2 捕虜は「寒い」と言うが、番外レプリカントは意味が判らない
たとえ生産時の用途が用途であろうと、レプリカントは普通の人間よりは「性能がいい」。
運動能力も演算能力も、個体差が大きい人間と違い、皆ある一定以上のレベルを持って生まれてくる。人間は、彼等を有能な奴隷として使うために、感情以外のものなら惜しみなく彼等に与えた。
そしてその能力は、結果的にどんな用途にも適応する。それが当の人間を皆殺しにするためにも。
キムは長い髪をかき上げると、視界の波長を可視光線から赤外線に切り替えた。おそらくは周囲あちこちに待機しているだろう、仲間も同様の行動をとっていると彼には思われた。
今夜だ、と言った首領の表情を彼は思い出す。いつもと同じ乾いた声は、皆殺しを命令する時と同じ口調で、生け捕りを命令した。
何だっていうんだろうな。
キムは思いつつも、仲間達の位置をテレパシイで確認する。
レプリカ同士には感応力があった。人間の思考を読むのとは別の次元のそれは、彼等が作戦を行うのに非常に有効だった。しかも、彼等のその通信手段はどういう波長の違いか、どれだけ優秀な感応力者にしても、読むことができないものだったのだ。
波長って言うよりはね。
ハルはいつもそこで説明をやめて、どういったものかな、と薄く笑っていた。意地悪で教えてくれない訳ではないらしい。どちらかというと、どうして彼がそんなことを聞くのか、不思議と言った顔つきだった。
そしてその様子にやや苛立って、しつこく彼が訊ねると、今度はしつこい奴は嫌い、と言ってぷいと横を向く。
そんな繰り返しで、結局キムはその理由を聞いていない。
今度こそ絶対聞いてやる、と思いつつも、何故かいつも同じパターンに終わるのだ。
全く。
彼は交信を切ると、表情を引き締め、正面を見据えた。耳を澄ます。次第に音が近づいてくる。
…やってくる。
キムは腰の特殊セラミック刀を抜くと、いつでも長くのばせるように握り変えた。音は次第に人間の耳ででも聞こえる程度になってくる。
近づいてくる。緊張はしない。いつものことだ。土の上をずりゆくたびに低く響く車の音。音の大きさは、耳に届く時間は、自分の中で距離に換算される。
無機質な瞳が標的を視界に納めると、彼は音も立てずに走り出した。低い響きを立てるエンジンのあるはずのボンネットに飛び乗ると、突然の来訪者に驚く「人間」には無感情な瞳を向けたまま、彼はセラミック刀を長く伸ばした。
一つ、二つ… 幾つかの車が停止する。
いくつかはそのまま眠りにつき、また幾つかは素直に自爆する。彼は中の人間の肩章を確認だけすると、ひどく冷静に抹殺していった。首領は言ったのだ。この部隊の指揮官である佐官だけを生け捕りにしろと。別に他には関心はなかった。
そしてある一台に取り付いた。
その一台は、他の車よりやや天井が高いような気がした。そしてボンネットの幅がやや狭かった。変だなと彼は思いはしたが、方策を変えるのは合理的ではない。合理的に済ませないと、フルパワーで動くことのできる時間をオーバーしてしまう。
そしてまた首領から言われるのだ。
仕方のない奴だね。
あの乾いた口調で。
どうしてお前は自分の限界って奴を知らないんだろうね、と。
彼はそれを聞くのがあまり好きではなかった。それを口にする首領の表情はひどく柔らかかった。どんな時よりも楽しげに見えた。
だけど何故か、そのたびに彼はひどく不安になったのだ。
*
彼が肩に長い黒髪の佐官をかついで帰ってみると、そこに居たのは彼の首領ではなかった。
「トロア」
「お帰りキム。それが例の佐官か?」
「ああ」
アルトの声が彼を迎えた。キムは肩の捕虜を持ち替えるふりをして、自分に向けられた視線を避けた。眉をやや寄せる。彼はこのトロアと呼ばれる首領の副官が好きではなかった。
いやトロアだけではない。
首領には二人の副官が居た。彼がこの戦列に参加する前から、いや戦列を組むその前から、その二人は首領についていたらしい。
トロアとフィアと呼ばれているその二人は、造形的な具体的性別は女性と無性と違ってはいたが、それ以外の部分では実によく似ていた。人間で言うなら、双子と言ってもいいくらいだった。
それはよくあることだ、と彼も知ってはいる。同時期に同じ場所で作られた量産の身体は、同じタイプになることが多い。だが、それにしてもこの二人はよく似すぎていた。
そして奇妙なことに、この二人は彼の首領にも何処となく似ていた。
「何処へ置いてくればいい?」
「向こうだ。目覚めたらすぐに話をしたいと言っていた」
そう、と言って彼はトロアの指す部屋へとそのまま進んで行った。
歩いていくにつれて、頬に当たる大気が痛いものになっていく。捕虜の髪は流れる大気に首筋に触れる瞬間、すっと冷たい筋を描いていく。
ああまたここも空調が壊れたんだな。
彼等がとりあえずの本拠に決めている場所は、ヴィクトール市からやや離れた廃工業団地だった。そこはレプリカの生産にいそしむSL財団の施設完備の所とは違い、小さく、長い間捨て置かれた設備は所々に穴が空いていた。
この惑星は基本的に冬なのだ。空調はどんな時にしても必要なものだった。人間ならば。
そのあたりが所詮は機械の身体なんだ、と彼は思う。確かに大気が冷たいとは思う。気温が低いと思う。だけど、それは「寒い」訳じゃあない。
その言葉の意味を聞いてはいる。だけど彼はその言葉の意味を知らなかった。
ノックをしたら、お帰り、と返事があった。扉を開けたら、そこにはもう一人の副官のフィアが居て、何やら話をしていたようだった。少なくとも、フィアはハルに向かって何やら言いたいようだった。
だが。
「キムお帰り。それが俺の言った奴?」
副官の言葉など何処吹く風、ハルはそれまで面倒くさそうに座っていた席を立つと、戸口で突っ立ったままのキムに向かって声を掛けた。
「…ハル…!」
「何フィア。キムが帰ってきたんだよ? 俺の頼んだ仕事をしてさ。だからお前も自分の仕事につけばいい」
「…」
「命令だよ」
首領はひどく乾いた声でそう告げた。
そう言われれば、フィアはその場から立ち去るしかなかった。少なくとも、キムの知る様子では、そうするしかなかったのだ。
扉が閉まったのを確認すると、ハルはそばの簡易ベッドに捕虜を寝かすようにキムに言った。これは命令じゃない、と彼は感じていた。どちらかというと、「お願い」に近いな、と。
決してそのことを誰にも言うな、と首領が忠告するから、キムは自分が首領のその「命令」… 聞かない訳にはいかない絶対的な命令が効かないことを誰にも言っていない。
それはあの副官達にも。
もし、実際は既にそれをハルがあの二人に口にしていたとしても、キム自身、言う気がしなかったのだ。
あの二人を、直感的に好きになれなかったこともあるが、言ったら最後、それを自分の弱点として握られるような気がして仕方がなかったのだ。
*
確かに、その捕虜は役に立った。
「元気ないじゃない」
彼はその捕虜に陽気な声をかけた。黒い長い髪の捕虜は、やや眉間にしわを寄せた顔で、彼をゆっくりと見上げた。ああまたそんな顔をして。キムは軽く肩をすくめた。
目覚めてからずっと、この捕虜――― Gと言った――― は、こんな表情ばかりをしている。
「…別に」
彼の首領とはまた別のタイプの低い声が、素っ気なく耳に飛び込む。
「つれないなあ」
「別に馴れ合わなくちゃならない理由はないよ」
ふうん、とキムはうなづく。確かにこの捕虜は馴れ合おうとはしていない。自分の所属していた軍を、あれほど手ひどい方法で裏切っていながら、だ。
キムはそんな彼を見ながら不思議に思う。そんなに悩むくらいなら選ばなければよかったのに。
Gの座っている階段の、隣に腰を下ろすとキムは両手で頬杖をついて、素直な疑問を口にする。
「人間ってのは、やっぱりお前のように、いちいちいろんなことで悩むのかなあ」
「別に人間って訳じゃないさ」
何となくその言葉に彼は驚く。こいつからもそんな台詞が出るとは。
だが表情には出さない。そしてそれまでの口調を続行する。なかなかそれは、この何やら複雑な精神回路をしているらしい捕虜には有効そうに、彼の頭は計算していたから。
「でもGは人間に見えるじゃない?」
そして質問には微妙に真実を含めて。Gはその質問とも言えないような質問には曖昧に笑いを見せると、話題を別の方向へと移そうとした。
「お前はいいのか? キム」
「何が?」
「忙しいんじゃないのか? 出発の」
ああそのことか、とキムはうなづく。確かに出発の準備は忙しかった。
この捕虜がやってきてから、戦局は完全にレプリカント側に有利になった。何せ敵方の佐官級が、こちらについたのだから。
捕虜の眠るベッドのそばで、首領はキムに「使い道」を説明した。
「情報源」
キムは復唱した。
「そう。情報源だよ。ほら階級は少佐。しかもこんなに若い。まああの連中に外見年齢はそう関係ないけどね。でも彼は、この少佐は本当に若いと言っていたから」
首領は眠る捕虜の階級章から、首筋に手をはわせる。
そんなことをしたら目を覚ますのじゃないか、とキムは思ったが、どうやらその気配はなかった。捕虜はぐっすりと眠り込んでいた。
「よっぽどお前は上手く急所をついたんだね」
ハルはくすくす、と笑い声を立てる。キムは何となく自分の中に苛立つものがあるのを感じていた。
時々、そんな苛立ちが自分の中に起きることがある。
だがその正体がさっぱり彼には判らない。それはあの首領に時々感じる不安と同じだった。確かにそこにその感覚はあるのに、それがどんな感情であるのか、上手く言い表すことができない。自分に対してすら。
だが「彼」と首領が、誰のことを指すのか、キムにはさっぱり想像ができなかった。とは言え、特に訊ねるだけの必要も感じなかったので、この時は訊ねなかった。
そして目覚めた捕虜は、何やら自分には理解しにくい会話を首領と交わすと、ひどく疲れたような笑いを浮かべて、自分の知っている限りの情報を彼等にもたらしたのだ。
その情報は実に有効だった。
ヴィクトール市のレプリカ工場は、レプリカ達の手に渡り、彼等はその真ん中で話し込んでいた。
ひどく天気が良かった。
寒期の近い時期の空は果てしなく青く澄み切って、多めの水で溶いた絵の具でさっと流したような雲がその中に走っている。
Gはそんな空を時々眺めながら、口調だけは明るいキムの話をぼんやりと聞き、そして面倒くさそうにあいづちを打つ。
「忙しいのは忙しいんだけどさ」
キムはGの疑問に答えてやる。
「だけど、とりあえず俺のできることはやったから。あとのことは俺がやっても大した手助けにはならないし」
「お前って変なところで合理的なんだな」
「だってそれ以外何ができるって言うの?」
本当に、そうだった。キムにしてみればこの捕虜の迷いが判らないのだ。
「確かにそうだけどさ…」
Gは言いごもる。そんな姿を見るたびに彼は疑問に思う。一体こいつは何のためにこれまで戦ってきたというんだろう?
少なくとも自分自身のためではないだろうことは容易に想像がついた。
自分自身が一番大切な奴だったら、条件の悪すぎる作戦からは何とかして逃げるだろう。自軍が大切だったら、捕虜となってからこんなにあっさりと彼等の首領の言うことは聞くはずがない。
だったら何故なんだろう。
キムは思う。
予想はつく。合理的に考えれば、答えを出すのはたやすい。
おそらくGは、彼等の首領の知っている「誰か」を知っているのだ。そしてその「誰か」の命令が、そこに含まれているから、彼はそれに逆らえない。いや、逆らいたくないのだ。
ただその理由が、キムにはさっぱり判らない。
自分がハルに味方している理由は、簡単だった。助けてもらったから。自由をもらったから。そして自分と同じようなレプリカを助けてあげているから。
単純で、簡単で、そして実に真っ当な理由だ、と彼は思っている。それ以外のものはない、と信じている。その他の理由が彼にはとりあえず考えつかなかった。
「それだけで割り切れたら、簡単だろうね」
「割り切ろうとしなければ、割り切れる訳ないじゃない」
「確かにそうだね」
だけどその口調には、力は無い。
不意に通り過ぎる風に、Gはぶる、と身体を震わせた。
どうしたの、とキムはそれを見て訊ねる。
「ああ、寒かったんだ、ちょっと」
「…寒い? ああ、気温がだんだん下がってるからね。もう一枚借りてこようか?」
「いや、そういうことじゃないんだ」
立ち上がって、「もう一枚」を素直に取りに行こうとするキムの手を苦笑しながらGは止めた。
「何だよ、外気が冷たいんなら、お前は人間なんだから、我慢するこたないんだよ」
いや、とGは首を横に振った。
「確かに外気が冷たいってのもあるんだけどさ…」
「何だよ」
「そうじゃなくて、俺は、寒いんだ」
「だから…」
キムは同じ答えを返そうとした。一体こいつは何を言いたいんだ?だが相手は何も言わず、哀しげに笑うと、手を離した。
「ありがと。貸してくれるんなら嬉しい。確かに今の季節は」
「…うん」
長い髪を揺らせて、キムは階段を昇って、建物の中に入っていく。「もう一枚」を調達することは難しいことではない。捕虜だからって、彼が見ていなくたって、Gはこの場で危険なことは何もない。
だがキムは一瞬何を思ったか、階上からGをふと見下ろした。Gは先刻彼が見つけた時よりも、もっと身体を丸めているように見えた。
何だっていうんだろう。
彼の中の疑問は強まる。
そんなに外気の冷え込みは厳しいんだろうか?
だけどそういう意味で寒いのだったら、階段の鉄柵になど顔をつけるべきじゃあないのに。矛盾した行動は、「覚め」てから時間さほど経っていないレプリカントを戸惑わせていた。
首をひねりながら、それでも彼は建物の中の、衣類を保管してある部屋へと向かった。
奪取したこの「町」は広く、そして物資も豊かにあった。それを必要とするかどうかは別として。レプリカント達は全く防寒具が不要という訳ではなかったが、それでも生身の人間よりは格段の差があった。
何処だったかな、と彼は長い廊下に面した扉を一つ一つ開けていく。「町」の中心部にあるこの建物は、模した赤煉瓦づくりの、どちらかというと縦よりは横に長いものだった。
どうやらそこは、この工場で働く地元の若年作業員のための夜間の学校に使われていたらしい。こういった「工場」では、「社員」は大した人数ではない。コストの関係で、単純労働で済む分は現地で調達することが多いのだ。
たどっていくその部屋は、一つ一つが奇妙に大きく、廊下に面してすりガラスの窓が貼られている。
だがそれはキムにはさほど興味のないことだった。歩けば音がするような廊下を小走りに歩き、一つ一つの部屋の正体を自分自身に明らかにしていく。
と、一つの部屋の前で彼は足を止めた。
聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。あの乾いた低い声と、何処かそれに似た、アルトの声。
それが首領とトロアであることに気付くのは簡単なことだった。そうだこの二人のどらかなら知っているだろう。そう思い、彼は扉に手をかけようとした。
だが。
「…そうだよ」
キムはドアノブに当てようとした手をはっとして引っ込めた。
「俺は勝手だ」
そんなつぶやきがキムの耳には届いた。首領の声だった。