「うふ」-1
「うふふ……ふふ……ふふ……」
榛美さんが変だ。
変、というか、想定外の行動をとるのは、まあいつものことだけど。
「うふふ」
しかしながら今回、榛美さんが変になってしまった原因は明白。
「あま…あま…」
木さじをくわえたまま、とろけきった笑顔で、客間をのたうちまわる榛美さん。
「榛美さん、さじがのどに刺さるよ」
「うふふ……あま…あま…」
木さじにのせたのは、ほんのわずかの水あめ。
ひとなめしただけで、またたびをかがせた猫みたいになってしまったのだ。
つまるところ、榛美さんがこうなってしまった原因は、僕ということになる。
「まいったなあ」
ひとたび水あめをなめると、誰の声も届かない楽園に入り込んでしまう。
一日ひとなめ、というルールを定めてはいるけれど。
条約の妥結までに、どれだけの苦労があったことか。
「どうしたものだと思う?」
「オマエが作って食わせたんだろ」
覚書の読解にはげむ悠太君は、いつものとおり、そっけない。
「榛美、あんまりのたうち回んな。邪魔だ」
「うふふ……うふふふふ……」
「ダメだな」
「だめかあ」
「まあ、分からなくもねえよ。甘いもんって危険だよな。
白神の世界じゃ、こんなもん当たり前に食ってんのか?」
「魚の煮物にまで使うぐらいだからねえ」
どんな味を想像したのか、悠太君は小さくうめいて舌を出した。
「しかしまあ、当たり前なもんなのか。想像もつかねえ」
「当たり前になるまでには、けっこう色々あったけどね」
「お、世界史だろ? すぐ話せよ」
さすが悠太君、これだけ小さい前フリにも、すぐさま反応してくれる。
なんでいつもオラオラ系になるのかは、よくわかんないけど。
お砂糖は、お茶と同じぐらい、世界経済をひっかきまわした製品だ。
たとえばハイチやドミニカなどカリブ海の国は、植民地時代、国土のほぼ全てが砂糖プランテーションに変えられた。
世界中の誰もが、お砂糖を(とにかく安値で)食べたくて仕方なかったからだ。
その傷跡は、独立後の独裁者政権なんかもあいまって、今でも残っている。
ハイチは未だに世界でもっとも貧しい国のひとつだし、国土のほとんどは、木々が伐採されて丸裸になっている。
また、ドミニカの主要産業は野球選手の輸出、なんていう皮肉まであるぐらいだ。
ちなみにこの伝でいうと、ハイチの主要産業は、ドミニカに密入国しての違法伐採ということになる。
まあ、それもむべなるかな。
見目うるわしいエルフの娘さんを、こんな風にしてしまう。
これこそ甘味のおそろしさ。
「あま…あま…」
さて、世界経済の縮図みたいになってしまった榛美さんを、どうしたものか。
「たしかに、いくらなんでも見苦しいよな」
悠太君は、のたうちまわる榛美さんの動きを、目で追った。
右から左にゆっくり転がっていき、壁まで来たら、折り返す。
器用なうごきだ。
「かわいいけどね」
「そういう問題じゃねえだろ」
「でも、こうかわいいと、やっぱり強く言えないところあるよね」
「強く言えよ……」
「でも、こうかわいいとさあ」
悠太君はためいきをつき、立ち上がった。
「……親父に解決策でも聞いてみるか」
「だったら夜でいいんじゃない?」
「酔っぱらうと、ろくなこと言わねえから」
「服やぶいちゃうしね」
「あれ、破くたびに自分でつくろってんだぜ。笑えるだろ。
ちょうど今、腰をいためて家で寝てんだ」
なんとまあ。
やっぱり農作業って大変だよなあ。
「それは、お大事にしてもらわないと」
「じっとしてたらじっとしてたで、口ばっか動かしやがる。
なんか考えさせといた方が、いくらかおとなしいだろ」
「そういうことなら、僕もおじゃましていいかな」
「は? なんで? 別におもしろいことなんもねえぞ」
「ほら、けっこう前のことだけど、讃歌さんがお鍋をだめにしちゃったことあるでしょ。あれに責任を感じてて」
悠太君はしょっぱい顔をした。
「それでメシの作り方を教えるって? むだになると思うけどな」
「むだになることはないよ。それに、自分でつくるのって、楽しいからね」
「そりゃオマエはそうだろうけどな。まあいいや、来んなら来れば?」
悠太君の態度も、だいぶ軟化したなあ。
少し前だったら、もう一ぐだぐだ挟んだと思う。
「にやにやしてんじゃねえよ」
こういうところは変わらないけどね。
というわけで無産階級ふたり、讃歌さんの家に。
「親父、いるだろ」
「おじゃましますー」
だいぶ格子のうしなわれた引き戸をあけて、悠太君が声をかけると。
農具が散乱する居間のまんなか、葛あみの寝床に、讃歌さんがよこたわっていた。
「おお、白神様じゃねえかったたたたた! 悠太! 腰がいてえ!」
体を起こそうとして、うめく讃歌さん。
「知るか。寝てろよ」
「そういうわけにもいかねえだろうが」
「あ、いえいえ、横になっていてください」
「いたたた……情けねえ話だぜ。田んぼにも出れねえんじゃ、みんなに顔向けできねえ」
讃歌さんは、うんうんうなりながら再び横たわり、体をもぞもぞ動かした。
なぜかそのかたわらに、素焼きの鉢がおいてある。
鉢には水がはってあって、黒豆が底にしずんでいる。
なんだこの状況。
「豆をもどそうとしてな。力つきちまった」
黒豆の横で力なく笑う讃歌さん。
気の毒すぎて、見ていられない。
「笑えるな」
「黙れドラ息子」
「腰痛かあ……つらいですよね」
「白神様の気にするこっちゃねえさ」
しかし、こんな姿の讃歌さんに、相談だけするというのも気が引ける。
なんとか助けてあげたいものだけど。
「讃歌さんのかわりに、田んぼに出ましょうか?」
「うわ、本気かオマエ」
隣の悠太君が、ぎょっとする。
「僕も悠太君もひまでしょ?」
「オレまでかよ」
「いやいや、それにゃあ及ばねえ。というより、分かりもしねえで田んぼに出られても、みんな困っちまうよ。とくにあんたは白神様だからな」
「気をつかっちゃいますか」
「気をつかっちまうわな、そりゃ」
こんなところでも『白神様』だ。
いろんな局面でディスアドバンテージになってるよなあ、この肩書き。
こないだもそのせいで、生きたまま皮をはがされかけたし。
それはともかく、さてさてそれじゃあ、どうしたものでしょう。
「おいおい、相談のために来たんだろうがよ」
「うーん、腰痛かあ。ビタミンB1、酢酸、カルシウム、キチン質……」
「はじまったよ」
「悠太君、まずはうち豆をつくろう」
「は?」
「は?」
讃歌さんと悠太君がはもった。
「僕は讃歌さんに、ごはんの作り方を教える。讃歌さんは、腰痛改善にいいごはんを食べられる。どうかなこれ」
すばらしい思いつきだと思うんだけど。
「あー、ちょっと待て。白神、目をみせろ」
「え、なに急に。僕のこと好きになったの?」
「……ダメな時の目だ」
悠太君は力なくかぶりをふった。
「分かったよ。で、うち豆ってなんだ」
「讃歌さん、このお豆、ちょっと借りますね」
「お、おお……?」
讃歌さんはまだちょっと、きょとんとしている。
「あと、この木槌」
「き、木槌?」
「それと、平たい石」
「ひ、平たい石? 白神様、いったい何を……」
「とりゃっ」
「はあっ!?」
悠太君と讃歌さんが、またはもった。
というのも、平たい石においた黒豆を、ハンマーで叩きつぶしたからだ。
「なっ、何を? いったい白神様は、何をやってるんだ?」
「豆をこんな風につぶしておくと、火の通りが早いんです。僕の世界では、うち豆って呼ばれていました」
「あ、ああ、なるほど、そういうことか。戻さなくていいんだな?」
「はい。農繁期でも、さっと湯がけば食べられるんで、便利ですよ」
うち豆はすごく便利なので、少しプレゼンしておこう。
まずはイシュー設定から。
『急にどうしても豆ごはんが食べたい……でも、大豆を戻すのには一晩かかる……』
ヒアリングでは、このような声が聞こえてまいりました。
今回、当方が提案いたしますソリューションが、こちら、うち豆です。
乾燥した状態の豆を、ごはんと一緒に炊くだけ。
豆ごはんのできあがりとなります。
具入りご飯におけるシェアのベンチマークとしては、たきこみご飯を想定しています。
なんて、ちょっと言い過ぎましたかね(場内笑)。
別途打ち合わせの上、詳細詰めさせていただければと思います。
私からの説明は以上となります。
プレゼンがおわったところで、うち豆もだいぶ数ができてきた。
「悠太君、ざるかなんかないかな」
「オレに聞かれてもなあ。住んでねえし」
「ああ、ちょっと待ってな。いたたた……」
讃歌さんが、顔をしかめながら、起きあがろうとする。
「いやいや、讃歌さんは横になっていてください」
「白神様が、俺のためにメシを作ってくれるってんだ。じっとしてりゃあいられねえだろ」
よたよたと土間に向かってくる讃歌さん。
「それで悪化しちゃったらどうするんですか」
ものすごいゆっくりな速度で、ようやく僕の前まで到達する。
うわ、すごい汗出ちゃってるよ。
動いたらだめでしょこんなの。
「これで案外、目先に希望があるってのはいいもんさ。白神様がメシを作ってくれるってんなら、当座の痛みも、がまんできる。だから、ここは黙って俺にやらせときな」
反論の余地をあっさりうばって、讃歌さんはにやりとわらった。
それから、笹編みのざるを拾い上げ、アンダースローで放った。
「ありがとうございます」
粋だ。
さて、それじゃあ、うち豆はざるに並べて乾燥させよう。
「ちょっと家にもどるね」
「あー、好きにしろ。なんでも勝手にやれよもう」
悠太君、ふところがふかい。
豆をのせたざるを抱えて、榛美さん家にもどると。
「あれ? 榛美さん?」
客間に、榛美さんの姿がない。
さっきまで、力いっぱいのたうち回っていたのに。
「……まさか」
いきなり土間に向かって走り出す悠太君。
ややもして。
「あーーーー!」
榛美さんの、みもふたもない絶叫が聞こえてきた。
何が起きたのかと、様子を見に行けば。
水あめの入った、ほうろう引きの壷を抱える悠太君。
土間で泣きくずれる、榛美さん。
「あぶないところだったぜ、白神。案の定、オレらの目を盗んで水あめをなめようとしてやがった」
「か、かんべんしてつかあさい! あまいのが、あまいのが、もうどうしてもがまんできなくて……!」
これはなんというか、重篤だ。
待っていてね榛美さん。
一刻もはやく、まずは讃歌さんのためにごはんを作るから。
「榛美さん、ちょっと夏の宮をお借りするね」
「は、はい……どうぞ……」
しょぼくれた榛美さんが、しょぼくれた返事をする。
許可をいただいたので、うち豆を急速乾燥。
「で? 豆が乾いたらはじめんのか?」
と、悠太君。
「酢酸とビタミンB1はこれでいいから……うーん」
「うそだろ、まだあんのか」
「悠太君! えびを採りにいこう!」
「……出たよ」
悠太君は、おおきなため息をついた。
「また柴づけ漁か?」
「あれは時間がかかるからね。網を打てる人がいればいいんだけど」
「それなら、足高のおっさんだろ。おっさんも、今年は畑がなくてひまだし」
「よし、じゃあ足高さんの家にいこっか」
「いっつもこうなるんだよなあ……」
もう慣れてきたでしょ?




