給地のひとびと-1
榛美さん、悠太君、鉄じいさん。
讃歌さん、足高さん、湖葉さん、葛乃さん。
給地で親しくしてもらっている人たちが、日の高いうちから、榛美さん家に集っている。
「たしかに、あたしらが作ってたものによく似てるねえ」
床几に置かれた一皿を見て、湖葉さんが言った。
「そうですね。似ています」
葛乃さんが、湖葉さんと顔を見合わせ、うなずく。
「お父さんも、こういうの、よくつくってくれました」
「これが、炒めものってやつか。オレもはじめて見るわ。エルフの時代には食ってたんだろうな」
「懐かしいもンだ。中つ国のどこぞで食ッたことがあるなァ」
湖葉さん葛乃さんを皮切りに、めいめい、話をはじめる。
「まあよ、まずはいただこうじゃねえか。で、白神様よ。こいつはなんて名前の料理なんだ?」
と、讃歌さん。
「川エビと野菜の豆鼓炒めです。どうぞ、あたたかい内にお召し上がりください」
この一皿を作るまでに、ずいぶん長いことかかった。
現時点での最高傑作といっていいだろう。
振り返れば、思いをはせるに足るほどの時間が、僕のうしろに存在する。
この世界に迷い込んで、まだ二日目。
季節はまだ初夏、やわらかい日差しのふりそそぐ、よく晴れた日が続いていたころ――
「うーん……なんだろこれ」
お鍋で黒豆を水もどししているとき、とある異変に気付いたことが、そもそものはじまりだった。
「康太さん、どうしたんですか? お豆ですか?」
「そうなんだ。悠太君のために、まずはお豆腐をつくろうと思うんだけど」
「お豆腐……? あの、ユウが言ってた、ヘカトンケイルで食べたものって……」
「どうやらチーズのようだね」
「それで、その、チーズっていうのは……」
「うん、さっきも言った通り、牛乳から作るものだよ。まあまあ、そのあたりは、見てのお楽しみってことで。
ところでさ、黒豆って、採れた年ごとにわけて……ないんだね」
榛美さん、質問が終わる前に口をはんびらき。
なるほど、古い豆も新しい豆も、ごっちゃになっているということか。
「しっかり水を吸っている豆と、まだ芯まで戻ってない豆があるんだ」
水の中から豆をつまみあげ、指で割って、榛美さんに見せてみる。
よくもどった豆は、断面が平たく。
まだもどっていない豆は、断面にしわがよっている。
同じ戻し時間で差が出るというのは、つまり、豆の乾燥度がちがうってこと。
新豆には水分が多く含まれているので、すぐに水で戻ってくれる。
一方、ひね、つまり古い豆はものすごく乾いているので、なかなか戻ってくれない。
「ほへー……」
榛美さん、いまだに口をはんびらき。
言いたいことがまったく伝わっていない。
「昔の豆と新しい豆を一緒に煮ると、煮むらが出るんだよ」
「あ、ああー! そうですそうです、いつまで煮てもやわらかくならないお豆がいます!」
よかった、理解してもらえたぞ。
「なんかものすごくしわしわのお豆があって、そういうのは捨てることにしてるんです」
「えっ」
「えっ?」
ぎょっとするほど聞き捨てならないことを言われたぞ。
「す、す、捨てっ、捨て、えっ? 捨ててるの?」
「はい。しわしわのお豆は、やわらかくなってくれないですからね」
頭がいたくなってきた。
なにも捨てることはないだろうに。
「ああでも、捨てるっていっても、山向こうに持っていって、引き取ってもらうってことですよ」
「そうなんだ」
カピバラを飼っているという山向こうでは、飼料にでも使っているんだろう。
しかし、もったいない話ではある。
「売ったりはしないんだ」
「お豆はたくさん採れますし、あんまりお金があってもしょうがないですからね」
その辺りの感覚は、現代日本人である僕とはちがうなあ。
とはいえこちらは、踏鞴家給地の収支状況を改善しにきたコンサルタントではなく、単なるごくつぶしの身の上。
キャッシュフローに口出しする理由はない。
「それじゃあ、そのお豆、ちょっと分けてもらっていいかな」
「いいですけど……なにに使うんですか?」
榛美さん、根深い疑惑の目をこちらに向けてくる。
異世界に迷い込んで二日目、エルフの娘さんの、こういう目線にも慣れてまいりました。
「実は、一度やってみたいことがあってね。うまく行けば、すごくおいしいものが作れると思うんだ」
「おいしい……ほんとですか!」
「うん、まあ、うまくいけばね」
「わああ……康太さんのおいしいの、わたし、好きです!」
「あ、ありがとう。うん、うまくいけばおいしくなるからね」
「はい! うまくいってください!」
「がんばってみるよ」
しまった、いたずらに期待をあおってしまったぞ。
これは、気合いを入れないと。
「たのしみにしてます、康太さん!」
そんなこんなで、豆鼓づくりがスタートを切ったのだ。
豆鼓とはなにか、というところから説明しよう。
これは黒豆を発酵させたもので、いわゆる浜納豆を思い浮かべてほしい。
よくできた豆鼓にはアミノ酸のうまみと豆の風味がたっぷり含まれ、炒め物に使えばまちがいないおいしさになる。
何度か引き合いに出している、六世紀中国の料理書『斉民要術』。
この本は、豆鼓の製法を知るために買ったのだけど。
ページを開いたら、
『まず日影に豆鼓用の小屋を建てろ』
だとか、
『豆は少なくとも百五十キロ用意しろ』
だとか、賃貸暮らしの人間に無力感を味わわせる記述があって、断念した。
さて、家を建てたり豆を百五十キロ用意したりするのは、異世界とはいえむずかしい。
そこで今回採用するのは、『作家理食鼓法』――ご家庭で豆鼓を仕込む方法だ。
「なあ白神、オレ、オマエのところになにしに来たんだっけ?」
「あれ? 悠太君、僕に聞きたいことがたくさんあるって言わなかったっけ?」
「豆の煮方は聞いてねえよ」
皮肉をとばすのは、近ごろ仲良くなった、悠太君。
僕の知識を吸収したいというので、まずは台所で、いっしょに黒豆を煮ることにした。
用意したのは、しわしわの黒豆だいたい十キロほど。
こいつを豆鼓にしてやろうという算段だけど、いまは数百グラムほどを煮ている。
まずは、スターターとして少々の豆麹を仕込んでおきたいのだ。
「発酵というのは、それはそれは素晴らしいものなんだよ悠太君」
「くだらねー。オレはもっとこう、なんていうか……すごいことが知りたいんだよ」
「え、発酵すごくない?」
「腐乳とかだろ。あんなくそまずいもん、オレは食わないからな」
うーん、分かってくれないなあ。
発酵ってすごいのに。
指でつぶせるぐらいのやわらかさに煮えたら、ござをひいた上に、豆を盛る。
温度が上がりすぎないよう、かきまぜながら、コウジカビの繁殖をうながしていく。
のだけど。
「たしかに、小屋がほしくなるなあ」
「今度は小屋を建てろって? 笑えるな」
豆を盛る場所として選択できるのは、この台所ぐらい。
人が頻繁に出入りする場所なので、まちがいなく雑菌が繁殖しまくっている。
腐敗にまったなしの環境だ。
なにしろ、いましも部屋のすみっこで、葉野菜のかけらがカビている。
ということを、悠太君に説明してみると。
「腐敗……?」
おっと、そこできょとんとされるか。
「ごく簡単に説明するとね、菌っていう、目に見えない小さい生き物が、食べ物を寝床にすると思ってほしいんだ」
「なんだそれ、小さい妖精とか、土着のなんかの話か?」
「うん、そういうものがいて、いい小さい妖精がつけば、豆は発酵してくれる。わるい小さい妖精がつくと、豆は腐る。
それで、この台所には、わるい小さい妖精がうようよしているはずなんだよ」
「ああ、なるほど……菌にもいくつか種類があるわけか。じゃあ、酒もそうやってできてるのか?」
おお、すごいな悠太君。
びっくりするぐらい飲み込みが早いというか、一を聞いて十を知るというか。
これはなんていうか、うんちくの語りがいがあるぞ。
「そうだね。蒸し米に、コウジカビという種類の菌をつけるんだ」
「で、この豆にもコウジカビをつけるってわけだな」
「うん、そう、なん、だけど……あれ、まずい。やっちゃったかなこれ」
「なんだよいきなり」
「しまったなあ。クモノスカビが必要かも」
「は?」
豆鼓の作り方は、おおきく分けて二種類。
おなじみのコウジカビを使う方法と、クモノスカビで仕込むやり方。
前者は発酵期間が短く、かつ、コウジカビが塩分に強いので、あたりをきつくできる。
後者は発酵期間が長く、風味もぐっとよくなるけど、塩分に弱いので、塩蔵の過程を省いてしまう。
『要術』の記述を見ると、豆鼓づくりに塩を用いていない。
たぶん、クモノスカビを使っているのだろう。
クモノスカビは、マッコリ、黄酒、紹興酒なんかに利用されている、お酒造りに欠かせない菌だ。
古代のビールにも使用されていたと聞く。
でんぷんを糖に変える――つまり糖化の能力は弱いけど、コハク酸やリンゴ酸など、うまみのためのアミノ酸をたっぷり生み出してくれる。
つまり発酵期間が長く、風味がぐっとよくなる、というわけ。
どちらかといえば、コウジカビを用いてお酒造りをしている土地の方がめずらしい。
余談はともかく、ここでひとつ問題がある。
もう何度も説明しているけど、給地のコウジは白麹で、特徴は、糖化の際にクエン酸を生成すること。
つまり、給地の麹で豆鼓を仕込むと、ものがなしくなるほど酸っぱいものができあがると予想される。
「……発酵、おもしれえ」
困っていると、悠太君が、なにやら心打たれてくれた様子。
男の子ってこういう、泥あそびの延長みたいなこと大好きだよね。
僕もだけど。
「その、クモノスカビってやつを見つければいいんだな」
「たくさんいれば、目に留まるような大きさになるからね。そう簡単な話じゃないとは思うけど、たとえば、隅っこに転がってる野菜くずとかに」
「おっ、これか?」
「えっ?」
さっきから目についていた、台所の隅っこで朽ち果てつつある葉野菜。
適度な湿気が保たれたそこには、カビがべらぼうに生い茂っているわけで。
「クモノスカビ……かどうかはともかく、ケカビだ」
その名の通り、毛みたいな、ひょろっとした線が野菜から延び、その先端に、丸っこいぽんぽんがついている。
ケカビというのは菌の分類のことで、クモノスカビもケカビ科に属する。
このあたりの説明は非常にややこしい。
ケカビ目ケカビ科に属する『ケカビ』という名前のカビがいたり、そもそもケカビ属が六百種類ぐらいあったり。
とりあえず覚えておいてもらいたいのは、もし豆鼓を仕込むのだったら、ふつうの麹を買った方がいいということだ。
「とりあえず試してみよう。うまくいったらおなぐさみだ」
「本気かよ? ああ、本気なんだな」
悠太君がためいきをついた。
さあ、アミガサタケのときと同じく、当たるも八卦、当たらぬも八卦になってまいりました。
「あとは、場所だなあ」
「榛美に言って、四季の宮を借りればいいんじゃね?」
「えっ?」
「は?」
「あれ? 悠太君、知ってるの?」
「あの、寒かったり暑かったりする場所だろ。小さい頃はよく遊んだ。何度か死にかけたけどな」
四季の宮ってたしか、領主様と鷹嘴家だけの秘密じゃなかったっけ。
ものすごく脇が甘いよ榛美さん。
もしかして、村人全員に知れわたっているんじゃないかな榛美さん。
「おーい榛美、四季の宮借りるぞ」
客間ですやすや眠っている榛美さんに、悠太君が声をかける。
「んにゃー? ……んにゃー」
「いいってさ」
「えっ?」
ぜんぜん分からないけど、いいっていうんならいいんだろう。
発酵に、温度管理は欠かせない。
その点、一定の温度をたもっている四季の宮はぴったりだ。
「どのぐらいあったかいのがいいんだ?」
「うーん、今ぐらいの気温が、ほんとはちょうどいいんだけど」
「じゃあ、秋だろうな。春は酒づくりに使っちまってるから」
新事実が明らかになった。
春の宮が酒蔵になっているのか。
今度ちょっとのぞかせてもらおう。
というわけで、予定変更。
『作家理食鼓法』は、豆の入った壺を土中に埋めて発酵をうながす作り方だけど、秋の宮が使えるのなら話がちがう。
いわゆる『食鼓法』、つまり、小屋をつかった豆鼓づくりだ。
秋の宮に移動すると、閉じこめられた季節は初秋といったところ。
ぽかぽか暖かく、適度に湿気も感じられて、すごく心地いい。
水気を切った黒豆にケカビを植え付け、煮沸消毒したござでくるむ。
「これでしばらく様子を見て、ケカビが全体的に繁殖していたら豆麹のできあがりだね」
「それを、どうするんだ?」
「煮た黒豆と混ぜ込んで、更に発酵を進めていくんだ」
「なるほど。まずはカビを増やすってことか」
いやあ、悠太君、飲み込みが早いなあ。
かわいがりがいのある後輩を見つけてしまった。
「今日のところはこれまで。お付き合いありがとね」
「別に。じゃあ、ここからは『覚書』の時間だな。文字は覚えたか?」
「だいたいは覚えたよ。母音と子音の組み合わせで一文字を作るっていうアルファベットは、僕の世界にもあったからね」
秋の宮から客間に移り、至福のお勉強タイム。
むにゃむにゃいってるエルフの娘さんを横目にしながら、異世界の文字を学ぶ。
こんなに楽しいこともないよね。




