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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第五章 大商人の料理番

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できるかぎりの豊かさを

 何度も言っているけれど、給地の白麹はクエン酸を生成する。

 つまり、アルコール発酵がはじまっていない状態のお酒をこすと、それだけでお酢になる。

 これがもろみ酢だ。

 酢酸の、ツンと来るお酢ではなくて、クエン酸のさわやかなお酢だ。

 ところでクエン酸というのは、かんきつ類の酸っぱさのもとなわけで。

 ここで質問。

 それでは、たまり醤油ともろみ酢を合わせたら、どうなるでしょうか。


「んんん!」


 ひとくち食べたピスフィが、目を見開き。


「嬢」


 ミリシアさんが、すばやくマントでピスフィを覆う。

 答え:ピスフィがおいしがってくれる。


「もふぉーふぉふぉ、もふぉーふぉー」


 マントがぺこぺこした。


「ええ、驚きであります。この爽快な酸味と、舌がしびれるほどのうまみ……ガルムにライムを搾り入れたものに似ますが、鳥に調和することといえば、それ以上であります」

「うむ」


 マントをはねのけたピスフィが、まっかになった顔で冷静にうなずいた。


「僕の世界にある、ポン酢のまねごとですよ。鳥といえばポン酢ですからね」


 たとえば、水炊きと味ぽん。

 もう、文字のならびだけでおいしいよね。


「ほう……これは……」


 河笊が、目をみひらき、うなってから。


「鼻を潰されて味が分からん」


 僕たちの視線に気づいたのか、あわてて顔をしかめ、皮肉を言った。


「ぬかせ。これが白神の力だ。理解したか」


 ミリシアさんが、僕を過剰に持ち上げた。

 そういうの、ほんとにやめてほしいなあ。


「……だが、これで、踏鞴月句の心を溶かせると?」

「みどもは、みどものはいた剣の切れ味を疑っておらぬ。一刀にて裁てぬとすれば、責を問われるはみどもじゃろうな」


 河笊はもう一切れ、ポン酢にひたして食べてから。

 長いためいきをついて、背もたれに体重をあずけた。


「生まれてからずっと、もっとも近くにいる人間を、だまし続けてきた。だが、それももう、終わるのだな」


 独白のような言葉に、ピスフィがうなずく。


「みどもとこうたが、終わらせる。主ゃは行く末を考えるべきじゃの」

「安心しろ。給地に残るつもりはない。ヘカトンケイルの大商人に、睨まれてしまった以上はな」


 悪態をつきながら、河笊は、どこか晴れがましい表情だった。


「なにかを美味いと感じたのは、久しぶりだ」

「ありがとうございます」


 僕は深く頭をさげた。


「やめろ。感謝したり、許しを乞うたりするつもりはない」

「それでも、ありがとうございます」


 河笊は口をへの字に曲げて、僕を睨んでいたけれど。


「……ごちそうさま」


 最後には、そう言ってくれた。



「踏鞴様は、お前との一件以来、気持ちをすっかりふさいでしまった。今や一日のほとんどを、夢の中に過ごしておられる」


 鳥を食べおえ、ようやく話が先に進む。


「夢の中じゃと?」

「幸せな頃の夢ばかり、むさぼっているようだ。眠りの合間に、亡き妻や子の名を呼んでおられる」


 どうやら、僕との一件が、月句にとどめをさしてしまったらしい。

 白神に、父である鉄じいさんに否定され、あらゆる希望をうしなってしまったのだろう。


「だが、私の呼びかけであれば、むげにはすまい」

「協力してくれるんですか?」


 意外な申し出だ。


「勘違いするな。私に残された道が他にないと言うだけだ。なにしろ人質は国そのものだからな」

「忘れるでないぞ」

「ご安心ください。私は心得ておりますよ」


 ピスフィに釘を刺された河笊は、無表情で皮肉をかえす。


「河笊様も……踏鞴様を、助けてくれるのか?」


 松切り番さんが、おそるおそる、河笊に声をかける。


「助けるのは、この連中の仕事だ。私が知ったことではない」

「それでも、河笊様も、踏鞴様のためにって思っているのかよ?」


 まっすぐな問いかけ。

 河笊は、舌打ちして頭をかいた。


「安っぽい感傷だ。身勝手な罪悪感だ。償いになるなどとは思っていないし、許されるつもりもない。だがーー

 私のそばには、いつも、踏鞴様がいらっしゃった。それだけのことだ」


 そっぽを向く河笊に、松切り番さんは、笑顔を向けた。


「踏鞴様をお呼びする。応じてくれるかどうかは、期待しないでもらおう」


 鼻を鳴らして立ち上がり、河笊が、扉の向こうに消えていく。


「ま、松切り番は、なにをすればいい? 出て行けばいいか?」

「皿の片づけを。それから、部屋の隅に立っておれ」


 ピスフィが命じるに応じ、皿を手にした松切り番さんが、部屋を飛び出した。


「ふむ。あの者、賽殿の血縁か」


 ピスフィが言って、僕はぎょっとした。


「分かるんですか?」

「ドワーフの述瑚を感じた。難しい問いではない」


 分からん。


「はがねやくろがねのカリアに触れ得る素養があるよ、あの者には。みどもには分かる」

「さすがであります、嬢」

「惜しむらくは、魔述を身につけるには遅すぎることじゃの」


 分からんので分からん顔をしていたら、ピスフィが説明してくれた。


 ものすごく久し振りに聞いた単語だけど、カリアというのは、ものごとの本質とされている要素だ。

 魔述を使うには、カリアに触れる必要があるらしい。

 松切り番さんは鉄じいさんの血を引いて、魔述の素養があったんだ。


「な、なんだ? 松切り番がどうかしたのかよ?」


 もどってきた松切り番さんは、いっせいに視線をあびて、ぎょっとした。


「たいしたことではない。隅に立っておれ」

「あ、ああ。松切り番はそうする」


 とまどいながらも、松切り番さんが、部屋の目立たないすみっこに立って。

 それから、しばしの時間。

 ゆっくりと扉がひらいて、ほこりっぽいにおいの風が、部屋に吹き込んだ。


「踏鞴家給地の正当なる領主、カイフェ王家に比類無きつるぎをもたらし、その名は中つ海を越えて異国に届き、王より滴る蜜のように寵愛を受けし方。

 踏鞴月句様である」


 口上を述べた河笊が、脇にどく。

 とばぐちに立った月句の姿を見て、僕たちは、息を呑んだ。


 体つきこそ、ドワーフの頑強さをたもっている。

 だけどその髪は、根雪のように白と黒がまだら。

 顔色は枯れたかきつばたの青紫。

 ひょろひょろの杖にすがった立ち姿は、今にも折れそうだった。


「なにゆえ……まいった……」


 その声は、すきま風が鳴るような音。


わらわは『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』代表人のピスフィ・ピーダーと申す者。ヘカトンケイルより参りました、ちっぽけな商人でございます。栄えある踏鞴家給地の偉大なる支配者たる踏鞴月句様の拝顔の栄に浴すること叶い、まことにうれしく思っています」


 誰よりもすばやく動いたのは、ピスフィ。

 いつの間にやら月句の前に立ち、頭を垂れている。

 一人称まで変える、小回りの利きようだ。


 月句はずいぶん長いこと、ピスフィのつむじを、ぼんやりと見下ろしていた。

 重要なことを思い出しかけて、たちまちの内に忘れてしまった、そんな、茫洋とした表情を浮かべていた。


「顔を、あげよ」

「お心遣いに感謝いたします。妾が参りましたのは、他でもございません。豊かなる給地に、商機を見いだしてのことでございます」


 言い方こそ丁寧だけど、決して持って回ることのない、単刀直入なピスフィらしい物言いだ。


あきないを。なにものにて」

「給地の類まれなる素晴らしい松林にて見いだされし、松茸にてございます。このうまくさびらは、中つ海を越えた先、踏鞴様もご存じのアロイカにては、貴ばれること、下つ国山脈の山嶺に住まう鱗なき銀竜のため息に喩えられるほどでございます。

 松茸の収穫権を、妾は心底しんていより仰望しております。この卑小なる商人に、お許しをくださいますよう、伏してお願い申しあげます」

「まつ、ばやし……」


 月句のうつろな瞳に、光がやどった。

 光はみるみる内にふくらんで、月句の表情がゆがんでいく。

 怒りと嘆き。

 恐れと憎しみ。

 疑いと恨み。

 百年の孤独の中、常に月句のかたわらにあり続けた、自らを切りきざむような負の感情。


「なにを……なにを言うか!」


 月句が杖を振り上げ、ピスフィの横っ面をひっぱたいた。

 短い悲鳴をあげたピスフィが、ひっくりかえる。

 ミリシアさんが腰を浮かし、剣の柄に手をやる。

 ピスフィは、よろよろと手を持ち上げ、ミリシアさんの動きを制した。


「松林だと! あれに立ち入ることを、誰であれ許すものか! 淡雪は帰ってくる! そのときこそ、給地は、給地は……!」

「妾の不躾な申し出に寛大なるご処置、感謝の念に耐えません」


 立ち上がったピスフィは、切れた口の端から垂れる血をぬぐおうともせず、またも頭をさげた。


「しかしながら、偉大なる踏鞴家給地の更なる繁栄を、このピスフィ・ピーダーは衷心より望む者でございます。なにとぞ、妾の言葉に耳を傾けていただくよう、お願い申しあげます」


 ぽたりと、血が床に垂れるさまを、月句は、目で追った。

 わずか、自分がなにをしたのか、呆然と考えるような顔をした。


「わしは……わしは今、おまえを、殴ったのだな」

「打たれる責は、妾が負うべきものでございます、踏鞴様」


 杖を取り落としてた月句が、顔を両手で覆う。


「わしが殺した……母をこの手で、切り裂いた……忘れもせぬ。血の色を、わしは、忘れられぬ……」


 まさか、ここまでとは。

 言葉が通じない。

 河笊が、苦りきった表情を浮かべ、首を横に振った。


「なにもかもを、わしは、失ってしまった。母を、父を……水雉くいなを、綸路りんじを……樫葉かしばを……あの美しい、淡雪林を。

 この地にはもう、なに一つ、残っておらぬ。火にくべ、焼き滅ぼしてしまった。わしがそうしたのじゃ。わしが焼いたのじゃ。

 くさびらじゃと? 松じゃと? かまわぬ。わしにはもはや、意味のないこと。価値があると言うのであれば、好きなだけ持っていくがよい。焼くも、奪うも、滅ぼすも、とうにこの地は、わしがそうした後なのだから」

「偉大なる踏鞴月句様のまことに情け深いお言葉に、奉謝ほうしゃ御礼おんれいたてまつります」


 話が、まったく予想外の方向にころがった。

 まさか、あっさり商売の許可を得られるとは思わなかった。

 ミリシアさんも、こっちめがけて、力いっぱい『なんか話ちがくない?』の視線を浴びせかけている。

 僕と鉄じいさんとの邂逅が、全てをあきらめてしまうような深い傷を、月句に負わせていたんだ。

 

 まずいな。

 ピスフィが、目的を果たしてしまった。

 給地の人々とピスフィは、相互利益の関係でつながっている。

 ここでピスフィが松茸の収穫権を(それも無料で)得てしまった以上、もう僕たちに協力する義理はないってことだ。

 だが、ピスフィの口からは、意外な言葉が飛び出した。


「本日この場において、妾ども『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』は、ご挨拶を奏上しに参りました身の上なれば、ヘカトンケイルの商人というものは、急いてのお話を好みません。恐縮ではございますが、こちらには白神の料理人たる紺屋康太なるものの用意がございます。

 ヘカトンケイルの饗宴をお楽しみいただき、その場で改めて妾どもの言葉をお聞きくだされば、幸いに存じます」

「饗宴じゃと」

「康太よ」

「はっ、はい!」


 急に話をふられ、まごつきながらも立ち上がる。


「主ゃの口から、語ってみせよ。踏鞴様に饗する宴、その旨を」


 月句のうつろな瞳が、僕に向けられる。

 なにを言える?

 どうすれば、月句の心に届く?


「樫葉……」


 失われた子の名を呼んでから、卑屈にさえ見える笑みを、月句はうかべた。


「そうではない。お前は樫葉ではない。樫葉は、わしのものにはならなかった。この地に残るものなど、なにひとつ……」

「それは違います、踏鞴様」


 言って、自分で、目を丸くした。

 思いがけず、出た言葉だった。

 だけど、思いがけず出た言葉だからこそ、それは、議論の余地なく、僕の本心だった。


「僕が踏鞴家給地に迷いこんでから、それなりの時間が流れました。最初から優しくしてくれる人もいれば、じゃけんにする人もいて、でも最後には分かりあえた、と、僕は勝手に思っています。

 それはきっと、この地が本当のところは豊かで、みんなの心に余裕があるからなんだと思います。世界にはもっと死にたくなるほど貧しくて、絶望的にみじめな思いをしている人たちが、たくさんいるでしょうから」


 月句の瞳はうつろなままで、僕を透して別の世界を眺めているようだった。


「多くのものをつくりました。湯葉にパスタ、お酒にそばがき。唐揚げだったり、うちまめだったり、ときには石鹸だったり……ここが焼け跡だったとしても、踏鞴様の目に映るものすべてが、くだらないように見えたとしても。

 くだらないものを積み重ねて、僕は、この焼け跡から、おおくのものをつくってきたんです」

「多くのもの……」


 うつろな瞳の焦点が、僕に合う。

 浮かび上がる感情は、怒りと嘆き。


「なくなったものは返ってきません。哀しいことばっかりが降りつもって、根雪みたいに、いつまでも心の中で溶けのこるばかりなのかもしれません。

 それでも、この焼け跡から、どれだけのものが生まれるのか。それを踏鞴様に見ていただきたいと、思っています」


 僕の言葉をしずかに聞いていた月句は、ちいさなため息をついた。


「好きに、せよ。お前の言う通り、なにもかもが、わしにはくだらぬ。わしが求めておるのは、まさに、決して返ってこぬものだけであるがゆえに」


 手ごたえはなく、返ってきたのは否定の言葉。

 だけど。


「ご来店、心よりお待ちいたしております」


 はっきりとそう返せるぐらい、僕の心は、決意に満ちていた。


「饗宴にあたって、領主館の方を、ひとりお貸しねがえればと思います」

「だれを、じゃ」

「松切り番さんを」


 月句はおっくうそうに身をよじって、松切り番さんに目を向けた。


「如何にする」


 問われて、べらぼうにとまどう松切り番さん。


「ま、松切り番は、そりゃあ、た、踏鞴様に行けと言われて、行かねえ理由はねえが……」

「そうか。では、どこへなりと消えるがいい」


 ないがしろな許可の言葉だった。

 松切り番さんは、ひどく傷ついたような表情で、声を出さずうなずいた。


「河笊よ。疲れた。わしは、寝る」

「かしこまりました。ただちにとこを整えます」


 杖をつきつき、かたつむりのような歩き方で、月句が消える。

 僕はためいきをついて、椅子に深く腰かけた。


「一仕事おえたの、こうた」

「ええ。どうも、やり方を間違えた気がしますけどね」

「再び、心尽くしの小さき饗宴と相成るわけだな」

「皮肉はやめてくださいよ、ミリシアさん」


 豊富な食材を、手に入れようと思えば手に入れられたはずだ。

 寒川家かんがわけ給地にはピスフィの船が停泊していると言うし、足を伸ばせば近海の市場にアクセスできたかもしれない。


「皮肉ではないよ、康太。私はお前の料理にこそ、目を開かされたのだ。この地が豊かであること、お前の力であれば、必ずや理解していただけるだろう」

「ありがとうございます。なんとか、やってみせますよ」


 とにかく啖呵は切ったのだ。

 あとは、やることをやるだけ。


「松切り番さん」

「あ、ああ……」

「踏鞴様を、救います。松切り番さんの力を、僕に貸してください」

「松切り番に、なにができる?」


 松切り番さんの目に、力がこもる。

 僕はにっこりした。


「なんでもできそうなことはやってもらいますからね。覚悟しておいてください」

「ああ……ああ! 松切り番は、なんでもする! 白神と踏鞴様のために、なんだって、やってみせるのよ!」


 心と祈りと思いをこめて。

 この給地から、できるかぎりの豊かさを引き出してみせよう。

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