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【コミカライズ配信中】康太の異世界ごはん  作者: 6k7g/中野在太
閑章 給地のひとびと

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優しさの文法-5

 満月が照らす、なまぬるい夜道を、二人、のろのろと歩いた。


「……足高さん」


 何を言っていいのか分からないまま、口を開くと。


「幅木の旦那はおめえ、優しい人だからな。おれみてえなおめえ、間抜けなやつとはおめえ、全然ちげえんだ。

 だからおめえ、おれみてえなおめえ、なんだってかんだって間違えるような奴にかつがれるより、それで湖葉は幸せになる」


 僕の言葉をさえぎって、足高さんは、よるべない笑みを浮かべた。

 優しさの文法、という言葉が、頭をよぎる。

 幅木さんと話をしたことは、多分、ないと思う。

 だけど、湖葉さんをかつぐとして。

 妹さんも弟さんも、まとめて面倒を見るというのだから、優しい人なんだろう。

 それは、文法に則った、完璧な優しさだろう。


 でも。


「それでいいんですか」

「いいんだよおめえ。湖葉がおめえ、それでいいってんなら、おれはそれでいいんだ」

「足高さん。それで、いいんですか」

「そりゃあそうさ! 好いた女がおめえ、幸せってんだ! それよりうれしいことはねえさ!」


 足高さんは、天をあおぎ、両目を手でおおって、おおきく笑った。

 あんまりにもむなしい、笑い方だった。

 どうにかこうにか、自分を納得させようとしている。

 そんな感情が手に取るようにわかって、胸が痛んだ。


「で、でもよお、康太よお」

「はい」

「幸せにしたり……助けてあげたり……大事にしたり……そ、それを、おれができねえのは、くやしいなあ……」


 手でおおった目から涙があふれて、足高さんの頬を伝った。


「な、なあ、康太おめえ、お、おれにできることって、ねえかなあ? 今さらだけど……少しでも湖葉に、おぼえていてもらいてえんだ。役に立ちてえんだ。なあ、おれはなにか、湖葉の役には立てねえかなあ?」

「……そうですね」


 思いつくものは、いくつかある。

 だけどそれを行えば、ことは、捧芽君を救うだけにはとどまらない。

 給地全体の公衆衛生レベルを、根こそぎひっくり返すことになるだろう。

 それが最終的に、どんな結果をもたらすのか。

 ただの人間である僕が、この村の未来を、書き換えていいのか。


 悠太君の言った通り、僕は今でも、まだ少し、おびえている。

 白神の手で世界を変える行為は、許されるのか?


 自分に、問うてみる。

 すると答えは、案外、あっけなかった。


「いくらでも役に立てますよ、足高さん。

 協力しますから、一緒にがんばってみましょう」


 僕は、ただの人間だ。

 目の前に困っている人がいて、もし助けられる力があるのだったら。

 助けずにいられることなんて、できやしない。


「康太……康太おめえ、おめえってやつは、お、おめえ、康太ああああ!」


 足高さんは、いきなり泣きくずれた。


「そんなに泣かないでください、足高さん。さあ、今から作業をしますよ」

「…………今から?」


 ぎょっとした表情で顔をあげる足高さん。


「はい。ちょうどやっておきたいことがあったんです。二人だと作業も早いですからね」

「あ、い、いやおめえ、今からなのか?」

「そうですよ。時間がかかるので、今からやるんです。大丈夫です、副産物でおいしいものも作れますから安心です。それに満月ですし」


 しりもちをついた足高さんが、ふるえながら、後ずさる。


「あああ、わ、わかった! おめえこれがおめえ、『ダメな時の顔』ってやつだなおめえ!」

「さ、行きましょう」

「ああああああ……!」


 その前に、ちょっと榛美さん家に寄って、と。


「ただいま、榛美さん」

「わあ、康太さんだ! おかえりなさい、康太さん! あれ? その棒、どうするんですか?」

「いってきます」

「はい、いってらっしゃい!」

「おい、いいのか榛美ちゃん。白神様、なんか下穿きが濡れてたぞ」

「讃歌さん、あれは康太さんのかわいいときの顔です。かわいいときの顔の康太さんを放っておくと、めぐりめぐって、最後においしいんですよ」

「そ、そうなのか……」


 榛美さんの優しさがうれしい。

 さあ、人を叩くのにちょうどいい長さの棒を持って、目指すは里山だ。


「お、おい、棒なんか持っておめえ、どうすんだおめえ」

「葛を掘るんですよ」

「はあ? 葛だあ? おめえ、葛ならおめえ、もうすっかり刈っちまったじゃねえかよおめえ」

「はい、だから掘るんです」

「だ、だからおめえ、葛はもう刈ったじゃねえかおめえ」

「そうなんですよ、だから掘ろうと思って」

「だ、だから! なんだっておめえ、いきなり話が通じなくなってんだおめえ!」


 さてさて、刈り取られたとはいっても、地面のあちらこちらから、つるが突き出している。

 それをつかんで、ぐいっと引っ張ってみれば。

 ぼこっと、存外たやすく、葛の根が引っこ抜けた。


「ああ、こんなに細いのか」


 もっとこう、小さい山芋みたいなものを想像していたけれど。

 弱めのごぼう、といったあんばい。

 そもそも、でんぷん質のものを夏場に収穫しようっていうのが、大きな間違いなんだけどね。

 そこは数で勝負だ。


「さあ、これをひたすら引っこ抜きましょう」

「ね、根っこぉ? だからおめえ、そんなもんをおめえ……分かった! やる! やるからおめえ、そういう目でおめえ、人を見るもんじゃねえぞおめえ!」


 ご理解いただけました。

 あとはひたすら、葛の根を収穫し続ける。


「ぶ、ぶはっ、ぶはっ、おめえ、これおめえ、昼間よりしんどいじゃねえか!」


 根っこを引き抜こうとして尻餅をついた足高さんが、泣き言をもらす。


「そうですか? もうちょっと集めておきたいんですよね」

「こ、湖葉の、役に立てるんだな?」

「もちろんです。あればあるだけ、役に立てます」

「あああ! おめえ、やってやるからなおめえ! 見てろよおめえ!」


 やけになって、根を掘り出しまくる足高さん。

 お、負けてらんないねえ。

 

 二人がかりで数時間、相当量の根を収穫できた。


「こ、これでおめえ、ど、どうするんだおめえ」

「まずはこれを川で洗います」

「それで」

「水の中で、ぼさぼさの糸になるまで、たたきつぶします」

「そ、それで」

「上澄みを捨てて、底の方にたまった茶色い塊を、水とまぜます」

「そ、そ、それで」

「それを何度も何度も何度も繰り返します」

「そ、そ、そ、それで」

「茶色い塊が真っ白になったら、からっからに干します」

「冗談じゃねえ!」

「ですよね。冗談ですから」

「はああ?」


 これは葛でんぷんの取り出し方。

 これから作ろうとしているものとは、ちょっと違う。


「洗ったら、皮をはいで干すだけです。それを煎じて飲むのが葛根湯ですね」

「か、かこ、葛根湯? それがおめえ、どう湖葉の役に立つってんだおめえ」

「僕の世界では、体調不良によく効く薬として使われていました。ちょっと具合が悪いくらいだったら、これを飲めば治るはずですよ」


 おお、と、足高さんは感嘆の声をあげた。


「なるほど! 捧芽に飲ませるってわけだな!」

「ええ、その通りです。僕は家に戻って葛根湯を作りますから、足高さん、今日はここでお開きにしましょうか。明日、できあがったものを持っていきますよ」


 そう言うと、足高さんは、首を横に振った。


「……おれも、やる。おれもやるからなおめえ。そうじゃなきゃおめえ、なんの意味もねえ」


 足高さんの優しさに、おもわず、ほほえんでしまう。

 僕は、この人の、役に立ちたい。


「うん。一緒にがんばりましょう、足高さん」


 とはいえ、葛根湯の作り方は、それほどややこしくもない。

 しっかり洗って、皮をはいで、あとは軒先に干しておくだけ。

 古式ゆかしい葛根湯を作り終えると、夜はとっぷり更けている。


「それじゃあ、明日も頑張りしましょう」

「お、お、おうっおうっ」


 慣れない作業の連続で、もうふらふらのよれよれになっている足高さんを、戸口まで送る。


「明日の朝、迎えに行きます。ちゃんと起きて下さいね」

「おうっおうっ」


 あざらしみたいに鳴くと、足高さんは、よちよち、おぼつかない足取りで、道を歩いていった。

 さて、僕も少し寝ようかな。


 部屋の隅にころがっていたござを丸めて枕にし、客間の床によこたわる。


「んにゅ……こうたさんだ」


 床几二つ分ぐらいはなれていた榛美さんが、うす目をあけて、こっちを見た。


「ごめん、起こしちゃった?」

「んーん……ねてるからへいき」


 榛美さんは、僕の横まで、ころころところがってきて。

 僕の腕をひっぱりだすと、枕にした。


「おやすみ、こうたさん」

「おやすみ、榛美さん」


 夜は少し冷えるけど、ねむっている榛美さんはの体は、あたたかい。

 そして腕が湿る。


 迷い込んでしまったこの世界で、僕は、幸せ者だ。

 多くの人に認められて、ここにいることを許されて、助けられて。

 

 この人たちの役に立ちたい。

 それがどんな結果を招こうとも。

 なにを背負ってでも、僕の力を、捧げたい。


 口の中で、『ニーバーの祈り』をささやいてみる。


「神よ願わくばわたしに

 変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと

 変えることのできる物事を変える勇気と

 その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ」


 はるか昔、ろくでもないことが起きる度、捨て鉢な気持ちで口にした言葉。

 今はそうじゃない。

 落ち着きと勇気を手にして、前へと進むときが来たんだ。



「足高さん、おはようわああ!」


 引き戸をあけた瞬間、おもわず悲鳴をあげてしまった。


「どうしたんですかその顔!」


 足高さん、まぶたがぱんぱんに腫れて、顔がめちゃくちゃむくんで、なのに顔色が死ぬほど悪い。


「……刺されたのが腫れてきたのとおめえ、寝れてねえのとおめえ、一晩中泣いたのとおめえ」

「すみません、野暮なことを聞いてしまいました。やれますか?」

「おめえ、何度も野暮なこと聞いてんじゃねえぞおめえ」

「ごもっともです」


 と、苦笑い。


「それでおめえ、今日は何するってんだよおめえ」

「石鹸を作ります」

「……せっけん?」

「はい」


 なるべく事の重大さが伝わるよう、おもおもしく頷く。


「そ、そりゃおめえ、なんなんだおめえ?」

「体をきれいにするものですよ」

「はああ。そりゃおめえ、なんていうかおめえ……大したもんじゃねえかおめえ」


 あれ、ぜんぜん伝わってないぞ。

 ものすごくぼやーっとした感想が返ってきたぞ。

 どう説明したら分かってもらえるだろうか。


「その、ウイルスとか、細菌とか……目には見えない小さな生き物のせいで、人が病気になるって話を、聞いたことはありますか?」


 足高さんは、ものすごく茫洋とした表情になった。

 何を言っているのか、本気で分からないのだろう。


「ええと、じゃあ、なにが病気を招くかっていう、理由について、なにか聞いたことはあります?」

「ああ、そりゃおめえ、決まってるじゃねえか。小さい妖精が来て、ひでえ目に遭わせるんだろうがよ。そんなことおめえ、五つの子どもだって知ってるぞ」


 うわ、ここに来て、ずっと棚ざらしになっていた『小さい妖精』が何者なのか判明しちゃった。

 謎の感動がある。

 それはともかく、想像はついていたけど、踏鞴家給地は、パスツール以前の世界というわけか。

 誰かが手を洗ったりしているところ、見たことないもんなあ。


「石鹸というのは、小さい妖精が寄りつかないようにするためのものです。

 つまり、その、石鹸を使うと……小さい妖精が、こちらの姿を見つけにくくなるんです」


 ああ、即席でわけの分からない神話を生み出してしまっている。

 これが百年後まで給地で伝承されたら、どうしよう。


「おお、そりゃあおめえ、ものすげえものじゃねえかよおめえ! なんだっておめえ、最初からそう言わねえんだ!」

「すみません、ちょっと持って回っちゃいましたね」


 ものすごく有名な話ではあるけれど。

 南アフリカ共和国では、手洗いに石鹸を使うようになっただけで、感染症の発生率が七割ほど減ったという。

 そもそも、風邪をふせぐために手を洗うというのが、実のところ、比較的最近の発明だといえる。

 すくなくとも十九世紀まで、予防衛生目的での手洗いという考え方は、世界のどこにも存在しなかった。


「さっそくおめえ、その石鹸を作って、湖葉のところにおめえ、持っていくぞおめえ!」


 家を飛び出さんばかりの足高さんを、手で制す。


「足高さん、もう一つだけ、野暮なことを聞きますよ」

「ああ? なんだおめえ、まだなんかあんのかよ」


 これだけは、言っておかなければならないだろう。


「小さい妖精から身を隠すというのは、たいへんなことです。ですから石鹸作りも、はっきり言ってしまえば、命の危険を伴うものとなります」

「……そ、そりゃおめえ、白神のおめえがいりゃあ、その辺はなんとかなんじゃねえのかよ」

「ばかをさらせば、僕も命を落としかねません」


 それを、きっぱりと言っておく。

 沿岸地域でもなく、獣脂もない給地で石鹸を作ろうとすれば、どうしたって身を危険にさらさなければならない。


「足高さん。それでも、手伝ってくれますか?」


 精一杯すごんだ、なるべく低い声での警告。

 それを、足高さんは、鼻でわらった。


「野暮なこと聞いてんじゃねえぞおめえ」


 そう言ってくれると思った。

 足高さんが危ない目にあわないよう、最大限の注意を払って作業しよう。



 もしかしたらこの時点で、


『は? 石鹸? そんなの、灰汁と煮えた油で作れるんじゃねえの?』


 と、お思いの方がいらっしゃるかもしれない。

 原理的には間違っていないけれど、実際、灰汁、つまり木の灰の汁で、まともな石鹸を作ることは不可能に近い。

 少なくとも、そこら辺に生えている木では、むずかしいだろう。


 石鹸づくりに明るくない方は、以下の説明をよく読んでいただき、なるべく手を出さないことをおすすめする。

 ドラッグストアで石鹸を買った方が、安いし品質もいい。



 石鹸とはなんぞや。

 ものすごく簡単に言ってしまえば、水と油がまざったものだ。

 

 では、どう作るのか。

 ものすごく簡単に言ってしまえば、アルカリ性の物質を使えば、水と油がまざってくれるので、それでできあがり。


 脂肪酸とか加水分解とか鹸化とか、そういうややこしい話は、ひとまず置いといて。

 水と油は、給地で得られる。

 用いるのは、ケヤキ油となたね油だ。

 問題は、アルカリ性の物質をどうやって手に入れるのか、という話だけど。

 ここで灰汁が登場する。


 つまるところ、木の灰の汁というのは、アルカリ性の物質だ。

 だから原理的に言えば、水と油と木の灰の汁を混ぜれば、石鹸らしきものはできる。

 問題は、灰汁のアルカリ性がそこまで強くない、という点にある。

 パワー不足で、水と油が混ざりきらず、どろっとした液体に仕上がってしまうのだ。


 そこで今回、力強いアルカリを手に入れるため、カ性化法による水酸化カリウムの獲得を目指す。

 まだ意味は分からなくていいです。

 とはいえ、ちょっとでも化学バケがくをかじった方からは、正気をうたがわれると思うけど。

 

 前置きがだいぶ長くなったけど、さあ、作業を進めていこう。


「足高さん、卵の殻って、いつもどうしてます? 石鹸づくりに必要なんですけど」

「そりゃおめえ、砕いて畑に撒くもんだろおめえ。今はおれんとこの畑を休ませてるから、たまってるけどな」


 よし、第一関門はクリアだ。

 足高さんが土壌のPHを改良してることにちょっと驚いたけど、ちょうど休耕地に指定されていたし、なんとかなるとは思っていた。

 ホームセンターなんかに行くと、卵の殻をくだいたものが、『有機石灰』という、ちょっと意味が通らないような名前で売っている。

 有機石灰は、土壌をアルカリ性にかたむける力を持っている。


「その卵の殻、あるだけいただけませんか?」

「そりゃおめえ、かまわねえよ。楓流かえるはおめえ、いくらでも卵をうんでくれるからよ。他にいるもんはあんのか?」

「あとは、濡れていない灰ですね。あちこち回って、かき集めましょう」

「おう!」


 まずは灰集め、気合い入れていこう。

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