握するのも躊躇われる。それくらい武器という武器が無尽蔵にあった。
しかし、なぜだろう。アルナイトはそれらのいくつかひとつひとつに触れてみるが、触れることができず、まるで幻か何か見ているかのように空を掴んでしまうのだ。そこには武器が見えていたが、掴むことができないのだ。
ふいに手にふぁさっと何か紙の感触。それは見覚えがあるもの。クルルエリのために作ったハリセンだった。そういえば、アルナイトが何気なくそのまま服の中に隠し持っていたのだ。唯一実体として手に触れる武器がこれだけとは、なんとなく皮肉を感じる。とアルナイトが思いかけて自戒する。仮にもクルルエリに武器の意味を教えたのだから、そんな皮肉を考えてはならないと。
アルナイトはどうしてここに来たのか、記憶が曖昧ながら思い出した。アルナイトとステラルナとキュリエの三人が、クルルエリの腹部に向かって吸い込まれたのだ。
「やっと気づいたようだね、アル」
「ステラか?」
向こうから格子状の黒い陰。そこから橙色の光が差し込んで作られた一人の影がアルナイトに問いかけてくる。
彼は歩み寄って彼女の姿を認め、確かにステラルナだとわかる。
「無事かな? どこも痛くないよね? ボクはちょっと膝を擦りむいちゃったけど」
「ああ、特段、痛みといった痛みはない」
先ほど見えた格子状の黒い陰、それは鉄格子だった。それらを隔てて向こうに見えるのが橙色の松明。ここを出ると回廊のようなものに続いてるようだが、ここにある鉄扉に鍵がかかっていて叶わない。
後ろを拝見すると、規則正しく敷き詰められた岩のレンガで壁が構成されていた。
完全に閉じこめられた。
もしかしたらと思い、周囲や上方をシラミ潰しに観察するも、紫色の闇をした出口というものはなさそうで。
空気はとても肌寒かった。鳥肌が粟立ちそうである。
でもここはなぜだか懐かしい匂いがした。冷え切った鉄の匂い、アルナイトの生家である店で、武器倉庫に入ったときに鼻に感じた、あの落ち着いた匂いだった。
探しているうちにキュリエも発見して、肩を手加減して叩いて起こした。
「アルナイト、ここは?」
「どうやら、俺たちは閉じこめられたらしい」
そうやって三人集まって思案を始める。
「聖剣カリブルヌスは?」
「ああ、それならそこに……」
確かにそこにはカリブルヌスがこの冷え切った床に落ちていた。アルナイトはそれをもう一度持ち上げようとする。
「む、やはり無理だな」
「ボクだけしか持つことができないよ」
ステラルナがふと目線をこちらにやる。
「アル、それ何?」
「ああ、ハリセンという武器だ。でもまぁ、そのことは置いといて、どうやってここを脱出するか」
そのとき、ひたりひたりと音がしてきた。それと同時に杖を曳くような音も聞こえてくる。
裸足で石床を歩くときに聞こえる音。
それを聞いて、アルナイトは鉄格子に駆け寄り、思い切りに揺らして、ここに人がいることを主張した。
足が速まって。杖もコツコツと響く。
「おいこら、誰かそこにいるのか?」
そこに現れたのは、たてがみのような髭を蓄えた老人。腕が隆々としていて上半身が鍛えられている。ただ脚は弱々しく細く、杖をついて引きずっている様子。
彼の姿を見つめてアルナイトは。
「まさか、あなたは……」
「どうしてここにいるのかね?」
アルナイトは牢越しにひざまずく。
「なんだい、アル。そんなに畏まっちゃって」
「お前も膝を床につけろ! キュリエ、お前もだ!」
何なのか理由も汲み取れず、他二人はアルナイトの言葉を受けてしぶしぶ膝をつける。
アルナイトは彼の姿を石の形でしか見たことはない。
けれど、すぐにこの老人の正体がわかった。
アルナイトは精悍とした顔つきで、彼を尊敬の眼差しで見ていた。
父の道場には彼の像があり、それを子供心の時代には、「変なの」と言って親父に殴られもした。
その見慣れた顔つきが、いまそばにある。
「ヘパイストス様でいらっしゃいますね?」
鍛冶の神であり、道場では武器の神として奉っていた、名高い神の一人がいまここに現れた。そのことを、アルナイトは確信しており、事実アルナイトの言葉を聞いて、目の前の老人は「ほっほっほ」と闊達に笑い始めた。
「さよう、わしの名はヘパイストス。鍛冶の神じゃ」
そこで、アルナイトはさめざめと泣き始めた。なぜなのかは自分自身でもわからない。
ステラルナはヘパイストス神のことを知らないでか、その神の名を口にされてもさっぱりな様子だった。キュリエはおそらく学があり彼のことを知っているのであろう、手を合わせて形だけでも祈り始めた。
「はっは、まぁこんな寒いところで閉じこもるのもなんであろう、ここから出てわしと食事でもどうじゃ」
「ありがたき幸せを」
ステラルナはアルナイトのこの豹変ぶりを理解に苦しみ、端から見ればまことに皮肉の限りだった。
鉄製の扉を開錠される。
そして外に出てみて、これまた鉄格子越しになっている隣の部屋を見て驚いた。そこはおそらく鍛冶場であり見たこともない溶鉱炉があったからだ。
「ヘパイストス様、これは?」
「ああ、イデー鉄の溶鉱炉じゃ。わしが試作物を作るのに役立てているものじゃ。イデーがあればそこから魔法仕掛けに動き、イデー鉄がイデーを実体化させてくれる仕組みじゃ」
「イデー? イデー鉄?」
「イデーとは頭の中にある一観念だ。果物ナイフがどういうものか、ロングソードがどういうものかといった観念をイデーという。イデー鉄はそのイデーをもとに変幻自在に実体化する。ロングソードのイデーを使えば、イデー鉄はロングソードに。ブロードソードのイデーを使えば、イデー鉄はブロードソードになるといった具合に」
「なるほど……」
「しかし、百聞は一見にしかず。試みに見せてやろう」
指を鳴らして、イデーと呼ばれたショートソードの幻影が溶鉱炉の中に飛び込む。
溶鉱炉は蒸気を出して、どろどろになって溶けた鉄が出された。
その瞬間、鉄がある形に収束していき、案の定それはショートソードの形に落ち着いて、武器ができあがった。
もしかすると、クルルエリの腹部がこの場所に通じていることで、彼女は形状を記憶した武器を自在に作り出しているのだということにアルナイトは気づき始めた。
「イデーというのは触れることはできぬが、神域ではあのように可視にすることができる。しかし、妙だな。わしはあんなにさまざまなイデーを作り上げておったかのう。いや、待てよ、そもそも倉庫は先代の勇者がカリブルヌスを返したとき、そのカリブルヌスを置いておいただけのはずだったが、ううむ」
なんとなく理解はできる。これら浮遊するイデーはクルルエリが記憶した武器の形状である。
ただクルルエリがカリブルヌスを取り出したりすることができたのは、元からこのイデーを保管する場所の中に幻影ではなく物体としてそこにあったからであろう。
回廊を抜けて、三人はヘパイストス神に、白い大広間に連れて行かれる。何しろそこは一面、壁と天井と石床すべてが白く囲まれていた。
中央に手作りと思われるテーブルが置かれていて、おいしそうな食事が並ぶ。ぱりっとしたパン、焼かれた魚に肉に、搾りたての牛乳やフルーティに甘そうなワイン、ブドウやリンゴといった芳醇な匂いを漂わせる果物に、彩り豊かな野菜の盛り合わせがあった。
「これらは今日、下界の民からわしに捧げられたものだ。いつもわし一人で食べるのは、いささか苦しい、お前たちも食べたまえ」
素朴に掘られた味のある、背もたれのない木椅子に座り、ここに来た三人は食事に預かることにした。
肉を噛むと、じゅわっとコクのある肉汁が滴る。うまい、やっぱり肉はレアに限るとアルナイトは思う。
魚もパリパリと音を立て、全体が香ばしく焼けていて、骨まで食べられる。
「うまい、うまい」とアルナイトが舌鼓を打つ。
これらは先ほどヘパイストス神に捧げられたものらしいが、火を通したのはついさっきのようだ。
さすが鍛冶の神ヘパイストスとおっしゃられる所以か、おそらくこれを調理したのは彼だ。武器や道具を作る才覚がある彼にとってみれば、火を僕として使うのは朝飯前だ。
「はっはっは、飽き足りるまで食べるがよい」
「ヘパイストス様、下界からの捧げ物っていうのは口に合いましょうか?」
「もちろんだとも、ときどき差し入れられる白いチーズやヨーグルトも美味だ」
ヘパイストス神は牛乳でできたものがお好きなようだ。
スプーンとナイフをかちゃかちゃ言わせるアルナイトを余所目にして、ステラルナとキュリエはあっけらかんとアルナイトを見ていた。
「そのほう二人、食が進んでないようだ。遠慮なく食べたまえ」
「は、はい」
ステラルナもナイフを使って一口目の肉を噛み、その焼き加減と味に感動を覚えたように瞳を輝かせた。
キュリエは上品にナイフとスプーンを使い、「おいしい」と言いながら肉や牛乳を口に入れる。
「久々に楽しい食事だ、いつも一人で食べるのはまことに寂しい」
「奥さんはいないんですか?」
何も知らないステラルナが肉を頬張りながら、質問してくる。
アルナイトは口をぱくつかせて「バカ」と口の形で罵る。
「長い外出中じゃよ」
「やはりですか」
いまでもヘパイストス神と見目麗しき女神との間に深い溝があることをアルナイトは静かに察してそう言った。
「長い外出中、どういう意味……うぐっ」
「お前はそれ以上喋るな」とアルナイトが言いながら、焼き立てのパリパリのパンをステラルナの口に押し込む。
はたして三人は、旨い食事に飽き足りる前に満腹になり、もう降参とばかりに「ごちそうさま」と口にした。
「さて、そなたら、どうしてあの倉庫に姿を現したか、いきさつを教えてもらえぬか?」
やはり、そこから聞いてくるのは当然か。
「闇の中に吸い込まれたらここに来たって言えば簡単だが、それだと簡単すぎてわからないですよね」
そこでアルナイトは、クルルエリのことを説明した。愛していると言っていいほど武器に執着している女の子であり、また彼女自身には力がなくて武器が扱えないと言ったりも、そしてクルルエリは武器を自在に作れる。先ほどいた場所がまさにその源であると推察できる。ということを詳細に話した。
「なるほど、だいたいはわかった。まぁ今日ここに来たのは武器としてはいいものができたのでな、数百年ぶりにここへ訪れたのじゃが、わしが作った覚えのない武器がたくさんあったのう」
ヘパイストス神の話を聞いてアルナイトは背中がぞっとした。
ヘパイストス神が数百年ぶりにここへ訪れた、という事実。
「もし、ちょうどここにヘパイストス様が来られなかったら、いまごろ俺らは……」
そう考えると冷や汗が額から滲んだ。
ことの真意を知って、ステラルナも「うう」と言いながら鳥肌がぶつぶつとできた。
「まぁ、お前たちはまことに運がよい、もしかしたら良かったのは運命かもしれぬ、神の導きもあるやもしれぬ」
「でももしかしたら、神のいたずらという可能性もあるかもしれないね」
ステラルナがそんな口を叩くものだから、アルナイトはハリセンを取り出し、気持ちのいいパンッという音を立てて、ハリセンで殴った。
「何するのさ、アル」
「お前は少し黙ってろ」
しょぼんと顔を俯けて、アルナイトはヘパイストス神と話を進める。
「その少女、クルルエリはお前のことを慕っておるようだな。もしかすると、恋仲か?」
「いや、そんなんじゃない……ですけど」
「しかし、お前が少女のため尽くしてくれているということは、好きだという感情を持っているのではないか?」
「はい」
恋人でないにしろ、ここで普通の友人だとは言えない。
でも、いまここで好きというのにも躊躇いがあった。
「クルルは力に執着している、そんなクルルを俺は見ていられない……だからいまは嫌いかもしれません」
「ほほう、ということは彼女の心を変えたいということか」
「そうです」
そして、アルナイトはヘパイストス神に失敬ながら聞く。
「ヘパイストス様、相手の心を確実に変える武器を作っていただけますか?」
「確実にか、その注文を確かに受けた、数百年後に渡しておこう」
「そ、そんなにかかる……のですか」
いいものを作るには、やはり時間がかかる。それはアルナイトが一番知っていることだったが、自分の命をそう二個も三個も賭けられない。なるべくなら土に還る前にクルルエリの心を変えたいところだ。
「わたしが受け取ってあげようか?」
「いや、無理だろキュリエ。俺のほうが生きていないと意味ないだろ」
「確かに……」
そこでキュリエは無言になる。
まぁ、受け取ったことができたとしても、そのころにクルルエリがたとえ魔王の力で生きながらえたとしても、アルナイトには耐えられない。力を邪険に扱うことで、その力を手放した瞬間に、とてつもない後悔が襲いかかるからだ。クルルエリはおそらくそれに耐えられるほどの心を持ち合わせてはいない。
傷が深くならないうちに後悔させなければ。
「しかし、武器というものはもともと人間が生きるために作られたもの、そして、その原初の武器をどう作るか、それをわしがかつて下界の民に教えた」
ヘパイストス神は語る。武器とはもともと日々の糧を得るための道具であった。動物を狩り、樹木を切る。決して人を斬るためのものではない。
「いつごろからか人々は豊かになり、戦争が巻き起こり、武器は人を殺めるものとなった」
嘆かわしいことだ。
「人々の本心から言えば彼らは殺し合いをしたくなかった。そこで善というものができた、言い換えるなら教会ができたのだ。自分たちを善とし、悪と名指しした者と躊躇いなく戦えるようになった」
善悪なんてものはそもそも存在しない。自分が善であると宣言した時点で、それに同調しなかった者すべてが悪となるだけの話なのだ。
「そして、悪と呼ばれし者に蔑まれし者に取り付いて利用する者ができた、それが魔王と悪魔という存在だ」
そして、ヘパイストス神は松葉杖で立ち上がる。
「だが、武器の行く末を見ると、わしはとても悔しくてたまらん」
「なぜですか? ヘパイストス様」
「お前たちは、ガイアを知っておるか?」
「ガイア? ボクは聞いたことないな」
この中でひときわ無学なステラルナがそう言う。
「わたしたちの世界アンティクトンと同時に作られたとされる、まるで双子の片割れとして生まれた世界がガイアだと聞いております」
「そう、だが……ガイアは」
ヘパイストス神は橙色の松明を手に取る。その燃えさかる炎に息を吹きかける。すると炎は大きくなり、そこに朧気ながら暗がりの幻影が映し出された。




