優しさの文法-6
知り合いの家に押し掛けて、全身灰まみれになりながら、かまどを総ざらいする。
と言っても、榛美さん、讃歌さん、足高さんぐらいなものだけど。
「おめえ、ずいぶん集めたけどよおめえ、これで足りるのかよ?」
灰でぱんぱんになった葛袋を前にして、足高さん。
「ええと、たしか生木一キロで、0.1mgぐらいの換算だから……正直、ちょっとたよりないです」
「つってもなあ……」
「ですよねえ」
思った以上に知り合いが少ない。
とんでもない誤算だ。
自分の人望のなさを、計算にいれていなかった。
「白神さま、何をやっているんですか」
とほうにくれていると、声をかけられた。
きのう、葛刈りで一緒になった女性だ。
ふわっとした黒髪をうなじのあたりで短く揃えた、細い瞳とうすいくちびるの、無表情な女性だった。
「かまどの灰を集めているんです」
「かまどの」
女性はまったく無表情のまま、こちらの言葉を静かに繰り返した。
まずい。
また人望をうしなう。
「ああ、いや、これにはちょっと、事情がありまして」
あわてて弁解する。
捧芽君の体調を、少しでもましにするために、小さい妖精から身を隠すためのものを作っているのだ、みたいな感じで。
ついでに、ちょっと灰が足りなくて今困っている、なんて一言もはさんでみた。
あわよくば、だ。
「そんなことが、できるんですか」
女性は無表情を崩さないまま、変わらない声音で、問いかけた。
さては、讃歌さんのときと同じパターンだな、これは。
関わりのない相手を、ものすごく警戒するやつだな、これは。
「おめえ、できるに決まってんだろおめえ」
どう説明したものか、愛想わらいで時間をかせぎながら考えていたら。
足高さんが、そう言ってくれた。
「康太は白神様でおめえ、誰よりも色んなことを知ってておめえ、昨日だって捧芽の体のこと、すぐに分かっちまったんだからよ。
湖葉のやつぁおめえ、そりゃあ、泣いて感謝してやがったんだぞ」
そんな足高さんの言葉をうけて、女性は、ちょっとだけ首をかしげてこう言った。
「お姉ちゃんの家に、行ったんですね」
「えっ?」
お姉ちゃんときましたか。
「おう、行った。葛乃おめえ、聞いたぞ、幅木の旦那がおめえ、湖葉のこともかついでくれるそうじゃねえかよおめえ」
「はい」
なんとまあ。
この女性、湖葉さんの妹さん、葛乃さんだったのか。
湖葉さんとは、だいぶちょっと、感じが違う。
抑揚のない声は、生き物のいない森みたいだ。
温度のない瞳は、時間のとまった世界みたいだ。
その瞳が、僕に向けられる。
無表情の中にも、葛乃さんの感情が、見えかくれしている。
疑わしげで、かたくなで、おまけにどこか、呆れているような。
つまり、出自不明で、ついでに全身灰まみれのよそものに対して向けるのに、ぴったりの目線だった。
「ああ? 葛乃おめえ、そりゃおめえ、どういう目で康太を見てんだおめえ。なにが言いたいんだおめえ」
「なんでもありません」
足高さんが急にすごんで、葛乃さんは、表情を変えないまま、一歩引いた。
「な、なんでもねえのか。そ、そりゃあおめえ、それならおめえ、それならそれでいいんだけどよおめえ……」
もごもごと尻すぼまりにつぶやき、うつむく足高さん。
『またやっちまった…』という、自戒と、廉恥と、自分に対する絶望と、相手に対する謝意が入りまじった、尻すぼまりだった。
でも、その足高さんの気持ちが、すごくうれしい。
文法に則った正しい優しさでは、決してなかったけれど。
僕のことでこんな風に怒ってくれて、それが、なんだかすごく、うれしい。
「捧芽を、どうして、助けようとするんですか」
葛乃さんが、問う。
語尾が持ち上がらない、静かな問いかけ。
なにを意図した質問なのか、読みとることが難しい。
「どうして、かあ」
居酒屋店主を長いことやっていたから、相手を見るのは、それほど苦手じゃない。
与えられた状況から判断して、文法に沿った答えを出すことは、ある程度、できると思う。
病弱な弟と姉を残し、家を去った女性。
姉の性格と、妹の性格。
僕の、白神という立場。
そこから導かれる、設問に対する正解。
優しさの文法。
だけど僕は、正しい答えを口にする代わりに、いまふっと頭に浮かんだことを、そのまま、しゃべることに決めた。
「捧芽君が元気になれば湖葉さんがよろこんで、それを見た足高さんがうれしいと思ってくれるからですよ」
葛乃さんのまゆが、わずか、おどろいたように持ち上がる。
「そうですか」
「そうなんです」
「足高さんのためなんですね」
「めぐりめぐって、そうなりますね。僕は足高さんの友達なんです」
「わかりました。それじゃあ」
くるりときびすを返し、葛乃さんは、すたすた、歩き去ってしまった。
あまりにも唐突で、流れを断ち切るような、動き。
僕と足高さんは、小さい歩幅で去っていく葛乃さんを、見送ることしかできなかった。
「なんだおめえ。ありゃあ、あの態度はおめえ、なんだありゃおめえ」
葛乃さんが十分遠くにいったと判断したのか、足高さんが、ぶちぶち言いはじめる。
「自分だけおめえ、さっさと幅木の旦那にかつがれやがっておめえ、あんな風に澄ましやがっておめえ」
「まあまあ、足高さん。好きな人の妹さんを、そんな風に言うものじゃないですよ」
足高さんをあやしながら、葛袋に目をやる。
絶妙なタイミングで人望のなさを突きつけられて、ちょっと泣きそうだ。
「いいやおめえ、康太が許してもおめえ、おれぁおめえ、どうしたって許せねえからなおめえ! 康太をおめえ、あんな目で見やぶひゃあああ!」
「えっ?」
なんだ今の叫び声。
振り返ると、足高さんが、なぜかひっくり返っている。
「わるぐちを言われたので、たたきました」
温度のない、だけどなんだか、いたずらっぽい声。
さっそうと消え去ったはずの葛乃さんが、大きな葛袋を、両手に握りしめていた。
頭も服も全身灰まみれで、額も首も汗にぬれて、肩で大きく息をして。
無表情なその顔が、赤く染まっている。
「灰は、これで足りますか」
あえぐように息をしながら、だけど静かに、葛乃さんが言う。
「あ、う、うん、これだけあればなんとか……でも」
「お姉ちゃんは、ばかです」
葛乃さんは、僕の問いをさえぎった。
「幅木さんは、お姉ちゃんをかつぎたかったんです。だけど、捧芽の面倒を見るからと言って、私にゆずってくれました。
捧芽の体がひどく悪くなって、今度は、自分の人生を、捧芽にゆずろうとしています。
だから、お姉ちゃんは、ばかです」
「人生をゆずる? 幅木さんにかつがれるってことが、ですか?」
葛乃さんは、足高さんに、ちらと目をやった。
「お姉ちゃんは、優しくするのがへたです。みんなが同じだけ悲しい思いをするように、優しくするからです。でも私も捧芽も、お姉ちゃんがいちばん幸せになればいいって思います」
ああ、やっぱり、そういうことか。
「湖葉さんには、好きな人がいるんですね」
葛乃さんはうなずいた。
「ずっと、その人のことを、想っています」
「そっか……」
「捧芽の体がよくなれば、ばかなお姉ちゃんでも、自分の幸せのことを考えてくれるかもしれません」
「だから、白神である僕を信じて、灰を持ってきてくれたんですね」
「いいえ、白神様だからではありません」
「……えっ?」
首を横にふった葛乃さんは、口元をほんの少しもちあげて、いたずらっぽくほほえんだ。
「あなたが足高さんのことを好きで、足高さんを好きになる人は、みんな、いい人だからです」
「んなっおめっおめえ!」
仰天した足高さんが、ばかでかい悲鳴をあげる。
「葛乃さん、あなたも、いい人ですね」
「……なんでもありません」
ぷいっと顔をそむけ、葛乃さんは、ちょっとだけ動揺したような声で言った。
「白神様。なにか、私にできることはありますか」
と、葛乃さん。
気持ちはありがたいけれど、石鹸づくりにこれ以上、他人を巻き込むのはなあ……
「あっ」
「どうしました、白神様」
ふと気づく。
そうだ、さっきからどうも調子があがらないと思ったけど。
この場に巻き込まれ、悪態をついているべき人物が、いないじゃないか。
「讃歌さんのところの、悠太君ってわかりますか?」
「はい、わかります。腐った家に住んでいる、おかしな子です」
まったく間違っていないけれど、びっくりするぐらいひどい言い方だなあ。
「その子に、こう伝えてください。榛美さんと一緒に、鉄じいさんの家で、蒸留酒を作ってくれ。蒸留は三回行うこと。できあがったら、別命あるまで待機」
葛乃さんは、僕の言葉を淡々と復唱した。
新スキル、遠隔巻き込みを取得したぞ。
悠太君、びっくりするだろうなあ。
「ついでに、これを持って行くよう、悠太君に頼んでおいてください」
と、卵の殻がつまった袋を、葛乃さんにわたす。
「粉々に砕いておくように伝えておいていただけると、助かります」
「わかりました。それじゃあ」
「はい、それでは伝言の件、お願いします」
葛乃さんが、小さい歩幅で去っていき。
にやにやする僕と、さっきからずっと青ざめた顔になっている、足高さんのふたりになった。
「お、おめえ、康太おめえ、聞いたかよおめえ」
「はい。葛乃さん、いいひとですね」
「葛乃のことじゃねえ! お、おめえ、おめえ、こ、こ、湖葉におめえ、想い人がおめえ……おめえ……そ、それ、それじゃあおめえ、幅木の旦那にかつがれてもおめえ、湖葉は幸せになれねえじゃねえかよおおっ!」
はあ?
なに言ってんだこの人。
「ああ? おめえその顔はなんだよおめえ! なんだってそんなおめえ、しらけた顔してんだおめえ!」
「さ、行きますよ足高さん。日がある内に終わらせたいんで」
「お、おい、聞けよおめえ! 湖葉の想い人をおめえ、まずは見つけなくっちゃなんねえぞおめえ! そんで、捧芽の体がよくなったらおめえ、湖葉をかついでもらうようにおめえ、言うのが最初だろおめえ!」
「それなら大丈夫ですよ。僕その人のことよく知ってますから」
「んなっ!? なんだおめえ、そりゃいつの話でどこの誰なんだよおめえ! おいこら! いつになく足早じゃねえかよおめえ!」
わめく足高さんを無視して、さっさと歩き出した。




