鉄じいさん
食材をいったん榛美さんの家においた僕たちは、谷底を流れる川沿いを、上流にむかって歩いていった。
土と石でしっかり護岸された川では、魚がきらきら光っていた。
投網を打っている人がいる。
葛布の服をきたこどもたちが、素手で魚をつかみ取っている。
あれ、もしかして鮎じゃないか。
塩焼きにして日本酒……ああ、日本酒のみたい。
平和で、のどかだ。
初夏の風がここちいい。
村を出ると護岸もとぎれ、岩がころがる傾斜地になる。
榛美さんは進路を変えて、森の奥へとずんずん進んでいった。
根っこと湿った土におおわれた斜面を、榛美さんはすいすいのぼっていく。
身軽だ。
雪の上を歩くレゴラスみたい。
はじめてエルフっぽいところをみた。
やがて僕たちは、平坦な(相対的にいえば、だけど)場所にでた。
森がそこだけとぎれ、周囲にイネ科植物がぼうぼうにしげった沼だ。
ていねいに草を刈られ、踏み固められた一角がある。
そこに、一軒の家があった。
切妻屋根に格子戸で、踏鞴家給地の他の民家と同じ造りだ。
あの中に製錬用の炉やら鍛冶場やらつまっているのだろうか。
ばかでかいたたらとか、高炉なんかはなさそうだ。
低温で製錬して、その度ごとに炉をぶっ壊す、みたいな製鉄方法を採っているのかもしれない。
「鉄じいさん、いらっしゃいますか? 榛美です」
格子戸をノックして榛美さんが声をかけるが、返事はない。
「留守なのかな」
「あまり外出される方ではないんですけど……鉄じいさん、すみません、お話があるんですけど」
「そンなに戸をひっぱたくもンじゃねェぞ。壊してェのか」
「わひゃあ!」
「うわあ!」
なにが起こったのかというと。
とびあがった榛美さんが僕にすがりついて。
で、すがりつかれるつもりじゃなかったので、重さに負けてその場に倒れた。
「あう……ご、ごめんなさい」
「いいよ。慣れてるから」
「な、なれてる……こういうのがですか?」
榛美さんが不審そうな表情になった。
「そうだね。仕事がら、こっちに向かって倒れ掛かってくる人がけっこういるんだ」
「康太さん、どんなお仕事を……」
「あれ? 言ってなかったっけ? 榛美さんと同じで居酒屋の経営だよ」
「あ、そ、そうだったんですね! そっか、それなら納得です」
榛美さんがなんだかにっこりしてくれた。
「納得してくれたならよかったよ。ところで、ちょっとどいてくれないかな」
「はい! そっか、そうなんですね……康太さんも、わたしと同じで……」
「うん、実はそうなんだ。ところで、ちょっと動いてくれると助かるんだけど」
「わひゃあ! ごめんなさい!」
よろよろと起き上がって振り返る。
「なンだてめェら。ここは空き家でも炭焼き小屋でもねェ。“かつぎ”ならよそでやれ」
呆れ顔の御老人がそこにいた。
「か、かかか、かつぎじゃないです! ちがいます! そういうんじゃありません!」
榛美さんが顔をまっかにする。
なんだろう、かつぎ。
なんとなく、邪悪な因習のにおいがする単語だ。
「じゃァ何しにきやがった。俺ァ今から鉄を打つんだ。邪魔しに来たなら帰れ」
まっしろい髪。
もじゃもじゃのまゆ。
するどいけれど理知的な、鉄色の瞳。
肉体労働にあけくれたガンダルフって感じの風貌だ。
もちろん、ものすごくへんくつそうな感じがする。
鉄じいさんは、小脇に笹を編んだざるを抱えていた。
ざるの中には、五百円玉ぐらいのサイズの、赤褐色のかたまりがどっさり。
「こんにちわ。これから製錬ですか」
声をかけると、鉄じいさんは、こっちに向かって警戒心たっぷりの目線を投げつけてきた。
「なンだてめェは。村のもンじゃねェな?」
「はい。わけあって榛美さんをお手伝いすることになりまして。紺屋康太といいます」
鉄じいさんは僕の姿をしげしげと眺めて、鼻を鳴らした。
「“白神”か。こっちに来てから何日になる?」
また漢字で単語がとびこんできた。
「白神、ですか……? ええと、今日がはじめてですね」
鉄じいさんは、まず、きょとんとした。
それから、口元をゆがめた。
次に、大笑いした。
木々が揺れるぐらいの声で、気持ちよさそうにわらった。
「がッはッはッは! おいおい、本気かァ、えェ? それで、知りもしねェ場所の、縁もねェ連中相手に、人助けしようッてのかよ、てめェは!」
「そのつもりですけど……あの、白神ってなんですか?」
「榛美よォ、おもしれェもン拾ったなァ、えェ?」
聞いてくれない。
「よし、白神。何が欲しいか言ってみろ。融通してやらァ」
が、とりあえず気に入ってもらえたようだ。
「はァ、“ヘカトンケイル”のなァ。そりゃ難儀な話じゃァねェかよ」
ところ変わって、鉄じいさんの仕事場。
板張りの広間、続きの土間という構成は、榛美さんの家とかわらない。
なにが違うかといえば、広間は物だらけだし、土間には半端じゃなく高温の出そうな火床があるという点だ。
陶製の鋳型にるつぼ、鋳造したっぽい鉄剣のたぐい、鍛造したっぽいナイフのたぐい、巨大なやっとこ、ふいご、鉄製の胴丸、そのほか正体不明の鉄器たち。
どこからかきあつめてきたのか、大量の木材。
榛美さんが持参した酒を甕からじかに呑み、鉄じいさんは目をほそめてためいきをついた。
「よく仕上がってるじゃねェか。おめェの腕も、親父に近づいてきたなァ」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
「嘘はいわねェよ」
鉄じいさんはにかっとわらった。
あんまりへんくつな感じはしないな。
「で、てめェがその、イチャモンつけてきたウサギのガキを黙らせるッてェわけだな」
「そのつもりです」
「そのために椅子と机がいる、と」
「はい」
過不足なく理解してもらえた。
「それぐらいなら別にかまわねェよ。倉に転がッてッから、勝手に持ッてけ」
「ありがとうございます」
「気にすンな。今度、榛美に一働きしてもらうつもりだッたからよ。こいつは手間賃の前借りッてことにしといてやらァ」
「一働き? 榛美さん、よく手伝ってるの?」
榛美さんが頷いた。
「あァ。鉄打ッてッと、榛美の魔述はべらぼうに入用だからな。ンじゃァ、用が済んだら帰れ。仕事の邪魔だ」
というわけですんなり全てが解決した。
しかも鉄じいさんの“倉”というのは、村の中にある使われていない住居のことだったので、机をかついで岩肌をはいおりる必要もなくなった。
もちろんこの時は知る由などなかったけれど、こののち、僕は鉄じいさんに、さまざまな無理難題をふっかけることになる。
この世界に『チートキャラ』がいるとすれば、鉄じいさんこそまさにそれだった。
異世界召喚ものの主人公だったら、ちょっと世界を変えかねないぐらいだ。
それはまた、いずれ、話の流れで語るとして。
机と椅子を手に入れた僕たちは、さっそく設営にかかった。
「これから村のみなさんが来ますし……その、大騒ぎになりますので」
「うん、パーティションでしきって、半個室にしよう」
「ああ、なるほど!」
「で、なるべくきれいな布をしいて、テーブルクロスに」
「はい! あ。でも、お酒を絞る布ぐらいしか……」
「うーん、煮沸すれば多少はましになるんじゃないかな」
「ご、ごめんなさい……」
「ないものはない、あるものはある。ろうそくはある?」
「はい、ええと、どこかに多分、ちゃんと蜜ろうをつかったものがあると思います」
「うん、それで完璧だよ。精一杯やってそれでもだめだったら、はじめてうさ耳の人をうらめばいいさ」
テーブルも椅子も、やっぱりまっすぐな木目で、ていねいに表面処理された材をつかっている。
板切れを釘でついだものだけど、がたがたしないし、表面もすべすべだ。
ここでも、手斧と槍鉋による表面処理の技が光る。
手斧と槍鉋……というか、踏鞴家給地の木材事情については、また後ほど、話の流れで。
このテーブルには、葛糸を平織にした布をしく。
これでなんとか、最低限の見栄えはととのった。
さあ、いよいよ調理にかかろう。