秋のホップ狩り
踏鞴家給地から、はなれること数時間。
針葉樹がぼさぼさと茂る森の中を、僕はてくてくと歩いている。
「イヌマキだ。こんなところにも生えてるもんだなあ」
密生する葉っぱの間からちょこんと飛び出しているのは、ひょうたん型にくびれた木の実。
ひょうたんの根元は、いかにもおいしそうな赤色。
ひょうたんの先端は、いかにも毒々しいむらさき色。
一つむしって、実の、赤い部分をいただく。
ねっとりした食感で、ちょっとあおくさくて、シンプルに甘い。
むらさき色の部分には毒があるから注意だ。
「なんでも食うよな、オマエ。すげえわ」
さっそく皮肉をとばすのは、横を歩く悠太君。
これがなくちゃはじまらないよね。
「近所の庭木がイヌマキでさ。よく実を分けてもらったんだ。悠太君も食べてみなよ」
「あまっ、うわっ、あまっ!」
「でしょー?」
「少しなら、かまいませんが」
はしゃいでいたら、優しくたしなめられた。
このあたりは、寒川家給地の共有林になっているのだと言う。
よそさまの財産を、おなかいっぱいになるまで奪うわけにはいかない。
「この木は、加工できんこともないですからな。なにより頑丈だ。寒川んところの家は、だいたいこれで建ててるって聞きますな」
「ああ、木目がまっすぐですからね」
「とはいえ、たいてい真っ直ぐじゃないですからな。歩留りは悪い。たいがいこの辺っていうのは、木には苦労しますな」
この世界のこの地域では、木を加工する道具があんまり発達していない。
したがって、たとえばダイナミックな木目のケヤキなんかは、今のところ、木材として扱えない。
イヌマキの木目は、まあ、それなりにまっすぐだ。
当たりをひけば、まっすぐで長い材が手に入るということ。
「大事な共有林に、よそものが入り込んでいいんですか?」
「ま、その辺は、持ちつ持たれつですな。米だの豆だの、寒川んところにおろしているわけですから、うちらは。
それに、今後は寒川んところが、うちらの大事なお得意様になるわけでしょう。葛乃も、たいそうはりきっていましたな」
「ああ、なんかすごく想像できます」
「そりゃあ、口元をむずむずさせてましたなあ」
僕と幅木さんは、くすくすわらった。
「さてさて……うん、今年もしっかり、実を付けたものですよ」
幅木さんが、イヌマキに巻き付いた草のつるをひきちぎった。
つるの先には、かわいらしい果実。
見てくれは松ぼっくりそっくりだけど、若葉のように新鮮なひすい色。
「おお……おおお……これは、これはまさに!」
おもわず興奮して、にぎりこぶしで腰をぽんぽん叩いてしまう。
これのため、幅木さんにむりやりついていったのだ。
手近なつるに手を伸ばし、果実をひきちぎって、ほおばる。
幅木さんは、ぎょっとしてから、根深い疑惑の目をこちらに向けた。
悠太君はといえば、もちろん、『はじまったよ』の顔。
「んんん! この苦味、この香り、ああ、これ、これはやっぱり、うわああ! これはすごい、すごいことですよ幅木さん!
これはまさに、ホップです!」
「ホップ? なんだよそれ」
「うわー! どうせカラハナソウじゃないかと思ってたんだけど、うわっ、にがっ、あははは! 口の中びりびりする!」
ついに、ついに、ついに見つけてしまいました。
セイヨウカラハナソウ、すなわち、ホップ。
二十歳ぐらいのころ働いていたバーでは、こいつを揚げたのが人気メニューだったんだ。
お酒のみの方は、すぐさまぴんと来たことでしょうけど。
お酒に詳しくない方のために、少しだけ解説。
ホップとは、ビールをつくる過程で使われる果実のこと。
ビールに苦味と香りを与え、雑菌の繁殖をおさえ、泡立ちをよくし、にごりを取りのぞいてくれる。
つまり、ホップなくしてビールなし、だ。
日本でも、高尾山あたりには、近縁種のカラハナソウが生えている。
けれど残念ながら、カラハナソウではビールに苦味がつけられない。
「ああ、なんてこった。これは大変だぞ。あとは麦芽だよなあ。でんぷんは米粉でもなんでも添加できるし……」
「白神、そろそろいいか?」
「えっ、あっ! ああ、ごめんごめん! 集めよう悠太君! たくさん集めよう必要以上に!」
「それは、すすめられたことじゃありませんなあ」
「うわっごめんなさい幅木さん! すみませんなんかもう興奮しちゃって!」
「なんのなんの。葛乃から、聞いておりましたからなあ。だめな時の顔というんでしょう」
「あああ、もうなんかすっかり当たり前になってる……」
自分のばかさ加減にげっそりしてきた。
悠太君が、横で爆笑している。
まあ、これもどれも、いつものことだよね。
もうすぐ二十七歳、自分は自分以外のなにものにもなれないのだと、気づきはじめるお年頃です。
ホップが葛袋いっぱいになったら、次は土を集めるのだと、幅木さんは言った。
「土ですか」
「土ですな。のぼったりおりたり、よい土がとれる場所があるのです」
「うへえ。帰っていい?」
そんなわけで、のぼったりおりたり。
このあたりの地形は、川に浸食されてつくられた階段状の地形、河岸段丘だ。
ところどころ、ほとんど崖みたいになっている場所を、幅木さんはひょいひょいとのぼっていく。
低木やしだ植物がむしゃむしゃと茂る、段丘のてっぺん。
幅木さんは、鉄じいさん謹製の小さなくわを、地面に突きたてた。
落ち葉や、からみあった植物の根やなんかを掘っていくと、やがて、まっくろな土があらわれる。
「これですな。この、山の土と、川の砂を混ぜるのがだいじなことです」
と、幅木さん。
「ああ、それはもう……そうなんですね」
と、この世でいちばん無意味な呟きは、僕。
悠太君は、かんぺきに無言。
のぼったりおりたり、文化系男子ふたりには、ちょっとしんどい道のりだった。
息があがって、土を掘ったりはしゃいだりする力が、なにひとつ残っていない。
「今日はもう、このあたりで休みましょうか。どの道そろそろ陽が落ちますからな」
苦笑しながら、幅木さんが言う。
「すみません、ぜんぜんお役にたてなくて」
「いえいえ。気にすることじゃありませんな。白神さまに手伝ってもらえて、私もひとつ、子どもや孫に自慢の種ができたというものです」
ものすごく圧倒的な気づかいの力だ。
やさしいとか人を幸せにするとか、こぞって言われるだけの理由があるなあ。
まずは地面を掘り起こして、石積みのかまどをつくり、火をおこす。
しだや、間伐された枝を集めてきて、これが今日の寝床兼燃料だ。
秋の夕暮れはあっという間に過ぎていき、たちまち、しめっぽく肌ざむい、夜が来た。
丸鍋に、崖からしたたっていた水をあつめ、火にかける。
焼き干しにした鮎で、まずはだしを引き。
沸騰したら、焼き米をたっぷり入れる。
これは収穫後、鍋で乾煎りし、もみがらを取りはらったお米だ。
長期保存に向いている上、すぐに火が通るので、こういう時には重宝するのだという。
焼き米が煮えたら、味噌と、謎きのこ……ではなく干しまつたけを投げ込んで。
さらに、幅木さんがその辺で採ってきたきのこも、鍋に入った。
これはぜいたくだなあ。
熱と光と、心あたたまる香りが、森の中にただよった。
「お待たせしましたな。さ、どうぞ」
「いただきます」
鮎だしの、焼き米雑炊。
さてさて、そのお味は。
「んんん……ああ、うわあ……」
一口たべて、息が止まるかと思った。
しみじみと、体にすんなり入っていくような、このおいしさ。
お味噌の強い塩味に、干しまつたけと鮎のうまみがうれしい。
さらさらっと入ってくるお米をゆっくり噛むと、玄米の香り、甘み。
幅木さんがその辺で採ってきたきのこはといえば……
「あれえ? これ、きくらげだ!」
しゃきしゃきぷりぷりの歯ごたえ、表が黒くて裏がぼんやり白っぽい感じ。
まちがいなく、きくらげだ。
「こないだの雨で、まだ森が湿っぽいですからなあ。そういう日は、倒れた木に、これが生えるんです」
そういえばキクラゲは、広葉樹の倒木によく生えると聞く。
踏鞴家給地の周辺は、人の入っていない照葉樹林か、エルフが品種改良したケヤキ林。
このあたりは、寒川家給地のひとびとが共有林にしているから、広葉樹林に遷移しているんだ。
「うーん、生のきくらげすごいなあ。おいしいなあ。きくらげえらい」
乾燥したのを水戻ししたものより、歯ごたえよく、きのこっぽい香りがして、うまみも強い。
今度さがしてみよっと。
「そんな風にありがたがられると、おどろいてしまいますなあ」
「僕は白神としては、そんなにできのいい方ではないですからね」
人よりちょっと料理をつくるのが得意で、人よりちょっと、雑学にあかるいだけだ。
変に期待されて、一国の趨勢とかをあずけられたりするような展開にならなくて、本当によかったと思う。
「でもしかし、なんというか、安心しましたなあ」
「安心ですか? ああ、まあ……」
あ、よく言われるやつだこれ。
白神っていうから、もうちょっとえらそうにしてるもんかと思ってた、みたいなやつだこれ。
要するに、歳なり立場なり相応のふるまいができてないって意味のやつだこれ。
「康太さんは、なんとなく、私を避けておりましたし。それがこうして、だめな時の顔をしてくれるんですから」
うわ、もっとつらいやつがきた。
意図して避けてたつもりはないんだけど、とにかく色んなことがありすぎて、後回しになっていたのは事実だ。
幅木さんのところにかつがれる予定だった湖葉さんが、足高さんとくっついたのは、半分ぐらい僕のせいだ。
婚約破棄の片棒をかついだ男が目の前でへらへらしていたら、どんな気持ちになるんだろうか。
少なくとも、『ありがとう! 本当に助かったよ!』とは思っていないだろう。
「ええと、その……なんていうか……」
焚き火をみつめながら、もごもごと、口をひらく。
今日はもともと、その話も、どこかでしたいとは思っていた。
しかし、こんなはしゃぎきったタイミングで、向こうから切り出されるとは。
お互いに、ほどよくお酒がまわった状況で話したかった。
「なんていうかその……正味の話、足高さんと湖葉さんのこと、どう思ってます?」
「これはまた、まっすぐに聞きますなあ」
幅木さんは目をまるくしてから、たのしげな表情をうかべた。
「それはまあ、思うところもありますなあ。湖葉をかつぐというのは、決まっていた話ですから」
ごもっともすぎて、何も言えない。
「しかしね、最後にみんなが幸せだったら、ま、それでいいでしょう」
焚火の向こうがわ、幅木さんは、にこにこ顔のまま。
反応に困って、しどろもどろで、「いやあ、それは」みたいな愛想わらいを浮かべてみる。
幅木さんは、葛袋をひっぱってくると、収穫したホップを焚火の光にかざしながら、選別しはじめた。
「うちは、鼻祖んところにエルフが混ざっとりましてなあ。今はもう亡いひいばあ様なんぞ、小さい頃、過越の道を歩いたそうで」
ひとつひとつのホップをていねいに並べながら、幅木さんが、エルフのむかしを語りはじめる。




