だめな時の顔
「ふっ」
ミリシアさんが、ものすごく勝ちほこった笑みを浮かべた。
すたすたと、断固たる足取りで歩いていって、ピスフィをお姫さまだっこに抱え上げる。
「愚かな男よ、ピーダー家の偉業を聞くがよい。
商業国家のリスクヘッジとして、食糧生産の拡大を提案したのが、偉大なる前家長だ。事実、ヘカトンケイルは広大な内地を獲得するに至った。
現家長による魔大陸への投資額は、ヘカトンケイル札にて五百八万枚。実以て、これはカイフェを丸ごと二度ほど買い取れる額だ。
貿易においては中つ海ぃあっひゃひゃひゃひゃひゃ!」
唐突に奇声をあげるミリシアさん。
なにがどうしたのかといえば。
「いい加減にせよ」
むすっとした表情のピスフィが、ミリシアさんの両うさ耳を、全力でツイストしはじめたのだ。
「うひゃひゃひゃひゃ嬢その先端のひゃっひゃひゃひゃ先端のそこは!」
身をよじるミリシアさんだが、ピスフィをお姫さまだっこしている限り、逃げ場はどこにもない。
「ご、後生ですから! 後生ですから、ひとさし指と中指ではさんでくりくりするやつだけは……!」
「なんじゃ、やってほしいのか」
「ひゃああああああ!」
もしかしてミリシアさん、これされるの好きなのかな。
ピスフィとミリシアさんが二人の世界に行ってしまったので、自然、松切り番さんと河笊の視線が、僕に向く。
お二方ともども、力いっぱい、『仲間だろ、なんとかしろよ』の目をしている。
「ええと、その」
頭をかいて、部屋を見まわし、一つのものに目を留める。
そのとたん、思考がぎゅっと、ひとつのことにフォーカスした。
「とりあえず、ごはんにしましょうか」
なにしろテーブルの上に立派なローストチキンがいて、僕たちに食べられるのを待っていたからね。
河笊から受け取ったナイフで、鶏の身を切り分けていく。
腿を落とし、胸とささみを外し、手羽を取り、ガラから肉をこそぐ。
焼けた皮が、ナイフの下でぱりっと砕ける感じ。
ごりっとした関節を刃で断ち割るときの響き。
肉汁が噴き出して、部屋に満ちる油の芳香。
お肉って料理してる時からおいしいよなあ。
「楽しそうじゃの、こうた」
にこにこしていたら、ピスフィがあきれたように言った。
「給地では、あんまりお肉を料理できませんからね」
「康太の肉料理も、実以て楽しみでありますね、嬢」
「うむ」
一仕事終えて、リラックスした雰囲気の僕たち。
対照的なのが、河笊と松切り番さんだ。
人質作戦をあっさり打ち破られて、うなだれる河笊。
いま何が起こっているのか、ぴんときていない様子でおどおどする松切り番さん。
松切り番さんと、目が合う。
とにかく敵意を持っていないことを示すため、めいっぱい微笑んでみせる。
「白神は……何をしにきた?」
松切り番さんの声は、警戒心に満ちた音。
うさ耳の人と、うさ耳の人のうさ耳をなぶる人が、かなりうさんくさく見えているらしい。
ごもっともだ。
「さっきから言っている通りですよ。踏鞴様に、よきごはんとよきお酒を召しあがっていただくために来たんです」
「くだらん邪魔が入ったがの」
ピスフィに睨まれた河笊は、相も変わらずの無表情。
胸肉をひとっぺらつまみあげ、口に放り込むと、
「無駄なことを」
吐き捨てるように言った。
どうやら、開き直ることに決めたらしい。
「あの者はまごうかたなき狂人だ。もとより、私がなにをどうしたところで、選ぶところなどなかった。とうに潰えた夢にすがることのみが、あの者の生きる術。
ネイデル家の兎人よ、お前もわが子になれだのどうだのと、月句に言われた口だろう?」
「樫葉、であったか」
ミリシアさんは、心底いやそうな表情を浮かべた。
思いだして気分を悪くしたらしい。
「何があったのじゃ、ミリシア」
「耳をひきちぎられそうになりました。樫葉にこのような耳はないと。領主でなければ切り捨てておりましたよ」
「許せぬな。ミリシアの耳をひきちぎってよいのは、みどもだけじゃというのに」
「実以て、その通りであります」
思った以上に過激なことをされていた。
よく『人間性に絶望した』の一言で済ませた上、ちゃんと夕餐にまで応じたなあ、ミリシアさん。
僕も月句に、樫葉と呼ばれた。
これは月句が、我が子に与えるつもりだったという名前だ。
どうも月句の話によれば、樫葉の母は、彼を捨てて逃げたという。
「一狂人の力なき狂態について語ってみせたところで、カイフェ陸軍を動かす口実にはならん」
河笊が言葉をつづけた。
「私は父より引き継いだ仕事を、ただ意味もなくこなしていただけだ。金は入るし、ときどきは王都で女を買える。悪い仕事ではなかった」
「康太の皮をはぐのも、貴様にとっては仕事の一部なのか?」
「親戚にカピバラ農家がいる」
「なるほどの。皮のはぎ方は心得ておるようじゃ」
「つまり、仕事の一部だ」
河笊は、あくまで無表情ながら、ふてぶてしい声音で冗談を飛ばした。
「松切り番さん?」
おどおどしていた松切り番さんの瞳に、なんだか、劇的な表情が浮かんでいる。
睨みつける先は、河笊。
テーブルの上に投げ出されたこぶしは、固く握りしめられ、ふるえていた。
「なんだ。なにか言いたいことでもあるのか」
くつろいだ調子で、椅子に深くもたれた河笊が、松切り番さんに目をやる。
「なんでも……ねえ。松切り番は、河笊様に、何も言わねえのよ」
「そうか。私を殴りたくて仕方ないように見えるが」
「そんなつもりはねえ。そうよ、松切り番は、だれも殴ったりしないのよ」
人を殴りたくて仕方ないときの声音で、松切り番さんが言った。
「ああ、お前はあの狂人に、思い入れがあるようだな。私にはまるで理解できんことだが」
「河笊。貴様、自分の立場を理解しているのか」
ミリシアさんが、剣の柄に手をやった。
「十分に理解している。私はたったいま廃業した諜報員であり、いまもって踏鞴家の家令だ。その上で、この男は踏鞴家の者だが」
「ミリシア、筋を通さねばならぬのは、みどもらも同じこと」
「……わかっております」
柄からは手をはなしながらも、めいっぱいぶんむくれるミリシアさん。
「この世界に立場を持たぬ者であれば、話は別じゃがの。何をしたとて、みどもらには止めようもない」
あれ、なんか、目配せが飛んできたぞ。
なにをしろって言いたいんだろう。
『すみません、そちらの剣をお借りしますね。ああ、それと、今からあなたの首をはねますので、少しの間じっとしておいていただけますか?』
とか?
ミリシアさんとピスフィが、今か今かの目でこちらを見てくる。
いやいやいやいや。
料理人は、そうそう人の首をはねたりしないものだよ。
愛想わらいをうかべ、手持ちぶさたに、胸肉をつまんで口に放り込んだ。
「んん……!?」
ぎょっとした。
なんだこれ。
「松切り番さん」
声がふるえているのが分かる。
「ど、どうした?」
松切り番さんが、および腰で応える。
「ちょっと、台所を案内してもらえませんか?」
「そ、そりゃあ、それぐらいは、松切り番はかまわねえが……」
「お願いします」
立ち上がって、テーブルを横切る。
松切り番さんが、根深い疑惑の目をこちらに向けてくる。
「ああ、そういえば河笊さん」
「なんだ、白神」
僕は右拳を振り上げて、思い直し、左のフックを河笊の顔面にたたき込んだ。
椅子ごとひっくり返った河笊が、顔をおさえてうめく。
視界の隅、ピスフィとミリシアさんが、我が意をえたりの顔をする。
まあ、皮をはがされかけた手前、これぐらいはしておかないとね。
「さ、行きましょう」
あっけに取られた松切り番さんの手を引いて、僕は歩きだした。
「うーん……あれもない、これもない、かあ」
ところ変わって、ここは離れの台所。
石造りの床に並ぶ壷だの瓶だのの類を総ざらいして、結論が出た。
どうやら領主館には、まともな調味料が存在していない。
「味噌もない、お酒もない。お塩もしてませんでしたよね」
なんで松切り番さんを、台所まで引っ張り出したのか。
なにしろ丸鶏に、なんの味もしなかったのだ。
想像してみてほしい。
たっぷりの時間をかけて焼き上げたローストチキン。
ぱりっと香ばしく仕上がった、きつね色の皮。
肉汁をはらんでしっとりとやわらかい、桃色の身。
なのに、塩のひとつまみすらされていないのだ。
文字通り、味気ないのだ。
「そうよ。それがカイフェ式だと、踏鞴様は仰っているのよ」
「なんか、間違った理解だと思うんだけどなあ」
これだけ海に囲まれた半島国家なんだし、魚醤ぐらい自然発生していそうだけど。
「白神は、どうして怒った? 松切り番には、わからねえ」
「なにしろ河笊さんには、殺されかけましたからね」
松切り番さんは、首を横にふった。
「そこじゃねえ。松切り番が言いたいのは、そこじゃねえのよ。白神が怒ったのは、鳥を食べた時だ。なにか、松切り番は間違えたのか? 白神を怒らせるようなことをしたのか?」
おびえを、おそれを目にたたえ、松切り番さんが問う。
「まいったなあ、見抜かれてましたか。でも、松切り番さんのせいじゃありません。こういう調理の仕方が、なんだろうなあ……怒るっていうより、哀しかったんです」
素材の味を活かす、なんて言葉があるけれど、これを文字通り、そのまま食べることだと受け取る人間はいないだろう。
すばらしい素材も、調理されてはじめて輝く。
塩の一つまみで、しょうゆの一垂らしで世界を変えるのが、料理人の仕事だ。
「だから、調味料がないかなあと思って、案内してもらったん、です、けど……」
熱弁していたら、松切り番さんが、うつむいた。
のみならず、こきざみに震えはじめた。
あれ、なんかこういう反応、よくみるぞ。
「はっはっはっは! そ、それで、それで松切り番を連れてきたのか!」
ほら爆笑された。
もう慣れっこですよ。
「白神はなにも変わってねえ! 松切り番の知っている白神のままだ! そうやって、料理のことになるとなにも見えなくなる、松切り番の知っている白神だ!」
『だめな時の顔』ってやつだ。
これでも反省はしているんですよ。
次に活かされていないだけで。
しこたま笑った松切り番さんは、なみだのにじむ瞳を、僕に向けた。
ほとんど無際限かと思えるようなやさしさと愛情が、たっぷりこもった瞳だった。
僕の知っている、松切り番さんの瞳だった。
「また会えたなあ、白神」
「お久しぶりです、松切り番さん」
なんだか照れくさくなって、すぐに目をそらす。
「それで白神は、なにを探している?」
「たまり醤油と、もろみ酢ですね」
「どれも、領主館にはねえ。穀斗の家には、なんでもあったものよ」
「結局そうなるのかあ。すみません、ちょっと取ってきますね」
松切り番さんは、目をハトみたいに丸くした。
「い、今から行くのかよ?」
「はい。ひとっ走り行ってきます。急がないと冷めちゃいますからね」
あくまで大まじめに言ったのだけど、松切り番さんは、ふたたび爆笑した。




