「うふ」-2
というわけで、無産階級がふたり、足高さんの家に。
「おい。おっさん。足高のおっさん。来たぞ」
「おじゃましますー」
讃歌さん家よりも、更に格子が取れた戸を引いて。
ほとんどなにもない客間に、足をふみいれる。
「な、なんだおめえ、いきなりおめえ、人の家におめえ!」
土間から足高さんが飛び出してきた。
「声かけたろ」
「だからっておめえ、昼日中におめえ!」
ん?
足高さん、なんか口のまわりについてるぞ。
「……足高さん、たまご食べてました?」
どう見てもゆで卵の黄身だったので、指摘してみたら。
「あ、あああ? な、なんだおめえ、だしぬけにおめえ!」
こっちが呆気にとられるぐらい、べらぼうに狼狽する足高さん。
なんだ、密猟仲間だったのか。
「く、食ったさ! 食って悪いのかよおめえ!」
「いえ、悪くはないですけど。僕もちょいちょい、領主林でいただいてますから」
というと、足高さんは、口をぱかっとあけた。
「りょ、領主林で……? いくら白神だからっておめえ、そりゃおめえ、やっていいことといけねえことがあるだろおめえ!」
ものすごい剣幕でどなられた。
「え? でも足高さんだって……」
「お、おれはおめえ、違うからなおめえ! そんなおそれおおいことがおめえ、そうそうできてたまるかってんだ!」
「ああ、そういうことな」
言うなり、悠太君がすたすたと歩き出し。
「あっ待ておめえ! 人の家に勝手におめえ!」
足高さんの制止もむなしく、土間へと直行し。
「おっさんも相当じゃねえか」
めんどりを一羽抱えて、皮肉をとばしながら、もどってきた。
「ああっ、楓流! なにしやがるんだおめえ!」
「はーなるほど。そういうことだったのかあ」
「こういうことだったな」
「か、楓流う!」
足高さんの、意外な側面があきらかになった。
まさかまさかの、給地で養鶏。
「楓流……」
悠太君に抱かれながら、妙におつにすました感じのめんどりを、思わず見つめてしまう。
「よかったな白神。これでいつでも卵が手に入るぞ」
邪悪な笑みを浮かべる悠太君。
一方の足高さんは、ぐったりと打ちひしがれている。
どうしてだろう、足高さんって、ぐったりと打ちひしがれている姿が、すごくにあう。
「足高さんから、卵をうばいに来たわけじゃないですよ。
ちょっとお願いがありまして」
「ああ? 白神がおめえ、おれにお願いなんておめえ、どういう風の吹き回しだおめえ」
「讃歌さん、腰いためちゃったでしょう? それで、腰痛に効いて、しかもお手軽なごはんを作ろうかなって思ってるんです」
「榛美のことはどうなったんだ」
「讃歌さんも、あんな調子じゃ妙案が浮かばないからね」
悠太君は、本日二度目のためいきをついた。
『ああいえばこういう』勝負で僕に勝とうなんて、おごりが過ぎるというものだよ、少年。
「そんなわけで、足高さん、ここは一つ、投網の腕を見せちゃもらえませんか?」
「おっさん、投網は得意だろ」
「お、おお……得意っておめえ、そりゃおめえ、網を打たせりゃ給地じゃおれが一番だけどよ」
あ、まんざらでもなさそうな顔だ。
「ご指導いただければ幸いに存じます」
頭を下げると、足高さんは、やけにせすじを伸ばした。
「おれの教え方はおめえ、なまぬるいもんじゃねえからなおめえ」
なんだこのたのもしさ。
足高さんから、かつてないほどの威厳を感じるぞ。
「いよっし、待ってろおめえ。今すぐ網を打ってやらあ」
堂々とした足取りで土間に向かい、戻ってきた足高さんは、肩に投網をかついでいた。
古代ローマの剣闘士に、こういうタイプの人いた気がする。
「行くぜおめえ。ついてきやがれ」
奴隷戦争のときのスパルタカスみたいな勢いで、足高さんは歩き出した。
雨期とあって、川幅は護岸ぎりぎりまで増水している。
流れもはやく、水は少々にごり気味。
しかし足高さんは、臆することなく、川に膝まではいっていった。
「いいかおめえ、網ってなぁおめえ、こう、丸く咲かせんのが肝要だからなおめえ」
ぐぐっと腰をひねり、力をためる足高さん。
「うじゃらぁあ!」
へんな叫び声を放ち、腰のひねりを解放しながら、逆袈裟切って網投げ放つ。
「おお!」
ちょっと興奮して、声をあげた。
ぐるぐるに巻き取られていた網が、空中でばさっと開く。
それがまた、きれいな円形。
丸く咲かせる、の言葉にふさわしく、これはまるで、梅雨空に網の打ち上げ花火だ。
着水した網は、外周にぶら下げられたおもりの力で、すいすいっと沈んでいく。
鉄の輪っかをすべらせ、網をすぼめさせる。
「えあいああ!」
力いっぱい、網をひきあげる。
「どうだよおめえ!」
足高さんがぐいっとつきだした、網の中。
鮎が二尾に、手長えびがわんさか。
「すごっ!」
やるなあ、足高さん。
これは思わぬ収穫になったぞ。
「カルシウムに、キチン質……うん、いいね。これならいけそうだ」
「おめえ、またうめえもん作るってのかよおめえ」
「ええ、作っちゃいますよ。足高さんも、ぜひ召し上がってください」
「そ、そりゃおめえ! あ、ま、まあ、その、おめえ、おれが採ったもんだ、おれが食うなんてのはおめえ、当たり前のことでおめえ」
ごにょごにょと、尻すぼまりに強がる足高さん。
さあて、作っちゃいましょうか、腰痛改善ごはん。
そんなこんなで、ここは讃歌さんの家の台所。
「なんだか、新鮮なかんじです」
台所をきょろきょろ見回すのは、榛美さんだ。
甘いもの中毒の禁断症状があまりに気の毒だったので、気をまぎらわせようとつれてきた。
「つくりは全く変わらないんだね」
建て売り住宅ぐらい、榛美さん家とまったく同じ普請だ。
仕事がしやすくてたすかる。
「榛美さん、かまどをおねがい」
「はーい!」
鮎を三枚におろし、薄切りにした身を、氷でしめる。
あまった頭と中骨は、鍋に放り込んで、弱火で煮立たせよう。
「鮎でだしをひくのか?」
悠太君も、さんざん僕に引きずり回されたせいか、だいぶ心得てきている。
「うん、だし酢をつくろうと思ってね」
汁が琥珀色になったら、葛布でこす。
あゆのだし汁がひけた。
どれ、榛美さんのはんびらきの口に、ちょっと流し込んでみましょう。
「ふわああ! あふ、あふ! すご、これ、す、すごいです! あっさりだけど、この、香りが、もうなんか!」
「どれどれ……うん、すいかの香りだ」
生の鮎だしなんてはじめて引くけど、これはおもしろい。
うまみはそれほど強くないけれど、この、はなやかなのに主張しすぎない香りは、なんにでも使えそうだ。
ブイヨンっぽく、香味野菜と一緒に煮立たせた方がいいかもだけど。
だしのあら熱が取れたら、ここにお酢と水あめ、塩を少々加えて、だし酢のできあがり。
「あああ、水あめ……」
魂がひきさかれているような表情で、榛美さんがうめく。
ここで同情して、水あめを与えてしまうわけにはいかない。
断固とした態度でのぞまなければ。
なんならこっちは、水あめホリック・アノニマスみたいな互助組織をつくる覚悟だってあるぞ。
余談はともかく。
だしのかたわら湯がいていたうち豆は、水気とあら熱をとり、だし酢の中に、ばちゃばちゃっと投げ込む。
鉄の平鍋で、とき卵をさっと炒める。
こちらもあら熱をとって、だし酢の中にいれよう。
味がなじめば、うち豆と卵の酢のものができあがり。
手長エビは、いつものようにじゅわっと素揚げで。
氷でしめた鮎は、細く切って鮎味噌をそえた、あらいで。
「おまたせしました」
腰痛改善レシピ三点、できあがり。
蒸留酒のカップも三つ用意して、と。
「……俺の分はねえのか」
一人だけ横たわったまま、かなしそうにうめく讃歌さん。
お酒のカップを持っているのは、僕と足高さんと榛美さんだけ。
「腰がいてえのに酒飲むバカがいるかよ」
「だよなあ」
讃歌さんは悠太君の悪態に、しょんぼりうなずいた。
「ま、治るまでの辛抱だ。今日はメシだけいただくぜ。
目先の希望がありゃあ、なんだって耐えられるってなもんさ」
粋だ。
「ありがとうございます。それじゃあ、どうぞ杯をもちあげて」
かんぱい!
さあ、たべよう、のもう!
「ああ、えび、えびおいしい……えびおいしいです康太さん!」
さくさくぱりぱりの皮、ぷりぷりの身、そして塩っけ。
やっぱりテナガは素揚げが一番だなあ。
「エビの殻をつくるキチン質は、グルコサミンの宝庫ですからね。
簡単に採れるし、揚げるだけでつくれます。なたね油には必須脂肪酸が含まれているから、体をつくってくれますよ」
「たしかに、後ろから見てりゃあ、そんなに難しいこともしてねえんだな。俺でもできる気がしてきたよ」
「なたね油、よかったらお分けしますよ」
「おお、そりゃありがてえ。助かるよ、白神様」
讃歌さんは上機嫌で、えびをさくさく食べはじめた。
よしよし、鍋の失点は、完全に取りかえしたぞ。
「う、うめえ! おめえこれ、この鮎、おれが採った鮎じゃねえか! それがこんなにうめえのかよ!」
「ええ、そうですよ。足高さんのおかげです。鮎は他の魚よりもカルシウムがたっぷりですからね。腰痛にはぴったりですよ」
「こ、これがまたおめえ……酒に合うの合わねえのっておめえ!」
皮ごと細切りにした鮎の身は、しゃくしゃくっとした歯触りがたのしい。
鮎味噌のほろにがさ、噛むたびに咲く、水とすいかのにおい。
いやあ、これがお酒と合わないわけ……
「ああ、そうだ、あれ試してみよっと」
「康太さん?」
カップを手に土間にもどり、ちょっと残っていた鮎だしを、蒸留酒にそそぎ入れる。
「うえっ、正気かよ」
悠太君が顔をしかめた。
「こういう飲み方、僕の世界にあってね。焼津割っていったっけなあ」
焼酎をかつおだしで割るのが、静岡県は焼津市名物、焼津割だ。
試したことはあるけど、じんわりとしたうまみが感じられて、あてもそこそこに、ゆっくり楽しみたい味になる。
生魚の、それも鮎でひいただしなんて、ちょっとチャレンジ精神が過ぎるとは、自分でもおもうけれど。
「おおっ」
ひとくちなめて、意外な出会いにおどろく。
鮎だしのはなやかな香り、控えめなうまみ。
これが、蒸留酒の邪魔にならず、むしろわずかな甘みを引き立てるようで、心地いい。
うまみとアルコールの余韻が、しずかに口の中に残るのも好印象だ。
「おいしいんですか?」
「榛美さんものんでみる?」
「はい!」
榛美さん、杯をかたむけ、のどを鳴らして。
「えへへ……」
ふんにゃりと、ほほえんだ。
「ね、おいしいよね、これ」
「はい。なんていうか、ぽわーってなります」
うーん、お酒とあてがおいしくて、なべて世はこともなし。
すばらしい心地だ。
いつものことだけど、もう当初の目的がなんだったのか、はんぶん忘れている。
「ほおお……豆のこれ、うめえもんだなあ」
讃歌さんが、うち豆と卵の酢の物をほめてくれた。
「豆がくみっとした食感で、卵がふわふわだから、苦もなく食えちまう」
「この、鮎のおだしの香りも、すごくいいですねえ……お酒すすんじゃいます」
焼津割りならぬ蹈鞴割りをごくごく飲む榛美さん。
あいかわらず、いい飲みっぷりだ。
「豆のビタミンB1は血行をよくしてくれます。それにお酢は、カルシウムの吸収をたすけてくれますからね。腰痛にはうってつけです」
「なにより、うめえんだ。それが一番ありがてえよ。ここに酒がありゃあ、もう言うことなしだけどな」
「これを食べていれば、すぐ元気になりますよ」
「そうさせてもらうぜ。ありがとなあ、白神様」
「僕が楽しくてやったことですから」
感謝されてしまうと、やっぱり照れる。
「いっつもこんな感じだからな、こいつ。でも……オマエ、少し変わったよな」
悠太君が、いきなり妙なことをいいだした。
「え? そう?」
「ああ。前までだったら、親父の家に上がり込んでまで、メシ作ったりはしなかったろ」
「そうですね。康太さん、ちょっと変わりました。どうしてですか?」
そして榛美さんの、この直球。
「なんでって言われると、色々あるとは思うけど……」
お酒をすすりながら、今までのことを、しみじみ、振り返ってみる。
あ、僕けっこう酔ってますねこれ。
こないだ、いいだけ恥をかいたときのこと、話したくて仕方なくなってますねこれ。
「最近だと、あれかなあ。榛美さんにお化粧品を贈ったときの」
「お化粧? 榛美ちゃん、そんなもんもらってたのか」
「はい、そうなんですよ! 康太さん、わたしのことすごくほめてくれたんですからね! でも、その前の康太さんがわたしみたいになってて、かわいかったんです!」
いろいろなことをどばっと早口で言われた讃歌さんは、まゆをひそめた。
「ぜんぜん要領を得ねえ。なんの話だ。悠太、わかるか」
榛美さんなれしている悠太君はといえば、肩をすくめて。
「わかるわけねえだろ」
この通り、実に冴えた反応。
「ね! 康太さんがかわいかったんですよね!」
榛美さん、僕の膝に手をおいて、ずいっと迫ってきた。
近いよ榛美さん。
お酒のにおいがするよ榛美さん。
「かっこよく渡そうと思ったんだけど、思いの外、わたわたしちゃってさ。
女性に化粧品を贈るなんて、はじめてのことだったし」
「そうなんですよ! 康太さんがかわいかったんです!」
「白神が、わたわたしてたって? すげえ面白いじゃねえか。なんでオレ居合わせなかったんだろ」
「ね! 康太さんかわいかったんですもんね!」
「榛美ちゃん、お酒それぐらいにしときな」
「えー? まだのめますよ! ねえ康太さん!」
会話がぐちゃぐちゃになってきて、着地点を見失いはじめたその時。
「おめえ……そりゃおめえ、ほんとの話かよ?」
だまってお酒を飲んでいた足高さんが、だしぬけに口をひらいた。
「ほんとの話ですよ。それで、いいだけ恥をかいたんで、もう、いいかなって。あれこれ考えすぎるのはやめて、楽しくやろうって決めたんです」
「そ、そこじゃねえ! おめえ、そこじゃねえよおめえ! そ、その、けっ、えけっ、えけっ」
「……えけっ?」
がばーっと立ち上がる足高さん。
「け、化粧ってえのを贈ればおめえ、懸想している女をかつげるのかっておめえ、聞いてんだよおめえ!」
それはもう、芯からの叫びだった。
足高さんの抱えている気持ちや切なさ、意中の女性を思って過ごした眠れぬ長い夜、その他もろもろ、すべてがつまった叫びだった。
色々と、言いたいことはあった。
かついでないし。
ていうか足高さん、想い人がいたんだ。
ていうか足高さん、所帯を持ってなかったんだ。
ていうか足高さん、その急な勢いはなんだ。
だけど僕たちは、言葉を失い、足高さんを見上げていた。
涙にぬれ、鼻水までたらした、その姿。
そのみっともなさに、崇高なものすら感じていた。
そこに言葉はいらず、足高さんの表情は、すべてを物語っていた。
「うわあ……」
榛美さんだけは、「うわあ……」の顔をしていたし、あまつさえ口に出していたけれど。
「……足高は、女を知らねえんだ」
「そう、なんですね」
「そんな気の毒な話があるかよ……」
足高さんの魂の叫びに心までゆさぶられ、思わず、しみじみとしてしまう。
そうか、この村の人口抑制策は、こんなところで、悲劇を生んでいたんだな。
「懸想している女はいるんだが、どうしても、かつぐ勇気がねえってんだよ」
あ、ちがった。
いや、そういう実例もあるんだろうけど、この場合にはあてはまらなかった。
「かつぐなんざ、難しいもんじゃねえ。村の連中に根回しして、てめえを担ぐと女に言う。それで終わりさ」
「だっておめえ、そんな簡単におめえ、できてたまるかってんだよおめえ!」
足高さんの言葉は、なんて力強いんだ。
そう、そうだよ。
そう簡単にできてたまるかってんだよおめえ。
なんかこうおめえ、色々あるんだよ人生にはおめえ。
自分のぼんくらでおめえ、恋人に捨てられておめえ、臆病になったりとかするんだよおめえ。
「足高さん!」
僕もおもわず、立ち上がっていた。
「お手伝いしますよ足高さん! 化粧品の作り方は、お教えします!」
「ほ、本当かよおめえ! 白神おめえ、お、おめえってやつは……ちくしょう、涙が出てきやがる!」
「やりましょう! 足高さんならできますよ! チェンジユアセルフ足高さん! スタンダーップ!」
足高さんの手を取って、高くかかげる。
「う、うおおお! や、やる、やるぞおめえ、おれはやるからなあ!」
「いい加減にしろ」
いきなり後ろからけりとばされて、僕と足高さんは、もろともにひっくり返った。
「いたたた……え、なんで? なんでなの悠太君」
「それ聞く?」
「だって今いいところだったし……」
悠太君は、本日何度めになるか分からない、ためいきをついた。
「オマエがおっさんのかつぎをどうこうするって話は、別に止めねえよ。でもそれ今やる?」
「あっ」
そうだった。
当初の目的が、かんぺきに吹っ飛んでいた。
ここまで脱線したの、もしかして、はじめてじゃないかな。
ちらりと榛美さんに目をやれば、案の定というかなんというか、すやすやねむっている。
「ごめん悠太君」
「別にいいけどさ……オマエって、案外そういうやつだったんだな」
そんなことを言う悠太君の表情は、どうしてだか、優しげだ。
「どうしたの、急に」
「なんでもねえ」
そっぽをむかれた。
何がいいたいんだい悠太君。
「俺も少し驚いたよ。白神様は、なんだって知ってて、いつだって冷静で……だけど、色んなことをがまんしてるみてえに見えたからな」
「見抜かれますね。がまんするの、止めてみたんです」
と、苦笑い。
どっちがいいのかは、正直、よくわからないけどね。




