表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
第五章 大商人の料理番

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

86/364

冷たい驟雨

 パニックにおちいってしまった榛美さんにかわり、今日の鍋は、僕が担当することになった。

 ピスフィたちは、気を遣ってくれたのか、蔵書を見に行くといって悠太君の家に向かい。

 榛美さんは、土間のすみっこでへたりこみ、すっかり、ふさぎきっている。

 無理もない。

 唐突に出生の秘密があばかれ、しかもそれが、あまりにも衝撃的なものだった。

 かける言葉も見つからず、ただ、そばにいることしかできない。


「康太おめえ、今日の榛美ちゃんはおめえ、どうしたってんだ?」


 そんな榛美さんの様子に、村の人たちはすぐ気づき。

 客間にでるなり、足高さんが、声をかけてくれた。


「いろいろありまして……僕自身、うまくまとめられないんです」

「なあ、康太おめえ。おれたちにできることがあったらおめえ、なんでも言うんだぞ」

「ありがとう、ございます」


 足高さんのやさしい言葉が、本気で心配してくれているその表情が、なによりもうれしくて。

 だけど、なにひとつ、言葉にはできない。


「康太と榛美ちゃんにはおめえ、いつだっておめえ、世話をかけちまってるからなあ。榛美ちゃんが悲しそうだとおめえ、こっちだってつらくなっちまう」

「足高」


 悠太君から事情を聞いている讃歌さんが、足高さんを、控えめに制した。

 頭を下げて、土間に戻る。

 榛美さんの横に座って、肩をくっつける。

 離れることも、近づくこともしない、その距離が、すごくさみしい。


「わたしは……お父さんのこと、大好きでした。おっきくて、やさしくて、あったかくて、いつも、最後においしくて」

「うん」


 いつもだったらわらってしまう榛美さんの口ぐせが、胸に刺さる。


「でも、お父さんは、そうじゃなかったんですね」

「そう、なのかもしれないね」

「お父さんは、わたしのことを、どう思っていたんでしょうか」

「きっと……」


 言いかけて、やめる。

 『きっと愛していたよ』なんて、いえるわけがない。

 だけど、それぐらい無価値な言葉でもいいから、榛美さんに与えたかった。

 榛美さんの笑顔が戻るのであれば、なんだって差し出してしまいたかった。


「ここにいて、みんなにご飯を作って、そうすれば、村はうまくいくから……だから、わたし、お鍋の作り方しかしらないんだ。おしえてもらえなかったんだ。だから、わたし、魔述をおしえてもらったんだ……」

「榛美さん」


 オイルランプのあかりが、ぱちっと弾けて、消えた。

 よそよそしい闇が、僕たちを包み込んだ。


 榛美さんの言うとおりだ。

 居酒屋が作物の再分配機能を持つためには、ごった煮でなければならなかった。

 村で採れたあらゆるものが、平等におおざっぱに煮込まれているから、格差が生まれない。

 網で採った鮎も、畑で採れた野菜も、同じだけの価値を持つ。

 それが、穀斗さんの狙いだったのだろう。

 だから榛美さんは、鍋の作り方しか教えてもらっていない。


 そして、効率よく料理が作れるように、榛美さんを魔述師として育てた。

 火の管理は非常に手間がかかり、事故の確率も高い。

 火系の魔述師であれば、かまどを現代日本のコンロと遜色のないレベルで操れる。


 居酒屋が、この村が正常に機能するための、もっとも重要な装置で。

 榛美さんは、その付属品だったんだ。


 合理的で、清潔で、留保なく完璧な装置の、ちょっとした便利な付属品だったんだ。


「康太さん」

「うん」

「わ、わたしは、どうして、生まれちゃったんでしょうね?」


 涙があふれる直前の、細く、切れてしまいそうな声。

 あまりにも痛々しい、榛美さんの声。


 どうすることもできなくて、僕は、榛美さんを抱きしめた。

 腕の中の榛美さんは、つららみたいに冷たく、堅い。

 ひだまりのやわらかさは、どこにもない。


「ごめんなさい」


 どうしてだか、榛美さんが、あやまる。

 きっぱりとした拒絶のように聞こえて、だけど僕は、榛美さんのことを抱きしめつづけた。


「ごめんなさい、康太さん……いつもはうれしいのに、康太さんが近くにいると、それだけでうれしいのに……わたし、おかしくなっちゃったみたいです」


 榛美さんの涙が、僕のうなじに落ちる。

 冬の雨みたいに冷たい涙だった。

 なにを言えばいいのか、なにを言うべきなのか。


「あのね、榛美さん」


 きっとかけるべき言葉なんてないだろうに、どうしてだか僕は、口を開いていた。


「僕がこの世界に迷い込んで、最初に会ったのが、榛美さんだったんだ。あのときの僕はすごく途方にくれていたよ。なにしろちょっと前まで東林間にいたからね」


 榛美さんからの返事はない。

 ただ、冬の雨のような涙が降りそそぎつづける。


「お店の経営のことだとか、人生設計だとかさ、いちどきに全部ひっくり返っちゃって、おまけに迷い込んだ異世界が、妙に親近感を感じる里山の風景でさ。実のところ、それがすごくつらかったなあ」


 どしゃぶりの雨の中、僕は、ただ、しゃべり続けている。

 抱きしめていないと、言葉をかけていないと、榛美さんが闇の中に消えてしまいそうで。

 冷たい驟雨が、僕を凍らせてしまいそうで。


「それから、ミリシアさんがやってきて……あの時はしかっちゃってごめんね、榛美さん。たぶん僕にも、余裕がなかったんだ。なにしろ異世界に来て一時間だったし、なんとか自分を保とうとしていたんだと思う。

 よし、僕は居酒屋経営者で、君は失敗したスタッフだ。僕がフォローするから、以後気をつけてくれたまえ。みたいなさ。そういう自分にすがらなくちゃ、もう、どうしようもなかったんだ」


 汗のにじんだ、冷たい体は、いつまで経ってもあたたまらない。

 僕の体が、榛美さんの温度で、ゆっくりと冷えていくのを感じる。


「でもね、そうやって、ミリシアさんに料理をつくって、それから、榛美さんと一緒にお酒を飲んで……そのときね、なんとなく思ったんだよ。単にべろべろに酔っぱらったからかもしれないけど、とにかく思ったんだ。

 この世界で、おいしいごはんとおいしいお酒を作って、それを喜んでくれる人がいれば、僕も生きていていいんじゃないかって。

 榛美さんが喜んでくれるなら、ここにいることを許されるんじゃないかって」


 榛美さんの手が、ぴくりと、うごいた。

 僕の体と榛美さんの体の間で、ちいさく折り畳まれていた腕が、ゆっくりと、うごきはじめた。


「いろんなことがあったよね。ほら、榛美さんが悠太君に、あついおもちをぶっかけたこと、覚えてる? あの時の悠太君の顔、思い出すだけで今でも笑っちゃうなあ」


 闇の中で、声をあげて笑う。

 音で満たしていないと、こわかった。


「で、でも康太さんは、わたしのこと、おこりましたよ?」


 榛美さんが、かすれた声で、そう言った。


「うん、そうだね。それは怒るさ。なにしろ食べ物を無駄にするのは、あんまりほめられたことじゃないからね。でもそれはそれとして、悠太君のあの顔といったら、すごかったよねえ」

「そう、ですね」


 そよ風のような笑いだったけど、それは、たしかに、笑いだった。


「ほら、人をたたくのにちょうどいい長さの棒、あれを榛美さんが出したときの、悠太君の顔っていったら」

「ユウがわるいことをするからです。わたしだって、棒で人をたたいたりしたくはないですよ」

「とはいえ、あの棒がなかったら、僕も死んでいたからね」


 榛美さんの体が、ちいさくふるえる。

 僕はなにも考えず、ただ、思いついたことを手当たりしだいにしゃべっている。

 居酒屋経営者としては、まがりなりにも優しさの文法を心得たものとしては、完璧に失格行為だ。


「榛美さんが買い出しに出かけて、それで気づいたんだよ。僕は榛美さんにずいぶん、よりかかってたんだなって。さみしくて、つらかった。まさか気晴らしに出かけた先で、あんなことになるとは思わなかったけど」

「あのときは、ほんとに、ほんとに……こ、こわかった、です」

「ごめんね。僕はときどき、わけのわからない方向に走り出しちゃうからさ。きっとこれからも、榛美さんにたくさん迷惑をかけると思う。

 だけど、それでも、わっ、分かってはいるんだけど……」


 声が震えている。

 ろくな言葉が出てこない。


「榛美さん、ぼっ、僕は、これからも、榛美さんと……め、迷惑かもしれないけど、それでも。榛美さんがかなしい顔をしてるのが、す、すごく、つらいんだ」


 つたない言葉、ぼろぼろの文脈。

 文法なんかとっくに失われた、ただの単語の羅列。

 だけど、分かってもらいたかった。

 榛美さんに、僕の気持ちをとどけたかった。

 今日、この一度限りでいい。

 この後の人生全てが泥浸しになっても構わない。

 ただ一直線に、自分の気持ちを相手に手渡せたら。

 僕は心底、そう望んだ。


「だから、榛美さん、だっ、だからね、どうして生まれちゃったんだろうなんて、言わないでほしい。僕は、榛美さんがいたから、ここにいられるんだ」


 それ以上の言葉は、もうさかさに振っても出て来なくて。

 僕は榛美さんを抱きしめたままでいた。


「ふふっ」


 不意に榛美さんが、笑い声をあげた。

 手をのばして、僕の頬にふれた。


「康太さんも、泣くことがあるんですね」

「……え?」


 言われて、自分のまぶたに手をやる。


「ほんとだ」


 びっくりした。

 めちゃくちゃ泣いてる。

 やけに喋りづらいとおもった。


「うわっ、ほんとだ、うそ? すごい、泣いてっ、うわー、気づきたくなかっ」


 怪我をしたことに気付くと、急に痛くなるみたいなもので。

 あとからあとから、涙があふれ出した。


「ごめっ、うそだ、はしっ、いや、その、すぐっ泣き止むっ……」

「だいじょうぶですよ」


 榛美さんが、僕の頭をかかえて。

 胸元に、抱き寄せてくれた。


 その暗闇は、とても親密で、あたたかくて、森の中のひだまりの香りがした。


「びっくりして、泣きやんじゃいました」

「ごめっ、ひぐっ、いや、こ、こんなつもりっ」


 必死で弁解しようとしたけれど、しゃくりあげているせいで、物理的に言葉が出てこない。

 榛美さんは、そんな僕の頭を、毛なみとさかさまに、なでてくれた。


「康太さん」

「うん」

「ありがとうございます」


 抱きしめられたまま、首を横に振る。

 これじゃ立場が逆だ。


「康太さんの指のこと、すごく好きなんです。ちょっとごつごつしていて、おっきくて、それなのに、すごくきれいでおいしい料理を作ってくれるから」


 榛美さんが、僕の手に触れ、ひとさし指の輪郭をなぞる。


「康太さんの声のことも、好きなんです。すこし低くて、ざらざらしてて、耳に入ると、体がぴりぴりするみたいで……」


 暗闇の中で、榛美さんの声は、やわらかい春の日差しみたいだ。


「ねえ、気づいてました? 康太さんって、すごく安心してしゃべっているとき、人の顔を見ていないんですよ」

「あれ? ほんとに?」

「いま、わたしの顔を見てませんよね?」

「……ああ、たしかにそうだ。よく分かったね、まっくらなのに」

「分かります。康太さんのことだもん」

「だれにも言われたことなかったなあ、そんなこと。そっか、そうだったんだ」

「わたしだけが気付いている、ふたりだけのひみつです」

「二人だけの秘密だね」

「えへへ」


 顔をあげる。

 僕たちは、そろって、照れ笑いをうかべている。


「やっぱりわたしは、康太さんが近くにいると、それだけでうれしいなあ」

「僕もだよ。僕も、榛美さんと一緒にいられて、それだけでうれしいんだ」

「なにしろ、最後にはおいしいですからね」

「なにしろ、最後にはおいしいからね」


 二人してまったく同じことをいって、まったく同じタイミングで、まったく同じ苦笑を浮かべて、それがおもしろくって、まったく同じタイミングで、またわらって。


 それから榛美さんは、僕の胸に顔を押し当て、大きな声で泣いた。

 生まれたばかりの子どもみたいに、いつまでも、泣きつづけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ