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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第五章 大商人の料理番

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饗宴

 焼き干しにした鮎を、水からゆっくり煮て、だしを引いたら、ちょっとだけ葛粉を落とす。

 細かくすった黒豆豆腐に、鮎だしを少しずつ加え、伸ばしていく。

 塩、たまり醤油で味をととのえる。


 拍子木に切って、かりっと揚げたもちを小鉢に盛る。

 ここに、汁を、たっぷりかけてやる。


「お待たせいたしました。揚げ餅と、黒豆豆腐のすり流しでございます」


 四つの小鉢を、配膳する。


「餅の白と、黒豆豆腐の淡紫がたえな色合いじゃの。踏鞴様、いかがでしょうか?」


 月句は、ぼんやりとした瞳を、目の前の小鉢に向けている。


「いィ味じゃねェか。豆腐の甘さと、油っ気だな」

「ええ。揚がった餅にだしが絡んで、豆腐の食感もうれしくありますね。そこに、鮎の香りが鼻を抜ける……うん、佳良な一品であります」


 鉄じいさんとミリシアさんが味について語る間も、月句は、動こうとしない。

 小鉢を見つめるその瞳に、少しずつ、感情が浮かび上がる。

 憂いと怒り、嘆きと憎しみ、百年かけてもつれにもつれた感情。


「ぶどう酒色と……白……」


 風のような声でつぶやいた月句は、あくまで口をつけようとはしない。


「食えよ。手前ェが手をつけなきゃァ、メシが先に進まねェ」


 鉄じいさんが鋭い言葉を投げかける。

 月句は、鉛のかたまりでも持ち上げるようなのろくささで、木さじを持ち上げた。

 すり流しのからんだ餅をすくって、口に放り込む。

 だまって噛み、だまって飲み込み、また呆けたような顔をする。


 次の料理に移ろう。


 豆鼓とアミガサタケで引いただしを、塩で調味し、葛粉でとろみをつけ、ぼこぼこに沸騰させる。

 火からおろしたら、溶き卵を、笹串伝いに、しずかに流す。

 卵あんのできあがりだ。

 次に使うのは、この、やけに白くて細い、乾燥したなにかしらの物体。

 この日のために用意した秘密兵器、米麺ビーフンだ。

 米粉、ライ米粉、葛粉、それぞれのでんぷんを絶妙のバランスで配合して、理想の口当たりを生み出した。

 作るのに相当なんぎしたけど、それはのちのち、どこかで語ろう。


 一つだけ言うならば、まったくの素人が、でんぷん由来の麺を手さぐりでつくろうとすると、それはもうひどい目にあうということだ。

 まあ、それはともかく。


 ビーフンを三センチほどに裁ち、高温の揚げ油に放り込む。

 すさまじい音がして、鍋の中であっというまに膨張するビーフン。

 これを素早く大鉢にあける。

 なるべく高く盛りつけるのがポイントだ。

 卵あんの鍋と一緒に、猛スピードで客間にサーブする。


「揚げビーフンと卵あんでございます」


 月句の目が、はっきりと、見ひらかれる。

 鉄じいさんも、息子そっくりの顔をしている。


「失礼いたします」


 卵あんを、上から、ぶっかける。

 高温の揚げビーフンに触れた卵あんが沸騰し、湯気を吐きながら、音を立てた。

 耳に心地よい、水分のぜる音だ。


「夏に……たなびく……これは……」


 月句が、くちびるをふるわせる。


「あァ、そォか。そォ言うことかよ、白神」


 鉄じいさんが、たなびく湯気を手で振り払い、眉をひそめてうめく。


「春には、ぶどう酒色の葉に、白い枝。夏には、たなびく煙の花。そォ言うことかよ、白神!」


 怒りの形相で、僕を睨みつける鉄じいさん。

 気圧され、全身が凍ったように冷える。

 だが、この反応は想定していた。


「淡雪は、夏に、美しくたなびいた……かたわらには、母さまがおった……」


 月句の言葉。

 怒りと困惑がないまぜになった表情で、鉄じいさんが、振り返る。


「冗談じゃねェ。こんな悪趣味につきあッてたまるか」

「賽殿よ」


 立ち上がりかけた鉄じいさんを制すのは、ピスフィ。


「なンだ、ノーブルの嬢ちゃん。茶番が終わるまで大人しく座ッてるのが、元領主の義務だッてのかよ、えェ?」

「最初の一椀、黒豆豆腐をこしらえたのは、松切り番なるもの。小鮎は、足高殿とその子、捧芽殿によって得られた。葛を掘り、粉としたのは、湖葉このはじゃ」

「何が言いてェ? 嬢ちゃんにしちゃァ、回りくでェ言い方だな」

「こちらの一皿、卵は足高殿にいただいた。麺のかたちとしたのは、力自慢の賛歌殿じゃ。アミガサタケは、ゆうたとこうたが、給地にて見いだしたと聞いておる」

「だから、どォ言うつもりだッてンだよ!」

「賽殿のおっしゃる通り、みどもは遠回りを好まぬゆえ、腹づもりで言葉を並べることはせぬ。ただ、これらの者の尽力こそが、一皿に結びついておると申し上げた。それだけのことじゃ」

「……ちッ」


 舌打ちひとつ、椅子にどすんと腰掛ける鉄じいさん。

 木さじをのばしてビーフンをすくい、口に放り込む。

 とたんに、顔をしかめた。


「……どいつも、こいつもよォ。うめェもン作りやがッて、ばかやろォが」

「こちらのお酒と、あわせてお召し上がりください」


 カップになみなみと注いだ、琥珀色のお酒をくばる。

 鉄じいさんは鼻を鳴らし、カップをつかむと、一息に飲み干した。


「んん? こりゃァ……なんだ、この酒は!」


 いつもの清酒だと思って飲めば、それはもう、おどろきだろう。


「酸味がねェ……それだけじゃねェ、根ッこから、すべてが違いやがる……なンだ、こりゃァ」

チュイと呼ばれる麹を用いました」


 以前、クモノスカビで豆鼓を作ったことがある。

 そのとき、ものは試しとついでに作ってみたのが、マッコリや紹興酒づくりに使われる麹、チュイだ。

 ざっくり作り方を説明すると、水で練った米粉に、クモノスカビを植え付けたもの。

 クモノスカビは糖化の力こそ強くないけど、リンゴ酸などのうまみ成分をたっぷりと出してくれる。

 おまけに、麹とちがって、アルコール発酵までしてくれるのだからすぐれもの。


 曲で醸したお酒を布でぎゅっとしぼり、安置して分離させた上澄み。

 これぞ、とろりと甘い、黄酒ホアンチュウ

 さくさくあつあつ、うまみたっぷりのビーフンを、このどんくさいお酒で追いかけてやれば、舌はいつまでもよろこび続けることだろう。


「なにくれとなく曲の面倒を見たのは、葛乃じゃ。幅木殿に向けるのと変わらぬ愛情を、注いでおったよ」

「うるせェな。黙ッて呑ませやがれ」


 鉄じいさんは、仏頂面で酒をすすった。

 一方で月句は、料理から僕へと、視線をゆっくりうごかした。


「なにゆえ、このようなことを、する」


 哀願の瞳と、ふるえる声。


「お前は、お前たちは、寄ってたかって、わしをいたぶろうと言うのか。わし自らがえぐった、わしの心を、つかみだして、さらしものにして、笑おうというのか」


 答えを待たず、激しく首を振った月句は、うつむいて言葉を続ける。


「いや、いや! わしは答え合わせなど望まぬ。貴様の謎かけに付き合うつもりはないぞ、白神よ。なるほど貴様は、わしを罠にかけた! これまでのところは上手くいっておるぞ! じゃが、ここから先は」

「うるせェ」


 だしぬけに、鉄じいさんが、月句をぽかりと殴りつけた。

 あぜんとするほど、鮮やかなげんこつだった。

 月句は、口をはんびらきにした。


 もちろん僕たちは、口をぜんびらきにしていた。


「てめェは昔ッからそうだな、月句よ。なにくれと理屈をこねて、理屈が通りゃァ筋まで通ると思ッていやがる」

「なっ……なっ……わ、わしを」

「あァ、ぶん殴ッたぜ。残念だッたなァ月句よ、えェ? こいつが踏鞴印たたらじるしのまさかりだッたら、てめェは今頃まッぷたつで、上等な料理を楽しく喰らう邪魔をしねェで済んだものをよ」


 月句は憤然と、拳をテーブルに叩きつけた。


「わしの苦しみを、わしの憎しみを、知りもせずに……今になって、父親のような口をきく!」


 鉄じいさんは、後悔と苦悩に打ちのめされながら生きてきた、老いたドワーフの表情を浮かべた。

 百年に渡って繰り返された、堂々めぐりの自己嫌悪が、地層のようにむきだしになった。

 だがそれはわずかのことで、酒をひとすすりした鉄じいさんは、いつもの仏頂面にもどっていた。


「いィから、食ッて呑みやがれ。舌も目も今ので覚めたろォがよ」


 月句は、ミサイルみたいな勢いで木さじを鉢につっこみ、ごそっとすくい上げたビーフンを口に投げこんだ。

 がしゃがしゃと音を立てて噛み、飲み込み、酒のカップに手をやる。

 これもまた、たちまち飲み干して、音高く、カップをテーブルに叩きつけた。


「食った、呑んだ。貴様の言う通りにな」


 口元をぬぐい、鉄じいさんをにらみつける月句。


「ドラ息子にしちゃァ上等だ」


 応じる鉄じいさんは、皮肉っぽい笑みを浮かべた。


「いつだッたか、手前ェは語ッてみせたな。給地の、この先ッてやつをよ」

「覚えているとも。夏にたなびく淡雪のことも、母様の言葉もな。

 うなるほどの外貨を得て、森を拓き、強く大きな給地を我らが手に。貴様はそのとき、なんと答えた? 少なくとも、そのように訳知り顔の笑みを浮かべてはいなかったな」

「あァ、そォさ。手前ェの言葉に、夢を見た。俺も手前ェも、夜毎の夢を重ね合わせるドワーフだ。だから、手前ェとおんなじ夢を見たのさ」

「冊封の立場となり、給地に兵を置き、我らが国を。全てを我が手に。貴様とわしの見た夢じゃ。わし一人ではなく」

「火稟は、そォじゃァなかッたがな」


 鉄じいさんの言葉に、月句が、ひるんだ。


「あいつは知ッていたンだ。だれであれ、なにかの命を、自分のものにはできねェ……ちッぽけな虫一匹だッて、『我が手』とやらに留め置くことはできねェんだッてな」


 鉄じいさんと月句が、にらみ合う。

 やすりで削られるような、痛い沈黙。


「た、踏鞴様は、怒っていらっしゃるのよ。これでどうやって、踏鞴様を救える?」


 裏口から、松切り番さんが姿をあらわした。

 人払いしていたのだけど、がまんできず、入ってきてしまったのだろう。


「僕にできるのは、料理をお出しすることだけですよ。そろそろ頃合いでしょう。ちょっと手伝ってもらえますか?」

「えっあっ? ま、松切り番が? いいのかよ? ま、松切り番は、その……踏鞴様の……」


 名すら与えられず、虐げられた、月句の望まれぬ実子。

 それが、松切り番さんだ。


「松切り番さん、どうしてあのとき、領主館に残ると決めたんですか?」

「あのときは、ただ……そう、ただ、踏鞴様が、気の毒でならなかった。それだけのことよ」

「気の毒、ですか。あんな扱いを受けてきたのに?」


 松切り番さんは、迷うことなく、僕を見た。


「たしかに松切り番は、苦しめられてきた。だけど、苦しめるお人が、苦しめられる者より、ずっと辛いことだってあるのよ。

 踏鞴様は、いつも、炙られていたのよ。自分で自分に火をつけて、その火を消せずにいたのよ。だから手を伸ばすだけで、さわるだけで、松切り番のことも、焼いてしまった。それが松切り番には分かるから、だから、おそばにいると決めたのよ。

 松切り番を焼いただけ、少しでも、踏鞴様を炙る火が小さくなってくれたら、それで、松切り番がおそばにいる意味がある……それだけのことよ」


 限りない同情と愛情を、松切り番さんは、ためらわず口にする。


「だとすれば、松切り番さん。踏鞴様の火を消すためには、きっと、松切り番さんの力が必要なんだと思います」


 うつむいた松切り番さんの下唇は、無力感とくやしさでふるえている。


「わからねえ。松切り番には、わからねえのよ。なんでもつくれる白神とはちがう。なにもできやしねえ。そばにいて、ただ、松切り番には、そばにいることしか……」

「僕にだって、分からないですよ。分かろうとし続けることしかできません。僕にとっては料理を作ることがその手段だってだけのことです。

 松切り番さんだって、そうしてきたんでしょう?」


 肩に手をおいて、語りかける。

 松切り番さんは、顔をあげて、力なくも、うなずいた。


「ああ、白神、松切り番にも、できるのか? 踏鞴様の火を消す手伝いが、できるのかよ?」

「もちろんです。さあ、次の料理にいきましょう」


 さっきからかまどにかけていた、鉄製の平鍋。

 ふたをひらくと、色彩がおどりでた。


「おお……!」


 腐乳となたね油、塩で炒めたライ米を、黒豆の戻し汁で炊いたもの。

 トッピングには、殻ごと半割にしたテナガエビと、タニシだ。

 鮮やかな紅葉のように真っ赤な、これこそ。


「ライ米のパエリアでございます」


 さあ、平鍋ごと、どかんとテーブルの上に置いてやろう。


「へッ。今度は秋かよ。律儀なもンだぜ」

「お酒は、こちらの蒸留酒を」


 松切り番さんとふたりで、パエリアを小皿に取り分ける。

 月句は、いぶかしげな目で、松切り番さんの動きを追った。


「なにゆえ、貴様がここにおる」

「そ、それは……その、ま、松切り番は……」

「どこへなりと消えよと言ったはずだ。貴様も、わしを嗤いに来たか?」

「そんなつもりは! そんなつもりはねえのよ! ただ松切り番は、踏鞴様に、ただ、その……」

「消え失せよ。貴様はわしの罪そのものじゃ。恥そのものじゃ。貴様がただ在るだけで、わしの傷は開く。わしの痛みはいや増す。我が手で作り上げた毒を自ら呷らせるような真似を、わしにさせるな」


 容赦なく、ひどく冷たい声で、月句は松切り番さんをののしった。

 松切り番さんの顔色が、たちどころにまっさおになる。

 パエリアをたっぷり盛った小皿が、テーブルに転がり落ちた。


「そ、それなら……それだっていうなら、どうして踏鞴様は、松切り番を、殺さなかったのよ? そんなに憎いのなら、松切り番は、殺されたってよかった。踏鞴様は、なんで松切り番を、そばにおいたのよ!」


 月句は目を伏せた。


「貴様を見るたび、煮えた泥に我が身をひたすような痛みがあった。そして、取り返しのつかぬ場所に来た者にとって、ときには、そのような痛みこそが甘美に感じられるものじゃ。自らを焼いておらねば、保てぬ正気というものがある」


 松切り番さんは、その場に膝をつき、声を殺して泣きだした。

 身動きすら取れないような息苦しさが、空間を支配する。


「手前ェも座れ。座ッて、食え」


 鉄じいさんの低い声が、まさかりの一撃みたいに、静寂を断ち割った。


「ま、松切り番、が?」

「あァ、そォさ。手前ェも踏鞴の血が混じッてるッてンなら、この場に座ッていたッて、なンにもおかしくはねェだろォが。そォだろ、ノーブルの嬢ちゃんよ」

「議論の余地はなさそうじゃの」


 ピスフィはうなずいた。


「では、嬢よ。私が片づけをいたしましょう」

「任せた」


 立ち上がったミリシアさんが、散らばったパエリアを小皿にかき集め、つまみ食いしながら台所に消えていった。


「おいしっ」


 ものすごくリラックスしたささやき声を、僕は聞き逃しませんでしたよ、ミリシアさん。


「では、松切り番殿……で、かまわぬでしょうか? あなた様に、わらわら『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』による饗宴を奉りたく存じます。お受けくださるでしょうか?」


 椅子からとびおり、松切り番さんの前に膝をつくピスフィ。

 松切り番さんは、ぽかんと、ピスフィを見下ろしている。


「わ、わからねえが……松切り番は、なにをすればいい?」

うまし料理と佳き酒。二つともに、味わっていただけますれば、饗宴を用意した身として、それ以上の幸福はありません」


 あえて大仰な言い方をして、月句を牽制するピスフィ。

 松切り番さんは、まごまごしながら、ミリシアさんが座っていた椅子に、腰をおろした。


「こうた。椅子まで持ち上げてくれ」


 ピスフィがばんざいしたので、両脇をつかみ、抱えあげてやる。

 足をぷらぷらさせながら、顔つきは威厳ある大商人のもの。

 面白がらせようとしているんだろうか。


「新たなる賓客をお迎えすることができて、まこと喜ばしい限り」


 けろりと言い放つピスフィと、うつむいたままの月句。


「辛気くせェ顔してンじゃねェ。食うぞ」


 鉄じいさんはパエリアをかっこみ、蒸留酒をあおると、満足げに、鼻から息を抜いた。


「あァ、これだなァ。油っ気のあるもンには、喉を焼いちまうよォな、この酒だ。食えッてンだよ、ドラ息子が」


 顔をあげた月句は、鉄じいさんをおもいっきり睨むと、パエリアをかっこみ、蒸留酒をあおった。


「秋は好まぬ。何もかもが紅に染まる秋は、炎のようで、わしを苛立たせた。さとを持たぬ粗野な連中が、我が物顔で給地をぶらついたものじゃ」

「季節労働者ッてなァ利に聡いもンだッたなァ。淡雪が枯れたとなると、どこで聞いたもンやら、ただの一人も来なくなッたそォじゃねェか」

「ああ、そうじゃ。みながわしの元から去っていった。水雉くいな綸路りんじもそうしたように、わしを捨て、消えていった。

 あの虫けらと同じじゃ。手の内に留めおけば弱り切った風情をして、逃がしてやるなり、威勢よく飛び立っていく。

 貴様もそうじゃろう、松切り番よ。貴様とて、わしの手の内から逃れようとしている。それが分からぬほど、わしの目は曇っておらぬ」


 松切り番さんが、顔をあげる。

 怒りと哀しみに満ちた表情で。


「そんなつもりはねえ」


 松切り番さんは、はっきりと、月句の言葉を否定した。


「踏鞴様が、煮えた泥の中にいらっしゃるというなら。そのときは松切り番も、泥の中にいるのよ。なにができるでもねえ。松切り番は、鉄を打てねえし、めしを作れねえ。言葉を持たねえし、知恵もねえ。

 だから、おそばにいる。他の誰よりも、踏鞴様のおそばにいる。踏鞴様が泣くときは、松切り番が泣く。踏鞴様が怒るときは、松切り番が怒る。踏鞴様が痛いときは、松切り番も痛い。

 できることは、分かろうとすることだけよ。分からねえけど、分かろうとするのよ。それが、おそばにいるってことなのよ」


 月句は、しばし、言葉もなく。

 ただ、松切り番さんを、呆けたように見つめるばかり。

 かたく握りしめた拳を、ほどきかたが分からないとでも言うように、机の上に投げ出したまま。

 やがて、ほんのわずか、はるか昔に忘れ去られた他人への愛情が、月句の表情にあらわれる。


「なぜ……なぜ、貴様は、そうする。わしは、貴様を苦しめた。覚えている限りずっと、苦しめつづけた」

「それでも、松切り番は、踏鞴様のおそばにいる」


 月句は、握り拳をふるわせて、小さくうめいた。


「次の料理を……」


 力なく、そう言った。


「ただいまお持ちいたします」


 台所に向かい、冷蔵庫を開け、しばし、手が止まる。

 はたして、これを出すべきなのか。

 状況がどう転ぶのか、想像もつかない。


「康太さん?」

「うひゃあ!」

「うひゃあああ康太さんが大声で!」


 いきなり背後から声をかけられて、僕は飛び上がった。

 背後で、なにか重たいものの落ちる音がした。

 振り返るとそこには、尻餅をついたエルフの娘さん。


「は、榛美さん? どうしたの?」

「なんかみんなそわそわしてきたから、様子を見に来たんですけど……あ、も、もしかしてだめでした? ごめんなさい! すぐ出てきまっひゃああああ!」

「うそぉ!?」


 立ち上がった瞬間に転ぶエルフの娘さん。

 さすがにキャッチが間に合わない。


「いたたた……あごと肘がすごくいたいです……」

「だ、大丈夫?」

「ううー……」


 半べそでこっちを見上げてくる、エルフの娘さん。

 助け起こしてなでてやると、とたんにうれしそうにするエルフの娘さん。


「それで、どうなりました? うまくいきそうですか?」

「なんとも言えないなあ。これまでのところ、そこまでむちゃくちゃなことにはなってないと思うんだけど」

「そっか。康太さんでも分からないんですね」

「うん。これも、出すべきなのか、どうなのか……」


 最後の一皿は、爆弾となって、全てをふっとばしてしまうかもしれない。

 この料理はきっと、鉄じいさんと月句の、いちばん深い傷を、むきだしにしてしまうだろうから。

 僕はできる限り、月句と鉄じいさんの心に寄り添おうとした。

 そのために、スモークツリーの四季に見立てたコースメニューを作り上げた。

 傷をさらさなければ、前に進めないと思った。

 だけど、これは……


「おいしい!」

「うわっ食べた」

「康太さんこれおいしいですこれ! なんか、なんかね、すっぱくてあまくて、ふわふわしてますよこれ! ふわふわですよふわふわ!」


 ほっぺをおさえて、その場でぴょんぴょんはねる榛美さん。

 これはさすがに、予想できなかったなあ。


「これだけふわふわだったら、きっと踏鞴様も鉄じいさんもおいしいって思ってくれますよ。なにしろふわふわですからね」


 榛美さんはにっこりして、僕の手を、両手でぎゅっとつつみこんだ。


「どうなっても、康太さんが一生懸命にがんばったこと、わたしは知ってます。ほかのだれがなんて言っても、わたしはそばにいますよ。そばにいるだけで、なんにもできないですけど」


 なぜか自信満々な言い方だ。

 だけど、誰のどんな言葉よりも、こころづよくて、たのもしい。


「そっか。榛美さんがそばにいてくれるんだね」

「はい! なにしろ康太さんは、最後にはおいしいですからね!」

「え、そこなの」

「冗談です。ピスフィちゃんみたいだったでしょ?」


 ああ、真顔で冗談を言ったのか。

 榛美さんがやると、ことのほか分かりづらいなあ。


「ありがと、榛美さん」

「いーえ! なにしろわたしと康太さんは、なかよしですからねえ。びっくりするぐらい、なかよしですから。ぎろんのよちなくですよ」


 たどたどしい言い方がいとおしくて、なんだか少し、なみだが出たよ。


「そうだね、議論の余地なくね」


 僕はほほえんで答え、胸を張って、最後の料理を客間に運んでいった。


「お待たせいたしました。マキベリーワインと」


 まずは人数分のカップを並べて。


「こちらが本日最後の料理、その名も、淡雪でございます」


 ほうろう引きの白い皿に盛られたのは、ぶどう酒色の餅。

 煮詰めたマキベリーを漉したシロップと、凍らせた卵白で作った、フルーツメレンゲ。

 小麦水あめと水で練り、七分に蒸した米粉と、メレンゲをさっくりと合わせる。

 その生地をさらに蒸し上げたら、米粉をもちとりにはたいて、切り分ける。

 冷やしたそこに、甘酒を煮詰めて漉した、酸味のある白いシロップを、あたたかいまま散らせば、淡雪のできあがり。

 つまるところ、フルーツ羽二重餅だ。


 しばし、客間のときが止まる。

 淡雪の姿は、父と子にとって、あまりにも残酷な記憶を呼び覚ます。


 月句にとっては、母を殺した記憶。

 鉄じいさんにとっては、妻を殺された記憶。

 早い初雪が、紅葉したスモークツリーの葉におちかかる、その瞬間。


「…………あまりにも酷なことを、するものじゃな」


 月句が、うめいた。

 握った拳は、置き忘れられたように、テーブルの上。


「もうわしは、分かりすぎるほど、分かっておる。わしは全てを失った。わし自身が、焼き滅ぼした。それを、思い知らせようと言うのじゃろう」

「そうじゃねェさ」


 鉄じいさんが、ぽつりと言った。

 淡雪を一つかみしめて、マキベリーワインを一口のんで、大きくため息をついて。


「そうじゃねェよ、月句。わからねェか?」

「なにを分かれと言う? 今こそわしと貴様の罪が形をなしたのじゃ。わしは殺し、貴様は逃げた。これは、わしらの罪そのものじゃ」

「その罪が、こンなにうめェもンかよ」


 また一つ、淡雪を口にして、いとおしむようにかみしめる。


「食えよ、月句。食うンだ。手前ェもそろそろ、分かッたッていィだろ? 酒も、メシも、うまかッたじゃねェか。ここまで一つだッて、オレたちを苦しめるようなもンは、出てきてねェじゃねェか」

「それ、は……」


 たじろいだ月句は、首を横に振って、うなり声をあげた。


「だが、何も戻ってきたりはしない! わしが焼いたものは、一つとて……!」

「あァ。そォだな。お前の言う通りさ」


 月句の慟哭を包み込むような、鉄じいさんの、優しい声だった。


「なァ。最初ッから俺たちは、気づいてたンじゃねェか。

 俺たちはたしかに、給地を焼いちまッた。月句よォ、そりゃァ、俺と二人で焼いたンだ。焼けちまッたもンは戻ッてこねェさ。淡雪は、二度と戻ッてこねェ。

 だけどよォ。どいつもこいつも、俺たち二人がつくった焼け野原で、しぶとく生きてよォ……頼みもしねェのに、こンなにうめェもんを、俺たちのために、作ッてくれたじゃねェか。

 あァ、そォさ。いつだって俺たちにとッて、冬は白く、あたたかかッた……

 だから、見ろよ。淡雪はまだ、ここにあるじゃねェか」


 月句はぼろぼろと涙をこぼしていた。

 百年分の涙を、いちどきに、流していた。


 手を伸ばし、淡雪をつまみあげ、口に入れる。

 噛んで、飲む。

 ワインを一口。

 味わう。

 声もなく、味わう。


「俺ァよ、月句。あのとき、火凜が死ンじまッた時、お前を抱きしめるべきだッたンだ。だッてのに俺は、カミさんが殺されちまッて、そのことで頭がいッぱいで、お前のことが、頭から吹き飛んじまッた。

 だッてお前は、母さんを殺しちまッた。生んでくれた親を、手にかけちまッたンだ。

 俺のカミさんが、死んじまッたンじゃねェ。

 お前が、母さんを、殺しちまッたンだ。

 俺ァ、お前を、月句よォ、お前を、抱きしめなきゃァならなかッたンだ。お前の苦しみを、お前の辛さを、お前の嘆きを、救ッてやらなきゃァならなかッたンだ……」


 鉄じいさんもまた、百年分の涙を、いちどきに流していた。


「すまねェなァ、月句。あの世で火稟に、いくら詫びても詫び足りねェ。お前のことを、分かろうとしなきゃいけなかッたのに。お前に、分かッてもらおォとしなくちゃァならなかッたのに。俺ァ、目を背けちまった……逃げ出しちまッた……」


 突っ伏して、吠えるように泣く月句の拳に、触れる指先がある。

 松切り番さんが、月句の拳に、触れている。


「触れるなッ!」


 絶叫した月句が、松切り番さんの手をはねのけた。


「踏鞴様……」

「よせ、愚か者! わしが、わしがどれだけ、貴様を苦しめたのか……! 貴様に許される理由など、わしに、わしに一つでもあるものか!」


 松切り番さんは、はねのけられた手で、再び、月句の拳に触れた。


「そうじゃねえ。踏鞴様、そうじゃねえのよ。許すのも、許さねえのも、それは、松切り番が勝手にすることなのよ。踏鞴様がどう思おうと関係ねえ。そうよ、ただ、許すのよ。松切り番は、ただ、踏鞴様を許すのよ。

 だけど……松切り番は、踏鞴様がおつらい思いをするのが、いやだ。だから松切り番は、踏鞴様が、自分を許してくれればいいと思うのよ」


 月句は顔をあげ、堅くにぎった、自らの拳を見下ろした。

 もう片方の手で、拳をこじあけようと、爪を立てた。

 小指から、一本一本、ひらいていって。

 それから、ひとさしゆびだけを、ぴんと立てた。


 鉄じいさんと月句が、ともに、空を見上げる。

 月句の指先から飛び立っていたなにかを、目で追うように。


「あの虫は、わしを、許してくれたじゃろうか」

「許したさ。お前は昔から、火稟に似て優しい子だッた」


 しばし、静寂があって。

 月句が、松切り番さんに、目をやる。


「わしはお前に、どうして報いよう。名をすら与えず、自らを苛むため、そばに置き続けた息子に」

「それじゃあ、松切り番は、踏鞴様に、お父様に、名前をいただきたいのよ」


 月句は、しばし躊躇したのち、一つの言葉を口にした。


樫葉かしば。ほんとうなら、お前に与えていたはずの名じゃ。お前の母たる女が、お前を生み捨て、だからわしは、お前を……」


 松切り番さんは、首を横に振った。


「松切り番は……樫葉は、お父様の、おそばにいる」

 

 父と子の間に、それ以上の言葉は要らなかった。


 こうして、長い長い饗宴は、終わりを告げた。

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