ピスフィ・ピーダー嬢あらわる
どれだけばかげていようと、たしかな事実として。
目の前に、二頭立てのカピバラ車が存在している。
そして悠太君の服が食べられつつある。
急角度から、えぐりこむようにファンタジーがやってきた。
エルフやドワーフ、魔述に封建制と、いろんな不思議に出くわしてはきたけれど。
体高およそ1.6メートルのげっし類、というファンタジーには、絶句する他ない。
「おい、やめろばか! 食うなよ、食うなって、頼むから!」
悠太君が、短いリードでつながれた犬みたいにもがいている。
なんだろうこれは。
目の前で何が起こっているんだろう。
呆然としていたら、荷車の扉がひらいて。
あまりにも懐かしい、ベージュのうさ耳が、目に飛び込んできた。
「久しいな、康太よ」
ぴかぴかに磨き上げられた、真鍮の鎧。
銀色の髪と、真っ赤な瞳。
そしてなにより、膨張色の垂れたうさ耳。
「ミリシアさん……ですか?」
ベルベットのマントをひるがえし、荷車からさっそうと飛び降りたのは、ヘカトンケイルの門閥市民、ミリシア・ネイデルさんだった。
「覚えていてくれたか。嬉しいことだ」
鋭い切れ長の瞳の、めじりを下げて、ミリシアさんはやわらかく微笑む。
「もうダメだ、食われて死ぬ!」
必死の形相で、悠太君が叫ぶ。
視界に入る情報量が多すぎて、なにひとつ整理できない。
「咲太郎、少し落ち着け」
ミリシアさんが、カピバラの頭をぽんぽんと叩く。
カピバラは、『きゅるるるる…』みたいな鳴き声をあげると、悠太君を解放した。
「ぐへぇ!」
いきおい、地面につっぷす悠太君。
「うわあ悠太君、大丈夫!?」
「……なんとか生きてるみたいだわ」
うめいて立ち上がった悠太君は、ミリシアさんをひと睨み。
「で? あんたはどこの誰で、なんでオレにこの化け物をけしかけたんだ? 笑えたか?」
「咲太郎は甘えん坊でな。服に関しては謝罪しよう」
「甘えん坊……いや、いいわもう。とにかく、どういうことだよ。オレの服を食うために来たのか?」
「あなたの衣服に、癒しがたい噛み痕を付けるつもりではないさ。嬢、いかがいたしますか?」
ミリシアさんは、カピバラ車に向かって声をかけた。
「そうじゃの。みどもの口から語ろう」
低く落ち着いた、透明な声がした。
「では、嬢。私の手におつかまり下さい」
「いらぬ」
「はい、失礼いたしました」
小さな人影が、落ちつきはらった動作で、荷車からおりる。
「みどもは『ピーダーとネイデル、クエリアの合同会社』の代表人、ピスフィ・ピーダーじゃ。お騒がせしたこと、まずはお詫び申し上げる」
子どもだった。
中折れ帽の下、ふわふわっとした髪は、宇宙から見た海のような水色。
大きな瞳は凪いだ海面の青で、理知的な静けさをたたえている。
背筋をのばして堂々と立つ姿から、自分で考えてさっさと動いたり、人にあれこれ命令したりすることを、日常としているのが分かる。
それは、まあ、いい。
青い髪も瞳も、ファンタジー世界だからまあいい。
問題はそこではなく、少女――ピスフィ嬢――の着ている服にある。
まず、なんてことない化学繊維の白いワンピースだった。
もういっぺん言った方がいい?
なんてことない、化学繊維の、白いワンピースだった。
胸元に紫黒色のリボンがあって、プラスチック製のボタンがお飾りでついていて、それっぽいひだひだがあって、スカート部分はふんわり広がっていて。
その全部に、化学繊維の安っぽいツヤが見て取れる。
これだけでも軽く気絶しそうだったのに、ピスフィ嬢のかぶっている帽子で、動悸がさらに激しくなった。
ぎゅっと繊維をしぼった、風通しのよさそうなチューブハットなのだけど。
商品のタグを見たら、『指定外繊維:紙』と書いてあるのが、あまりにも明白。
「……ぽ、ポリエステル」
おもわず、呟いていた。
この世界で死ぬまで口にしないだろう単語を並べれば、『ナイロン』と『レーヨン』の間にあるだろう、その言葉を。
「ほう。それでは、主ゃが白神か」
ささやきを拾ったピスフィ嬢が、僕を見上げる。
「この衣服は、ヘカトンケイルの“百貨迷宮”に流れ着いたものじゃ。主ゃにとっては、なつかしいものじゃろう」
「あ、ええ、はい……そう、ですね」
百貨迷宮? 流れ着いた?
待って待って、また情報量が増えてきた。
さばききれなくなってきた。
「ではミリシアよ、この者に手ひどく跳ね付けられたというわけじゃな?」
「ええ、その通りでありますよ、嬢。あそこまで嫌われたのは、マルカス家の夜会で、そうとは知らずリーリ嬢の婚約者と長話をしてしまったとき以来であります」
「リーリの嫉妬深さはドクウツボめいておるからの」
「え、いやいや、袖にしたってわけじゃ……」
あわてて弁解しようとしたら、ミリシアさんが、いたずらっぽい笑みを向けてきた。
冗談だったんだ、分かりづらいなあ。
「貴種、か」
一言つぶやいた鉄じいさんが、僕たちを守るように一歩前に出た。
横顔にのぞく瞳は、剣呑な鉄色。
なんか新しい単語が出てきたぞ。
なんとなく想像つくけど。
「のーぶる? ってなんですか?」
「見りゃァ分かるだろォが。青い髪に青い瞳、浮世離れした美しさ。べらぼうな述瑚と小ざかしさで有名な種族だ」
「どれも否定はせぬよ」
鉄じいさんのちくりとした皮肉に対して、ピスフィ嬢は、とりすました表情をくずさない。
「で? ヘカトンケイルのノーブルの嬢ちゃンらが、なンだってこンな寂れた村までやッて来たッてンだ」
「ヘカトンケイルの者が来たのじゃ、答えなど決まっておろう? 商売じゃよ」
なんら臆することなく、立て板に水の答えを返すピスフィ嬢。
「そォか、そりゃァ残念だッたな。どこで噂を聞いたのか知らねェが、この寂れた村の特産品は、百年も前になくなッちまッたよ」
「染料木じゃろう? ミリシアより話は聞いておる」
「てめェらの事情は知らねェがな」
鉄じいさん、けんか腰だ。
化け物みたいなサイズのカピバラに、化け物みたいな豪華さの荷車を牽かせてやってきた相手に、いきなり友好的な態度は取りづらいよね。
とはいえ、鉄じいさんのたのもしさと言ったらない。
さすがは元領主といったところで、僕の後ろに控えるみんなも、ちょっと安心したような表情になっている。
しかしピスフィ嬢は、鉄じいさんの態度に怯えるどころか、むしろ、穏やかにも見えるような笑みをうかべた。
「踏鞴賽殿にあっては、そのような態度も当然かの」
「なッ……ンだッて? 知ってやがンのか?」
ピスフィ嬢の不意打ちをくらった鉄じいさんは、言葉につまる。
「村人を守るように立ちふさがる、老いて尚、眼光鋭きドワーフ。安堵するひとびと。そうであれば、あなたこそが踏鞴賽殿であろう? 難しい問いではない」
こちらが何も言えずにいると、ピスフィ嬢は、更に言葉をつづけた。
「しかし、賽殿こそ自分の評価を知らぬようじゃの。世にもくだらぬ十字軍に関わった者の中で、儲けを出したのは中つ国広しと言えどただ一人。あなたは商人の間では、幸運の神のように思われておるよ。ヘカトンケイルの諺にいわく、『鉄打ちドワーフの足跡は見落とすな』じゃ」
鉄じいさんは、気まずそうに顎ひげをしごいた。
「……ちッ。ばかにされてンのか褒められてンのか、分かッたもンじゃねェぜ」
首を振って、ためいきをつく鉄じいさん。
すごいな、手玉にとられる鉄じいさんなんて、はじめて見た。
「立ち話はこれぐらいでよいか? 来て早々で不躾な申し出じゃが、当座の宿を借り受けたい。ミリシアが、領主館には二度と足を踏み入れたくないとうるさいのでな」
「踏鞴月句……あのような男に、嬢を近づけさせるわけにはいきません」
ミリシアさんが、思い出しイライラの表情をうかべる。
僕も、知らないおじさんに生きたまま皮をはがされそうになったので、気持ちはよくわかる。
「宿っつっても……なあ?」
困惑気味の讃歌さんが、戸口に集まってきたみんなの顔を見回す。
足高さん、鉄じいさん、湖葉さん、葛乃さん、悠太君。
みんな、なんとも言えない表情を浮かべている。
まずは、知らない人に家なんて貸したくないし。
そもそもこの村に、賓客用の立派な宿なんてないし。
よそものに対する警戒心と、自分の村に対する気恥しさが複雑にいりまじった表情だ。
そんな中。
「あ、それならわたしの家でいいですか?」
にこにこ顔の榛美さんが、気まずい空気をこなごなに打ち砕いた。
「おいおい榛美ちゃん、冗談だろ?」
「そうだおめえ、榛美ちゃんおめえ、こんな物騒なやつらにおめえ」
「ええー? でもミリシアさんのことは知ってますし、それに、ピスフィちゃんかわいいじゃないですか! なんか康太さんのことほめてたし、だったらいい子ですよ! ね、康太さん!」
そこを基準に置くのは、ちょっとどうかと思うよ榛美さん。
「それにわたし、ヘカトンケイルのこと、ずっとあこがれだったんです。お話も聞きたいなあ」
「……ろくな場所じゃねえけどな」
ヘカトンケイルにまるで良い思い出のない悠太君は、苦々しい顔でそうつぶやいた。
「嬢がいい子、か。相変わらず面白いことを言うな、榛美」
ミリシアさんが、ひきつった表情で笑いかけると。
「え? え? ご、ごめんなさい、なにかまちがってました?」
榛美さんはとたんにしおれて、僕のうしろに隠れてしまった。
「よい。いい子かどうかはともかく、みどもはまだ、ただの子どもじゃ。はしばみ、でかまわんか?」
「あ、は、はい! た、た、たかのはし、はしっ、ば、しっ、ばしばしです!」
むちゃくちゃ噛んでるよ榛美さん。
『はしはし』のところ言いづらいよね。
「はしばみよ、しばしの宿を借り受ける。代金は言い値で支払おう。ヘカトンケイル札の他に、塩や絹の用意もあるが、いかにしよう」
「あ、いえいえそんな! ぜんぜんそんな! ヘカトンケイルの方にそんな!」
榛美さんは、恐縮しすぎて後ずさりしはじめた。
知らない人への恐怖と、ヘカトンケイルへの興味の間で、ものすごくゆれ動いているみたいだ。
家主が決めたのなら、勝手に住み着いている店子としては文句もなし。
榛美さんのフォローに回っていこう。
そんなわけで、唐突に現れた商人様ご一行が、榛美さんの家に逗留することになってしまった。
この先に何が起こるのか、考えるだけでものすごく頭がいたい。




