第三章 2(前) 「武器を持つこと、心を持つこと」
寺院の御堂には長椅子が整列していて、その列を分断するように長い絨毯が敷いてあった。
照明がこの都の中で一番明るいとはいえど、日の光ほどの強さもない。
先ほどとは違い、十字架を前にしてひざまずき、誰かが祈りを捧げていた。
身なりからして女性だった。もしかして。
「クルル」
相手がアルナイトを一瞥する。その顔を見て、彼はがっくりとした。キュリエだった。
「なんだ、お前か」
「そういえば、あなたの相棒さんがいないわね」
「そうなんだよ、クルルが。お前、心当たりないか?」
「……あなたの相棒さんのためにも祈ってあげる」
座ったまま深く辞儀をして、心の底から祈る様子を見せる。
「魔女のくせに祈るのか」
「信仰者は常に言うわ、神はわたしたちが思っている以上に慈悲深いお方だって」
神様は果たして魔女さえも許してしまえるのだろうか。だとしたら、アルナイトはなおさら許されるか。
「神が俺を許しても、俺は俺を許さないからな」
「かわいそうな人、それは謙遜とは言わない。慢心があるわアルナイト」
「慢心じゃねえ、俺の真心だ」
「それじゃあ、そういうことにしておいてあげる」
キュリエが上を高々と見上げる。十字架を見つめる。
「わたしもいつかあそこに行くのかしら?」
「天国か?」
「いいえ、十字架の高見に磔に」
「そんなのは人様が決めることだ、神様が決めることじゃねえ」
「皮肉ね」
そう言いながら、キュリエは再び頭を垂れる。
しばらく祈った様子の後、もたげていた首をあげて、目を見開き、唇を開いた。
すべての塵に帰りしもの
塵に帰りしもの最後の日
最後の日を決めし神へと
神へと帰れすべての塵に
突然彼女の口から出てきたきれいで切ない声で。ウィッチはどこまでも真っ黒な想像がアルナイトにはあるが、歌を歌うキュリエに対して意外なところを察する。
「聖歌か?」
「そうよ、わたしが作った。言葉もメロディも」
「お前が作ったのか」
「そうよ、何か悪い?」
ばつが悪そうな顔を見せ、アルナイトは戸惑っていた。
歌声が悪い、歌詞が悪いというわけではない。
ウィッチが聖歌を口から放つものではないという固定観念があるのかもしれない。
そんな固定観念ががちがちに固まっている自分自身が垣間見えたことで、アルナイトは自分が嫌になりそうで、びりびりと頭痛がする。
御堂に誰かが足を運んでくる気配がする。
「誰ぞそこにいるのか?」
振り向くと、聖衣らしきものを纏う人間が。神官だと思われる。
「連れがちょっと聖歌を口ずさんだだけだ、ここは寺院で、聖歌隊もいるだろうが、問題あるか?」
「問題はある、その者は魔女であろう?」
その言葉の後、キュリエは立ち上がる。
「魔女の分際で、聖歌を口ずさむこと、甚だ慎みなきこと。聖なる神を不敬に扱うことに同義なこと」
「そうか、ちょうど俺もそう思っていた」
キュリエが鋭い目つきでアルナイトをにらみつける。
「だから、俺には魔女に対する剥き出しの敵意を反省したい、そんな俺のために懺悔の機会をくれないか?」
「アルナイト……」
キュリエの目が緩む。
「魔女のことに関して我々が懺悔など……」
「何を躊躇ってるんだよ、あ、そうか。神官であるあんたも魔女を侮蔑したんだから、俺に懺悔をさせるわけにはいかないよな」
「おのれぇ」
「さぁ、俺と一緒に出よう」
キュリエの手を握り、外へと出る。
キュリエと暗い街を歩きながら、アルナイトは彼女と会話をする。
「ごめんな、俺も魔女が聖歌を歌うべきじゃないと思っててさ」
「いえ、みんなそう思うものとわたしは解してる」
「でも、お前の歌声は気に入った。お前が悪魔に取り憑かれてるとはとても思えない」
「……」
しかし、いまが夜なのか昼なのかわからなくて、アルナイトは不便に感じていた。始終こうにも暗くては、いつ眠っていいやら悪いやら、メリハリがつかなくて身体を壊しそう。
「この都はいったいどうなってしまったのかお前はわからないか?」
「たぶん、古剣コピスが秘めている魔法の効力によるもの」
「あの剣か」
「古剣コピスがこの都を、外部の他者と干渉できないよう、別の世界へと移し、外部と切り離したと解せる」
あの古剣コピスはクルルエリが所有していたことは前にも聞いた通り。その古剣コピスには魔法が宿っていて、魔界のような異世界への扉を開くもののようだ。
しかしただの一時的な夜とは見ていないようで、覚めない悪夢のように、人々は暗澹としてこの状況を見つめている風情があった。世界の終わりが来たに等しい顔をして、みんな顔を俯かせて歩いていた。威勢がいいのは先ほどの無邪気に騒ぐ子供だけだったか。
市場の店が立ち並ぶ大通りに出る。ところどころ張り巡らされたテントの店は、この暗闇の中では朝市というより夜の出店のように見えた。
しかし、店の番をしている人間は見えない。
こんなときに店を切り盛りしている場合ではないのだろう。
だがこの場にただ一人、店で肉を焼いている男がいた。
「何をしてるんだ?」
「見てわからないのか、肉を焼いてるんだよ」
「そりゃわかるよ、客は来るのかい?」
「いや、一人で食っちまおうと思ってた節なんだ」
鉄串に刺さった四つ切れの肉を焼く。
肉汁がじゅうじゅうと溢れんばかりで、汁が炭火に落ちるたびに蒸発して、香ばしい匂いへと変わる。
「豚肉とも鶏肉とも違うな、特別な肉なのか?」
「そうさ、これは牛肉だ」
「なんだって? それはさぞかし値の張るものだろう」
牛肉は格別にうまいには違いない。けれど、それは特別な日に食べられるかどうかのものである。何しろ、牛は肉にするのに時間がかかるし、おいしい肉にするためにかかる飼料代もバカにはならない。庶民どころか貴族が食うのも贅沢の極みとなる肉だ。
「この都の祭りが近づいているから、味を見てくれる客を探す目算で焼いていたのさ。だが、こうなってしまってはもう一人でやけ食いするしかない」
アルナイトとキュリエは、鉄串をじっと見る。
その視線に耐えかねたか、店の主は焼けた手頃な肉を二つ串、アルナイトとキュリエに手渡す。
「味の批評を聞かせてくれ、うまかったら代金を払ってもらう」
「おお、そうか悪いな」
鉄串の肉を食らいつき、よく噛んで肉汁を舌上に浸す。美味の極みといえるほど心が踊りそうになる。だが少し固い気がする、それは肉自体の問題ではないようで。
「ちょっと焼きすぎかな。俺はレアがいい」
アルナイトが早速批評を下す。
「焼きすぎだと?」
主が鉄串を奪い返し、一切れ肉に食いつく。
「本当だ、固いな」
「落ち着いて焼いたほうがいいぜ、火も心なしか強すぎる、炭が紅蓮の色よりも真っ赤だ」
そう言いながら、アルナイトは肉串を返してもらう。
「これ、祭りで焼くのか? ぜひとも笑顔を独り占めにするなよ、祭りでみんなに食わせて全員を笑顔にしようぜ」
「そうだな、ところで酒などはいるか?」
そう言いながら、主は足下にある大きな樽を開ける音を立て、粗末なグラスにブドウ酒を注いだ。
芳醇なブドウの香りが漂う。
「キュリエ、お前も飲むか?」
「遠慮するわ。男に酔わされていいことなんてひとつもないから」
「そうか、それは残念だ」
そうしてグラスに注がれたブドウ酒を、アルナイトは呷る。気分が高揚としてきて、酔いが早速やってきたものと見た。
「来るぞ」
「酔い、か?」
「酔いもそうだが、ガキんちょどもがな」
落ち着いた表情で冒険心をくすぐられた顔をして、子供たちが外でこの場所を見回っている。
「昼間から酒かぁ?」と子供たちがはやしたてる。
空が暗くなったのだから、昼間などどこかへ去ってしまったのだが、そんな冗談を羽振りながらアルナイトは近づいてくる子供たちを会話を弾ませる。
「お兄さん、約束だぜ。剣術を教えてくれよ」
「おう、見て学べ、とくとご覧あれ」
キュリエがその光景を微笑ましく見る。
「子供たちが来るのね」
「ああ、それと、敵襲も……っ。ちょうどガキんちょどもに見せる都合のいいショータイムだ」
店のテントで死角になっていた後方から、ばさっとそいつは姿を現し、アルナイトの頭に刀が振り下ろされる。
アルナイトは鉄串を振り上げ、下ろされる木刀を随意に受け止めた。
ステラルナだ。
子供たちが、すげえ、格好ええ、と感心の眼でアルナイトを見る。
「不意打ちとは卑怯なり、勇者殿」
「うるさいな、早くカリブルヌスを渡して! あれをボクに渡さないと魔王と太刀打ちできないのはアルも知っているでしょ?」
「急いてはことを仕損じる、慌てる乞食はもらいが少ないぞ」
そうして二人は木刀と鉄串で剣戟を交わしていく。
「主、頼みがある」
店主を後ろにしながら、アルナイトが話しかける。
「じ、自警団を呼んだほうがいいか?」
「いや、肉を焼いてくれ、子供たちのために」
肉が焼ける音を聞きながら、アルナイトとステラルナは互いに武器を叩き合う。
「どうしても渡さない気なら、力づくで取り上げるよ」
「また肩に力が入ってるな、それではいつまで経っても、俺を倒すことはできんぞ」
そう、ステラルナはこのままでは勝てない。
もちろんステラルナの姿勢や一生懸命さは重過ぎるほどにアルナイトに伝わっている。
だがステラルナの剣術はいまだに未熟だ。
剣を使う心構えができていない。剣で人を負かせることと、人を負かすことをはき違えている。
それでも違いがないと言うなら考えて欲しい、負かすとは相手を倒すことであり、負かせるとは相手が自ら負けを認めることである。どちらがよいかと問われると、後者のほうだ。なぜなら、人を負かしても心は折れていない場合があるからだ。人の心を改めさせて負かせることにこそ、剣術はあるべしとアルナイトは考える。
武器の優劣で人を斬ることはできても、武器の優劣からの結果として人の心を斬ることはできない。
人の心を斬るのは心だけなのだ。アルナイトはそのことを重ね重ね父親から教えられた。
心を斬るのも、心にぶつかるのも、心に訴えるのも、すべては心次第である。武器次第ではない。
ステラルナには心がこもっていない。心の強さはあるかもしれない。だが、その心には邪なものと焦りが感じられる。
真心がこもっていないのだ。
精神論と人は批判するかもしれない。
事実、アルナイトの父親もその批判から逃れられず、理解の浅い門下生の多くが道場を辞めていった経緯がある。
なおも戦い合う二人、だがいまだにアルナイトから一本を取れないでいる。
周囲で子供たちが黄色い声をはやす。頑張れどっちも負けるな、と言いながら行儀悪く肉串を振り回して応援する。
あんな鉄串を振り回したら危ないだろうに。
しかし、そんな予感が的中してか、振り回される肉串の先が通りがかった大人の男の足に当たる。
「いてぇ!」
突き刺さらないまでも、切り傷程度を負ったのだろう。しかし、男は必要以上に痛がる素振りを見せる、まるで泣かんばかりの赤子のように。
その傍らにいたもう一人の男性がその子供の胸ぐらをつかむ。よく目をこらしてみたら、あのときのチンピラ二人組だった。また性懲りずにとアルナイトは虫酸が逆流するのをこらえる。




