給地のひとびと-2
豆麹を仕込んでから、だいたい十日。
僕は、鉄じいさんの家にいる。
年齢も経歴もほぼ不詳、誰も知らないほど昔から、沼のほとりに一人で住んでいるという、謎のドワーフだ。
「それで康太さんが、おっきな鍋をほしがってるんです」
「くだらねェ。豆なンざ適当に煮やがれッてンだ」
「でも鉄じいさん、康太さんはりっぱな方で、いつも最後はおいしいんですよ」
「そンなこたァ知らねェよ」
榛美さんと鉄じいさんが、なんの話をしているかといえば。
豆十キロをまとめて煮られる、大鍋についてだ。
榛美さん家にあるお鍋とかまどは、あくまで村のみんなの晩ごはん用。
僕の純然たる趣味のために、いつまでも占領するわけにはいかない。
それで困っていたら、榛美さんが、鉄じいさんに頼もうといいだした。
のだけれど、こんな感じでけんもほろろ。
この二日ほど後、鉄じいさんが郷で食べていたという料理を再現するため、僕はあちこち走り回るのだけど。
まだこの時点で、鉄じいさんと顔を合わせるのは二回目だ。
「俺ァよ、白神。てめェの料理を食ッたわけじゃねェ。ヘカトンケイルの商人をやりこめたッてェのは痛快な話だけどよ、なんでも言うことを聞くとは思うんじゃねェぞ」
どぶろくをごぶりとやりながら、すごんでくる鉄じいさん。
「は、はい、すみません」
なんかあやまってしまった。
「でも鉄じいさん、康太さんは、ユウのことも料理でなんとかしたんですよ」
「ユウ……ああ、讃歌のところのガキか。あいつがどうしたって?」
榛美さんが、事情を説明する。
ヘカトンケイルで打ちのめされ、ぼろぼろになって戻ってきた悠太君のこと。
そんな悠太君が、僕の料理で、少しばかり前向きになってくれたこと。
榛美さんの話に、だまって耳をかたむけていた鉄じいさんは、やがて鉄色の瞳をこっちに向けた。
「讃歌のガキに、何を吹き込ンだ? てめェの世界の積荷とやらか?」
「そんなことはしてません。ただ、おいしい料理をつくっておいしかったねってだけの話ですよ」
「ほォ?」
「僕の方こそ、悠太君に文字を教えてもらっている立場ですからね。積荷をもらっているのは、こっちです」
「文字だァ? 白神がこの世界の文字なンざ、なンの要り用があッて覚えやがる」
「え? ええとその……楽しいからですけど」
「はァ?」
鉄じいさんは目をしろくろさせて、
「がっはっはっは!」
爆笑した。
前もこんなことなかったっけ?
「た、楽しいだァ? おいおい、白神様が、楽しいからッて文字を覚えるのかよ! なンだそりゃ、聞いたこともねェ!」
「あ、いや、楽しいっていうのはちょっと語弊があって。この世界の法律とか、本草学とか、そういうのを覚えたら、こう、なんていうか……楽しいなあって」
あれ? なんか、ばかをさらしてる気がするぞ。
「いやいや、楽しいっていってもあれですよ、鉄じいさん。僕はこの世界のことを、何も知らないんです。知らないことを学ぶのは、ほら、その……た、たのしい」
「や、やめろ、ばか、やめやがれ! 笑いすぎて死ンじまうじゃねェか! てめェ、白神なら少しはお高く止まりやがれッてンだ!」
「す、すみません」
白神って、そういうものなんだろうか。
もしかして、もっと堂々と振る舞うべきだったんだろうか。
ひとしきり笑った鉄じいさんは、咳払いをしてどぶろく一つ。
「榛美よ、俺ァこいつのこと、気に入ッたぜ。鍋一つぐらい、好きに使いやがれッてンだ」
「わあ、ありがとうございます! やりましたね、康太さん! これでお豆が煮れますね!」
「鉄じいさん、ありがとうございます」
「気にすンじゃねェ。その内、俺にも酒とメシを用意しろ」
「はい、もちろんです」
というわけで、大鍋を手に入れた。
薄い鉄にブリキを貼った、一斗缶みたいな質感のもの。
裏庭で、こいつを七輪にかけ、黒豆を煮ていく。
「もうそろそろできるんですか?」
「ここからが本番ってところかな」
日も暮れなずむ裏庭、七輪のあかあかとした光を眺めながら、僕と榛美さんは肩をならべている。
「あのね。康太さんって、すごいです」
榛美さんが、僕をみあげた。
炎の照り返しで、緑色の瞳がきれいだ。
「ユウに、鉄じいさん……それに、わたしも。みんなが、康太さんとしゃべるだけで、変わっちゃうみたい。まるで魔述です」
「僕は何もしていないんだけどなあ」
「そんなことないです。わたしがこの村のことを大好きになれたのも、康太さんがいたからです」
榛美さんはちょいちょい僕を過大評価するんだよなあ。
「康太さんはもしかしたら、この村を大きく変えちゃうかもしれませんね」
「そんな、大げさな。今だって、ただ豆を煮ているだけだよ」
「あはは、そうですね、お豆を煮ているだけです。でもね、康太さんなら、お豆を煮ているだけだって、きっと誰かのことを助けてあげられるんですよ」
どうにも照れくさくって、僕は頬をかき、くだらない冗談でごまかそうとした。
だけど、榛美さんの瞳が、あまりにも真剣で。
僕は肩をすくめるかわりに、ほほえんでみせた。
「僕のごはんとお酒で、誰かの人生が、少しでもゆたかになってくれれば……それ以上に幸せなことはないんだ。だから、榛美さんにそう言ってもらえるのは、すごくうれしいよ」
榛美さんも、ほほえんでくれた。
「はいっ!」
夜も更ける頃には、豆もしっかり煮えている。
いくつかの笊にわけて盛り、一晩かけて、あら熱と水気を取ろう。
明日の朝は、豆麹の様子を見るところからはじめよう。
して、翌朝。
秋の宮に置いといた黒豆が、どうなったかといえば。
くるんでいたござを開くと、変わり果てた姿になっている。
ふわふわっとした綿毛にみっちりおおわれたその姿は、まごうかたなき豆麹。
「おおー……すばらしい」
「ふわふわですね!」
黒豆運びを手伝ってくれている榛美さんも、おおよろこびだ。
榛美さんと二人して、木べらを使い、豆麹と煮豆を混ぜていく。
豆をつぶさないよう、かつ、麹が均等に行きわたるよう、作業は丁寧に。
「これが、おいしいものになるんですねえ」
「そうだね、きっとおいしくなってくれると思う」
「ううー、もう、いまから楽しみすぎて……がまんできません」
「時間をかけただけ、味がしっかりするからね。今はがまんの時だよ、榛美さん」
「うー……」
榛美さんのうらみがましい瞳がかわいい。
「そうだ、今日は鮎の肝焼きをつくろっか」
「あゆ、きも……あ、わかっちゃいましたよ! おいしいやつですね!」
「うん、おいしいやつ。今日のところは、それで納得してくれないかな」
「納得しました! なにしろ康太さんのおいしいやつですからね!」
ここ最近は、榛美さんのこともちょっとずつ分かってきた気がするなあ。
「よし、混ぜるのはこんなところだね。あとは一日一回、上下を返してあげながら、発酵を進めていこう」
「かきまぜるってことですか?」
「うん。放っておくと、発酵が進んで温度が上がりすぎちゃうからね。それを防ぐために、一日一回、切り返すんだ」
要術によれば、温度管理に失敗した豆鼓は、
『蒸れ臭くなり、豚も食わない』
らしい。
説得力に満ちた説明だ。
東南アジアには『テンペ』という、大豆をクモノスカビで発酵させて作る食べ物がある。
製法を見て分かる通り、熱帯版の豆鼓だ。
日本でも『テンペ菌』という名前でクモノスカビが売られているから、ご存じの方もいらっしゃることだろう。
このテンペ、伝統的な製法では、豆の切り返しを行わないと聞く。
ものすごい仕上がりになると思うんだけど、それがいいらしい。
「今日もありがとね、榛美さん」
「いーえ! いいんです。康太さんのお手伝いができるのって、たのしいですもん」
「そう言ってもらえると、すごくうれしいよ」
秋の宮の扉を閉じて、榛美さん家にもどる。
豆鼓づくりも折り返し、しくじらないようにがんばらなくちゃ。




