大商人の料理番
饗宴から、七日が経った。
その後の、こまごまとした商談について、僕はよく知らない。
なにしろ、饗宴が終わった瞬間にぶったおれてしまったからね。
いきなり即死したのかと思った、とは、榛美さんの弁だ。
とにかく、踏鞴家給地と、『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』は、松茸に関する包括的な契約を結んだ。
いまは、ケヤキ茶や冷蔵庫、氷に関する商談が進んでいるらしい。
商談の場には、給地の民の代表として、悠太君が参加しているという。
ずいぶんとまあ、遠いところに行ってしまった気がするなあ。
僕はと言えば、とにかく、ごろごろしている。
思えば領主館で皮をはがされかけて以来、本当の意味でくつろいだことなど、なかったのだ。
長期休暇が必要だ。
ああ、どうでもいいスーパーのお惣菜を金麦で流し込みながら、酔った頭でAmazonとか楽天とか見たい。
酔った勢いで買ったわけの分からない調理器具を、めいっぱいもてあましたりしたい。
これでいいんだろうか?
うん、いいんだよ。
静かに横たわっていると、心臓がじんじん鳴って、体を揺らしているのが分かる。
おき火のような熱が、体の中を、逃げ場もなく、駆けめぐっている。
熱を冷ますように、ゆっくりと呼吸する。
僕に必要なのは、とにかく、長期休暇だ。
ああ、湯船につかって、きんきんに冷えたビールなんぞ呑みながら、ラテンアメリカ文学とか読んでいたい。
エイモス・チュツオーラあたりを、酔っぱらった頭でげらげら笑いながら読んでいたい。
「康太さん、あんまりくつろいでいると、二枚貝になりますよ」
ぼんやりと天井を見上げていたら、榛美さんに皮肉っぽいことを言われた。
「二枚貝かあ。いいなあ二枚貝。二枚貝になりたい」
「だめです! 二枚貝は二枚貝で大変ですよきっと! 冬はすごくつらいはずです!」
「そっかあ。理にかなっているように聞こえるなあ」
会話の知能指数が、いきなりただならぬ低下を見せた。
二枚貝かあ、考えるほど悪くないぞそれは。
泥と一緒にちょっとした有機物を摂取してるだけで、死ぬまであくせくすることなく生きていけるんだからなあ。
「ただいま」
ばかをさらしていたら、ピスフィとミリシアさんが、商談を終え、もどってきた。
「おかえりなさい! どうでした?」
「なかなか手ごわい相手じゃの、月句どのは。往時はいかほどであったか、想像もつかん。みどもらから、最大限の利益を得ようとしておられるよ」
「面白い相手でありますね、嬢」
「うむ。この経験は、必ずやみどもを成長させるはずじゃ」
自分を取りもどした月句は、ピスフィをして手こずらせるほどの難敵になっているらしい。
染料事業を育て、海外にまで販路を伸ばしたというその力は、伊達ではないのだ。
「しかし、康太よ。なんだそのありさまは」
部屋の隅で寝ころがっている僕を、ミリシアさんがとがめてきた。
「えっ? ええと、ごろごろしているんですけど」
「なんだそれは。それで説明したつもりか。呆れたものだ」
そんなこと言われてもなあ。
とにかく、やることはやった。
僕がのこのこ出ていって、したり顔であれこれとえらそうなことを言うような事態には、二度とならないはずだ。
寒冷化がはじまる前に、交易を再開し、食料を貯蔵する。
手に入れた大商人とのパイプを、給地のみんなは、しっかり生かしてくれるだろう。
まあ、保存食の作り方ぐらいだったら、よろこんで講義するけどさ。
これで、いいんだろうか?
「神話の時代は終われり、じゃの」
「その通りですよ、ピスフィ。給地はもう、白神を必要としていないんです」
穀斗さんと、僕。
ふたりの白神が曲げてしまった歴史を、彼らは、きちんと書き直してくれるだろう。
自分たちの筆で、自分たちの言葉で。
「それじゃあ康太さんは、これからずっと、ごろごろするんですか?」
「冬になると、拾い食いもできないからなあ。でも、春になったら山菜を摘んだり、夏になったら布を作ったりするよ」
「わあたのしそう! いっしょに布をつくりましょうね、康太さん!」
そうだ、僕はこれから、ここで面白おかしく暮らすんだ。
雨の日には弦楽器をつまびいたり、晴れた日には山で変なきのこを拾ったり。
いいなそれ。
鉄じいさんと一緒に、弦楽器っぽいものをつくろう。
カンテレみたいな、共鳴板がいらないものだったら作れそうだ。
……これで、いいんだろうか?
「それでよいなら、かまわんがの」
「嬢!」
「じゃが、白神がこの地に居座るのは、あまり褒められた話ではないな」
と、ピスフィ。
「もう一度、問おうか。こうたよ、みどもと共に、世界をめぐらぬか?」
「またその話ですか」
「なんとしても主ゃがほしい。あの饗宴で、気持ちをあらたにしたよ。
みどもは、主ゃよりもすぐれた腕をふるう料理人を知っておる。主ゃよりも知恵ある白神の伝手もある。じゃが、主ゃほど人の心によりそった料理を作れるものを、みどもは知らぬ」
「ほめすぎですよ。なんかが色々かみあって、たまたま上手くいっただけです」
「それであっても、かみ合わせたのは主ゃの力じゃ。みどもは、主ゃという剣を佩きたい。その時こそ、みどもは前に進むための大きな力を得られるじゃろう」
僕は身を起こし、ピスフィと向き合った。
その瞳は、夢に焼かれ、炉の中の薪のように白熱している。
「さしあたって、ピスフィ。あなたはこの旅で、何をなそうとしているんですか?」
「アロイカへ向かい、国王との商談を成功させる。とはいえ、少し海外情勢とやらの説明が必要じゃの」
「おねがいします」
さて、アロイカ王国は、以前にも説明した通り、地球でいえばモロッコみたいな場所にある。
大陸同士がぐっとせり出した、『顎の海峡』を領有しているわけだ。
「中つ海より広大な東海へ飛び出すためには、『顎の海峡』を必ずや通らねばならぬ」
「チョークポイントってやつですね」
チョークポイントというのは地政学、とくに海上権力理論で用いられる言葉だ。
かんたんに言うと、海上の交通路が集中している場所のこと。
そこを抑えられると、まったく身動きが取れなくなる。
「ここ最近、『顎の海峡』での海賊行為が盛んでな。中つ国諸国のどこぞかの私掠船ではあろうが、奴ばら、どうも尻尾を見せぬ。ヘカトンケイルの船も、たびたび沈められておるのじゃ。貿易も、魔大陸への物資輸送も、このせいで滞っておる」
世界地図を広げて、ジブラルタル海峡のあたりをちょっと見てほしい。
なにかの冗談かと思うぐらい、出入り口っぽい形になっているだろう。
しかもこの世界には、ピスフィの言葉を信じるならば、スエズ運河的なルートもない。
かならず通らなければならないのだから、わるさをしたければ、そこで待ち伏せしていればいいわけだ。
海賊にとって、これほど楽な話はないだろう。
「ヘカトンケイルが出張って、海賊船を沈めまくるってわけにはいかないんですか?」
「みどもらは、帝国たるを望まん。植民地も重商主義も、ゴカイに食わせておけばよい。
それが、表向きの理由じゃ」
「裏返すと?」
「商人同士の連帯など、望むだけばかげた話じゃ。競合会社の船が積荷ごと沈めば、それだけ儲かるからの」
「あれ? なんだかすごく、きなくさいですね」
「まったくじゃ」
ピスフィはまゆねをひそめ、ため息をついた。
「商人が海賊に資金援助しておる可能性とて、おおいにあるじゃろうな。さて、こんな場合、みどもらはどうすべきじゃろうな? どうすれば合法的に、アロイカに海賊鎮圧用の軍隊を派遣できるじゃろうな?」
「難題ですねえ。国際連合でも作りますか?」
「興味深い単語じゃが、後ほどじっくり聞かせていただこう。答えは一つ。ちかごろ、アロイカ王家が、徴税権の競売に乗り出すという話がある」
「ほう」
ぐっと興味深い話になってきたぞ。
徴税権とは、文字通り、税金を徴収する権利のことだろう。
地球でも、植民地時代以前、いろんな小国が大国に徴税権を売り払っていた。
買い取った側は、別段、私腹を肥やしたいわけではない。
いたいけな住民に対して横暴にふるまい、必要以上の資産を奪い去るというケースは、それほど多くない。
では、なんで徴税権を買い取るのか。
「徴税の名目で、軍隊の駐留が可能になるわけですね。その軍隊で、海賊の船をかたっぱしから沈めていく、と」
「その通り。まずは王への謁見を成功に導くため、この地の松茸を土産物とするわけじゃ」
「ふうむ、なるほど……でも、そこから先に僕の力が必要ですか?」
「無論。むしろ、そこから先が問題なのじゃ。みどもはアロイカ王に、食卓外交を仕掛ける。その場において、主ゃという剣がなければ話にならぬじゃろう?」
なんというか、ものすごく大きな話になってきた。
ちょっと理解が追いついていない。
僕の料理が、そんな大それた影響を及ぼせるとは、とても思えない。
「こうたよ。主ゃは、大商人の料理番となれ。顎の海峡に平和をもたらす、剣となれ。主ゃとみどもであれば、必ずや叶う。小さくも、世界平和のための、最初の一歩じゃ」
ピスフィは、理解が追いつかないほど大きな話を、小さな一歩と言い切った。
そんなピスフィを、美しいと思った。
かたわらの榛美さんに、おもわず、目をやる。
思うところはあるだろうに、榛美さんは、かたくなに無表情を保っている。
僕の力が、僕の料理が、世界を変える。
誰かを救う。
僕の中には、本当に、それだけの力があるんだろうか。
知りたいと、思ってしまった。
饗宴を成功させたときの熱が、今もまだ、僕を焼いている。
ごろごろするなんて言いながら、僕は、自分に問いかけつづけている。
これでいいんだろうか?
「ピスフィは、いつまで給地にいますか?」
「松茸が収穫できるまでは、ここにおろうな」
「その時に、答えを出します。それまで、考えさせてください。本当に僕が、大商人の料理番になるべきなのか。それでもここで、静かに暮らすべきなのか」
ピスフィはうなずいた。
「よかろう。考えるとよい。どちらであれ、後悔の少ない道を選べるよう、願っておるよ」
「ありがとうございます」
大きな嵐が去り、僕自身の未来と向き合うべき時がおとずれた。
僕は、どんな結論を出すんだろうか。
どこか楽しみですらあるのは、どうしてだろうか。
いずれにせよ、だ。
「ところで、おなかすきませんか? 実は鶏がらスープを炊いたんで、今日のお昼は汁ビーフンにしようと思うんです」
立ち上がって、にっこりほほえむ。
「とりがら! なんですかそれ! さてはおいしいやつですね!」
「嬢」
「まだなにも言ってもふぉーふぉがもふぉーもむ」
まずは目の前のみんなを、おなかいっぱいにするところからはじめよう。
どうやら僕には、それだけの力があるみたいだからね。
第五章おしまい。
第一部『踏鞴家給地編』最終章、『黄金色の秋』でお会いしましょう。




