人質交換
カピバラ車が、領主館への道を往く。
萌黄色に染めた絹を張った座席には、綿をつめてキルティングしたクッションがしいてあって、しごく快適。
サスペンションもなかなか気が利いていて、多少のでこぼこには揺れもしない。
「舗装路が欲しいですね、嬢」
「商談成った暁には、『砕く』魔述師と『押しつぶす』魔述師を呼び寄せよう」
「目抜き通りに事務所を置いて」
「銀行と大使館を併設するのじゃ」
向かいのピスフィとミリシアさんが、だいぶ剣呑な話をしている。
ミリシアさんは、細かいししゅうと、たっぷりひだを付けた、軽やかなシフトドレス姿。
その膝の上に座るピスフィは、髪を二つしばりにして、服はといえば、これ、なんて説明すればいいかなあ。
画像検索で『甘ロリ』という単語を調べたら、いちばん上に出てきそうな、ピンクで安っぽい、ごてごてした服。
化学繊維の質感は、ぺなぺなだ。
ネット通販で商品画像を見て購入したら、まちがいなくクーリングオフの対象になる。
これもまた、ヘカトンケイルに存在するという『百貨迷宮』から得られたものなのだろう。
お金持ちの間では、この安っぽい光沢こそが最先端なのかもしれない。
僕はといえば、再び軽い吐き気をもよおしている。
なにしろ相手は、僕の皮をはぎかけた男。
一度でも知らない人に皮をはがされそうになったことがあれば、分かってくれると思うけど。
知らない人に皮をはがされそうになったトラウマは、なまなかなことじゃ消えてくれない。
カピバラ車の動きがゆるゆると遅くなり、静かに停まる。
「うわあああああ!」
悲鳴があがる。
「ついたようじゃの」
「咲太郎がまたそそうをしているようでありすね」
「葛は好物じゃからの」
ミリシアさんの膝の上から、ピスフィがずり落ちるように着地する。
立ち上がったミリシアさんが扉を開けて、カピバラ車から降りた。
「うわああああ大きなネズミに食べられるうううう!」
「私はミリシア・ネイデル。ヘカトンケイルの大商人、ピスフィ・ピーダー嬢の友だ。踏鞴月句様にお目通り願いたい」
「うわあああああ!」
「踏鞴月句様にお目通り願いたい」
辛抱強く言い聞かせるような口調で、ミリシアさんが同じことを何度も言った。
返ってくる答えは、
「うわああああ!」
だった。
ごもっともだ。
「咲太郎、いい加減にせよ。朝にたらふく食べたであろう」
「きゅるるるるる」
カピバラが不服そうな鳴き声をあげている。
この、カピバラに服を食べさせる一幕、もしかして毎回やっているんだろうか。
「ゆくぞ、こうた」
「え、あ、はい」
ピスフィが、さっさとカピバラ車から飛び出していく。
僕はしばらくまごまごした後、吐き気をのみこみ、決意を固め、おそるおそる、扉から顔を出した。
「うわあああああ!」
服をカピバラにもぐもぐされて悲鳴をあげている男の人と、目が合う。
「なにをしておる、こうた。降りてこぬか」
「はい」
神妙にうなずいて、カピバラ車を降りる。
カピバラは、さしておいしくもなさそうに、男の服をもそもそと食んでいる。
なんだろうこれ。
あまりにも不思議な光景すぎて、言葉もなく、じっと見つめてしまう。
「どうしたのじゃ、こうた。知り合いか?」
「知り合いといえば知り合いですね」
「ふうむ、持って回るのう」
僕は、カピバラに服をもしゃもしゃされている男の人を、手で示した。
「この方が、河笊さんです」
ピスフィは、僕と、ミリシアさんと、河笊をぐるっと眺めたところで、一つうなずいた。
「話が早くて助かるの」
ごもっともだ。
領主館の方々にもお手伝いいただいて、数人がかりでカピバラと河笊をひきはがし。
僕たちは、領主館の応接間に通された。
以前、踏鞴月句と会話を交わした部屋だ。
長机には、ピスフィと河笊が向き合って座る。
ミリシアさんと僕は、部屋の隅っこで突っ立っている。
「挨拶がわりに、こちらをお納めいただきたい」
ピスフィが手をあげると、ミリシアさんが動いた。
机の上に、口の細い切子瓶を置く。
「これなるは遠くアクシャの地にて産した檸檬を、精油としたものじゃ。アクシャにては皇の精髄と呼ばれておる。アクシャにおいて檸檬とは、王宮の植物園に、六十二本のみ植えられておるのがその所以。
香は気分を快せしめ、臓腑の腐るを防ぎ、天つ神によって定められた命の長さをも伸ばすとされる。踏鞴家給地の更なる繁栄を願い、踏鞴様に受け取っていただきたく、持参した次第じゃ」
ピスフィが、指先で切子瓶を押す。
真顔で。
噛み痕でよれよれの服を着た河笊が、それを受け取る。
真顔で。
なんでこのふたりは、さっきの光景を、なかったことにできるんだろう。
なんで河笊は着替えていないんだろう。
「ヘカトンケイルの大商人たるピスフィ・ピーダー様が、どのようなご用向きでしょうか」
よれよれの服のまま、まったく感情を見せない河笊。
「みどもは回りくどい儀礼を好まぬ。この豊かな地に、我ら『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』の求めるものがある。となれば、商売じゃろう?」
「商売と。これは異なことを」
わざとらしく目を丸めてみせる河笊。
よれよれの服。
「笑うな」
ミリシアさんに、肘で小突かれた。
笑うでしょこんなの。
「ついては、踏鞴様をヘカトンケイルの流儀でもてなしたいと考えておる。白神の料理人を用意した。紺屋康太のことを、あなたもご存じじゃろう」
「ええ、存じておりますよ」
「では、踏鞴様にお会いしたいというみどもの願いを、聞き届けてくれるじゃろうな」
「踏鞴様にお伝えいたしましょう。ご安心ください。私は心得ております」
ピスフィの単刀直入な物言いを、のらりくらりとかわし続ける河笊。
なんのつもりだろうか。
自分の立場がかなり危ういことは、察しているはずだ。
すみっこで笑いをこらえている僕は、ピスフィが河笊の喉元につきつけた匕首。
給地で起きている何もかもを把握した上でここにいるのだと、ピスフィは、僕の存在によってはっきり伝えているのだ。
「みどもは、あなたとの会話に、多くの時間を使うつもりはない。あなたはただ、問いに応ぜよ」
冷淡な表情をうかべたピスフィが、低く静かな声で告げた。
瞳の青は、夜の海みたいに深く昏い。
十歳にもならない童女が、ぞっとするような威圧感を放っていた。
「ところで、私どもにも、あなたがたをおもてなしする用意があります」
河笊が、相変わらずの無表情で言った。
「ヘカトンケイル人にしてみれば、カイフェ流の料理を味わう機会はそうないことでしょう。カイフェ式のかまどでじっくりと炙った鳥は、実に、炎が持つ力というものを閉じ込めた味がするのです」
「それは楽しみじゃな。いずれの機会に味わわせていただこう。今は」
「入れ」
ピスフィの言葉をさえぎって、河笊が短く言った。
扉が開き、焼けた脂の甘いにおいをのせて、風が流れ込んでくる。
大皿には、きつね色にこんがりと焼けた、一羽の鶏。
手にしているのは、なつかしい顔。
ぼさぼさの髪、煤にまみれた顔と真っ赤な鼻。
綿っぽい服は袖や肩のところがすりきれて。
長年にわたっていじめられ続けてきた犬のように、怯えと猜疑心と怒りが交互に浮かぶ、まっくろな瞳。
ひどく猫背で、手足の妙にながい男の人。
松切り番さんが、底知れない恐怖にゆがんだ顔で、戸口に立っていた。
「給仕はお気になさらず。このような場にふさわしい者ではありませんが、踏鞴家に忠実な男です」
のそのそと進む松切り番さん。
一歩ごと、目の前に落とし穴でもあるんじゃないかと探るような、足取り。
「私が切り分けましょう。なにしろこの給仕は下処理がどうも上手くない。やじりが残っていることなどしょっちゅうです」
河笊は、よく研がれたナイフを取り出して、手の中でもてあそんだ。
「私の横に」
指示に応じて、松切り番さんは、河笊の横に立った。
「冗談だろ」
思わず、つぶやいていた。
今の僕は、目の前がまっしろになるぐらい激しいこの感情を、はっきりと理解できている。
あの夜に感じた、目もくらむような怒り。
再び河笊は、僕をやみくもに怒らせようとしているらしい。
いいだろう、事実正しく、僕はやみくもに怒っている。
今すぐ一歩踏み出してこの男を叩きのめして引きずり起こしてすぐさま叩きのめしてやる。
「康太」
「うっふ」
この『うっふ』が、なんの『うっふ』かと言えば。
ミリシアさんが、剣の柄で僕の脇腹をこづいた時の『うっふ』だ。
脇腹はだめでしょ。
「残念だが、お前の怒りは無価値だ。剣は剣らしく、抜かれるまで鞘に収まっていろ」
「でも……!」
ここまであからさまに非道なやり口を見せられて、怒らないわけがない。
「嬢に任せよ」
たしかにピスフィは、並ならない威圧感と、度外れた聡明さを持っている。
だけど、こんな状況に、どう対応するっていうんだ。
ミリシアさんの視線が、僕から、ピスフィへと。
それを、僕も追う。
ピスフィの瞳は、ますます深く昏く、ぞっとするような失望をたたえていた。
「つまらぬ男じゃ」
深海のように冷たい声。
「なんのことでしょう」
感情のない応答と、きらめく刃。
「人質、人質か……およそこれほどばかげた思いつきもないが、我らが白神には、おどろくべき効果をあげておるようじゃ」
ピスフィがこちらに目をやった。
何もいえず、僕は、すがるようにピスフィを見た。
松切り番さんの命と引き換えだったら、給地のことを、僕はあきらめてしまうだろう。
一人を犠牲にしてみんなを幸せにするような振る舞いができるほど、りっぱな人間ではない。
昏い海の瞳が、ふいに、いたずらっぽく輝く。
口元に笑みをたたえ、ピスフィは、椅子を引いて河笊に向き直った。
「では、みどもも人質を取らせてもらおうか」
身を乗り出して、両手で頬杖をつき、花みたいにひろげたてのひらの上に顔をのせるピスフィ。
床につかない足が、愉快そうにぷらぷらとゆれる。
「どうぞ」
河笊は鼻を鳴らした。
「のう、こうた。主ゃは、パンカダ取引という言葉を知っておるかの?」
「うぇ? あえっ、あ、ええと、まあ、一般常識のレベルでは、その、えっ?」
急に質問を投げかけられて、ちょっとへどもどしてしまう。
パンカダとは聞き慣れない言葉だけど、要は、糸割符制度のことだ。
江戸時代、幕府は生糸の輸入で収益をあげるため、とある商人たちに、購入価格を定める許可をあたえた。
中国で生産され、ポルトガルの船で日本にやってきた生糸は、日本の商人が鑑定し、値段を決めることになったのだ。
これを日本では糸割符、ポルトガル人はパンカダと呼んだ。
やがてパンカダは、あらゆる輸入品に適用された。
目利きの商人が鑑定し、奉行所が価格を決定するようになったのだ。
「うむ、正しい理解じゃ」
「それで、その、パンカダがどうしたんですか?」
「先だって言うたじゃろ。ヘカトンケイルでは、多くの農産物をカイフェから輸入しておると」
こっちを横目で見るピスフィは、生徒の答えを待つ先生の顔をしている。
一方で河笊は、話を追えていないのか、無表情の中に訝しげな色が浮かんでいた。
「ええと、つまり、うわっ、ええっ? ほんとですかそれ。うわー、ちょっとそれは」
想像の翼をはためかせて、自分でおののいた。
話が大きすぎるぞこれは。
「言うてみよ、こうた」
「カイフェとヘカトンケイルはパンカダ取引をしていて……ピーダー家が、カイフェから輸入される農産物の価格を決定している、ってこと、ですよね?」
「すばらしい。さすがこうたじゃ」
ピスフィは満足げにうなずいた。
「農産物の輸出は、カイフェが外貨を得る唯一の手段じゃ。一方で、ヘカトンケイルが食料を得るため、カイフェに頼る必要はない。ここ百年で内地も広がったからの。のう、河笊よ。みどもの言いたいことが分かってきたじゃろ? さあ、みどものとった人質とは、なんじゃ? 答えよ」
河笊の表情が、劇的に青ざめる。
自分が何を相手取っているか、ようやく理解したのだ。
河笊を睨むピスフィの瞳は、荒れる大洋のような光を帯びていた。
「分からぬのなら、みどもの口から語ろう。みどもの人質は、このカイフェそのもの。主ゃのつまらぬ真似が国を傾けることになれば、それは愉快な話じゃの」
「あ、あっ、ば、そんな、ありえない」
椅子を倒しながら立ち上がった河笊はが、あえぐようにうめいた。
「ならばそのつまらぬ剣で、みどもらを追い返すか? よいじゃろう。主ゃの雇い主がどのような顔をするのか、今すぐ行って確かめるがよい。痩せたゴカイめが、二本きりのちっぽけな牙で誰を殺せると思うたか。砂を這い、死肉をかじっておれば、身の丈にあった生き方もできようものを」
ナイフを取り落し、河笊はへたりこんだ。
ピスフィは、河笊を見下ろした。
圧倒的勝者の、静かな瞳で。




