穀斗の世界
「穀斗の世界、か。違いねェな」
鉄じいさんは、静かにつぶやいた。
沼のほとり、かつての領主館。
鉄製の器具が散乱する板の間で、鉄じいさんは、やけに疲れたような表情を浮かべている。
「なんだってそんなこと黙ってたんだよ」
「穀斗の言い分だよ。歴史心理学だか、心理歴史学なンだか……とにかく、村の連中に知られちまッたら、終わりだッてな」
「れきっ、しん? はあ? 意味わかんねえよ」
「僕の世界の言葉だよ」
心理歴史学。
アイザック・アシモフの小説、『ファウンデーション』シリーズに登場する、架空の学問のことだ。
おおざっぱに言うと、人類の未来を予測する手段のこと。
個々の人々の行動は予測がつかないものだけど、多くの人間が織りなす歴史は、計算可能という前提があり。
計算にもとづいて、その人間集団がたどる未来をはじき出す。
この心理歴史学の要諦は、対象になっている人間集団が、予測された未来の内容を知らないことにある。
あくまで個々人がランダムに動くことによって、計算は成立する。
「一種の冗談……というか、皮肉にも聞こえますけどね」
「おまけに、あまり趣味がよくないようじゃの」
「どォだかな。とにかく、やつは白神で、給地を建て直した。そりゃァ間違いのねェ事実さ」
悠太君は、いらだちまかせに床を踏みしめた。
「そんなことはどうでもいい。穀斗はいつどっから湧いて出て、なんでいなくなったんだ? 榛美ひとり置いて、今はどこをほっつき歩いてるんだよ!」
「どこにいるのかは、わからねェ。だが、あいつがこの村に来たのは、そォだな……オレが沼のほとりに引ッ込んで、いくばくもしねェ頃さ」
「だとすると、百年も前ってことになりますけど」
「あァ、間違いねェよ。オレぁとにかく、全てがおっくうで、日がな寝こけてたからな。そこにあいつと、そのカミさんが来やがッたんだ」
鉄じいさんは、穀斗さんとの出会いを、語りはじめる。
一目みて、白神と分かる格好だった。
ウールシルク混紡のスーツ、綿ポリエステル混紡のワイシャツ、レーヨンのネクタイ、牛革の靴。
かっちりと、なんの違和感もなく着こなして、自然に立っていた。
その傍らには、フォーマルなマタニティドレスにカーディガンを羽織った女性。
大きな腹を抱えて、控えめにたたずんでいた。
「お話は聞き及んでおります。踏鞴様、私どもが、力になりましょう」
「カピバラに食われちまえ、このうすのろが」
べろべろに酔っぱらっていた鉄じいさんは、手元の小瓶を力いっぱい投げつけ、それがファーストコンタクトだった。
「今やあなたの作り上げた給地は、滅びの道をまっしぐらに駆けている。そうでしょう? 私たちにはビジョンとプランがある。それを証明してみせましょう」
穀斗さんは、額から血を流しながら、何事もなかったかのように、言葉を続けたという。
「沼にはまッておぼれ死ね」
鉄じいさんはふたりに背を向け、おまけに放屁した。
僕だったらこの辺でがまんできなくなって笑っていただろうけど。
「風土病の解決、作物の再分配、素朴な直接民主主義からはじめてみましょう。PDCAをきちんと回すことが重要です」
穀斗さんは、なおも淡々と、自分の語りを続けたらしい。
「風土病だァ?」
「ええ。村人たちは皮脂漏症と感染症に苦しんでいますが、私どもが解決策をご提案させていただきます」
「ほォ? 村を興してからこッち、延々と人が死ンじまッてるンだぜ。てめェらに治せるッてェのかよ」
穀斗さんは、貼り付いたような笑みを浮かべた。
「この村で常食されている、ケヤキ油。あれは人体に消化できないものです。エルフを祖に持ち、腸内に共生微生物がいれば、話は違いますが。
差し当たっては、ケヤキ油の摂取を止めるよう、働きかけてみましょう。ああ、踏鞴様はお気になさらず。私どもには、山ほどの時間がございますので」
「な……なンだァ? ケヤキの油が……? てめェ、なにを言ってやがる」
「では、私どもはこれで失礼いたします。現領主、月句様へのご挨拶が控えておりますので」
「てめェ、てめッ、おい、てめェら、うちの息子になンの用があるッてンだ、えェ? てめェ、てめェら、あァ分かッたぜ、てめェの背中が見てェんだな、今すぐおがませてやる」
鉄じいさんはまさかりをふりかざし、よたよたした足取りで、ふたりに襲いかかった。
「失礼いたします」
「おわッ、なンだァてめェ、あ、足、足が動きやがらねェ! てめェ、俺がしょんべん垂れたらどォするつもりだ、えェ!?」
「五分で魔述は解けます。私は留める魔述師、灰色港のキアダンにして、鷹嘴穀斗。以後のお見知りおきをお願い申しあげます」
あざわらうようなお辞儀を一つ、穀斗さんは、きびすを返した。
終始無言の女性は、皮肉っぽい笑みを鉄じいさんに投げかけると、穀斗さんの後を追った。
「……ジジィ」
「言うンじゃねェ。人に屁の一つもぶちまけたくなるようなことだッて、あるだろォが」
「あるわけねえだろ。それで、どうなったんだよ」
穀斗さんは村に住み着き、居酒屋をはじめた。
酒をかもし、ごった煮を提供し、いつしか穀斗さんの居酒屋は、村の男性が集まる場所になっていた。
穀斗さんは、居酒屋店主の立場から、それとなく人々を誘導していったようだ。
ようだ、というのには、わけがあって。
そのころの鉄じいさんは、沼のほとりでお酒を飲んだり放屁したりするのに忙しく、頻繁に様子を見に行ったわけではないからだ。
「とにかく、俺の心持ちも少しはマシになッてよ。手前ェのしちまったことを拝んでやろうと、びくつきながら村に降りたらよォ。これが、すっかり様変わりしてやがッたンだ」
領主に見捨てられた絶望は、村人の中になく。
人々は、感じの良い棚田と、感じの良い仲間たちと、感じの良い収穫についての歌をうたいながら、村を行き来し。
野良仕事が終われば、居酒屋でいっぱいひっかけ、みやげ片手に家へと帰る。
その中に、頭角も表す者がやがてあらわれ。
そういう人を中心に、いつしか村のことが、居酒屋で決まるようになっていく。
「なにをしたのか、実際のところ、わからねェ。だがとにかく、穀斗は村を作り変えやがッたンだ。俺ァまったくのところ、驚いちまッてなァ。
今度はしらふで、穀斗に話を聞いてみたのさ」
ぱりっとしたエプロンをつけ、ワイシャツのそでをまくって、ごった煮をかきまぜる穀斗さん。
その背中に、鉄じいさんが声をかける。
「いかがでしょう、私どもの働きぶりは」
「てめェ、なにをした」
「私は何もしていません。給地に居酒屋という変数を代入しただけですよ、心理歴史学的に言えば」
「あァ? 白神の世界の言葉か?」
「ええ。そしてPDCAです。給地を作り変えるのは、たいへん難しい仕事でした。四季の宮まで作り、想像以上の時間をかけてしまいましたが、私どもは、私どもの仕事ぶりに満足しております。
もう十年もすれば、軌道に乗ってくるでしょう。そうすれば、私どもの仕事も終わりです」
「……なンの目的で、こンなことをしやがる? それでてめェに、なンの得があるッてンだ」
「目的、ですか」
振り返った穀斗さんは、貼り付いたような笑みをうかべていた。
「強いて言えば、手段こそが目的なのでしょうね」
「けむに巻く気か、えェ?」
「白神としてこの世界を訪れた私には、夢があります。小さく完璧な世界を作るという夢です。それは目的であり、手段でもある。二つは分かちがたく結びついています。
踏鞴様、あなたは何も気にしなくていい。PDCAですよ。螺旋は回りはじめています。そろそろ、私どもの種を残すときでしょう」
「種だァ?」
「エルフの種を、この地に落としましょう。我が子が、時の螺旋を回します。時至れば、我が子の子が。そのようにして、給地は小さく完璧な世界になるのです」
かたわらで野菜を切っていた女が、小さく、しかし、確信めいた力強さでうなずいた。
「そォ言うことかよ、胸糞悪ィ。なんだッて、いつまで経ッても腹がでけェまンまなンだと思ッたぜ」
「ええ。彼女の胎には、留める魔述をかけています」
「それでてめェはかまわねェってのか、えェ?」
穀斗さんの奥さんは、満ち足りたような微笑を浮かべた。
「すてきじゃない? 私と穀斗のつくったものが、小さく完璧な世界を動かしていくのよ」
「彼女は私のよき理解者にして、ビジネスパートナーです。生まれ落ちた子もまた、よきパートナーとなってくれることでしょう。
もちろん私どもは、そのとき、この村におりませんが」
鉄じいさんの気持ちは、大きく揺れた。
まさかりでこの二人を四つか八つに裂くべきか。
村人たちの幸福のため、彼らの好きなようにさせるか。
結局のところ、子を孕んだ女性を殺すなどというのは、鉄じいさんにとって無理な話だった。
風土病は撲滅され、人々の結束は高まり、村は息を吹き返した。
やり方が気に食わないからと言って、鉄じいさんに代案もない。
「生まれた子には、小さく完璧な教育を施します。OJTですよ。そしてPDCAです。踏鞴様はご安心下さい。私どものビジネスは長期保証付でございます」
穀斗さんの貼り付いたような笑みが耐えきれず、鉄じいさんは、その場を後にした。
それからしばらくして、エルフの女の子が生まれ、穀斗さんの奥さんは姿を消した。
その十年後に父親まで蒸発するとは知りもせず、エルフの女の子は、村のみんなに愛され、すくすくと育っていった。
「そ、それが……榛美さん、なんですか?」
鉄じいさんは、言い渋るように、うつむいた。
「あァ、そォさ。穀斗が作ッたこの世界を回し続けるために、榛美は生まれた。それが、穀斗の言い分だッた」
榛美さんは、真っ白い顔色になって、がたがたふるえている。
思わず、手を取った。
冬みたいに冷たくて、小刻みにふるえている。
「榛美さん」
「こ、こ、康太、さん?」
「うん、ここにいるよ」
「はい……はい、わ、わたし」
過呼吸で、くちびるがまっさおになっている。
ひだまりみたいな笑顔をかたちづくる、あたたかいくちびるが、凍り付いている。
「大丈夫、落ち着いて。ゆっくり息を吸うんだ」
冷や汗のにじんだ榛美さんの背中を、ゆっくりと、さする。
榛美さんは僕にもたれかかるようにして、静かに息をしはじめた。
「なにか、言わなかったのかよ? なあ、ジジィ、穀斗のクソ野郎は、なにか言わなかったのか? 榛美のこと、なあ、なあ!」
激昂した悠太君が、鉄じいさんの胸ぐらをつかんで、揺さぶった。
「あんまりじゃねえか! そんなの、なんだって……子どもだろ、だって、自分の子どもじゃねえか! それを、そんな、なんだよそれ! 道具みたいに、道具みたいに言いやがって! なにか言わなかったのかよ! 大事にするだとか、なんとか!」
鉄じいさんは、黙って首を横に振った。
悠太君の顔が、くしゃくしゃにゆがむ。
抱えきれないほどの怒りと悲しさで、ゆがむ。
「冗談だろ、なんだよ、なんだよそれ……あんまりじゃねえか、くそっ、ちくしょうっ、なんで、なんでオレ、そこにいなかったんだよ? なんでオレ、そいつのこと殴ってやれなかったんだよ!」
「悠太よ。てめェは、優しい子だなァ……」
鉄じいさんは、悠太君の名前を呼んで、その頭をなでた。
「オレ、オレがいたらっ! 絶対に言ってやるのに! 榛美のこと大事にしろよって、絶対に……! ちくしょう、ちくしょうっ!」
すがるように、鉄じいさんにしがみつきながら、悠太君は声をあげて泣いた。
「……これが、白神のありようと言うものなのでありましょうか」
ミリシアさんが、ぽつりと、つぶやいた。
生理的な嫌悪感を、もよおさずにはいられない。
それは僕も同じだ。
「合理を尊べば、そのような結論にも至るのじゃろうな」
「し、しかし、嬢」
「自らの欲望のためであれば、なべて犠牲を厭わぬ……みどもの中にも、こうたの中にも、そのような性質がある」
夢に焼かれた人間は、灰になるまで立ち止まれない。
穀斗さんは、得てしまった。
魔述という筆、異世界という白い画布。
何を思えばいいんだろうか。
同じく白神として、同じく夢に焼かれた者として、どんな感情を抱けばいいんだろうか。
今はただ、榛美さんの冷たい手が、ひどく、かなしかった。




