優しさの文法-10
「んんー! 康太さんこれ……んんー!」
「ふふん。でしょー?」
時は土砂降りの蒸し暑いまっ昼間、ところは榛美さん家。
うなっているのはエルフの娘さん。
一体なにをしているのかと言えば、床几の上に乗っている一皿をまずはご覧いただきたい。
ほうろうを引いた白いお皿の上には、半透明で、ぷるぷるするなにものか。
水あめと、煎り大豆を擦ってつくったきな粉がまぶしてある。
「んんー!」
半透明のぷるぷるするものをひとくち食べた榛美さんが、ふたたびうなる。
「つめたあまもちもち……はあああ……」
「葛もち、おいしいよねえ」
そう、葛もちだ。
石鹸をつくった後、ひそかに葛でんぷんを採っていたのである。
葛もちを作り、客間の片隅に据えてある、鉄じいさん謹製の木箱できんきんに冷やした。
二段に仕切られた木箱、一段には氷の塊を仕込んである。
つまり、鉄じいさんに作ってもらったのは、十九世紀式の冷蔵庫。
文明の足音が聞こえてまいりました。
「はあああ……おいしい……」
「夏にはぴったりだよねえ」
「はい! つめたあまもちもちです!」
こんなに喜んでもらえるんだったら、アイスクリームメーカーも作ってみようかな。
なんて、昼下がりをたのしんでいると。
「いやあ、駄目だ駄目だ、話にならねえ! 榛美ちゃん、酒くれ酒!」
「つまみも!」
「火ぃ熾してくれえ!」
びしょびしょの讃歌さんを筆頭に、村人たちがなだれこんできた。
豪雨にやられて、農作業を中断したんだろう。
「まったくおめえ、だらしねえ話だぜ。おれたちの作る米がおめえ、村を支えてるんだぞ」
とは、足高さん。
なんだか、ものすごく自信にあふれている。
無理もないか。
「ばか言え。死にてえのか」
そんな足高さんをそっけなくあしらい、どぶろくと腐乳をやりはじめる讃歌さん。
「おれぁおめえ、死なねえよ。死ぬわけにゃあいかねえ。なにしろおめえ……そうだろ、康太」
「ええ、その通りですね」
「ほら見ろ」
「なにが『ほら見ろ』だ。足高、今日のお前、少しおかしいぞ」
「おかしかねえだろおめえ。そりゃあ、なにしろおめえ……そうだろ、康太」
「議論の余地なくその通りですよ」
なんでこっちに話をふってくるんだい足高さん。
もしかして、湖葉さんをかつぐ話、まだ讃歌さんにしてないのかい足高さん。
それで僕に助けを求めてるのかい足高さん。
仕方ないなあ、と、苦笑を一つ。
「あー、えーと、そういえば足高さん。なんでも、その、湖葉さんをかつぐとかなんとか?」
足高さんの表情が、あからさまに明るくなった。
正解だったらしい。
「お、おう! そうだおめえ! 言い忘れてた! なあ、讃歌の旦那! おれぁおめえ、湖葉を担ぐことにしたからよ! 一つよろしくたのんだ!」
「はあ?」
讃歌さんは、なぜか、気の抜けた返事をした。
「……ああ、そういやあお前、あの時は榛美ちゃん家にいなかったのか。白神様と、石鹸だか言うもんを作ってたんだって?」
と、なにか納得顔の讃歌さん。
「そうだぞおめえ! 石鹸てもんがありゃあおめえ、小さい妖精からおめえ」
「その話は後で白神様と悠太に聞くからいらねえよ」
あれ、なんだろう、讃歌さんのこの感じ。
とっても嫌な予感がしてきた。
「あのなあ足高よお、俺は言ったよな、雨の時期なんだからさっさと決めちまえって。一足おせえよ。もうかつぎはみんな埋まっちまった。
ちょうどお前がいなかった時に、腕原んとこの五次と、玉川んところの水面のかつぎ話が出たんでな」
そう来ましたか。
「……そ、そりゃおめえ、つまり、ど、どういうこった?」
先ほどまでの自信が粉々にふっとんだ足高さん、いつもみたいに背を丸め、おどおどと、答えの分かり切った質問をする。
「つまり、次の次の秋まで、かつぐだのなんだの言う話は忘れときな」
踏鞴家給地には、厳しい人口抑制策が敷かれている。
村人の承認を得て夫婦になるという、かつぎのシステムは、その一端だ。
雨の時期だから急げ、という讃歌さんの言葉、その理由を推理してみれば。
『こんな感じで農作業がたびたび中断されると、他にやることないし、男女の仲になるしかないよね』
みたいな感じで、雨期にかつぎが増えるのだろう。
秋まで、というのは、収穫祭と婚姻儀礼がセットになっているのかもしれない。
いやいや、現実逃避のために民俗学的考察をしてる場合じゃない。
まさかこんなところで、こんなかたちで、人口抑制策が僕たちの前に立ちふさがるなんて。
あまりのショックに、青ざめてきた。
「そ、それじゃあつまり、おれ、おれはおめえ……」
「諦めろっつってんだろ」
讃歌さんの、竹を割ったような清々しい回答に対して、足高さんと言えば。
「あっあきっあきっきっきっ」
口をぱくぱくさせて、体をぷるぷるふるわせてからの。
「うわあああああああ!」
例のパターンに突入して、土砂降りの中、榛美さん家を飛び出していってしまった。
「あ、足高さん!」
僕はおもわず、足高さんを追って外に出た。
「白神様、ほっといたらいいぞー」
家の中から、讃歌さんの、呑気な声が聞こえる。
そんなこと言われても、こっちは責任を感じているんだ。
とりあえず追いかけて、足高さんをなぐさめないと。
横殴りの雨が激しく吹き付ける中、足高さんは、風にあおられながらよたよたと走っていく。
「待っ、止まって! 止まってください! 讃歌さんを説得して……!」
「うわあああぶぎゃっ!」
だめだ、聞いちゃいない上、おどろくほど派手な転び方をしている。
「ぶわああああああ!」
泥まみれになりながら立ち上がった足高さんは、再びよろよろと走り出した。
もう、もう……一体なんなんだこれは。
この世界は、足高さんになにか恨みでもあるのか。
もはや憤りすらおぼえる。
しかし、足高さんはどこに向かっているんだろう。
足高さんの家に向かう道じゃない。
それどころか、これは、この道は……
「まさか、足高さん!」
足高さんは、一軒の家の前で立ち止まった。
「湖葉! 湖葉よお! おおい、湖葉よお!」
引き戸を力まかせに何度も殴りつけながら、嵐に負けじと絶叫する。
ようやく僕が追いついた頃、引き戸が開いた。
「あしだっ……足高さん!?」
出迎えてくれるのは、面くらった表情の湖葉さん。
夫がなぜか泥まみれで、おまけに血相変えて突っ立ってたら、誰でもそういう表情になるよね。
「ど、どうしたのさっ! とにかく上がって! 火をおこすから、ほらっ!」
湖葉さんの伸ばした手には触れず、足高さんは、泥の中に膝をつく。
「お、おれぁ、おれぁ……すまねえ! 湖葉、すまねえ!」
手をついて、額を地面につけて、足高さんは声の限りにさけんだ。
「ど、どうしたってんだい?」
「まあその、色々ありまして」
足高さんにかわって、今年のかつぎが埋まってしまったことを説明する。
「すまねえ、おれが男をみせなかったばっかりに、すまねえ、すまねえ!」
顔をあげた足高さんは、泥まみれ涙まみれ鼻水まみれで。
だけど、すごく芯の通った表情をしていた。
「湖葉、幸せにする、おれはおめえを幸せにするから! おめえのこと、大事にするから! だから、待っちゃくれねえか! つっ、次の次の秋まで、おれのこと、待っちゃくれねえか!」
それはまったくもって、文法もなにもない、乱暴さだったけど。
湖葉さんは、泣きながらほほえんで。
「ほんと、いちいち間が悪いったら……お父ちゃんにそっくりだ」
自らも雨の中、泥だまりに膝をついて、足高さんのことを抱きしめた。
「今更少し先になったって、かまやしないよ。あたしがどれだけの間、あんたのことを想いつづけてたっておもうんだい」
「湖葉……おれぁ、幸せにする、大事にするからな! おめえのことも、捧芽のことも、幸せにしてみせるからな!」
「あたしも捧芽も、今までずっと幸せだったさ。足高さんがこの村にいてくれて、ずうっと幸せだったんだよ」
ほほを触れあわせ、語りあう二人をのこして、土砂降りのなか歩きだした。
足高さんと湖葉さんは、優しさの文法を、これからふたりで作りあげていくんだろう。
行儀のいい、誰にでも通じるやり方ではなくて。
不器用でも、誰かにうまく届かなくても、ふたりにとって正しいやり方で。
その道のりが、どうか幸せに満ちていますように。
冷たい雨と風の中、家路を歩く僕の心は、なんだかとてもあたたかかった。




