給地のひとびと-3
季節は雨期に突入し、毎日毎日、雨がふる。
榛美さんと鉄じいさんは、山向こうへと買い出しにでかけてしまい。
ひまになった僕の唯一の癒しが、黒豆の面倒を見ることだった。
いよいよ今日は、風選の作業。
びっしりと生えたカビを、風の力で吹き飛ばすのだ。
というわけで、箕を片手に、裏庭に。
「白神、松切り番はよくわからねえ。こんなくさったものが、どうして美味くなる道理なんだ?」
本日の特別ゲストは、領主館の松切り番さん。
「おっさん、やめとけよ。けむに巻かれるぞ」
それから、ごくつぶしの悠太君。
「カビを払って発酵を止め、熟成させていくんですよ」
「はっこ……じゅくせ……?」
松切り番さんは、僕に根深い疑惑の目を向けた。
雨期のさなか、たまたま晴れ間がのぞいてくれたので、たまたま一緒にいた松切り番さんと悠太君とを、風選にかり出したのだ。
踏鞴家給地で過ごす間に、僕もだいぶ、ふてぶてしくなってきた。
「こうやって、手首を返して、と」
悠太君は慣れたもの、かろやかに箕を操り、豆を宙に浮かせる。
「おお! 悠太、見事なものなのよ! 松切り番も、それをやってみてえ!」
「松切り番さん、ちょっと僕がやるのも見てくださいよ。ほらっ!」
「白神も、大したものよ! 松切り番にもできるか?」
「誰でもできるわこんなもん。おっさんもやってみろ」
「でやあ! ……で、できているか? 松切り番にも、これができているのかよ?」
「できてるできてる。完璧だろ」
みんな大好き、風選作業。
なんかテンション上がっちゃうんだよね。
ひとしきり風選し、カビをしっかり飛ばし終えたら、夏の宮で一時間ほど乾燥させる。
そうしたら、再び秋の宮に戻す。
「こんなところに置いといたら、またカビるんじゃねえの?」
「うん、カビ付けと風選を繰り返して、アミノ酸を増やしていくんだ。そうする度に旨味が増すからね」
「時間がかかるもんだな」
悠太君は、ござでくるんだ豆を見下ろした。
「時間をかけておいしくするのよ。それは、穀斗も言っていたことだ」
「穀斗さん、ですか。こういうものも作っていたんですね」
「いや、穀斗が教えてくれたのは、これじゃねえ。これじゃねえけど、時間をかけるのよ。松の葉を、時間をかけておいしくするんだと、穀斗はいっていたのよ」
「松の葉?」
「おお、そうよ、松の葉よ! 白神、白神が領主館に来てくれれば、松切り番は白神に松の葉でつくったものをあげる! だれにも内緒で、松切り番が作っていたものなのよ!」
松の葉で時間をかけて作るもの?
なんだろう、松葉で発酵……いやいや、まさか。
給地では砂糖どころか、蜂の巣を破壊して蜜をかき集めるようなことさえしてないし。
「なんだか分からないけど、楽しみです」
「松切り番は、踏鞴様に話してくる。そうしたら、白神は領主館に来るのよ。それまでは内緒、松切り番は内緒にしておくのよ」
松切り番さんは、いたずらっぽく笑った。
「ひどいじゃないですか、松切り番さん。でも、答え合わせを楽しみにしておきますね」
僕も、松切り番さんに笑顔をかえす。
こうして松切り番さんが領主館に向かい。
僕は、知らないおじさんに生きたまま皮をはがされかけるわけだけど。
それはそれとして、豆鼓の熟成は進んでいく。
「いよっ、と。あいたたた……くそっ、まだまだ本調子じゃねえなあ」
「讃歌さん、無理をしないほうがいいですよ」
「白神様が俺のためにメシを作ってくれたんだ。さっさとなおさにゃ、みんなに笑われちまうぜ」
「寝てろよ」
「うるせえぞドラ息子」
本日の風選作業にお越しいただいたのは、讃歌さんと悠太君。
無理がたたって腰をいためた讃歌さん。
まだまだ農作業には出られないけれど、体を動かしたいということで、豆鼓づくりの一員に加わってもらった。
「そろそろできあがりなんだろ、これ」
「うん。かなり熟成が進んでるね。アミノ酸たっぷりの、すばらしいできになっているはずだよ」
「あいたたた……」
「だから寝てろよ。うるせえし情けねえ」
「だったらてめえは、俺の代わりに田んぼに出るのかよ、ああ?」
「うっぐっ……くそっ」
いつもの親子げんかが始まった。
「ま、まあそれはともかく。で、オマエはこれでなにを作るつもりなんだ?」
「えっ?」
「は?」
きょとんとして見つめ合う、僕と悠太君。
「お、おい……まさかオマエ、なにも考えてなかったのか?」
「え、いや、いやいやいや。いやいやいや違うよ悠太君。ほらその、これ、豆鼓っていうのはもう、なんでもいけちゃうからね。ほら、麻婆豆腐とか」
「なんだよその料理は。ここで作れるものなのかよ」
「……挽き肉と花椒と豆板醤とオイスターソースとネギが足りないかな」
ビーガンオイスターソースという、キノコから作るうまみ調味料が存在するらしいけど。
謎キノコとアミガサタケで作れる気はしない。
「悠太君」
「なんだよ」
「ど、どうしよう」
「知るか」
「わっはっは! なんだ白神様、なんも考え無しでここまで来ちまったのかよ! らしいっちゃらしい話だけどな!」
爆笑する讃歌さん。
ひどくないですか。
「また例のあれだろ、だめな時の目をしてたんだろ。なあ、悠太」
「ああ、してやがった」
「ま、白神様のことだ。なんでもどうとでもしてくれるだろうぜ」
「う、ううう、がんばります」
まあ、いじられるぐらいにはこの村に馴染めたということで、一つ。
しかし、なにを作るかというのは、全くの盲点だった。
古い豆を、配り歩くぐらいだったら、有効活用したいというのが、そもそものはじまりで。
そこから先には、なにもない。
「うーん、炒めものをやりたいんだけどなあ」
「炒め……?」
悠太君がきょとんとする。
給地での基本的な調理法は、『なんでも煮る』の一言につきる。
すばらしく合理的なんだけど、調理法はあんまり発展していない。
「ああ、あれだろ? 葛乃ちゃんが、幅木のやつによく作ってるっていう」
「湖葉さんの妹さんですよね」
「ああ。あの炒め物ってえのは、エルフの時代の名残だっつうけどな。食ったことはねえ」
「ふうむ……ケヤキ油を使ってるんですか?」
「いや、もう使ってねえってよ。ほら、捧芽のことがあるだろ?」
踏鞴家給地の特産品であるケヤキ油はワックスで、人体には消化できない。
湖葉さんの弟、捧芽君は、ケヤキ油の摂りすぎで皮脂漏症にかかり、生命の危機を迎えていた。
今はだいぶ具合もよくなったと、足高さんには聞いている。
「白神様が作ったっていう、なたね油だな。幅木のところでも、あれを絞ってるって聞いたぜ」
ほほう、それは耳寄り情報だ。
「よし、ちょっと幅木さんのところに行ってみますね」
「おう、それがいいと思うぜ」
というわけで、風選を終えた僕は、榛美さんに声をかけて幅木さんのところに向かった。
「急に押し掛けちゃって、大丈夫かなあ」
「幅木さんはやさしい人だから、だいじょうぶですよ。足高さんが湖葉さんをかつぐのだって、すごくよろこんでましたからね」
もともと湖葉さんは、幅木さんのところにかつがれる予定だった。
いろいろあって、足高さんが湖葉さんをかつぐことになったわけだけど。
そのひと悶着に力いっぱい関わった僕としては、幅木さんに会うのが、ちょっと怖い。
「幅木さん、いますかー?」
心がまえができない内に、幅木さん家についてしまう。
しかし、引き戸がひらいて、そこに立っているのは、葛乃さんだった。
「白神様と、榛美さん」
相変わらずの無表情で、僕たちをでむかえてくれる。
「どうしたんですか」
「幅木さんは……あ、そっか! 田んぼですよね!」
「そうです。日の高い内ですから」
葛乃さんの皮肉っぽい目が、僕を突き刺す。
大のおとなが、まっ昼間からその辺をふらふらしているというのは、この村では異常事態だ。
「実は、葛乃さんに聞きたいことがあるんです」
「わたしに」
葛乃さんは、ふしぎそうな表情をうかべた。
「はい」
「姉ではなく」
「葛乃さんにです」
「そうですか。どうぞ」
幅木さん家は、きれいに片づいていた。
農具や寝具が隅にきちんとまとめられ、床も土間も、掃除が行き届いている。
ちょこんと正座した葛乃さんに、豆鼓づくりの経緯を説明すると。
「炒めものを作るのですね」
すんなり飲み込んでもらえた。
「はい。葛乃さんが、得意だって聞いて」
「得意です。夫にも、毎日よろこばれています」
おお、言い切った。
「幅木さん、葛乃ちゃんをかついでから、うちであんまり食べてくれないんですよ。葛乃ちゃんのごはんがおいしいからって」
「あたりまえです」
と、クールにいいながらも、口をむずむずさせている葛乃さん。
かわいらしいお嫁さんじゃないですか。
「今から、菜摘みに出るところでした。一緒に行きますか」
「いいんですか?」
「かまいません」
そんなわけで、照れ屋のお嫁さんに引き連れられ、ため池まで。
「はー……風がきもちいですねえ」
金色の髪を風になびかせ、榛美さんが大きくのびをした。
「米も、よく育っています」
棚田を見下ろした葛乃さんが、ほほえみをうかべる。
「今日はなにを採るんですか?」
「イタドリと、カラスノエンドウ、葛のつる、あとは、乳葉ですね」
「えっ? チハ?」
いまなんか、戦車の名前言った?
しかも久しぶりに、単語を漢字で認識できたぞ。
「チハです」
葛乃さんは、説明するのがとても億劫です、の顔をした。
「は、はい」
なんだろう、チハ。
想像がつかない。
「ぜんぶ、一度揚げてから、塩で炒めます。イタドリだけは別にして、塩もみします」
なんとまあ、中華料理の技法、油通しだ。
高温の油で素揚げし、表面を焼き固めることで、水分とうまみを閉じこめる技法。
「よし、やっていこいう」
「はい! がんばりましょうね、康太さん!」
気合いを入れて、食べられる野草を探しはじめたのだけど。
「まだそれだけですか」
葛乃さんに、皮肉をいわれる始末。
とにかく草がもりもり生い茂っていて、野草を探すのにもなんぎするのだ。
葛乃さんは、はやくも袋をぱんぱんにしている。
僕はといえば、ようやく見つけたイタドリが二本ほど。
「わたしなんて、ぜんぜんですよ!」
袋をひらいて、空っぽの中身を見せる榛美さん。
「榛美さんはいいです」
「え? いいんですか? やったあ! ねえねえ康太さん、わたしはいいんですって!」
「うん、それを聞いて安心したよ。菜摘みって、けっこうしんどいんですね、葛乃さん」
「女衆の仕事ですから。この程度は苦でもありません」
イタドリを器用にへし折りながら、抑揚のない声で返事をする葛乃さん。
だけど、口元がむずむずしている葛乃さん。
表情が分かるようになってきたぞ。
「葛乃ちゃん、これはたべられます?」
榛美さんが、豆っぽいなにかを手に、葛乃さんに話しかける。
「それはおいしくないです」
「そっかあ。残念です」
「あ、ちょっと待って榛美さん」
「どうしたんですか?」
その辺に放り出そうとしたつるを、榛美さんから受け取る。
「この葉っぱのかたち……これ、ヤブツルアズキだ」
「やぶつる?」
「ええ。これ、食べられますよ」
「でも、おいしくありません」
「若いころは、おいしくないですけどね。秋になると、おいしくなるんです」
「秋になると、飛び散ります」
ヤブツルアズキは、小豆の原種だ。
特徴としては、小粒で真っ黒。
そして、この世界のアブラナと同じく、完熟するとさやがはじけ、種があちこちに飛び散ってしまう。
「時期をあわせて採るんです。数があつまったら、いろいろ作ってみますよ」
幸いこちらには、小麦水あめがある。
まさか、この世界でぜんざいを食べられるとは思わなかったなあ。
うわー、おもちもあるじゃないか。
こんがり焼いたおもちと、しっかり甘いぜんざい……はやく秋がこないかなあ。
「たのしみです」
葛乃さんが笑ってくれた。
「ね、たのしみですよね! 康太さんはいつも最後においしいからなあ」
「はい。知っています」
「作り方は教えますよ。ぜひ、幅木さんにも作ってあげてください」
葛乃さんは、口をむずむずさせながら、かろうじて無表情をたもち、
「チハです」
むりやり話題を変えてきた。
葛乃さんが袋からつかみだしたのは、なんというか、葉っぱ。
うすい黄緑色で、ぎざぎざしている。
「へええ……」
受け取って、手の中でくるくる回してみる。
厚ぼったい葉は、たっぷり水分を含んでいそう。
「これって、そのまま食べられます?」
「はい」
ということで、ひとかじりしてみる。
さくっとした食感で、噛みしめると水があふれ、ほんのり苦味を感じる。
「なんだろ、レタスかな……チシャ……ああ、チシャか」
「チハです」
葛乃さんは、説明するのがとても億劫です、一度で理解してくださいこのうすのろ、の顔をした。
「あ、はい、チハですよね」
レタスとか、カキヂシャによく似た、キク科みたいな苦味だなあ。
かじった断面から乳色の汁がにじむのも、たんぽぽとかよもぎっぽい。
この白い汁はポリフェノールで、苦味のもとだと聞いたことがある。
ふむふむなるほど、『乳の葉』で、チハか。
これはまた、炒めものにぴったりの野草を手に入れてしまった。
「あ、これおいしいやつですね。この苦いの、わたし好きですよ」
チハをかじった榛美さんが、にこにこする。
榛美さんの、苦いのも甘いのもわけへだてなく美味しがってくれるところが好きだ。
「これを炒めものにしたら、さぞお酒がすすむでしょうねえ」
「ええ。白神さまのお作りになる、澄んだお酒と合うはずです」
「蒸留酒……ああー、想像しただけでお酒のみたい」
とろっとするまで冷やした蒸留酒と、ほろ苦い炒めもの。
お酒の、なめらかな口当たりと甘み。
しゃきっとした食感と爽やかな苦味のチハ。
いかん、お酒のみたすぎる。
「こんど、澄んだお酒を持っていきますよ」
「ほんとですか」
抑えた口調のまま、一歩ずいっとふみこんでくる葛乃さん。
ふんふんいってるよ葛乃さん。
鼻息すごいよ葛乃さん。
さてはあなた、のんべですね?
「そろそろ帰ります」
葛乃さんはすぐさま我にかえり、いつも通りの抑揚のなさで、さっさと歩き出した。
「葛乃さんって、こういう人だったんですね。知らなかったなあ」
横をあるく榛美さんが、ちいさな声で言う。
「そうだね。知らなかったよ」
「なんか……たのしいですね、こういうのって」
「うん、ほんとうに」
結局のところ、幅木さんと顔を合わせることはなかったけれど。
菜摘み体験の収穫はおおきかった。




