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幕間(二)

 アルナイトの父親はとても勇敢だった。とてつもない豪傑だった。それゆえ父親が武勲を手に入れたことがないことに対して、アルナイトは不思議でならなかった。

 アルナイトがこの世に生を受ける前、父親は本国と隣国の戦争を知らなかったはずがない。その戦いに男どもは誰もが参加した。しかし、父親はそんなことに興味など持たず、戦争に参加しなかった。

 無論、国王と主従関係を結ばない自由もあったけれど、当時、本国民は、特に男たちは名誉を手に入れるためにほとんどの者が戦争に参加した。参加しなかった者は弱腰と貶められた。

 父親には誰もが圧倒する剣術を身につけていたことはアルナイト自身も間違いないと認めるほどに当然の事実として受け取っていた。だからこそ戦争に参加しなかったことが信じがたかった。

 そんな父の強さを誇りに思っていたからこそ、アルナイトは近隣の子供に「お前の父ちゃんは弱腰だ」と言ったことに対して許すことはできなかった。囃し立てた子供五人ばかりを、持っていた棒で殴り倒し、二度と悪口が言えないようにするまで相手をひれ伏させた。

 その日の夕刻、アルナイトは父親にめったくそに叱責を食らった。

 もちろん、彼は「親父は悔しくないのかよ、親父がバカにされることに俺は耐えられなかった」と言い返した。しかし、

「このバカ息子が!」

 そして、アルナイトの父親は教えてくれた。

「いいか、アル。戦争などは自らが善であると言い張って、相手を悪と断定し、殺めることを躊躇わないことだ。これほど愚かなことがあるか」

「わかんねえよ、俺には」

「いまのお前にわかるはずがない。だが、そのことは肝に銘じておけ、後からわかる日がお前にも必ず来る、今日はそのことについて何度でも言ってやろう」

 父親は言った。そして次のように言った。

「武器は人を斬るものにあらず、心を斬るものなり。善も悪も、その傲慢さを知らしめる。そのことが心を斬るということだ!」

 アルナイトはトラウマの記憶になるくらい、父親から大いに叱られた。それがいまアルナイトの心に生きているのかもしれない。


 魔王が訪れる二年前、アルナイトは一七歳となり、母親が主に経営する武器屋の切り盛りを手伝っていた。

「さぁ、買った買った。ここにあるブロードソードとバックラーを。この剣はどんなものでも両断し、この盾はどんな攻撃も受けつけない」

「へへへ、すげえな兄ちゃん。じゃあその剣でその盾を斬りつけたらどうなるんだい」

「おお、やはりお客さん目の付け所が違う。でもそれにつけてもやはり凄いのは、こんな剣も盾も鉄くず同然に砕いてしまうツヴァイヘンダーだ! こんな剣と盾を相手にしないお客さんには持ってけドロボー、この大剣ツヴァイヘンダーを市場価格の二割引でご提供だ、買わない手はないぞ、さぁ、買った!」

 平和というのはこういうもので、えてして人々の言葉は巧みになり軽くなるものだ。

 ひとたび戦争が起これば、平和ぼけした国民たちに鉄槌を下ろすこともあるだろう。

 こと芸術や言葉の巧さは、平和が与えるものなのだ。

 たとえ、平和ぼけが戦時という状況で空気を読まなかったとしても、それは平和であったことの証拠。そのときは早く平和を取り戻すべきだ、ということを示す警鐘だ。

 清潔感のあるつややかな短髪を振り乱しながら、アルナイトは母親のいるカウンターへと戻る。彼の瞳は、まるで古道具が持つ質素剛健さのような灰色をしていて、陳列された武器商品の中に溶け込みそうな雰囲気を併せ持っていた。

「母さん、ツヴァイヘンダー売れたぜ」

「やっぱりあの宣伝文句は売れるわね、これを考えてくれたアルに感謝するわ」

「どれもこれも、母さんから仕込まれた雄弁術のおかげだな」

「本当に昔のアルは人見知りで、お喋りひとつ憚る気質だったのに。それがいまではこんなにも雄弁になったわね、そのうちガールフレンドを口説いて近いうちに紹介してちょうだい」

「うるせっ」

 アルナイトは、本当に話術に関していえば、母親から仕込まれたところが多い。文化人というのはまことに口の達者さが物を言う。

「ああ、でも戦争起こってくれねえかな、いまは一部の地主様貴族様が自己防衛のために武器を買うか、駐屯兵や自警団が自腹を切って武器を買うばかりだぜ。有事にでもなれば武器がばんばん売れるんだけどな」

「なんてことを言うの、アル。この平和なご時世。武器が売れないことは何よりなことなのよ」

 運悪くもこの時代に武器屋の息子として生まれてしまった十七歳のアルナイトは、幾度自分の家柄を恨んだことだろう。

「それに武器というものは、人を殺すものではなく人の心を斬るものであって、それで……」

「わかってるって。でもさ、俺たち武器屋にとってこの時勢は死活問題じゃねえか。そうだ、明日からパン屋を開かないか。そのほうが需要がある」

「あなたにパンが焼けるの? アル。パンは焼けばいいってもんじゃないわよ。刀鍛冶の現場を見たことがあるでしょう? あの人たちは闇雲に火を使えばいいってもんだとアルは思ってる?」

「うちは卸した武器を売っているだろ、パンも卸せばいいじゃねえか」

「熱いうちに打たれた武器は冷め切ったときに売るが一番だけど。熱いうちに食べず、冷め切ったパンをあなたは食べたいと思う?」

 卸したパンはすでに冷め切っていると言いたいのだろう。

「焼き立てがいいと思う……」

 でもアルナイトも承知している。パンも刀剣も、いいものを作るには火を御さなくてはならない。

 特に武器屋は武器を作ってるわけではない。自慢の武器を問屋から卸してもらい、それを売りさばく。

「わかった、じゃあこの平和なご時世だから、自由になる金がもう少し欲しいぜ。小遣い上げてくれ」

「武器がもっとばんばん売れたらね」

「矛盾だ!」

「矛盾なんてしてないわ、あ、お客さんが来たわよ早くまたあの宣伝文句を言ってちょうだい」

「ちくしょうわかったよ、おうお客さんいらっしゃい。さぁ、買った買った。ここにあるブロードソードとバックラーを。この剣はどんなものでも両断し、この盾はどんな攻撃も……」

 このように平和に支配された時代では、武器はまこと売れることがない。早く戦争でも起きて国王が武器を発注してくれねえかなとアルナイトは思う。

「おおい、アル」

「あら、あなた」

 母が在庫整理していた父親の姿を認める。店子として客を呼び止めているアルナイトが後ろを向く。

 もみあげの境がわからないほどに蓄えた黒髭の風貌をした父親。髪はぼさついて、いつ見ても東洋の修行着を身に扮した熊にしか見えない。

「修行の時間だぞ、今日も張り切っていくぞ」

「ああ、もうそんな時間か」

 そう言うなり、父親は店から離れた場所にある道場に赴いていった。

「母さん思うのよ。父さんはアルが好き、だからあんなにも優しくて、でしょう?」

「そうだな……」

「優しくて、ダンディなお父さんに恵まれて本当によかったわね」

 …………。


「バカヤロウ! 脇が甘い、まだまだぬるすぎるわ! このバカ息子がぁ!」

 父親が営む道場、いまは門下にアルナイトしかいない。そんな寂しげな場所で父は叫ぶ。今日の父親はいつになく激しさが増している。

 刹那、制御できない怒りにまかせて父親は、情けと容赦を捨てて、頬に木刀の一撃を食わせた。

 あまりの勢いに押されて、アルナイトは尻餅をつく。

 殴られた頬がとても熱い。

「アル、やる気があるのか? 今年に入ってからお前は一七〇〇回は殺されているぞ! 木刀だと思ってふざけているのか? いつもこの木刀を真剣だと思え、だからもう一度言う、お前はこの刀で一七〇〇回は死んでいるんだ!」

「親父ぃ……」

 東洋ではこの木刀で相手をしあい、剣技を磨くという。

「こんな戦争のない世の中で剣を振るうなんて愚かじゃないか? 親父」

 ゆっくりとアルナイトは立ち上がり、一瞥を食らわせる。

「剣は人を斬るにあらず、相手の心を斬るものなり」

「ちきしょう」

「そして剣や拳だけが武道にあらずだ、相手の心を打ち負かすのもまた武道なり」

 特にこの時代、ペンが剣を超えた時代だが、話術や弁論術だけに注目されている嫌いがある。父はそれだけでは相手の心を動かすことも改めさせることもできないと言う。だから、こうやってアルナイトにしごきを入れているという。

 アルナイトは、この世に生を受けてから今日に至るまで、一度も父親から一本を取ったことがない。それが彼にとって何よりも悔しい限りだった。

 木刀に限らず、アルナイトは組み手で、父親手作りのさまざまな模擬武器を使っていた。

 また、真剣の扱いもいまは手慣れたもの。ただ、真剣で父親と試合を交えたことはない。しかし、アルナイトに武器を使う心構えを教えるために、全ての武具の使い方を徹底的に叩き込んだ。

 本物の武器には魅力があったが、アルナイトが進んで使おうとは思ってもいなかった。

「多くの武器を使い熟れてきたが、心はまだまだ熟してないな」

「本当にありがたい親父だ、ここまで教授してくれる師匠はなかなかいない」

 アルナイトは横を向く。そこにはヘパイストスの武器神を象った立像がある。

 いつも二人が崇拝し、武器で心を斬ることを誓うためにここにある。

「このわしを倒してみよ。それが親子愛……いや、師弟愛というものだ」

 擦り切れかけたアルナイトの木刀。この木刀を作り拵えたのはせいぜい二年ほど前。そろそろ折れそうで、新しいものを父親に作ってもらいたいところだった。父親は無駄な動きがなく、木刀は粗く使い古された形跡を見つけることができない。新品も同様に見えた。

 組み手が再開された瞬間、息を絶え絶えにして試合を始めたアルナイトの隙を狙って懲らしめるために、父親はぼろぼろの木刀に自分の木刀をぶつけてきた。

 木刀は父親の薙ぎ払いに勝てず、その場でぽきっと折れた。

「木刀が……」

「案ずるなアル、お前の心もいままさにこれで、実に折れているのだからな」

 父親が予備の木刀を投げ渡してくる。力つき賭けた目ながらも、放られた木刀を受け止める。

 先ほどに父親が言ったように、アルナイトはさまざまな武器を扱いこなしてきた。

 木刀ではいまの父親には勝てないと悟る。父親から勝利を奪うにはどうすればいいか。無論、木刀以外の武器に代えるなどということはできない。では、どうすれば。

 そこでアルナイトは想像を膨らませて世界を巻き込んだ。

 想像力が働いた瞬間、彼の目にはすでに木刀は別の武器へと変わっていた。

 アルナイトは父親から一歩下がり、木刀を脇に抱えながら、深く深くと一礼した。

 そして、脇に据えた木刀には必要あるはずがない、抜刀の様子を見せる。

「なんだ、その無駄な仕草は? まるでカタナのように」

 父親の目にはそれはまだ木刀にしか見えないのだろう。だが、アルナイトにとってはすでにそれは木刀ではない。

「親父、これはカタナだ」

 極東から伝わったと言われるカタナという名の剣。その『カタナ』がいままさにアルナイトの両手に握られていたのを、父親も目にしているのかもしれない。

 父親は顔をしかめる。荒唐無稽か、病的か、彼からは世界のすべてを飲み込む妖気のようなものが漂ってくる。

「あのとき親父が言った言葉、いまでも覚えてるぜ。素振りの稽古を卒業した後、はじめて親父と対決することになった、十年前の言葉」

「わしから一本取るのは十年早い、か」

「その十年目がいままさに来たんだ!」

 身体からほとばしる熱気で部屋の空気が心なしか熱くなる。たぎる鍛冶場のように。

『カタナ』を向けアルナイトは、勢いをつけ胸にめがけ突きを入れる。だが、その突きをいとも簡単にかわされる。

「軟弱な、まだまだ修行が足りぬわ!」

 アルナイトに激昂するも、気圧されることなく彼は冷静さを保っていた。冷たい刃物のように。「それではわしの心は打てないぞ」

「そんなことを俺がする必要はないさ。親父は俺が熱い情のうちに厳しくも打ちつけて育ててくれたんだから」

「どういうことだ?」

「俺はカタナだ。親父が十年かけて打ち続け鍛えられたカタナだ。そのカタナでいま親父の心を斬って、いま恩情を返してやるよ!」

「言葉だけが達者ではわしには勝てぬぞ。真に実行してこそ言葉は生きるものだ」

「当たり前だ!」

 熱情が冷えきらないうちに、アルナイトは『カタナ』を汗と一緒に握りしめ、一心に父親の眼差しを覗く。

「きえーっ!」

 気合いを入れ込めるたびに幾度もあげてきた声をあげる。

 父親の怒りに圧倒されたが、逆にアルナイトはその怒りの一部ももらっていた。そして、それに振り回されることもまたせず、冷たい『カタナ』の冷徹さも兼ね備えていた。

「どりゃあーっ」

 父親の横際を通り掠めざまに、右腕を『カタナ』で斬りつける。木刀に相違ない『カタナ』であるが確かにその腕に剣戟の一打を与えた。

 だが、その一撃は浅く弱く、一本にはまだほど遠い。そのことはアルナイトも重々理解していた。

「来い、バカ息子。まだ終わりではないぞ!」

 一心に受け止めようとする父親の姿勢が、アルナイトの目に焼き付くほどの印象を伴って、泰然と聳えるように直立する。

「親父、覚悟!」

「おのれ!」

 父親が木刀を振り上げ、脳天に向かって下ろされる。だが、アルナイトは華麗に舞いかわし、その即に『カタナ』で一閃を薙ぐ。

「取ったぁ!」

 胴に乾いた音が立たる。一本をしとめたことを確かなものとする音。

 父親はその場にひざまづく。

 熱くなっていた身体がいっそうに冷えていく。部屋の熱気が下がっていく。

「大丈夫か! 親父!」

「もうちょっと手加減せんか」

「手加減して親父に勝てるとは思ってないさ。まして普段より怒りの感情を持っていた親父を征するのは並大抵じゃなかったさ」

「怒りとは人を意のままにしようとする身勝手ながら強烈な心だ。その心に負けず、それをねじ伏せて改めさせたお前の心構えには感服したぞ」

「嘘つけ、親父。本当は負けたくなくてあんなに怒ってたんじゃねえのか!」

「しかしさすが我が息子だ。だがわしを気遣う気持ちはあるようだ、優しい男に育ったな」

「どれもこれも、親父が優しいおかげだ」

「そうか」

 そのとき、掌と手がパンパンと叩く音がする。

「あなた、やったわね。アルがとうとうあなたから一本取ったわ」

 気づくと、母親がそこにいた。

 父親がゆっくりと起き上がり、アルナイトをゆっくりと双眸を向ける。

「お前が今日あたりわしから一本取るんじゃないかと思ってびくびくしてたんだ。まぁ、これも運命なのかもしれないな」

 しかしいまだに実感が湧かない。

「俺、本当に親父から一本取ったんだよな?」

「ああ、無論だ、我が息子よ」

「ふふふ、この時を母さん待ちかねていたわ」

 木刀が手から離れ、達成したことに武者震いが生じる。

「はっはっは、震えておるな」

「うるさいな」

「照れるでない、お前のやったことは大きな一歩だ。これで一人前の大人になったもう同然だ……と言いたいところであるが」

「なんだよ、親父」

 盛り上がったところで、出鼻をくじかれて、アルナイトは苛つく。

「一七歳のお前が本当に大人になるために、わしとともに聖地へ行かないか?」

「聖地?」

「そこで、お前は成人の儀を受け、名実ともに大人になることができるのだ」

「親父、そのためだけにわざわざ俺に稽古をつけてきたというのか?」

「その通り」

 呆れて言葉も出ない。しかし、アルのためにここまで育ててくれた父親に感謝したい喜びの発露があった。

「一年はかかろうかな、ちょうどお前が十八になったとき、聖地で成人の儀を受けることとなる。ちょうど間に合う」

「親父……」

「わしとともに聖地へ行こう、よいな?」

「ああ。でも武器屋の手伝いはどうするんだ、母さん一人だと心配なんだけど」

「母さんを見くびらないで欲しいわ、武器屋のひとつやふたつ母さん一人で経営できるわよ」

「俺の努力を一言で全否定しやがった! 俺がいままで手伝ってやった恩義を返せ! いますぐ返せ」

「そこまで言わなくてもいいでしょう? でも、母さんはアルが大人になって独り立ちしてくれることが一番だと思ってるの、それは本当のことよ」

 無理に言いくるめられた感があって、アルは言い返せず悔しかった。

 が、ここまで鍛えられ育てられたことはとても嬉しい。この鍛えられた心と腕があれば、きっと旅は極端に苦しいものにはならないはずだ。

「いてて……」

「大丈夫か、親父」

 父親は右腕を押さえながら苦悶の表情を浮かべる。どうやら先ほど加えた打撃は負傷にまで至っているようだ。

「案ずるな、平気だ」

 母親が父親に寄り添ってくる。

「あなた、久しぶりに二人きりでデートしない?」

「何を急にいうんだ、お前」

「いいんじゃねえか? 親父。しばらくのお別れなんだから、夫婦水入らずで過ごしなよ」

「何を言うか、子供のくせに」

「まだ俺を子供扱いかよ」

 はにかみながら、アルナイトは二人の背中を押して無理矢理送り出す。明日はきっと母親に送り出されるんだ。そのことを思いながら、父と母を二人きりにさせてやった。


 しかし、その夜のこと。

 父母は帰らぬ人となった。通り魔に襲われたのか、紋章を掘られた刀剣が現場に残されていた。

 アルナイトは父親の右腕を木刀で強く殴ったことを悔いた。それだけのハンディのみで父が通り魔にやられるはずがないとは心のどこかで思うのだが、それでもアルナイトは強く悔いた。

 それにしても、誰がやったのだろうか、犯人がとても憎い。

 そののち、アルナイトは一人で武器屋を切り盛りしていた。

 数日経った昼の刻、一人の男がやってきた。

「らっしゃい」

 その男には不気味な雰囲気が漂っていた。

「お前の父を殺した奴を知りたいか?」

 アルナイトは唇を噛む。こいつはいったい何者なのだろうか。

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