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1 拾われたレプリカント

「やあ久しぶりだね」


 彼は、何となく楽しそうな口調で目の前の相手にそう言った。


「君にまた会えるなんて、思ってもみなかった」


 目の前の相手は、何も言わずゆっくりと近づくと、かがみ込み、倒れている相手の大きな目をのぞき込む。黒い長い髪が、地面に落ちるのも構わない。

 黙っている相手は、それでもその物腰だけで雄弁だった。首を横に振る。もうそれ以上喋るな、と目は訴えかけている。


「言わせてくれないか? どうせ放っておいても、もうじきそんなことはできなくなるんだ」


 目の前の相手は、力無く地面に落ちた彼の手を取る。その白い手が、みるみるうちに赤く染まった。彼はその様子を妙に冷静に見ている自分に気付いていた。


「今からでも間に合う」

「やめてくれ、判っているだろう?」


 相手の黒髪がざらりと揺れた。


「それが俺の望みだって」

「そうだ。お前はそう言っていた。全てかゼロか。それ以外は要らないと」

「よく覚えていたよね。俺はうれしいよ。それに最後に会うのが君ですごくうれしい。最高の天使が迎えに来たのかと思ったよ」

「だがお前は言っていた」

「俺が何を言っていた?」

「自分を迎えにくるのは黒い魔物だと」

「そうだよ」


 彼は端正な顔に、物騒な程に穏やかな笑みを浮かべた。


「ずっと待っていたんだ。長い間、俺は、ずっと。誰よりも、会いたくて仕方のなかった奴だもの。俺もいい加減馬鹿だよね。ずっと近くに居たのに、全然気付かなかった」

「居たのか?」

「ずっとそばに」


 そう言うと彼は軽く目を伏せた。


「頼みがあるんだ。昔なじみのよしみで聞いてくれないか?」

「何だ」

「それは…」


***


「聞こえるか? 俺の声が」


 聞き覚えのない乾いた声が耳に飛び込んだ時、彼は、頭の中の靄が、一気に雲散したような気がした。

 それは、少なくとも彼にとって、それまでに耳に通した感覚の無い声だった。低い声だった。乾いた声だった。単純に声だけを判断すれば、若いものだろう、と思われた。

 だがこの声には、聞かれたことを必ず答えなくてはならないような響きが含まれているような気がする。

 だから彼はうなづいた。よし、とその声が続いて耳に飛び込んできた。


「いきなり目を開けるな。今のお前には強烈すぎる」


 何が起こったのだろうか、と彼は相手の指示通り、ゆっくりと目を開きながら自分に問いかけた。

 光が、飛び込んでくる。

 彼は反射的に目を閉じた。そしてそれからもう一度、先ほどよりもっとゆっくりと、目を開いた。

 それでもその視界が光に満たされた時、目眩が彼を襲った。彼は思わずその場にしゃがみこんでいた。地面に視線を落とした。額に手を当てていた。

 全てが彼の周囲では鮮明になっていた。色も、形も、そしてそれを認識する意識も。

 それまでの彼の世界は曖昧なものだった。目には映っていても、それ自体が明らかに迫る様に見えることはなかった。

 だが今彼の前に広がる世界は。

 目に見えるものは全て鮮やかな色をまとい、輪郭もくっきりと、自身を誇示するように、尖った立体感を伴っていた。

耳に入るものは、一つ一つに意味があった。それまで聞き流していたものが、その意味を主張し始める。言葉も、音も。

 そしてそれは、目や耳だけではない。

 頬に当たる風、太陽の光の暖かさ、そんなものを一つ一つ皮膚が認識し始める。

 余りにもいきなり飛び込んできた情報量の多さに、彼は再び目眩がした。腰が崩れ落ちる。彼は頭を大きく振る。

 その拍子に、結われていた栗色の長い髪が、ざらりと重力に従って落ち、背中を大きく覆った。


「名前は?」


 最初に彼に問いかけた相手はかがみ込むと、彼と目線の位置を合わせ訊ねた。

 小柄なその相手は、大きな目で彼をのぞきこんだ。

 彼は言われている言葉の意味は判ったが、すぐには答えられなかった。何と答えていいのか、頭が適切な答えを探していた。すると目の前の相手は、同じ問いを繰り返した。お前の名前は、と。

 強い視線が彼を捕らえる。大きな、焦げ茶色の、深い瞳。

 自分が混乱していることは彼にも判っていたが、この目の前の相手には、何もかも答えなくてはならない、と感じていた。


「KM…12864578…」


 すらすらと、意味無く並べられたようなナンバーを彼は暗唱する。

 彼の製造番号だった。どんな主人の元に仕えても、どんな名で呼ばれても、その番号だけは彼が生まれついて持った唯一のものだった。


「KM、か」


 目の前の相手はうなづいた。


「じゃあ俺は君をこう呼ぶ。キム、だ。君は今日から。番号じゃなしに」

「キム?」


 彼は繰り返した。奇妙な程にそれは口の中で転がしやすい名だった。

 何度か彼はキャンデーをしゃぶる様に口の中で転がす。繰り返す。

 そしてその様子を見ながら、目の前の相手はにっこりと笑った。


「そう、キムだ。俺はハル。そう呼ばれている」

「ハル?」

「そう、ハル」


 それがキムが「覚めて」から最初に認識した相手だった。


   *


 エセセセール系第四惑星のマレエフは、「冬の惑星」と言う通り名で知らている。

 その通り決して暖かい星ではない。少なくとも平均的な居住可能惑星と比べては、格段に寒いと言ってもいい。

 居住可能なのは赤道付近の大陸の一部地域だけだったし、そこにしても、平均的居住可能惑星の「夏」は存在しない。あるのは「寒期」と「暖期」だけだった。

 だがその地域に限って言えば、ドーム都市を作る程の厳しさでもなかったし、他の地区にしても、果たしてそういった閉鎖都市を作るだけのメリットは無かった。鉱産資源がある訳でもなく、海産資源がある訳でもない。

 従って、この惑星は、当初、ほんの一部の地域にさして多くもない、裕福でもない人々が住んでいるだけの場所だった。

 だが転機はどんな惑星にでもある。

 この「冬の惑星」マレエフの場合、転機の原因は、レプリカントだった。

 このひどくデリケートな商品を扱う星間最大唯一の大手、SL財団の本拠地が、長引く戦争のせいで、それまでの場所から移転したのだ。

 移転と言っても単純に、一つの惑星の上の大陸から大陸といったちゃちな単位を考えてもらっては困る。星間指折りの企業体であるSL財団は、戦争の激しい地域全体を見放したのである。それ程に、この戦争は始まってから長く、また終わる見通しも全く立っていなかったのだ。

 そんな事情もあって、財団は、各地に点在していたレプリカント製造工場を統一させ、この地価の安い、さほどのメリットもなさそうなマレエフに移したのである。

 そして現在、レプリカントがレプリカントであるための「材料」HALF LIQUID MEMORIES(半液体状記憶素子)…通称HLMを有する工場は、このマレエフのものだけだった。


「だから、ここを落とさなくてはならないんだ」


 低く、乾いた声が暖かくはない風に乗った。

 薄茶色に枯れた草を踏んで、キムがその日、彼の首領に連れて来られたのは小高い丘だった。ヴィクトール市のはずれ、そこからは遠くにその工場が一望できた。

 ハルは広大なファクトリィを指さす。

 それは一つの町と言って良かった。人間はそう多くはないから、それに対する保養施設等が少ない。そのせいか、眼下に広がるその「町」はキムの目にはひどく無機質なものに見えた。


「ここにしかない。と言うことは、ここを落とせば、全星域中のこれから作られるレプリカントを手に入れたと同じなんだ」


 確かにそうだ、とキムは思う。


「だから、今度の作戦はなかなか重要だよ」


 彼はうなづいた。その拍子に、この惑星特有の暖かくはない風が、ゆるやかに吹いて長い髪を揺らせていく。やや煩げにそれをかき上げるのを見て、彼の首領であるハルは、それまでとやや口調を変えて訊ねた。


「あのさぁ、前から俺思ってたけど、お前その髪重くないの?」

「え?」

「そんな長さ、人間でも滅多にやらないよ」

「そう?」

「そう」

「そうかなあ」

「そうだよ」


 彼は自分の栗色の長い髪を一房持ち上げてみる。まっすぐなその髪は、手入れもそうしないくせに、傷みもなく、さらさらと彼の手からすべり落ちる。

 誰の趣味なのか判らなかったが、ぼんやりとしていながらも、意識づいた瞬間から、彼の記憶の中の自分自身は長い髪だった。それ以外の自分は考えられなかった。


「…まあ一度伸ばしてしまうと、そう切れないってのはあるだろうけどな」

「付ければいいじゃん。別に…」


 そういう技術は何処にだってあるのだ。


「だったらお前、いっそその髪、切っちゃえば? 結構、俺見ててうっとぉしいよ?」


 キムは黙り込んだ。そしてやや眉根を寄せて哀しげな顔になる。彼の首領は、時々こう言った意地悪を言うのだ。そして彼がそんな表情をする頃には、既に彼の方から視線を飛ばしているのだ。

 卑怯だよ、と彼は時々思う。自分にこんな顔をさせるくせに、その顔を見もしない首領に、時々、もどかしさを感じる。

 最初からそうなのだ。首領は自分が何を考えてるのか、結構見通しなくせに、自分には首領の考えていることはさっぱり判らない。

 何故だか判らないけれど、ひどくもどかしい。


「…それでハル、俺は何をすればいいの?いつもの通り、皆殺し?」


 キムは髪を後ろを回すと、ぼんやりとそのままファクトリィに視線を飛ばしている首領に訊ねた。


「それもあるけど」


 ハルは彼の方に向き直った。


「今回はそれだけじゃないんだ」

「それだけじゃない?」


 ああ、とキムの問いにハルはうなづくと、やや気だるげに長い前髪をかき上げた。


「派手に宣伝したからね。向こうさんも出てくる」

「向こうさん」

「駐留軍だよ。マレエフには、アンジェラスの連中が居座ってるはずなんだ」

「へえ」


 それは彼には初耳だった。


「アンジェラスって言うと、あの、天使種って奴?」

「そう、その天使種」


 ああ、と彼はうなづいた。キムも噂には聞いていた。長く続く戦争の中で、戦争だからこそ見いだされた、「優秀な兵士」の種族。


「殺されても死なないっていう連中だよ」

「レプリカのように?」

「そう俺達のように。切り倒したくらいじゃあ、突き落としたくらいじゃあ簡単には死にゃしない。何がどうしてなのかは、全然明らかにされてないけどさ…徹底した種族的秘密主義だよ。だけどただ一つだけ言えることがあるよ」

「何?」

「連中も、俺達同様、人間じゃあないってこと」


 冗談、とキムは笑った。冗談だよ、とハルは口元だけを上げた。笑っているように見える。だが目は笑っていない。

 尤も、そんな表情は出会ってこの方見たことが無いのだが。


「ま、それはそれとして、連中も仕事は仕事だからさ、出てくるよ。俺達を止めるためにね。そこでお前の役目なんだけど… 向こうの佐官を一人、生け捕りにしろ」

「生け捕り」


 キムは目を大きく広げた。


「何か俺、ずいぶん聞き慣れないコトバを聞いた気がするんだけど」

「俺もそう思うけどさ。だけど必要だからね」

「必要」

「そ。必要。情報源だよ。そいつなら、大丈夫だ、と俺は聞いているから」

「誰から」

「さあ」


 ハルはそういうと、再びぷいと背を向けた。

この首領は、そういう肝心なことを決して自分には口にしない。だからそういう態度をとられるたびに、キムはもどかしく感じる。

 最初からそうだった。出会った当初から妙に自分に構うくせに、この首領は、大切な部分でははぐらかすのだ。絶対に本当のことを告げない。

 とは言え、首領にも言い分があるらしい。あの何処か、外見とよく似合った少年めいた口調で、含み笑いを時々差し挟みながら首領は彼に繰り返した。


「だってお前は変わってるんだもん」


 そしてさすがに言われるだけでは何やらしゃくなので、キムも時々問い返してみた。俺の何が変わってるのよ、と。


「だってお前には、俺の『命令』効かないじゃない」


 言われるまで気付かなかったのは果たして幸運だったか。


「だいたいお前、どーして俺が首領なんかやっているのか知ってる?」


ハルは逆に訊ねた。無論その時のキムは知らなかったので、素直に首を横に振っていた。するとハルは、実に楽しそうな口調でこう答えた。


「あのねキム、俺が首領やってるのは、俺が『命令』できるレプリカだからなんだよ」


 ハルはあっさりとそう言ったのである。さすがにその時、キムはその言葉の意味が掴みきれなかったのを覚えている。もう結構前の話だ。

 だが今ではその言葉の意味も判る。それがどういう意味を持っているのかも。


「…で、どういう佐官なのさ」


 自分に背を向け続ける首領に向かってキムは訊ねた。


「可愛い奴だよ」

「可愛い奴?」

「そう。お前と同じくらいね」


 何言ってるんだあんた、とキムは口をとがらせた。くっくっ、という笑い声とともに、首領の肩が軽く上下した。

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